昨日の『東京新聞』の「こちら特報部」の記事を読むと、いろいろ怒りが湧いてくる。
まず民生委員。わたしは一期だけ民生委員を務めたことがある。以前にも書いたことがあるが、わたしは意欲的に仕事をした。一人暮らしの老人宅には、毎月一回訪問し、近況を聞き、世間話をしたりした。そういう仕事が民生委員の仕事だと思っていたからだ。
毎月一回、民生委員の地区会があった。そこには社会福祉協議会の人、市役所の人が参加していた。そこでは、意見交換が行われたりした。それは必要なことだと思ったが、それ以外に社会福祉協議会の仕事、市の仕事が民生委員におろされてきた。その仕事が半端ではない。『東京新聞』の記事にもあったが、「あて職も多く、行政などに『何でも屋』のように頼まれやすい。・・・・担い手不足の根源は、負担の過多にある。」
市役所では「行政改革」の名の下、正規の職員が減らされ、実際に住民と接する仕事は非正規に任されるようになった。市役所などの窓口にいるのは非正規ばかりである。福祉の関係の、高齢者などと接して行う仕事は、民生委員にやらせるのである。民生委員は若干の手当はでるが、原則無給である。猛暑の中、あるいは冷たい風が吹きつける中、民生委員は自転車に乗ってそれぞれの家庭に足を運ぶ。
わたしは民生委員になった当初は、果たして必要な仕事なのかと思いながらも、仕事を行った。しかしそれが度々であったので、抗議するようになった。一度は、市から調査して欲しいといわれ、調査したが一軒だけ、いつ行っても不在、そこでいつも不在だから、そちらでやってくれと言いに行ったところ、結局市はやらなかった。やらなくてもいい仕事を、なぜに民生委員にやらせるのか、腹が立った。
民生委員のなり手がいない、というが、行政はタダでつかえる労働力として民生委員を位置づけるのはやめるべきだ。それが最初に行うことだ。
さてもうひとつ。前川喜平さんの「五輪選手を教師に?」というコラム。文科省はいったいなにを考えているのかと思う。五輪選手を教員として採用するなら、「特別免許状」を発行し、国庫負担金を加配するというのである。体育の教員は多い。毎年どこかで行われる国民体育大会のために、それが近づく中で体育の教員をたくさん採用する。するとその後では、体育の教員の採用は長期間なくなる。
静岡県の某校では、体育の授業は、2クラスに体育教員が3~4名貼り付く。ティームティーチングだとのこと。
そのうえさらに五輪選手を教師にする、というのである。前川さんはその目的を「アスリートの生活安定のためだ」と断じる。教員が足りない状況の中で、体育系の教員、それも彼らの「生活安定のため」に増やしていくのはまったく、学校現場の苦境を何とも思わない所業である。
もうひとつ、強権をふるう河野太郎が、マッチングアプリで「ロマンス詐欺」が多い、ということから、その利用に際して「マイナンバーカード」を利用させればよい、と言っているそうだ。マイナンバーカードは個人情報が関連付けられているわけだが、要するに、マイナンバーカードを利用させ、それらの個人情報が流出しても良いということなのだろう。日本のようなデジタル後進国、しばしば情報が流出するような国で、こんなことにつかわせたら、ダダ漏れ間違いナシである。
こんな政治家や官僚に、アホな施策を行わせている日本の行く末は真っ暗である。