ついに本丸、天守までたどり着きました。三層四階(地階含む)の複合式望楼型天守、小ぶりですが、それでも想像していたよりは大きかったです。切妻破風、入母屋破風、唐破風などを多用し、最上階には花頭窓、高覧付廻縁を巡らすなど、見る角度によって様々な表情を見せる、大変美しい天守です(下の動画をご覧ください)。
天守は姫路城のような通し柱を用いず、各階を積み上げる方式を採っており、この時期としては望楼型でも古い形式です。調査の結果、元々は1607年(慶長12年)頃に建てられたものであることが判明しています。この天守もまた移築であり、前述の『井伊年譜』によれば、大津城であったと伝えられています。他の城の建築物を移築するという手法は、この時代よく見られたことです。
天守内部の「武者溜」。
天守より琵琶湖を望む。
西の丸三重櫓。本丸に隣接する西の丸北西に位置する、続櫓。小谷城天守を移築したものと伝えられています。
井戸曲輪。本丸から黒門へ降りていく途中に設けられた小さな曲輪。当時は瓦塀で囲まれていました。中には塩を備蓄する塩櫓と雨水を浄化して貯水する井戸がありました。籠城に備えるため、最も大切な塩と水を備蓄する施設であると同時に、黒門を守る防衛施設でもありました。
井戸曲輪下の石垣は、高さが19.4mあり、彦根城の中で最も高く堅牢な構造となっています。
楽々園。彦根藩4代藩主、井伊直興によって建立された藩主の下屋敷です。元々、槻(けやき)御殿と呼ばれていましたが、現在では建物を楽々園、庭を玄宮園と呼んでいます。
楽々園の名は『論語』の「仁者は山を楽しみ、智者は水を楽しむ」に由来し、民の楽を楽しむという仁政の意味も込めているといわれています。
ここは松原内湖に面した広大な干拓地であり、最大時には現存する建物の10倍ほどの規模を誇りました。
<おわり>
彦根城
滋賀県彦根市金亀町1-1
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
よろしければクリックおねがいします!
↓