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大野城の話題に戻ります。馬責から山道を登っていくとさらに内部土塁跡があり、それを越えると増長天地区と呼ばれるところに着きます。
まず目に入るのが鏡池とよばれる小さな池です。ここは大野城の井戸であったと考えられ、1300年以上経た現在に至るまで一度も渇水したことはないと言われています。1994年に福岡を襲った異常渇水も時でさえ、この鏡池の水が枯れることはありませんでした。
名護屋城の時も触れましたが、城において何よりも重要なのは水の確保、『三国演義』で蜀の馬謖が水の確保できない高地に布陣し大敗を喫したのは良く知られています。その点、大野城は実際に歩いていて思いましたが、四王寺川を初めとして山中のいたるところに湧き水が見られ、山城として適していたことが分かります。この鏡池のある所などは標高400m近いのです。
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さて、この増長天地区は6m×10mほどの高床倉庫4棟の礎石跡が見つかっており、城の食糧庫であったと考えられています。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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