「村山知義の宇宙」 世田谷美術館

世田谷美術館
「村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する」
7/14-9/2



世田谷美術館で開催中の「村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する」へいってきました。

タイトルにも掲げられた「すべての僕が沸騰する。」

何とも力強くまた勇ましい言葉ですが、大正期から戦後にかけて、美術はおろかパフォーマンス、建築、映画、演劇、それに童画やデザインなど、様々なジャンルにわたって才能を発揮した人物がいたことをご存知でしょうか。

それが村山知義(1901~1977)です。


「美しき少女等に捧ぐ」1923年頃 神奈川県立近代美術館

実のところ既に本展は神奈川県立近代美術館(葉山)の他、高松、京都と廻って、最後に世田谷へと辿り着いたこともあり、今更に私が語ることもないかもしれませんが、ともかく多方面に残された知義の創作の痕跡を知ると、一時代を築き上げるまでに至った迫力や熱気を感じてなりませんでした。

展覧会の構成は以下の通りです。

第1章「前兆:1920」
第2章「伯林(ベルリン):1922」
第3章「沸騰:1923-1931」
第4章「こどもたちのために:1921-1976」
第5章「その生涯:1901-1977」
 

さてマルチな活躍をした村山ですが、キャリアの発端は意外、何と童画家です。


「こぐまさんの家族 子供之友」1927年1月号 婦人之友社

妻のかず子が童話作家であった縁もあり、童画家「Tom」を名乗って、母も勤めていたという婦人之友社の雑誌「まなびの友」で童話に絵をつける仕事を始めました。


「夢のくに まなびの友」1921年11月号 婦人之友社

「夢のくに」(1921)などの幻想的な作風はいかにも大正ロマンと言えないでしょうか。

村山は戦後になっても童画の制作を続けますが、前衛美術家らしからぬメルヘンの世界、思いの他に魅惑的と言えるかもしれません。

さて1922年に村山はベルリンへと旅立ちます。

美術作家としてのデビューです。一年にも満たない滞在でしたが、当時一大旋風を起こしていたダダや構成主義に触れた上、自身もイタリア未来派の展示に参加するなどして活動を始めます。

ここでは同時代の美術の潮流としてカンディンスキーや、つい先だって川村記念でも回顧展のあったナジらの作品が展示されているのもポイントかもしれません。


「少女エルスベットの像」1922年 ギャラリーTOM

また知義の「少女エルスベットの像」などはピカソを思わせる面もないでしょうか。

さらに知義はカンディンスキーの詩の翻訳から構成主義の画家の研究書なども執筆し、早くも当時の美術界に名を轟かせます。

帰国後はそれこそ才能が全方位へと沸き立ちます。まさに沸騰の知義です。


「マヴォ 第3号」1924年9月

日本のダダといえる前衛芸術家集団「マヴォ」を結成し、さらには舞台装飾から建築の活動も行います。


「踊り」1924年8月 *出典:マヴォ3号

ちなみに厳格なキリスト教信者の母に持った知義は、当初舞台は卑俗なものとして教えられていたそうです。

展示ではドイツの演劇を日本語で紹介した知義の活動がパネルなどで示されています。

また面白いのが商業デザイナーとしての活動です。花王石鹸の包装紙のデザインなども試みています。

「自動車に施せる看板意匠」(1928)のデコカーとも言えるような個性的なデザインは一種異様ではないでしょうか。

それに文芸誌の挿絵、また文学面では米川訳の「カラマーゾフの兄弟」の装丁なども行っています。

またロイドの帝国ホテルに強く感銘を受けた知義は、最高の造形芸術として建築を賞揚し、自宅兼アトリエの「三角の家」を設計します。

まさにマルチタレントならぬマルチアーティストです。次から次へと生み出されるアイデア、その源泉は一体どこにあるのかと終始驚かされてなりませんでした。


「朝から夜中まで(1926年再演)舞台装置模型」1960年 ギャラリーTOM

さてこうした幅広い知義の活動ですが、何より最も熱心だったのは演劇、中でもプロレタリア演劇の分野ではないでしょうか。

知義は帰国後しばらくして左傾化し、日本プロレタリア文芸連盟や左翼劇場に参加するなどして、プロレタリア文学と演劇の運動を始めます。

当然ながら当時の日本においてこれが許されるわけもありません。

1932年には治安維持法で逮捕されるなど受難の時代も続きましたが、戦後は新劇に移行、東京芸術座を結成するなどして、舞台美術150本、演出410本以上と旺盛に活動します。

共産党員でもあった左翼家としての知義の活動、会場では主に資料などの紹介でしたが、非常に重要なポイントだと言えそうです。

「村山知義 劇的尖端―メディアとパフォーマンスの20世紀 1/森話社」

作品資料はもとより、パネル、キャプションなども充実しており、私のように知義の活動を事前に知らなくても、ある程度は理解出来るようになっていました。

それにしても内容を見れば、この開催にあわせ、特に美術の観点から改めて調査、研究が行われたというのにも頷けます。またその成果を踏まえての図録も読み応え十分でした。

「3びきのこぐまさん/村山知義/婦人之友社」

村山知義の初の回顧展です。9月2日まで開催されています。

「村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する」 世田谷美術館
会期:7月14日(土)~9月2日(日)
休館:毎週月曜日。但し7月16日(月・祝)は開館、17日(火)は休館。
時間:10:00~18:00
住所:世田谷区砧公園1-2
交通:東急田園都市線用賀駅より徒歩17分。美術館行バス「美術館」下車徒歩3分。*その他に千歳船橋、成城学園前、田園調布各駅から路線バスあり。(交通案内
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