「ムンク展―共鳴する魂の叫び」 東京都美術館

東京都美術館
「ムンク展―共鳴する魂の叫び」
2018/10/27~2019/1/20



東京都美術館で開催中の「ムンク展―共鳴する魂の叫び」を見てきました。

ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863〜1944)は、20世紀の表現主義の先駆けとして、人間の内面的な感情を表した作品を多く描きました。

そのムンクの作品が、母国ノルウェーより100点ほどやって来ました。ほぼ全てがオスロ市立ムンク美術館のコレクションで、「叫び」などの代表作をはじめ、初期から晩年までの作品を網羅していました。

はじまりは自画像でした。「地獄の自画像」では、オレンジ色に焦げた背景を前にした姿を描いていて、あまり明らかでない表情ながらも、眼光だけは鋭く、強い意志を感じさせていました。ムンクは生涯において自画像を多数制作していて、「私の絵は、自己告白である。」との言葉も残しました。


エドヴァルド・ムンク「病める子 I 」 1896年 オスロ市立ムンク美術館

1863年に軍医を父に持つ家庭に生まれたムンクは、5歳の時に母を結核により亡くし、9年後には1つ上の姉も同じ病気で失いました。また自身も病弱で、同年の春には、吐血と高熱で死の恐怖に苛まれました。「死と春」や「病める子 I 」は、死に接した一連の経験を思わせる作品で、後者では、蒼白な顔の少女が、まるで死を悟ったのか、どこか虚ろな表情で横を見つめていました。


エドヴァルド・ムンク「夏の夜、人魚」 1893年 オスロ市立ムンク美術館

オスロのフィヨルドをのぞむ地で暮らしたムンクは、夏の白夜の中、月明かりの照らす海辺の景色を繰り返し描きました。一例が、「夏の夜、人魚」で、黄色い月明かりが縦にのびる岩場の岸で、水浴びをする人魚を表しました。僅かに波打つ海は濃い水色に覆われていて、丸石は月の光を受けたのか、美しくきらめいていました。人魚の表情はぼんやりとしていて、幻想的な光景が広がっていました。

1892年、パリ留学後に故郷で個展を開いたムンクは、ベルリン芸術家協会の招待を受け、同地で展覧会を開催しました。しかし印象派も浸透していなかったベルリンでは、ムンクの絵画は受け付けられず、1週間余りで個展を終えることになりました。また1902年、かねてより「愛憎半ばしながら」(解説より)連れ立っていたトゥラ・ラーセンとの間で銃の暴発事件を起こし、左手中指の一部を失いました。その後、アルコール依存症や神経症に悩まされるものの、次第に作品は評価され、ヨーロッパ各地で個展を開きました。


エドヴァルド・ムンク「叫び」 1910年? オスロ市立ムンク美術館

「叫び」は会場中盤での展示でした。数ある西洋絵画の中でも、とりわけ有名な作品で、ムンクは1893年以降、4作(版画を除く)を描き、うち2点をムンク美術館、1点をオスロ国立美術館、そして1点は個人がそれぞれ所蔵しています。今回来日したムンクはムンク美術館のコレクションで、油彩やパステルではなく、唯一、テンペラが加えられた作品でした。

縦83センチほどと、決して大きくない画面の中で、極端にデフォルメされた人が、幻聴に耐えかねて、耳を押さえる姿を捉えていて、背後のフィヨルドは、もはや原型をとどめないほどに屈曲していました。まさに画中の人物の不安や孤独が反映されていて、渦巻く景色は、今にも崩壊してしまうかのようでした。


エドヴァルド・ムンク「絶望」 1893-94年 オスロ市立ムンク美術館

その隣の「絶望」にも心惹かれました。空と大地とが渾然一体、同じようにうねりを伴う中、一人の男が諦念に達したのか、肩を落としては、俯いていました。「叫び」の人物がかなり崩れているのに対し、「絶望」はむしろはっきり描かれていて、後ろの人物の歩く男にも、実在感がありました。オスロ市立美術館の「叫び」が来日するのは、もちろん初めてのことでもあります。

接吻、吸血鬼、マドンナなども、叫びと同じく、ムンクの手がけた連作「生命のフレーズ」の中心を占めるモチーフでした。「月明かり、浜辺の接吻」は、得意の縦にのびる月明かりの下、海辺の木立で男女が接吻する姿を捉えていて、二人はもはや一体であるかのように、強く、激しく密着していました。装飾性を帯びた構図も魅惑的と言えるかもしれません。


エドヴァルド・ムンク「生命のダンス」 1925年 オスロ市立ムンク美術館

私が今回、最も魅せられたのが、代表作の1つでもある「生命のダンス」でした。例の月明かりの海辺で、複数のカップルが抱き合いながら、ダンスをしていて、ともかくドレスの白や赤はもちろん、海の群青に空の紫など、力強く、鮮烈な色彩美に見惚れました。油彩に特有な絵具の迫力を感じたのは私だけでしょうか。

1908年、アルコール依存症によってコペンハーゲンの病院へ入院したムンクは、心身こそすぐれなかったものの、同年に勲章を授与され、国立美術館に作品が買い上げられるなど、40代にしてノルウェーでの画家としての地位を確立しました。翌年に退院すると、ノルウェーへ戻り、アトリエを構え、壁画などの大規模なプロジェクトにも取り組みました。肖像画家としても人気を集めていたそうです。


エドヴァルド・ムンク「太陽」 1910-13年 オスロ市立ムンク美術館

輝かしい光が画面から溢れていました。それが「太陽」で、黄金の光をリングを描くように放つ太陽が、フィヨルドの大地と海をあまねく照らしていました。また「星月夜」も力作で、ムンクの家の玄関先から眺めたとされる夜の景色を捉えていました。七色に変化する空はもとより、黄色い星の瞬きなど、やはり色彩の美しさに感心させられました。


エドヴァルド・ムンク「星月夜」 1922-24年 オスロ市立ムンク美術館

1927年にはベルリンとオスロで、油彩画が200点超も出展された大規模な回顧展も開催され、ノルウェーの国民的画家となりますが、ドイツでナチスが台頭すると、同国では退廃芸術の烙印を押されてしまいました。さらに1940年にナチスがノルウェーを占領すると、親ドイツ政権の懐柔にも応じることなく、アトリエに引きこもりました。


エドヴァルド・ムンク「自画像、時計とベッドの間」 1940-43年 オスロ市立ムンク美術館

「自画像、時計とベットの間」は、最晩年に描かれた作品で、赤と黒のストライプのベットの横で、ムンクが手をだらんと垂らしながら、直立する姿を表していました。その表情は幾分と寂しげ絵もあり、自身の境遇を憂いているようにも見えなくはありませんが、背後の黄色しかり、輝く色彩はいささかも失われていません。結局、ムンクは戦争の終結を見ることなく、1944年に亡くなりました。

最後に会場内の状況です。会期早々、10月28日(日)のお昼過ぎに行ってきました。



またはじまってから2日目だったのにも関わらず、既に入場規制がなされていて、「10分待ち」の案内もありました。



ただし実際に入口へ行くと、特に規制はなく、そのまま入れましたが、中は相当の人出で、初めの展示室に関しては、絵の前に立つのもままならない状況でした。「叫び」のコーナーも同じように混み合っていました。ただしほかの展示室に関しては、人の流れも比較的スムーズで、列に沿えば、どの作品も最前列で鑑賞出来ました。


会期も半月ほど過ぎ、さらに混み合っています。平日こそ入場に際しての待ち時間は殆どありませんが、最近では11月10日(土)に30分、11月11日(日)には最大で40分の待ち時間も発生しました。おおむね午前中の早い時間から待機列が生じ、午後にかけて段階的に縮小し、夕方には解消しているようです。



都内各地で大規模な西洋美術展が立て続けに開催されていますが、おそらく最も混み合うのが、「ムンク展」に違いありません。会期末は長蛇の列も予想されます。当面は金曜の夜間開館日が狙い目となりそうです。



どうやら私にとってムンクは「叫び」のイメージが強すぎたのかもしれません。確かにメランコリックな面も見え隠れはしていましたが、そもそも先の「生命のダンス」をあげるまでもなく、絵自体は時に色彩に輝き、それこそ目がさめるほどに美しいのではないでしょうか。初めて画家の魅力を知ったような気がしました。



2019年1月20日まで開催されています。おすすめします。

「ムンク展―共鳴する魂の叫び」@munch2018) 東京都美術館@tobikan_jp
会期:2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)
時間:9:30~17:30
 *毎週金曜日、及び11月1日(木)、3日(土・祝)は20時まで。 
 *入館は閉館の30分前まで。
休館:月曜日、12月25日(火)、1月1日(火・祝)、15日(火)。11月26日(月)、12月10日(月)、24日(月・休)、1月14日(月・祝)は開館。
料金:一般1600(1400)円、大学生・専門学校生1300(1100)円、65歳以上1000(800)円。高校生800(600)円。中学生以下無料。
 *( )は20名以上の団体料金。
 *高校生は12月無料。
 *毎月第3水曜日はシルバーデーのため65歳以上は無料。
 *毎月第3土曜、翌日曜日は家族ふれあいの日のため、18歳未満の子を同伴する保護者(都内在住)は一般料金の半額。(要証明書)
住所:台東区上野公園8-36
交通:JR線上野駅公園口より徒歩7分。東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅7番出口より徒歩10分。京成線上野駅より徒歩10分。
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