都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
三省堂書店がポイント制を導入…。
「本屋さんもポイント制 三省堂、本格導入で全国波及へ」(asahi.com)
三省堂書店は10日から、東京の神田本店など4店舗でポイントをためると金券がもらえるサービスを始める。4月末までに実施店舗を25店舗にまで拡大する予定だ。大手書店によるポイントサービスの本格展開は初めて。これまでポイントサービスに強く反対してきた書店団体も容認姿勢に転じつつあることから、他の書店にも広がりそうだ。
神田の三省堂はよく利用するので、一消費者としてはなかなか有り難いサービスだと思います。しかし、よく記事を読むと、たくさんの制約があることに気付かされます。特に、金券が5月と11月だけ使用可能というのは、一体どのような意味があるのでしょうか。ちょっとよく分からないシステムです。
ところで、ポイントカードといえば、すぐにカメラ系の家電量販店やCD店などを思い出します。これらは5%や10%が当たり前の世界ですが、この三省堂のポイント制は、本と雑誌一冊につき3ポイントという、かなり謎めいた加算システムを採用するそうです。また、ポイントの還元は、34冊分100ポイントで300円券です。これを一冊1000円の雑誌や本で考えた場合、34000円分で300円の還元となります。この例に限れば1%以下の還元率です…。このお世辞にも高いといえない割引率については、再販制と絡んだ複雑な事情に配慮した結果なのでしょう。(細かい話ですが、1%程度なら、クレジットカードで買う場合のお得度と大差ないかもしれません。)
私は再販制の詳しいことは全然分かりません。しかし、少し前にはCDの輸入盤に関する法改正もありました。今後どのような方向へ進むのか全く予想もつきませんが、いつかは、amazonの洋書セールのような大特売が和書でも可能となるのでしょうか。今回の三省堂の取り組みは、今後の書籍流通の様々な可能性を占う一つの出発点となるのかもしれません…。
三省堂書店は10日から、東京の神田本店など4店舗でポイントをためると金券がもらえるサービスを始める。4月末までに実施店舗を25店舗にまで拡大する予定だ。大手書店によるポイントサービスの本格展開は初めて。これまでポイントサービスに強く反対してきた書店団体も容認姿勢に転じつつあることから、他の書店にも広がりそうだ。
神田の三省堂はよく利用するので、一消費者としてはなかなか有り難いサービスだと思います。しかし、よく記事を読むと、たくさんの制約があることに気付かされます。特に、金券が5月と11月だけ使用可能というのは、一体どのような意味があるのでしょうか。ちょっとよく分からないシステムです。
ところで、ポイントカードといえば、すぐにカメラ系の家電量販店やCD店などを思い出します。これらは5%や10%が当たり前の世界ですが、この三省堂のポイント制は、本と雑誌一冊につき3ポイントという、かなり謎めいた加算システムを採用するそうです。また、ポイントの還元は、34冊分100ポイントで300円券です。これを一冊1000円の雑誌や本で考えた場合、34000円分で300円の還元となります。この例に限れば1%以下の還元率です…。このお世辞にも高いといえない割引率については、再販制と絡んだ複雑な事情に配慮した結果なのでしょう。(細かい話ですが、1%程度なら、クレジットカードで買う場合のお得度と大差ないかもしれません。)
私は再販制の詳しいことは全然分かりません。しかし、少し前にはCDの輸入盤に関する法改正もありました。今後どのような方向へ進むのか全く予想もつきませんが、いつかは、amazonの洋書セールのような大特売が和書でも可能となるのでしょうか。今回の三省堂の取り組みは、今後の書籍流通の様々な可能性を占う一つの出発点となるのかもしれません…。
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東京都写真美術館 「文化庁メディア芸術祭」 3/5
東京都写真美術館(目黒区三田)
「第8回文化庁メディア芸術祭」
2/25~3/6(会期終了)
こんにちは。
元々予定していませんでしたが、「おたく」展に続いてこちらの展示も見てきました。(と言いましても、都合により「アート部門」だけ拝見しました。)
ジャンルとしてはビデオ・アートになるのでしょうか。webや映像、それに静止画などの作品がたくさん並んでいます。会場配置がやや乱雑でして、それぞれの作品が浮き出てこないのが気の毒でしたが、さすがにどれも受賞作品ばかりですので見応えはあります。映像を使うことで、エンターテイメント性を全面に押し出した、参加・体験型の作品が目を惹きました。どれか一番と問われるとちょっと迷ってしまいますが、素直に楽しめるものばかりです。
私が見たのは「アート部門」ということで、他の部門、つまり、アニメーションやマンガなどには触れていません。しかし、初めに見た「おたく展」の残像があったのでしょうか。webを使った作品を中心に、いわゆる職人的な手の込んだ要素がとても感じられました。厳密にどれそれを「おたく」と定義するのは困難ですが、心身ともに虜としてしまう魔力と、まだ学問として歴史の浅いことから由来する、型にはまらない自由な多様性を感じます。特に、webアートなどは、PC関連の技術革新もはなはだしいわけですし、今後、もっと面白い表現が生まれてくるのでしょう。
今回が第6回ですので、来年も開催することと思います。意図的に「おたく展」と合わせたかはわかりませんが、双方の展示の相乗的な魅力が高まる企画だと思いました。(入場無料というのも嬉しいです。)
「第8回文化庁メディア芸術祭」
2/25~3/6(会期終了)
こんにちは。
元々予定していませんでしたが、「おたく」展に続いてこちらの展示も見てきました。(と言いましても、都合により「アート部門」だけ拝見しました。)
ジャンルとしてはビデオ・アートになるのでしょうか。webや映像、それに静止画などの作品がたくさん並んでいます。会場配置がやや乱雑でして、それぞれの作品が浮き出てこないのが気の毒でしたが、さすがにどれも受賞作品ばかりですので見応えはあります。映像を使うことで、エンターテイメント性を全面に押し出した、参加・体験型の作品が目を惹きました。どれか一番と問われるとちょっと迷ってしまいますが、素直に楽しめるものばかりです。
私が見たのは「アート部門」ということで、他の部門、つまり、アニメーションやマンガなどには触れていません。しかし、初めに見た「おたく展」の残像があったのでしょうか。webを使った作品を中心に、いわゆる職人的な手の込んだ要素がとても感じられました。厳密にどれそれを「おたく」と定義するのは困難ですが、心身ともに虜としてしまう魔力と、まだ学問として歴史の浅いことから由来する、型にはまらない自由な多様性を感じます。特に、webアートなどは、PC関連の技術革新もはなはだしいわけですし、今後、もっと面白い表現が生まれてくるのでしょう。
今回が第6回ですので、来年も開催することと思います。意図的に「おたく展」と合わせたかはわかりませんが、双方の展示の相乗的な魅力が高まる企画だと思いました。(入場無料というのも嬉しいです。)
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東京都写真美術館 「おたく:人格=空間=都市」 3/5
東京都写真美術館(目黒区三田)
「グローバルメディア2005/おたく:人格=空間=都市」
2/22~3/13
こんにちは。
土曜日に写真美術館で「おたく:人格=空間=都市」展を観てきました。これは、ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展の日本館を再現した展示で、現地ではかなり好意的に受け止められたそうです。「『おたく』を、商品や作品としてではなく、その人格を起点とした横断的概念として提示する。」(パンフレットから。)という考え方の元に、「おたく」の世界がこまごまと展開されていました。
会場は大変な混雑でした。私の入った後には入場制限があったぐらいです。身動きすらとれないような中にある「おたく」の空間は、とてもラフ(粗雑ではなく、無造作という意味で。)なスタイルを示します。家電から「おたく」の街へと変貌を遂げた秋葉原の簡単なミニチュアを軸に、コミックマーケットの準備風景や、最近市場が拡大しているオンラインゲームの再現模様、それに食玩や「おたく」の私物を陳列販売するという大量のレンタルスペースまで、どれもいわゆるマニアックなものばかりです。私は漫画もゲームもあまり触れたことのないつまらない人間なので、この中ではせいぜい秋葉原やコンビニなどでよく見かける食玩ぐらいしか身近に感じられないのですが、それ以外も特に違和感を感じることはありません。むしろ、レンタルスペースの中にあるたくさんのフィギュアや、天井からぶらさがる同人誌の、恐ろしく美化された少年や少女たちの姿もなかなか可愛らしい(?!)ものです。また、それらの一つ一つからは、芸術性というよりも、精巧な作業を経て完成したことを示唆させる「職人業」を感じました。細部まで丁寧に作られた食玩やフィギュアなどは、日本の技術力の一つの象徴なのかもしれません。
どの展示スペースもすさまじい熱気です。こればかりは通常の美術展と大きく雰囲気が異なります。「おたくの個室」という「一般的な美意識とは異なる原理によって構成された」(パンフレットから。)空間も、一目見ようとする人たちの大行列で埋め尽くされていました。また、レンタルケースの向こうにあるフィギュアも、食い入るような目つきでご覧になられている方が多くて、私なんぞが安々と割り込める雰囲気はありません。ちょっと廻りを見渡したり、一歩退いてみたりするような気配も殆どなく、視線が対象に一直線に注がれている感覚です。こんなエネルギッシュな雰囲気の展覧会は久しぶりです。
ところで、一般的に日本の文化を外国で紹介することは、ともすると紋切り型の紹介で終わってしまいがちです。またそれに、文化の全貌を提示するのも大変に難しいことだと思います。その意味では、この「おたく展」も例外ではありませんでした。ここで紹介される「おたく」は、どうしてもステレオタイプ的な印象を受けますし、「おたく」のそもそもの領域や行為を、これはわざとなのだと思いますが、かなり不明瞭に提示していたので、少々物足りなさが残るようにも感じました。ですから、全般的にもう少し掘り下げる形の展示があれば良かったのではないかと思います。これは残念です。
最後に、会場でもらった冊子に、「おたく」の変遷がとても奇妙な形で説明されていました。長いですがここに引用します。
科学技術による絶え間ない前進がもたらす、輝ける未来。そのような、戦後の日本国民を高度経済成長へと駆り立てた未来像はしかし、1970年の大阪万博を最後の祭として、急速に色褪せてしまった。80年代の中頃には、そのような状況を反映して出現した新しい人格が、「おたく」という呼び名によって見いだされるようになった。
彼らは以前ならば、教室で「ハカセ」とあだ名される種類の少年たちだった。目の前の事柄よりも未来に憧れを馳せ、科学者を夢見るタイプである。それゆえ、輝かしい未来像の喪失によって受けた打撃が、ひときわ大きかったのである。
現実の未来が陰りだすと、かつての「ハカセ」たちは、夢を馳せる先を、虚構の世界に見いだすようになっていた。彼らの熱中の対象は、科学からSFへ、さらにSFからSFアニメへと移行した。
そのような受容を背景に発展した80年代の日本のアニメを見渡すと、核戦争や天変地異などによって既存の社会が破壊された後、超能力やロボットを操縦する特殊技能などによって、主人公が新たな世界の構築に英雄的な活躍を果たすという筋書きのものが多かった。色褪せた現実からの救済を、ハルマゲドンに求めようとする願望が、そこにはあった。
ところが、そのようなアニメ物語めいたハルマゲドンへの憧れを基盤にしたカルト集団が、毒ガステロによってこれを現実に引き起こそうとする事件が、1995年に起こった。約2ヶ月間にわたって日本の報道番組のヘッドラインを飾り続け、教祖の逮捕によって終幕したこの事件は、架空の未来に対して幻想を抱くことすらも困難にしてしまった。それ以降おたくたちは、学園時代のノスタルジアを重ねた「美少女」たちとの、架空な日常を描くアニメやゲームへと急速に傾斜してく。
そのような傾斜の過程で、「美少女」を中心とする架空のキャラクターに対するときめきの感情が「萌え」という呼び名で見いだされるようになった。「未来」に対する憧れを、「萌え」が代替したのである。
どうでしょうか。
「おたく」を現象として捉えて、その展開を追うスタイルそのものには異論がありません。科学からSF、アニメから美少女、そして「萌え」とする流れの説明は頷かされる部分が多いと思います。ただ、私にとって不思議なのは、それぞれの転換点の象徴として「大阪万博」と「地下鉄サリン事件」を持ち出していることです。オウム教団に関しては、その背景の「おたく」性を示した意見も見聞きしたことがありますが、それが「架空の未来に対しての幻想を抱くことすらも困難にしてしまった。」のでしょうか。これは私にはかなり乱暴な議論に聞こえます。もちろん、「大阪万博」も同様で、それが「未来像を色褪せてしまった。」とは到底思えないのです。もしこの辺の論理展開を補足していただける方がいらっしゃいましたら大歓迎です。どうぞご教授ください…。
「グローバルメディア2005/おたく:人格=空間=都市」
2/22~3/13
こんにちは。
土曜日に写真美術館で「おたく:人格=空間=都市」展を観てきました。これは、ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展の日本館を再現した展示で、現地ではかなり好意的に受け止められたそうです。「『おたく』を、商品や作品としてではなく、その人格を起点とした横断的概念として提示する。」(パンフレットから。)という考え方の元に、「おたく」の世界がこまごまと展開されていました。
会場は大変な混雑でした。私の入った後には入場制限があったぐらいです。身動きすらとれないような中にある「おたく」の空間は、とてもラフ(粗雑ではなく、無造作という意味で。)なスタイルを示します。家電から「おたく」の街へと変貌を遂げた秋葉原の簡単なミニチュアを軸に、コミックマーケットの準備風景や、最近市場が拡大しているオンラインゲームの再現模様、それに食玩や「おたく」の私物を陳列販売するという大量のレンタルスペースまで、どれもいわゆるマニアックなものばかりです。私は漫画もゲームもあまり触れたことのないつまらない人間なので、この中ではせいぜい秋葉原やコンビニなどでよく見かける食玩ぐらいしか身近に感じられないのですが、それ以外も特に違和感を感じることはありません。むしろ、レンタルスペースの中にあるたくさんのフィギュアや、天井からぶらさがる同人誌の、恐ろしく美化された少年や少女たちの姿もなかなか可愛らしい(?!)ものです。また、それらの一つ一つからは、芸術性というよりも、精巧な作業を経て完成したことを示唆させる「職人業」を感じました。細部まで丁寧に作られた食玩やフィギュアなどは、日本の技術力の一つの象徴なのかもしれません。
どの展示スペースもすさまじい熱気です。こればかりは通常の美術展と大きく雰囲気が異なります。「おたくの個室」という「一般的な美意識とは異なる原理によって構成された」(パンフレットから。)空間も、一目見ようとする人たちの大行列で埋め尽くされていました。また、レンタルケースの向こうにあるフィギュアも、食い入るような目つきでご覧になられている方が多くて、私なんぞが安々と割り込める雰囲気はありません。ちょっと廻りを見渡したり、一歩退いてみたりするような気配も殆どなく、視線が対象に一直線に注がれている感覚です。こんなエネルギッシュな雰囲気の展覧会は久しぶりです。
ところで、一般的に日本の文化を外国で紹介することは、ともすると紋切り型の紹介で終わってしまいがちです。またそれに、文化の全貌を提示するのも大変に難しいことだと思います。その意味では、この「おたく展」も例外ではありませんでした。ここで紹介される「おたく」は、どうしてもステレオタイプ的な印象を受けますし、「おたく」のそもそもの領域や行為を、これはわざとなのだと思いますが、かなり不明瞭に提示していたので、少々物足りなさが残るようにも感じました。ですから、全般的にもう少し掘り下げる形の展示があれば良かったのではないかと思います。これは残念です。
最後に、会場でもらった冊子に、「おたく」の変遷がとても奇妙な形で説明されていました。長いですがここに引用します。
科学技術による絶え間ない前進がもたらす、輝ける未来。そのような、戦後の日本国民を高度経済成長へと駆り立てた未来像はしかし、1970年の大阪万博を最後の祭として、急速に色褪せてしまった。80年代の中頃には、そのような状況を反映して出現した新しい人格が、「おたく」という呼び名によって見いだされるようになった。
彼らは以前ならば、教室で「ハカセ」とあだ名される種類の少年たちだった。目の前の事柄よりも未来に憧れを馳せ、科学者を夢見るタイプである。それゆえ、輝かしい未来像の喪失によって受けた打撃が、ひときわ大きかったのである。
現実の未来が陰りだすと、かつての「ハカセ」たちは、夢を馳せる先を、虚構の世界に見いだすようになっていた。彼らの熱中の対象は、科学からSFへ、さらにSFからSFアニメへと移行した。
そのような受容を背景に発展した80年代の日本のアニメを見渡すと、核戦争や天変地異などによって既存の社会が破壊された後、超能力やロボットを操縦する特殊技能などによって、主人公が新たな世界の構築に英雄的な活躍を果たすという筋書きのものが多かった。色褪せた現実からの救済を、ハルマゲドンに求めようとする願望が、そこにはあった。
ところが、そのようなアニメ物語めいたハルマゲドンへの憧れを基盤にしたカルト集団が、毒ガステロによってこれを現実に引き起こそうとする事件が、1995年に起こった。約2ヶ月間にわたって日本の報道番組のヘッドラインを飾り続け、教祖の逮捕によって終幕したこの事件は、架空の未来に対して幻想を抱くことすらも困難にしてしまった。それ以降おたくたちは、学園時代のノスタルジアを重ねた「美少女」たちとの、架空な日常を描くアニメやゲームへと急速に傾斜してく。
そのような傾斜の過程で、「美少女」を中心とする架空のキャラクターに対するときめきの感情が「萌え」という呼び名で見いだされるようになった。「未来」に対する憧れを、「萌え」が代替したのである。
どうでしょうか。
「おたく」を現象として捉えて、その展開を追うスタイルそのものには異論がありません。科学からSF、アニメから美少女、そして「萌え」とする流れの説明は頷かされる部分が多いと思います。ただ、私にとって不思議なのは、それぞれの転換点の象徴として「大阪万博」と「地下鉄サリン事件」を持ち出していることです。オウム教団に関しては、その背景の「おたく」性を示した意見も見聞きしたことがありますが、それが「架空の未来に対しての幻想を抱くことすらも困難にしてしまった。」のでしょうか。これは私にはかなり乱暴な議論に聞こえます。もちろん、「大阪万博」も同様で、それが「未来像を色褪せてしまった。」とは到底思えないのです。もしこの辺の論理展開を補足していただける方がいらっしゃいましたら大歓迎です。どうぞご教授ください…。
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3月の気になる展覧会/コンサート/映画
こんにちは。
三月になったというのにインフルエンザが大流行しているようです。私の家族も、つい先日発症してしまいました。幸いにも症状が軽いようですが、さすがにここ数日寝込んでおります。今日も雪の積もる寒い一日でした。もうしばらく気をつけなくてはいけません。(暖かくなったら、今度は花粉症が待っていますが…。)
さて、いつものように予定をたててみました。
展覧会
「特別展 踊るサテュロス」 東京国立博物館(3/13まで)
「おたく:人格=空間=都市」 東京都写真美術館(3/13まで)
「森山・新宿・荒木展」 東京オペラシティアートギャラリー (3/21まで)
「瀧口修造:夢の漂流物」 世田谷美術館(4/10まで)
「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール-光と闇の世界」 国立西洋美術館(5/29まで)
コンサート(全て未定ですので、気になるものをリストアップしました。)
「東京フィル第702回定期」 マーラー:「交響曲第4番」他/チョン/サントリーホール 11日 19:00~
「東京シティフィル第187回定期」 マーラー:「交響曲第5番」/飯守/オペラシティ 18日 19:00~
「新国立劇場2004/2005シーズン」 モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」/エッティンガー/新国立劇場 21日~31日
映画
「ソン・フレール-兄との約束-」 ユーロスペース(3/25まで)
「父と暮らせば」 岩波ホール(3/5~4/8)
今月もかなり欲張りました…。
展覧会は何と言っても「ラ・トゥール展」でしょう。芸術新潮の今月号を読むだけでも期待感が高まりますが、これは何としてでも行かなくてはなりません。(やはり大混雑必至でしょうか…。)
「おたく展」は、ヴェネチア・ビエンナーレで好評だったという展示です。私は「おたく」そのものにはあまり興味がありませんが、日本の文化として捉えられた「おたく」が、イタリアでどのようにして展示されたのかが気になります。(秋葉原のミニチュアにもちょっと期待!)
「瀧口修造展」は、自由なランナーさんの記事を読んで行ってみようと思った展覧会です。そういえば瀧口は、デュシャン展の時にも作品を拝見したように思います。久々に行く世田谷美術館です。
「森山・荒木・新宿」と「サテュロス」は、いつも覗かせていただいているブログを読んで観たくなった展覧会です。ところで、「サテュロス」は像一体のみの展示とか…。なかなか贅沢な展覧会ですが、今回見逃すと次にどこで出会えるか分かりません。これは見ておきたいです。(万博は予定していませんし…。)
コンサートは全て未定です。他にも気になるものがたくさんありますが、行けるかどうかが全然わかりません…。
映画は全部で二つです。パトリス・シェローの「ソン・フレール」は、ユーロスペースの予告編を見て気になった作品です。オペラ演出家としても有名なシェローが、どのような映画を手がけているのかも気になります。
「父と暮らせば」は、lysanderさんのブログを拝見して観てみようと思った映画です。神保町の岩波ホールも、いつも前を通るばかりで一度も入ったことがありません。その辺も楽しみです。
*2月の記録*
展覧会
5日 「フルクサス展」 うらわ美術館
11日 「榎倉康二展/MOTアニュアル2005」 東京都現代美術館
11日 「銅版画の地平2 浜口陽三と銅版画の現在」 ミュゼ浜口陽三
19日 「マルセル・デュシャンと20世紀美術」 横浜美術館
27日 「アート・スコープ2004」 原美術館
コンサート
19日 「新日本フィル第381回定期」シューマン交響曲第2番他/ブリュッヘン
23日 「ゲヴァントハウス管来日公演」ベートーヴェン交響曲第3番他/ブロムシュテット
映画
6日 「ベルリン・フィルとこどもたち」 ユーロスペース
12日 「西ベイルート」 国際交流基金フォーラム
二月もたくさん観て聴いたものです。
榎倉に圧倒されながら、デュシャンにやられ、ゲヴァントハウスに痺れました。もちろん二つの映画も良し。「ベルリン~」と「ベイルート」に登場した子どもたちの表情が今も忘れられません。
それでは、今月も良きものに出会えますように…。
*ブログのテンプレートを変更しました。見にくいようでしたらどうぞご指摘下さい…。
三月になったというのにインフルエンザが大流行しているようです。私の家族も、つい先日発症してしまいました。幸いにも症状が軽いようですが、さすがにここ数日寝込んでおります。今日も雪の積もる寒い一日でした。もうしばらく気をつけなくてはいけません。(暖かくなったら、今度は花粉症が待っていますが…。)
さて、いつものように予定をたててみました。
展覧会
「特別展 踊るサテュロス」 東京国立博物館(3/13まで)
「おたく:人格=空間=都市」 東京都写真美術館(3/13まで)
「森山・新宿・荒木展」 東京オペラシティアートギャラリー (3/21まで)
「瀧口修造:夢の漂流物」 世田谷美術館(4/10まで)
「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール-光と闇の世界」 国立西洋美術館(5/29まで)
コンサート(全て未定ですので、気になるものをリストアップしました。)
「東京フィル第702回定期」 マーラー:「交響曲第4番」他/チョン/サントリーホール 11日 19:00~
「東京シティフィル第187回定期」 マーラー:「交響曲第5番」/飯守/オペラシティ 18日 19:00~
「新国立劇場2004/2005シーズン」 モーツァルト:「コジ・ファン・トゥッテ」/エッティンガー/新国立劇場 21日~31日
映画
「ソン・フレール-兄との約束-」 ユーロスペース(3/25まで)
「父と暮らせば」 岩波ホール(3/5~4/8)
今月もかなり欲張りました…。
展覧会は何と言っても「ラ・トゥール展」でしょう。芸術新潮の今月号を読むだけでも期待感が高まりますが、これは何としてでも行かなくてはなりません。(やはり大混雑必至でしょうか…。)
「おたく展」は、ヴェネチア・ビエンナーレで好評だったという展示です。私は「おたく」そのものにはあまり興味がありませんが、日本の文化として捉えられた「おたく」が、イタリアでどのようにして展示されたのかが気になります。(秋葉原のミニチュアにもちょっと期待!)
「瀧口修造展」は、自由なランナーさんの記事を読んで行ってみようと思った展覧会です。そういえば瀧口は、デュシャン展の時にも作品を拝見したように思います。久々に行く世田谷美術館です。
「森山・荒木・新宿」と「サテュロス」は、いつも覗かせていただいているブログを読んで観たくなった展覧会です。ところで、「サテュロス」は像一体のみの展示とか…。なかなか贅沢な展覧会ですが、今回見逃すと次にどこで出会えるか分かりません。これは見ておきたいです。(万博は予定していませんし…。)
コンサートは全て未定です。他にも気になるものがたくさんありますが、行けるかどうかが全然わかりません…。
映画は全部で二つです。パトリス・シェローの「ソン・フレール」は、ユーロスペースの予告編を見て気になった作品です。オペラ演出家としても有名なシェローが、どのような映画を手がけているのかも気になります。
「父と暮らせば」は、lysanderさんのブログを拝見して観てみようと思った映画です。神保町の岩波ホールも、いつも前を通るばかりで一度も入ったことがありません。その辺も楽しみです。
*2月の記録*
展覧会
5日 「フルクサス展」 うらわ美術館
11日 「榎倉康二展/MOTアニュアル2005」 東京都現代美術館
11日 「銅版画の地平2 浜口陽三と銅版画の現在」 ミュゼ浜口陽三
19日 「マルセル・デュシャンと20世紀美術」 横浜美術館
27日 「アート・スコープ2004」 原美術館
コンサート
19日 「新日本フィル第381回定期」シューマン交響曲第2番他/ブリュッヘン
23日 「ゲヴァントハウス管来日公演」ベートーヴェン交響曲第3番他/ブロムシュテット
映画
6日 「ベルリン・フィルとこどもたち」 ユーロスペース
12日 「西ベイルート」 国際交流基金フォーラム
二月もたくさん観て聴いたものです。
榎倉に圧倒されながら、デュシャンにやられ、ゲヴァントハウスに痺れました。もちろん二つの映画も良し。「ベルリン~」と「ベイルート」に登場した子どもたちの表情が今も忘れられません。
それでは、今月も良きものに出会えますように…。
*ブログのテンプレートを変更しました。見にくいようでしたらどうぞご指摘下さい…。
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原美術館の中庭で 2/27
原美術館(品川区北品川)
いつも原美術館へ行くと感心させられるのは、この美術館がいかにセンスの良い作品を持っているか、ということです。今も収集を続けているのかは存じ上げませんが、いつ行っても、作品の新たな表情に魅せられます。また、美術館の中で、まるで作品が生活を営んでいるかのように生き生きとしている様も素晴らしく、建物と作品の全体的な相性を考えた時、東京でこの美術館以上の場所はないのではないかと思わせるほどです。森村泰昌の「輪舞」が放つ強い妖気や、宮島達男の「時の連鎖」が生み出す無限の空間は、まさに原美術館でなければ味わえない魅力だと思います。
ところで、昨年、この美術館で開催された「コレクション展」の際に、Iysanderさんがご親切にも中庭に李禹煥の作品があることを教えて下さいました。ありがとうございます。しかし私、全く間抜けな話ですが、それまでここの中庭をまともに鑑賞したことがなかったのです…。偉そうに語る資格などありません…。と言うことで、先日「アート・スコープ2004」へ行った際に、時間をかけてじっくりと中庭を歩いてきました。
中庭にある作品は以下の六点です。(間違いがありましたらご指摘下さい。)
三島喜美代「Newspaper-84-E」
ソル・ルウィット「不完全な立方体」
李禹煥「関係項(1991)」
ダニエル・ポムロール「自分に満足しない私」
生意気「two by two」
イサム・ノグチ「物見台」
この中で特に気になったのは、ダニエル・ポムロールの「自分に満足しない私」と、李禹煥の「関係項」です。
「自分に満足しない私」は、透明感のある素材と、重厚感のある壁面の絶妙な組み合わせが魅力的でした。また、それぞれの素材の間の隙間に、まるで生命が誕生してくるかのような、不思議な異空間が作られているのも面白いと思います。洒落たタイトルが作品の何を表すのかはよくわかりませんでしたが、カフェ・ダールから美しい角度で見えるようになっているのも、この作品を美しさを増幅させるようです。この美術館の庭にピッタリだと思いました。あまり目立たない作品ではありましたが、近づいた時の存在感が抜群です。
「関係項」は、私が初めて見た李の彫刻(?)です。鉄板と石が、当然ながらそれぞれに関係を持たせるように美しく配置されています。鉄板のサビは自然なものでしょうか。石も、庭の芝生に少しめり込んでいて、それが作品に新たな質感をもたらします。この作品は、リズム感のある他の李の絵画などとは違って、とても「静的」です。動きよりも、そこにただ「ある」ことだけを意識させる作品です。また、雨風に徐々に浸食されていく様が、庭に置かれている作品の中で一番感じられました。大地の生命の営みや、光や空気の変化(夏のじっとりとした空気と、冬の無味乾燥な空気。)の影響を敏感に受けています。作品と自然のつながりを意識させた上に、自分がそこへ介在することを許される…。ちょっとナイーブな言い方ですが、「生きてて良かったなあ…。」、なんて思ってしまう作品です。(写真はこちらへ。)
この中庭、まだ作品が増えるのでしょうか。スペース的には問題がなさそうですが、現状でもそれぞれの作品が美しく映えているので、あまりごちゃごちゃとさせて欲しくないものです。これからは毎回庭を散策しようと思います。
いつも原美術館へ行くと感心させられるのは、この美術館がいかにセンスの良い作品を持っているか、ということです。今も収集を続けているのかは存じ上げませんが、いつ行っても、作品の新たな表情に魅せられます。また、美術館の中で、まるで作品が生活を営んでいるかのように生き生きとしている様も素晴らしく、建物と作品の全体的な相性を考えた時、東京でこの美術館以上の場所はないのではないかと思わせるほどです。森村泰昌の「輪舞」が放つ強い妖気や、宮島達男の「時の連鎖」が生み出す無限の空間は、まさに原美術館でなければ味わえない魅力だと思います。
ところで、昨年、この美術館で開催された「コレクション展」の際に、Iysanderさんがご親切にも中庭に李禹煥の作品があることを教えて下さいました。ありがとうございます。しかし私、全く間抜けな話ですが、それまでここの中庭をまともに鑑賞したことがなかったのです…。偉そうに語る資格などありません…。と言うことで、先日「アート・スコープ2004」へ行った際に、時間をかけてじっくりと中庭を歩いてきました。
中庭にある作品は以下の六点です。(間違いがありましたらご指摘下さい。)
三島喜美代「Newspaper-84-E」
ソル・ルウィット「不完全な立方体」
李禹煥「関係項(1991)」
ダニエル・ポムロール「自分に満足しない私」
生意気「two by two」
イサム・ノグチ「物見台」
この中で特に気になったのは、ダニエル・ポムロールの「自分に満足しない私」と、李禹煥の「関係項」です。
「自分に満足しない私」は、透明感のある素材と、重厚感のある壁面の絶妙な組み合わせが魅力的でした。また、それぞれの素材の間の隙間に、まるで生命が誕生してくるかのような、不思議な異空間が作られているのも面白いと思います。洒落たタイトルが作品の何を表すのかはよくわかりませんでしたが、カフェ・ダールから美しい角度で見えるようになっているのも、この作品を美しさを増幅させるようです。この美術館の庭にピッタリだと思いました。あまり目立たない作品ではありましたが、近づいた時の存在感が抜群です。
「関係項」は、私が初めて見た李の彫刻(?)です。鉄板と石が、当然ながらそれぞれに関係を持たせるように美しく配置されています。鉄板のサビは自然なものでしょうか。石も、庭の芝生に少しめり込んでいて、それが作品に新たな質感をもたらします。この作品は、リズム感のある他の李の絵画などとは違って、とても「静的」です。動きよりも、そこにただ「ある」ことだけを意識させる作品です。また、雨風に徐々に浸食されていく様が、庭に置かれている作品の中で一番感じられました。大地の生命の営みや、光や空気の変化(夏のじっとりとした空気と、冬の無味乾燥な空気。)の影響を敏感に受けています。作品と自然のつながりを意識させた上に、自分がそこへ介在することを許される…。ちょっとナイーブな言い方ですが、「生きてて良かったなあ…。」、なんて思ってしまう作品です。(写真はこちらへ。)
この中庭、まだ作品が増えるのでしょうか。スペース的には問題がなさそうですが、現状でもそれぞれの作品が美しく映えているので、あまりごちゃごちゃとさせて欲しくないものです。これからは毎回庭を散策しようと思います。
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原美術館 「アート・スコープ2004」 2/27
原美術館(品川区北品川)
「アート・スコープ2004」-Cityscape info Art 荘司美智子+ヨハネス・ヴォンザイファー
1/29~3/13
こんにちは。
日曜日に原美術館で「アート・スコープ2004」を観てきました。「アーティスト・イン・レジデンス」(アーティストが異なる文化や国・地域に一定期間滞在しながら創作活動を行うプログラム。今回は荘司をベルリンへ、ヴォンザイファーを東京へ、それぞれ三ヶ月間派遣。)の成果として企画された展覧会で、さながら、荘司美智子とヨハネス・ヴォンザイファーの「二人展」、といった感じでした。
まず、創作のスタイルが随分とカジュアルに感じられるヴォンザイファーからです。彼は日本滞在中に、ドイツと異なる「光」に感銘したそうですが、その視点は特に絵画に表れていたと思います。私が一番印象に残ったのは、二階のGallery4にあった「無題(PAINTER PANTS)」です。くすんだ粘土色(?)が気になる小さなパネルに「PAINTER PANTS」という文字がコラージュされています。ポップアート的な趣きがありながらも少し重ためな質感があって、独特の色彩感に奇妙なバランスが感じられます。これは悪くないです。ただ、一階の展示室にも同じような作品がたくさんあったのですが、何故かそちらからは殆ど惹かれるものがありません…。単に趣味の領域の話でしかありませんが、この「PAINTER PANTS」だけはその後も心に残りました。
彼が東京で撮影したと思われる写真もいくつかありました。こちらもコラージュがなされていて、そこに彼の視点が投影されています。ただ、どれも少々切り込み方が甘いようです。印象に残る作品が殆どありません。後ほども触れますが、同じ写真を使った作品では、荘司美智子の「無題」の方が圧倒的に素晴らしいと思います。もう少し素材の「見せ方」に一定の配慮が欲しいように思いました。
ところで、一階のGallery2には、人のサイズより少し小さめの、東京を代表する建物のミニチュアがあります。どれも作りが粗くて陳腐な上に、タワーは粉々に壊され、都庁もヒルズも傷だらけになっています。これだけ見ると、「一体なんだろう?」と首を傾げてしますが、何でも「R.A.M.P.ドキュメント」という作品で、ゴジラに扮したスケートボーダーが、模型に突っ込んで破壊するプロジェクトなのだそうです。展示室には、実際に「突っ込んだ」模様が、ビデオで放映されていました。さて、皆さんはこれを一体どうご覧になるのでしょうか。残念ながら私には、あまりにも幼稚に感じられてなりませんでした。(「幼稚」という言葉はそもそも好きではありませんが、今回は遠慮なく使いたいです。)9.11を連想させる意味もあるのかとは思いましたが、表現として全然面白くありません。あの場に共有していれば、それなりの感覚を掴めたかもしれませんが、映像や作品からは全くインスピレーションが湧きませんでした。
続いて荘司美智子です。彼女の作品の中では、先ほども書いた「無題」の36点の写真シリーズが素晴らしいと思いました。ベルリンの建物によく見られるという、中庭付きの建築物を模した大きな段ボール作品の廻りに、彼女が現地で撮った、おそらく中庭に通ずる廊下の写真がたくさん並びます。この二つは多分対になった作品だと思われますが、段ボールを作品にするのがこうも難しいかを感じさせる反面、写真から感じられる彼女のセンスの良さに頭が下がりました。写真は、全て同じような構成で撮られていて、その繰り返しが続く様も魅力なのだと思います。また、写真の中の壁面にあたる部分は、全て「白」になっていて、強い光を感じさせる部分に美を感じました。
シリコンで出来た不思議な丸い作品(「無題」)も良いと思います。透明なシリコンの中に、小さな立方体で構成された「街」がジオラマ的に存在しています。先ほどの段ボールの作品からも感じられましたが、彼女はベルリンで、西欧建築に特有のがっしりとした強固な「形」に惹かれたのではないでしょうか。このシリコンのジオラマからも、無機質な立方体の集合が、妙に力を持って絡み合っているのが分かります。そこには、ベルリンの街を模造化した姿を垣間見ることができそうです。
全体的にはややイマイチ感の漂う展覧会だったと思います。(特にヴォンザイファーの方が…。)もう少し作品一つ一つに「強さ」があると良いと思うのですが、もしかしたら、知らない街に三ヶ月滞在した成果がストレートに出ていた素直な展覧会とも言えるのかもしれないので、あまり偉そうなことは言えません…。(?)原美術館の豊富な常設がなければ、コストパフォーマンスに欠ける展覧会だったようにも思います。来年はどの方がこの企画を行なうのでしょうか…。気になるところです。
「アート・スコープ2004」-Cityscape info Art 荘司美智子+ヨハネス・ヴォンザイファー
1/29~3/13
こんにちは。
日曜日に原美術館で「アート・スコープ2004」を観てきました。「アーティスト・イン・レジデンス」(アーティストが異なる文化や国・地域に一定期間滞在しながら創作活動を行うプログラム。今回は荘司をベルリンへ、ヴォンザイファーを東京へ、それぞれ三ヶ月間派遣。)の成果として企画された展覧会で、さながら、荘司美智子とヨハネス・ヴォンザイファーの「二人展」、といった感じでした。
まず、創作のスタイルが随分とカジュアルに感じられるヴォンザイファーからです。彼は日本滞在中に、ドイツと異なる「光」に感銘したそうですが、その視点は特に絵画に表れていたと思います。私が一番印象に残ったのは、二階のGallery4にあった「無題(PAINTER PANTS)」です。くすんだ粘土色(?)が気になる小さなパネルに「PAINTER PANTS」という文字がコラージュされています。ポップアート的な趣きがありながらも少し重ためな質感があって、独特の色彩感に奇妙なバランスが感じられます。これは悪くないです。ただ、一階の展示室にも同じような作品がたくさんあったのですが、何故かそちらからは殆ど惹かれるものがありません…。単に趣味の領域の話でしかありませんが、この「PAINTER PANTS」だけはその後も心に残りました。
彼が東京で撮影したと思われる写真もいくつかありました。こちらもコラージュがなされていて、そこに彼の視点が投影されています。ただ、どれも少々切り込み方が甘いようです。印象に残る作品が殆どありません。後ほども触れますが、同じ写真を使った作品では、荘司美智子の「無題」の方が圧倒的に素晴らしいと思います。もう少し素材の「見せ方」に一定の配慮が欲しいように思いました。
ところで、一階のGallery2には、人のサイズより少し小さめの、東京を代表する建物のミニチュアがあります。どれも作りが粗くて陳腐な上に、タワーは粉々に壊され、都庁もヒルズも傷だらけになっています。これだけ見ると、「一体なんだろう?」と首を傾げてしますが、何でも「R.A.M.P.ドキュメント」という作品で、ゴジラに扮したスケートボーダーが、模型に突っ込んで破壊するプロジェクトなのだそうです。展示室には、実際に「突っ込んだ」模様が、ビデオで放映されていました。さて、皆さんはこれを一体どうご覧になるのでしょうか。残念ながら私には、あまりにも幼稚に感じられてなりませんでした。(「幼稚」という言葉はそもそも好きではありませんが、今回は遠慮なく使いたいです。)9.11を連想させる意味もあるのかとは思いましたが、表現として全然面白くありません。あの場に共有していれば、それなりの感覚を掴めたかもしれませんが、映像や作品からは全くインスピレーションが湧きませんでした。
続いて荘司美智子です。彼女の作品の中では、先ほども書いた「無題」の36点の写真シリーズが素晴らしいと思いました。ベルリンの建物によく見られるという、中庭付きの建築物を模した大きな段ボール作品の廻りに、彼女が現地で撮った、おそらく中庭に通ずる廊下の写真がたくさん並びます。この二つは多分対になった作品だと思われますが、段ボールを作品にするのがこうも難しいかを感じさせる反面、写真から感じられる彼女のセンスの良さに頭が下がりました。写真は、全て同じような構成で撮られていて、その繰り返しが続く様も魅力なのだと思います。また、写真の中の壁面にあたる部分は、全て「白」になっていて、強い光を感じさせる部分に美を感じました。
シリコンで出来た不思議な丸い作品(「無題」)も良いと思います。透明なシリコンの中に、小さな立方体で構成された「街」がジオラマ的に存在しています。先ほどの段ボールの作品からも感じられましたが、彼女はベルリンで、西欧建築に特有のがっしりとした強固な「形」に惹かれたのではないでしょうか。このシリコンのジオラマからも、無機質な立方体の集合が、妙に力を持って絡み合っているのが分かります。そこには、ベルリンの街を模造化した姿を垣間見ることができそうです。
全体的にはややイマイチ感の漂う展覧会だったと思います。(特にヴォンザイファーの方が…。)もう少し作品一つ一つに「強さ」があると良いと思うのですが、もしかしたら、知らない街に三ヶ月滞在した成果がストレートに出ていた素直な展覧会とも言えるのかもしれないので、あまり偉そうなことは言えません…。(?)原美術館の豊富な常設がなければ、コストパフォーマンスに欠ける展覧会だったようにも思います。来年はどの方がこの企画を行なうのでしょうか…。気になるところです。
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