癒やしを求めています
CMで「お求めやすい」をよく聞きますが、正しくは「お求めになりやすい」です。CMの制作者は本当に罪が重いですよ。わざと日本語を崩壊させようとしているとしか思えません。考えすぎですか? そんな大それたことは考えてない? ただ単にばかなだけかぁ(ーー;)( ← 最近はっきり言うね)。買う側は「求めやすい(買いやすい)」、売る側はこれに「お」を付けただけ? これで敬意を表しているつもり?
じゃぁ聞くけど、「お買いやすい」とは言わないの? 変だから? でも、「お求めやすい」は平気で言えるの? 誤りでも、みんなそう言ってるんならいいじゃないかという考え方は、日本語に関することだけでなく、何事においてもよくありませんね。そもそも最初は「みんな」ではなく少数のはずですが、これを放置して徐々に増え、やがてメディアが堂々と繰り返して爆発的に増え、だれも誤りだと認識できなくなって定着する、このパターンで次々と日本語が崩れていくわけで、それは時代に合った変化とは違います。
例えば、「お教えできません」とAさんがBさんに向かって言ったら、AさんはBさんに対して謙譲表現をしていることになります。Bさんは、Aさんより立場が上、あるいは年上の人で、Bさんから何かを教えてほしいと求められたけれど、言いたくない、言えない、教えることができないわけです。言ってもいいなら「お教えします」と言えばいいのですが、それができないのですから、「~します」ではなく「~できません」、「お教えできません」ですね。
「ご使用できません」は「ご使用」に「できません」と続けただけ、「お買い上げした」は「お買い上げ」に「した」と続けただけ、同じです。尊敬でも謙譲でもない、それどころか、日本語としてありえない形です。敬語の基本の形を日本人が知らない、知ろうとしない、でも、日本語を学ぶ外国人は知っている、だから外国人の敬語のほうがちゃんとしています。
「求める(買う)」という行為について、いろいろな場面を想像してみてください。買う側は客、「お客様は神様です、三波春夫でございます」、知らない? はい、先に進みますよ。客は売る側より立場が上、だとすると、客が「求める(買う)」を謙譲表現にする必要はないということになります。
売る側が客の「求める(買う)」という行為について敬意を込めて言うなら、「お求めになる(お買いになる)」が基本です。「大変お買い得ですよ、今日お求めになれば半額です」とかね。そして、「お求めになる(お買いになる)」の「なる」を変えて「お求めになりやすい(お買いになりやすい)」とするわけです。
店の人が客の「ポイントカードを使用する」という行為を言うなら「ご使用になる」であり、「ご使用になる」の「なる」を「なれません」にして「ご使用になれません」が正しい形です。「ご使用」に「できません」を続けてもだめですよ。「使用できません」の頭に「ご」を付けるのでもありませんから!
「ご(お)~になる」が基本の形ですから、この形の中で「なる」を変化させてさまざまに表現するわけです。「なる」「なれる」「なりやすい」、否定なら「ならない」「なれない」「なりにくい」ですね。だから「お求めになりやすい」「ご使用になれません」なのです。基本の形さえ分かっていたら、あとは、日本人なら想像できるでしょう?
CMで「お求めやすい」をよく聞きますが、正しくは「お求めになりやすい」です。CMの制作者は本当に罪が重いですよ。わざと日本語を崩壊させようとしているとしか思えません。考えすぎですか? そんな大それたことは考えてない? ただ単にばかなだけかぁ(ーー;)( ← 最近はっきり言うね)。買う側は「求めやすい(買いやすい)」、売る側はこれに「お」を付けただけ? これで敬意を表しているつもり?
じゃぁ聞くけど、「お買いやすい」とは言わないの? 変だから? でも、「お求めやすい」は平気で言えるの? 誤りでも、みんなそう言ってるんならいいじゃないかという考え方は、日本語に関することだけでなく、何事においてもよくありませんね。そもそも最初は「みんな」ではなく少数のはずですが、これを放置して徐々に増え、やがてメディアが堂々と繰り返して爆発的に増え、だれも誤りだと認識できなくなって定着する、このパターンで次々と日本語が崩れていくわけで、それは時代に合った変化とは違います。
例えば、「お教えできません」とAさんがBさんに向かって言ったら、AさんはBさんに対して謙譲表現をしていることになります。Bさんは、Aさんより立場が上、あるいは年上の人で、Bさんから何かを教えてほしいと求められたけれど、言いたくない、言えない、教えることができないわけです。言ってもいいなら「お教えします」と言えばいいのですが、それができないのですから、「~します」ではなく「~できません」、「お教えできません」ですね。
「ご使用できません」は「ご使用」に「できません」と続けただけ、「お買い上げした」は「お買い上げ」に「した」と続けただけ、同じです。尊敬でも謙譲でもない、それどころか、日本語としてありえない形です。敬語の基本の形を日本人が知らない、知ろうとしない、でも、日本語を学ぶ外国人は知っている、だから外国人の敬語のほうがちゃんとしています。
「求める(買う)」という行為について、いろいろな場面を想像してみてください。買う側は客、「お客様は神様です、三波春夫でございます」、知らない? はい、先に進みますよ。客は売る側より立場が上、だとすると、客が「求める(買う)」を謙譲表現にする必要はないということになります。
売る側が客の「求める(買う)」という行為について敬意を込めて言うなら、「お求めになる(お買いになる)」が基本です。「大変お買い得ですよ、今日お求めになれば半額です」とかね。そして、「お求めになる(お買いになる)」の「なる」を変えて「お求めになりやすい(お買いになりやすい)」とするわけです。
店の人が客の「ポイントカードを使用する」という行為を言うなら「ご使用になる」であり、「ご使用になる」の「なる」を「なれません」にして「ご使用になれません」が正しい形です。「ご使用」に「できません」を続けてもだめですよ。「使用できません」の頭に「ご」を付けるのでもありませんから!
「ご(お)~になる」が基本の形ですから、この形の中で「なる」を変化させてさまざまに表現するわけです。「なる」「なれる」「なりやすい」、否定なら「ならない」「なれない」「なりにくい」ですね。だから「お求めになりやすい」「ご使用になれません」なのです。基本の形さえ分かっていたら、あとは、日本人なら想像できるでしょう?