hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

日本橋堀留町

2015-06-03 05:00:07 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その17。このシリーズもあと4つ、そのうち今回は日本橋堀留町である。

町の名前の由来はこの町の前で南堀留川が町の南端部で止まっていたため、堀が留まる町から来ている。古い町だが、江戸時代はもう少し範囲が狭く、周囲の町の幾つかを合併して今の状態となった。ほぼ四角で北が大伝馬町、南と西が小舟町、東が富沢町に接している。特に小舟町との境には道がないところもある。

堀留町(現在のエリア)は江戸時代以来東・西堀留川の水運を利用して諸国の物産を扱う船荷問屋が軒を並べていた。その後、戦前までは鉄や銅を中心とした金属問屋が集中する町であったが、戦災の被害が大きく、その焼け跡にはオフィスビルが林立するビジネス街に変貌した。なお、西堀留川は昭和3年に、東堀留川も昭和24年に埋め立てられてしまっている。


堀留町は人形町通りを境に1丁目と2丁目に分かれ、2丁目には日本橋税務署、あとはオフィス街になっているが、繊維会社や問屋も残っている。



1丁目の中心には先日大祭があった椙森神社がある。江戸時代には富籤が開催されることでも有名でその門前町としての繁栄した。


この神社の狛犬が変わっており、左側は普通に玉を持つが、右側の狛犬は子供を可愛がっている。東京商品取引所があることも知られている。


他にも狭いこのエリアに他にも2つの稲荷神社がある。一つは初代市川団十郎が祈願して出世したことから有名になった『出世稲荷』があるが、数々の震災や大火に堪えたものの、関東大震災により消失。その後1931年に今の社殿が再興された。とにかく小さな神社でマンションの駐輪場を抜けて壊れた洗濯機の横に社殿をようやく発見、とにかく分かりにくいところにある。


もう一つが『三光神社』、地元の絹問屋と木綿問屋が江戸初期に勧進したものとも、中村座の歌舞伎役者関三十郎が1689年に勧進したものとも言われている。こちらはいくつもの招き猫が並べられ、少し離れてはいるが、朱印も頂くことができる。


今ではほぼオフィス街になってはいるが、祭りの頃には江戸情緒を残す、趣のある街である。