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『江戸の坂・東京の坂』その43。前回に引き続き市ヶ谷見付周辺の坂道を巡る。鼠坂~安藤坂あたりはDNPの建物が建築ラッシュのようで周辺には工事関係者が頻繁に出入り、さらに鋼矢板に覆われた部分が多く、交差点の位置も変わっている。
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安藤坂の中ほどの交差点を左に曲がると何とも不思議な歩道橋。DNPの敷地から道を跨いで反対側にも伸びている。また、確かにこの辺りに『芥坂』があった筈なのに見つけられず、うろうろしているうちに『長延寺坂』の分岐まで来てしまう。止むを得ず右に鋭角に折れ、長延寺坂を上る。江戸時代には長延寺という寺が坂の上にあり、参詣者がこの坂を上ったため、この名前がついた。今は歩道もあり、最初は急坂だが、すぐに勾配は緩くなる。
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元に戻り、次の左に曲がる道を少し上るとぶつかるのが『浄瑠璃坂』の中腹あたり。浄瑠璃坂の名前は昔、この辺りに『あやつり浄瑠璃』の小屋興行がこの辺りにあったからという説と近くの光円寺の本尊薬師如来が浄瑠璃世界(瑠璃光浄土)の救主だからという説がある。なぜか浄瑠璃坂の仇討ちの看板は鼠坂あたりにあり、この坂道からは少し離れている。
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浄瑠璃坂を左に行き、改めて芥坂を探す。1本目の道を曲がるがこれは違い、2本目を右に曲がると階段坂、そして歩道橋。その歩道橋には『ごみ坂歩道橋』とある。そうか、さっきの歩道橋がここに繋がることをようやく理解。芥坂という名の坂はこうした日陰の坂が多く(番町にもある)、多分芥置き場があったり、芥が捨てられたりしたのだろう。
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また、浄瑠璃坂を下り、一番下まで降りて外堀通りを右に曲がる。2本目のマクドナルドを右に曲がるとまた急坂。この坂を『左内坂』と呼ぶ。この辺りは江戸時代初期に周辺と共に開発された土地で開発名主の島田左内の名を取り、坂の名前にした。また、町の名前も市谷左内町、島田家では代々当主が『左内』を名乗ったとのことである。
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坂を下りるとまた市ヶ谷見附、堀を渡る風が心地よい。堀を渡ると市ヶ谷駅である。