hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

報徳二宮神社

2015-06-04 05:00:01 | 日記

二宮尊徳という名前は聞いたことがない人は我々の年代には殆どいないが、その業績を知る人は少ない。皆、田舎の小学校にはどこにでもあった戦前教育のなごりで、薪を背負い書物を読む貧しい少年の銅像しか思い浮かばないのではないか。

二宮尊徳は1787年小田原生まれである。生まれは裕福な農家であったが、幼少の頃に酒匂川の洪水で田畑が壊滅、14歳で父親を16歳で母親を失い、一家は離散、親戚に預けられ苦労した。しかし、そのような状態にあっても勉学を欠かさず、銅像のように書物を読んだ。

その勉学により農業を極め、24歳の時には1町4反歩の農地を持ち、見事に家の復興を果たした。さらに小田原藩の家老服部家の若党になり、互助組織を立ち上げ、藩主にも表彰されている。

また、藩主の分家である旗本宇津家の桜町領(栃木県真岡市)を物心に渡り立ち直らせ、天保の飢饉に苦しむ小田原藩などの救済などいわば今で言う農業コンサルタント兼生活リーダーとして名を馳せた。その名声と実績を買われ、56歳の時には幕府にも登用され、利根川分水路の測量調査や日光御神領の復興を手掛けたが、病のため、1856年に70歳で没した。

内村鑑三著の代表的日本人の一人として西郷隆盛、日蓮、中江藤樹などと共に書かれ、欧米諸国に対し日本人にもこれ程の偉人がいると紹介されたうちの一人である。
前置きは長くなったが、今回は小田原にある二宮尊徳を祀った報徳二宮神社を訪れた。神社は小田原駅北口から線路沿いに歩き、城址公園に入り、天守閣と反対側の豆汽車の先にあり、駅からも10分もかからない。

境内にはあの有名な少年時代の像に加え、晩年の像なども並べられ、厳かな雰囲気の神社である。時間が早く、博物館は空いていなかったがのは残念だったが、この神社自体が二宮尊徳の実直な人柄を偲ばせる。

最後に、尊徳像の前に『経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である』という金言が書かれていたが、まさにバブル経済やリーマンショックを体験した我々現代人にとって耳が痛くなる言葉で、今でも十分通用する。逆にいうとこうした先人の教訓に再度耳を傾ける時期ではないかと改めて感じた。