『江戸の坂・東京の坂』その47。今回は麻布十番周辺の坂を巡る。麻布十番駅をおりて永坂更科などの商店街の一本隣の道を行くとパティオが現れる。
この辺りから坂道となるが、善福寺に向かう道を越すと少し坂になってくるが、これが『大黒坂』。その由来は少し歩くと大黒天を祀る大法寺が出てくるのですぐに分かる。
その手前を左に行く下り坂が『七面坂』、此の坂は東側にかつて本善寺(今は五反田に移転)があった。此の寺には七面大明神の木像があったためにこの名前が付けられた。
大黒坂を登ると変形の四つ辻となるが、道なりに行った坂道(地形的には大黒坂の続き)が『一本松坂』である。これも分かりやすく、四つ辻の先には坂の名前になった一本松が立っている。言い伝えでは平将門を平定に行った源経基がこの場所で民家に泊まり、翌朝、家の亭主が粟飯を柏の葉に盛り、捧げたところ、京家の冠装束を松の木に掛けて行ったもので、冠の松または一本松という。因みにこの松は明治9年と昭和20年に焼失しており、今の松はその後に植えたものである。
また、大黒坂の頂上から左手に下る細く急な坂道が『暗闇坂』である。この坂道は樹木が生い茂り、暗くなるほどであったためにこの名前が付けられたが、今もその風情を残す。但し、坂の下から一方通行なのだが、車の列がなかなか絶えることなく、結構危ない。
坂の途中には右側にオーストリア大使館があるが、麻布地区には他にも色々な国の大使館がある。(この先は次回)