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『江戸の坂・東京の坂』その45。神楽坂周辺の坂道の2回目。朝日坂の先を左に曲がると大久保通りの直前に階段の坂道が現れる。これが『袖摺坂』、細い坂道で袖が触れるほどということから名付けられたが、番町の袖摺坂と異なり、今も細いまま残されている。
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坂を下りると目の前には地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅がある。さらに大久保通りは若松町方面に緩やかに登っているが、この坂道が『弁天坂』。坂の下の南蔵院に弁天様が祀られているため、この名前が付けられた。明治後期の新撰東京名所図絵にはおでんや甘酒を売る屋台が並び南蔵院への参拝客で賑わっていた様子が描かれている。
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今度は南蔵院の横の湾曲した坂道をあがるが、この坂道には名前が無く、少し進むと袋町に入る。
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この辺りは今でも小さな町が多いが、『袋町』の名前は江戸時代に次に出てくる地蔵坂には藁を売る店が多く、藁店(わらだな)と呼ばれ、また、坂の上には現在の北町(当時は牛込北御徒町)に入るところで御徒組の門に突き当たり、袋小路となっていたために付けられたと言われる。
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他にも『払方町』『若宮町』『北町』『中町』『南町』『箪笥町』『細工町』『納戸町』など小さな町が多く残るエリアである。ただ、住居表示が昔のままのため、外回りをして顧客を回るのは一苦労である。因みに人口は袋町全体で631人である。
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その先を元の早稲田通りに向かうと細く左に湾曲した坂道が出てくるが、これも『地蔵坂』。袋町の地蔵坂は坂の上に光照寺があり、三井寺より移されたという子安地蔵があったため、この名前が付けられた。
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坂道を下りきると神楽坂通りに出てすぐ横には神楽坂のシンボル善国寺が現れるが、この寺からは次回にレポートする。