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『江戸の坂・東京の坂』その46。神楽坂周辺の坂道の3回目、今回は善国寺から始める。善国寺は神楽坂のほぼ中間地点にあり、1595年に池上本門寺12代貫主日惺上人により、当初日本橋馬喰町に創建された。火災に度々見舞われ、1793年に現在の位置に移転した。
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本尊は毘沙門天で芝正伝寺、浅草正法寺とともに江戸三大毘沙門と呼ばれた名刹である。因みに狛犬の代わりに一対の石虎が置かれているのが面白い。
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神楽坂は長い坂で飯田橋駅から外堀通りを渡った所が起点で一旦登り、善国寺の手前あたりから一旦フラットになり、その先は緩く下り、大久保通りとの交差点が終点となる。標識は善国寺の前にあるが、名前の起源は(1)高田穴八幡のお旅所があり、祭礼の際に神輿が通過する際に神楽を奏したという説、(2)若宮八幡の神楽の音がここまで聞こえたという説、(3)津久戸明神が牛込に移ってきた際に神輿が重くてこの坂を登れなかったが、神楽を奏したところ容易に坂を登ることができるようになったという説などがある。
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また、特異なのはこの坂は大久保通りから午前中は外堀通りに向けて一方通行だが、午後は一方通行が、逆になる。都市伝説に田中角栄のためにこの規制が行われたとの説があるが、その真実は分からない。因みに今の形式になったのは1958年である。
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善国寺の先を左に曲がり、道なりに歩き、右に曲がると神社があるが、その先を右に曲がり、クランクの先が『新坂』、新坂は東京には多い坂の名前だが、この坂も1731年に諏訪安芸守の屋敷地にできたものである。
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その先を左に曲がると『逢坂』になる。湾曲した坂でその名前にはエピソードがある。昔、小野美作吾という人が武蔵守になり、この地にきた際に美しい娘と恋仲になったが、都に戻り没してしまった。しかし、娘の夢の中でこの坂道で出会ったという伝説からこの名前が付いた。
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坂の下には船河原築土神社があるが、その横には悲しい伝説がある『堀兼の井戸』がある。
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坂下まで行くと外堀通りに出るが、左に曲がり、次を左に曲がると『庾嶺坂(ゆれいさか)』となる。その名前は江戸時代2大将軍秀忠がこの辺りに素晴らしい梅林が広がっているのを知り、中国江西省の梅の名所大庾嶺に因み名付けたと言われている。
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とにかく神楽坂付近には坂道が多く、名前がない坂も含めるといくつあるのかが、分からないくらいで、道も細く曲がっているため、中々坂道を見つけるのが難しい。3回でまだ5分の3程度に留まっており、残りの坂道をさらえるべく、再度回ってみることにしたい。