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『江戸の坂・東京の坂』その57。今回は6月に引き続き神楽坂周辺の坂道の4回目。スタートは外堀通りの神楽坂下交差点から神楽坂より北側の坂道を歩く。
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神楽坂に平行する1本北側の坂道が『軽子坂』。軽子とは軽籠持の略称である。飯田堀は江戸時代は船着場があり、船荷を軽籠(もっこ)に入れて山の手に運搬する軽子がこの坂を頻繁に通ったため、この名前が付いた。
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さらに坂道を上がると本多横丁という飲食街があるが、この横丁沿いの神楽坂から筑土八幡神社の前までの細長い通りが『三年坂』。他の三年坂同様に墓地や寺のそばの坂道で坂で転ぶと三年以内に死ぬという迷信から来ているようである。
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坂道の下には筑土八幡神社がある。この縁起は嵯峨天皇の世(809ー823年)に付近に住んでいた老人の夢に現れた八幡神のお告げにより祀ったことらしい。
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社内には田村虎蔵の碑があり、金太郎の譜が刻まれている。さらに太陽と桃の木、2匹の猿をあしらった舟形の石造庚申塔があるが、三猿でなくニ猿というところも珍しい。
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筑土八幡神社の正面に戻り、大久保通りを行くとすぐに右に道が出てくる。右折すると『御殿坂』、しばらくは緩やかな坂道だが、そのうち急になる。この辺りに3代将軍家光の頃に世嗣ぎの家綱の御殿があったため、この名前が付けられた。
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坂道を上りきると今度は下るがこの坂が『芥坂』。実際に坂の上にゴミ置場があるのが面白い。坂を下りきると週刊漫画アクションで有名な双葉社、クレヨンしんちゃんの像が社内に見える。(以下、次回)