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日本橋町巡りシリーズ その22。今回は日本橋人形町3丁目。日本橋1、2丁目から広い道を挟んで反対側、小舟町、富沢町、堀留町に挟まれている。人形町交差点も人形町通りを挟んだ2ブロックも含まれている。
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この町名は1980年に旧人形町3丁目と芳町2丁目が合併して成立した。他の人形町の地区と異なり、観光客は少ないエリアで金物商が軒を連ねていたらしく、その名残か江戸時代から続く刃物を扱う『うぶげや』の店もある。
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うぶげやは1783年創業ではさみ、包丁、毛抜きなどが有名で初代の喜之助の打った刃物は『うぶげでも剃れる、切れる、抜ける』ほどの評判を受け、この屋号にした。
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江戸時代初期には幕府の奥医師岡本玄治が1500坪に及ぶ拝領屋敷をもらい、住んでおり、玄冶店と呼ばれていた。その跡には芝居関係者が住み着き、歌舞伎『与話情浮名横櫛』の源氏店妾宅の場の俗称にもなっている。
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また、玄冶店の跡にはかつて政治家の会合などの舞台となった料亭『濱田家』もある。店の横には佃煮など料亭のお土産を売る店もあり、こちらは庶民でも入ることができる。
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また、そのそばには将軍から玄冶が下賜されたと伝えられる橘稲荷社も残されている。
ただ、他にはほとんど名物らしきものもなく、辻村ジュサブロー館も閉館、風呂敷のギャラリーがあるくらいで、あとは古くからの繊維関係の問屋が並ぶが、あまり賑やかな街ではない。
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なお、蛇足だが、HPを調べると濱田家は夜の部は1人3~5万円(サービス料、税金別)であり、多分門をくぐることはないだろう。
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