『江戸の坂・東京の坂』その71。今回は御茶ノ水~湯島周辺の坂道を巡る。まずはJR御茶ノ水駅で下車し、聖橋口を出る。
目の前にある聖橋は中々のアーチ橋で渡ると下にはJR、そして地下鉄丸ノ内線も地下から顔を出す。橋を渡るとすぐ下の道には出ることはできず、湯島聖堂の中を通ることになるが、湯島聖堂が閉めている時は下の道まで大回りすることになる。
幸いにして開門中のため、湯島聖堂の入徳門の前を通ると『相生坂』に出る。
この坂は元は相生坂だったが、のちに昌平坂と呼ぶようになったとのこと。相生坂の名前は神田川を挟んだ淡路坂と対をなすためであろう。
相生坂を下りて左に曲がるとまた坂になっているが、これが『昌平坂』、これは昌平黌に面していたから付いた名前である。
昌平坂を登ると向かい側に神田明神が見え、左側に登る坂があるが、これは『湯島坂』と呼ばれている。つまり、相生坂→昌平坂→湯島坂と湯島聖堂を取り囲むことになる。
神田明神の前を通り、東京医科歯科大の裏側あたりを右に曲がる下り坂を『樹木谷坂』というが、これは徳川家康が江戸に入府した頃、この下側の谷が鬱蒼と樹木が繁茂していたため、この名前となった。別名を『地獄谷坂』というが、もとの『じゅもくだに』が訛ったからであろう。
坂下まで行き、反対に登る坂が『横見坂』というが、江戸時代にはこの樹木谷から上がる坂の途中から富士山を横見できたから付いた名前とのことである。もちろん今は高いビルに囲まれて富士山など見ることはできない。なお、明治30年頃には近くに島崎藤村の住居があり、信州小諸に転居するまで住んでいた。
横見坂を登り左に曲がる。するとちょうど谷になるあたりに出て、向かいには日本サッカーミュージアムがでてくる。
この一対の坂道が『傘谷坂』、また、この谷を傘谷という。実はこの辺りには傘職人が多く住んでいたためにこの名前がついた。
(以下次回)