hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

三崎町2丁目

2016-03-09 05:00:32 | 日記

『神田をぶらり』その6。旧神田区でも町の上に神田がつかない町が幾つかあるが、三崎町もその一つ。しかし、神田を付けたいとの住民の請願もあり、2018年には晴れて神田三崎町となる。

三崎町はJR水道橋駅近くに位置し、神田の中では最も西側に位置する。特に三崎町2丁目を地図で確認すると道の配置に驚く。ほぼ碁盤の目のように縦横に道が通る中、斜めにも道がきちんと配置されている。例えば東横線の田園調布や日吉のように計画的に開発された町は円のように放射状に道が配置されているが、三崎町2丁目の例は珍しい。

実は三菱財閥が関東大震災後に国から丸の内地区の払下を受けて『一丁ロンドン』と評された開発をしたことは有名だが、その際同時にこの旧士官学校跡を三菱財閥が払い下げを受けて開発したことはあまり知られていない。



このきちんと配置された街並みをぶらりと歩いてみた。靖国通りの研数学館や東京歯科大学から裏に入ると日大法学部・経済学部の校舎が点在する。その辺りをさらに入っていくとガソリンスタンドがある六叉路がある。その角に当たる場所にはちょうどカットされたホールケーキのように鋭角にとんがった土地が広がり、ビルが建っている。この辺りにはかつて煉瓦街が広がり、周辺には三崎三座(三崎座、川上座、東京座)を配し、明治後期には大変な賑わいだったようだ。特に川上座は川上乙次郎、貞奴がいてオッペケペー節では一世を風靡した。今は道路だけが残され、他には何も残されてはいない。


このように整然と道が配されているのは東京では中々見ない風景である。また、斜めの道をいくとその先にも同じ光景が広がる。

少し歩くと三崎稲荷神社があるが、この社は平安後期1182年に豊島郡三崎村の鎮守として作られたと言われ、三代将軍家光が江戸へ出入りする際に参拝した神社。


諸大名も清めのためにお参りしたと言われ、今も交通安全や旅行の無事などにご利益がある。

町に古いものは少なくなったが、それでも住宅の前に石造りの防火用水があるなど街歩きは面白い。