鉄道シリーズその128。私鉄に乗るとすぐに次の駅に到着して、何でこんなに近くに駅を作るんだろうと思うことがままある。そこで私鉄始発駅の次の駅を調べてみると幾つかのカテゴリーに分けることができることを発見。
まずは始発駅の付属品のような駅のカテゴリーで、冒頭の話ではないが、駅間も短いものが多い。例えば小田急の新宿駅の隣は南新宿駅(駅間800m)、東武東上線の池袋駅の次は北池袋駅(駅間1.2km)、京浜急行の品川駅の次は北品川駅(駅間0.7km)とあまり存在感のない駅が多い。特に北品川駅など品川駅の南にあるのにこの名前は不可思議だが、実は元々ここが始発駅で宿場町の品川からは北の方角にあることから付いた。その後、住所も品川区北品川となったため、地名と同一とも言える。(因みに品川駅の住所は港区高輪)
2つ目のカテゴリーは鉄道会社が利便性を求め、延伸した場合であり、次の駅は実は元の始発駅であるもの。先ほどの京浜急行品川駅もそうだが、苦労をして始発駅を町の中心やJRなどの乗換駅まで伸ばしたケース。具体的には西武新宿線の起点・西武新宿駅。1927年に高田馬場~川越間が開通した。当初は軌道線で早稲田への延伸を計画したが、戦後はターミナル駅である新宿までの延伸を目指すべく運輸省に働きかけ、1948年に山手線と並行する高田馬場~新宿の免許を取得。しかし、新宿周辺の区画整理がなされていなかったため、1952年に仮駅として西武新宿駅を開業した。1964年に新宿ステーションビル開業と共に2階に西武新宿線のホームを入れる予定であったが、島式ホーム1本の6両編成発着線2線分しかスペースがなく、これを断念した。その後、西武新宿駅は駅ビル化して現在に至っている。もし、西武新宿線が新宿駅に乗り入れていたらどうなっていたのだろう。
同様なケースが東武スカイツリー線浅草駅である。東武鉄道は当初、本所~足利の免許申請をしていたが、千住~本所は市区改正の兼ね合いで免許が下りず、やむなく千住~足利で建設を開始、その後越中島~北千住の免許を取得し、吾妻橋駅(現在、東京スカイツリー駅)を始点として1902年に開通した。一方、1904年曳舟~亀戸(現在の東武亀戸線)が開通、亀戸経由に運行を変えて、総武鉄道両国橋(現在の両国駅)がターミナル駅となった。しかし、総武鉄道が国有化されたのちは自社でターミナル駅創設を目指し、次に上野までの免許を申請したが、地下鉄との競合から認められず、浅草雷門駅をターミナル駅とするこ当初はに変更を余儀なくされた。そして、ようやく1931年に浅草雷門(現在の浅草駅)まで延伸した。
3番目のカテゴリーが当初の隣駅が廃止されたケース。具体的には西武池袋線の池袋~椎名町(駅間1.9km)の間にあった『上り屋敷駅』、京成本線上野~日暮里間(2.1km)にあった『動物園博物館駅』『寛永寺坂駅』などが挙げられる。
また、京王線(新宿~初台1.7km)や東急田園都市線(渋谷~池尻大橋1.9km)のように元は軌道線であり、鉄道線になる際に幾つかの停留所を廃止した場合もある。
高々、始発駅の次の駅の話だが、それぞれに色々な事情を抱えているのがわかると面白い。因みに駅間が最も近いのは池上線五反田~大崎広小路間の0.3kmであることを書き添えておく。