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韮山反射炉がグラバー邸や軍艦島と同様、明治日本の産業遺産として世界遺産に登録されたことはすっかり忘れていたが、近くを通るのだからと旅行の途中で寄ることにした。
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前回、韮山反射炉の見学に訪れたのは学生時代だから35年ほど前であまり印象には残らない建物であった。しかし、江戸時代末期に韮山代官の江川太郎左衛門がアヘン戦争で清がイギリスに負けたのを知り、江戸を守るための大砲製作には金属溶解炉が必要と幕府を説得したのが1840年、何とペリー来航より13年も前のことである。
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しかし、建築が下田で始まったのは黒船来航を受けてのことであった。翌年、アメリカのペリー艦隊の水兵が下田の建築中の反射炉用地に入ったので急遽韮山に移され、1857年に完成。ただ、江川太郎左衛門はなくなっており、息子に託したのである。
反射炉は有名だが、何を作るのか知らない人が多いが、実は銑鉄から純粋な鉄を取り出し、鋳型に流し、砲身を作るものである。近くによると高さは16m弱と意外に小さい。それでも技術者のいない中でここまでの施設を作り、1857年~64年には実際に大砲の鋳造が行われたのである。
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一時は荒れるに任せていたが、1908年に所有していた陸軍省が補修工事をするなど今は高炉だけだが、大切にされていた。
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付近によると新たな大駐車場の建築も着々と進み、ゆるキャラ『てつざえもん』のついたグッズやお菓子が売られているのは他の施設と同じ。確かに公園の外から見える反射炉だけしか見るものがないため、やむをえない感が漂っていた。
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ただ、大砲のレプリカに連れてきたプードルを突っ込んで写真を撮るカップルなどには青雲の意志のもと反射炉を気付いた江川太郎左衛門の気持ちなど分かるはずもないのだが。ちなみに入場料は100円でゆっくり見ても20分は持たない。
韮山反射炉
静岡県伊豆の国市中字鳴滝入268