hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

竜閑川跡を歩く(2)

2016-04-11 05:00:36 | 日記

『神田をぶらり』その10。竜閑川跡を歩くと昭和通りの手前に小さな児童公園が並んでいる。その名前は千代田区側が地蔵橋西公園、中央区側が地蔵橋公園、その真ん中を川の跡である細い道が通る。

今はしだれ桜が美しいが、その横に『竜閑川埋立記念碑』がある。碑の裏の文章によると1950年に川が埋立られ、その跡に『竜閑新道』を造り、千代田区・中央区の両区の発展を祈念するとある。

昭和通りの歩道橋は下に昭和通り、上に首都高速1号線が走る位置関係にある。歩道橋を越えると反対側には小さな公園があり、竜閑川(神田八丁堀)の案内板が出ている。


そのまままっすぐ行く。次の交差点あたりに火除橋があったらしい。少し寄り道にと右に曲がる。


すぐ左手に十思プラザ(旧十思小学校)、その校庭跡が公園となっているが、このあたりが小伝馬町牢屋敷の跡。公園の中には石町時の鐘、この鐘は後に移設されたものだが、小伝馬町牢屋敷ではこの鐘を合図に処刑が執行された。その為、度々鐘を撞く時間を遅くしたので『情の鐘』とも言われている。


また、公園内には牢屋敷で最後を遂げた吉田松陰の碑などある。


公園の向かいには大安楽寺があるが、この辺りが処刑場の跡で刑死したものの菩提を弔う為に明治時代に作られた。また、大安楽寺の隣には日蓮宗の身延別院もある。


竜閑川跡に戻り、ビルの間に続く狭い道を歩く。この辺りには九道橋、さらにその先には甚平橋があった筈である。


細い道を歩き続け、突き当たりになるが、この辺りには小出橋があった。右手には竹森神社、そしてこの辺りで竜閑川は浜町川と接していた。

都会の中にありながら、今もほぼまっすぐに細い通りが走っている。橋は川がなくなったため失われたが、その跡の道は『坂道』と同じように昔と変わらず残されており、昔を馳せながら都会の小道を歩くのもいい。