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『神田をぶらり』その11。神田名物も色々あるが、江戸時代のミステリーである〇〇捕物帳に出てくる主人公か住んでいた場所はなぜか神田に集中している。そのゆかりの地を歩いてみることにした。
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まずは人形佐七捕物帳(横溝正史作)の佐七が住んでいたのは神田お玉ヶ池そば、現在の千代田区岩本町という設定である。
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実はお玉ヶ池は江戸時代には不忍池と同程度の池があり、景勝地として知られていた。また、池の名前は池の近隣に茶屋があり、看板娘のお玉がいたが、2人に恋をして悩んだお玉が池に身を投げ、池のそばに葬られたと江戸名所図会には記されている。
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江戸後期には駿河台を切り崩した土で埋め立てられたので今はその名残も殆どない。ただ、お玉ヶ池があったあたりの岩本町2ー5ー13には繁栄お玉稲荷が残されている。ただ、本家のお玉稲荷は明治4年に葛飾区新小岩に遷座されているようであるが。
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次いで、言わずと知れた『銭形平次捕物控』、野村胡堂作であるが、テレビでは大川橋蔵が長くその役をやったため、そのイメージが強い。平次親分は神田明神下に住んでいた岡っ引きで子分の八五郎と投げ銭を駆使して難事件を解決する筋だが、あくまで小説の登場人物である。
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しかし、平次親分と八五郎の碑は神田明神の境内にあり、さらに顔出し看板すら置いてあり、名物となっている。
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ちなみに大川橋蔵主演のテレビドラマは1966年から18年間、合計888回も放送されている。
最後は『半七捕物帳』である。これは岡本綺堂作であるが、半七親分も岡っ引き(正式には御用聞き)であり、安政の日本橋生まれで神田三河町に住んでいた設定。
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神田三河町は今は神田司町と内神田となっているが、話の中に出てくるのが『御宿稲荷』(みしゅくいなり・現在は千代田区内神田1ー6ー8)である。周囲には印刷所や小さなビルが立ち並ぶ。
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神田三河町は三河から来た武士が多く住んだのが町の由来らしいが、江戸後期には半七が十手を持って闊歩していたかと想像するのも楽しい。もちろん、彼は架空の人物ではあるが。