hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

竜閑川跡を歩く(1)

2016-04-08 05:00:57 | 日記

『神田をぶらり』その9。今回と次回で竜閑川に沿って歩いてみたい。実は竜閑川は1691年に開削された掘割のことをさすが、これは明暦の大火後に住民が防火のために土手を築き、堀を掘ったもので江戸後期に一度埋められたが、明治16年に浜町川の神田川方面への開削に伴い復活、残念ながら1950年に戦後の残土処理のため、再び埋められたもの。

まずは神田駅西口から外堀通り竜閑橋の交差点まで10分程度歩く。(写真の地図の右上)実はこのあたりで日本橋川から分かれていた。


交差点そばの児童公園には龍閑橋のコンクリート製の欄干が保存されているが、この橋は1926年に日本初の鉄筋コンクリートトラス橋である。また、そばに案内板があり、龍閑橋の龍閑とは近くに幕府坊主の井上龍閑のことを指すとある。


その脇から細い道が続くが、この道こそ竜閑川の跡であり、現在の千代田区と中央区の区界ともなっている。しばらく歩くと細いガード、その下は今川小路というひなびた飲み屋街となっているが、この辺りが白旗橋の跡、近くには白旗稲荷がある。



その先が主水橋跡、しかし、何の痕跡もない。ただ、唯一道の両側に地名表示が並んであるので区界であることが良く分かる。なぜか道の真ん中に飲み屋の看板もある。

その先には中央通りだが、ここには今川橋が架かっていた。


この橋の名は地元町人代表である名主・今川善右衛門の名前を取ったもの。また、今川焼きはこのあたりで売られたため、名前がついた。

中央通りを渡り、建築中のビルの横に道は続く。細いがしっかり跡を残し、東仲の橋の跡に出る。

その先右手に赤い鳥居の小さな神社・福田稲荷神社がある。今は小さいが由緒ある福田村の社で縁起は711年に伏見稲荷より分社したとされている。その先には昭和通りが見えてくるが、ここからは次回。