『江戸の坂、東京の坂』その91。今回は京急本線鮫洲駅周辺にある坂道を歩いてみたい。なにしろこの企画もかなり坂道を歩き倒したため、中々やる機会がなく、8月以来4ヶ月ぶりとはなるが、来年の干支、犬にまつわる坂道がある鮫洲を選んでみた。
京急本線鮫洲駅は品川駅から各駅停車で4つ目、駅を降りて山側に行くと第一京浜に出る。
これを左に曲がり、次の信号が大井消防署、この辺りから右に上る坂が『木の芽坂』。『きのめざか』ではなく、『このめざか』らしい。
標識によると『江戸時代は間部下総守の下屋敷の横の通りで、南側が崖になり、下には泉が湧いていた。
若葉の頃が美しかったのでこの名前がついた』となっていた。立会川小学校に沿って坂は緩やかに上っている。
第一京浜に戻り、横浜方向に少し歩くと右に細い道がでてくる。しばらく歩き、左に曲がるとさらに細く、車は通れなくなるがその先にクネクネと曲がりながら上る坂がずばり『犬坂』である。
別名、へびだんだんは途中から階段になっていくため、ぴったりな名前。ただ、犬坂の由来はわからない。
犬坂のあたりには猫がたくさん住んでいるようで2匹に遭遇。これなら猫坂の方が良いかもしれない。
坂を登りきると二又に分かれるがこれを左にいく。その先には小さな稲荷。
名前は『梶原塚稲荷』というが、鳥居をくぐるとくねくね細い参道が続き、奥に社がある。この稲荷は由緒によると『鎌倉時代の武将梶原景時が頼朝の命を受けて萬福寺という寺を作り、その中に稲荷を勧進したが、寺は兵火で焼失した。焼け残った祠が梶原氏の屋敷内に奉還された。』とある。小さいながら歴史のある稲荷である。
その先で少し広い道とぶつかるが、これを左に曲がり、しばらくいくと大福寺という寺があるが、それを取り囲むように左に緩く降りて行く坂道が『ヘルマン坂』。
この名前は戦前にドイツ人のヘルマン・スプリット・ゲルベルト氏が坂の途中(左側)に住んでいたため、この名前がついた。
その先には立会川が流れ、桜橋を越えて左に川沿いに歩く。
途中には殆どの店が閉じてしまっている商店街を抜け、第一京浜を渡ると立会川駅に到着する。それにしてもまだまだ古い町並みが残っているエリアである。