hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

桃乳舎~日本橋ランチグルメ

2014-04-20 07:58:45 | グルメ

日本橋小網町巡りの翌日、急にあの桃乳舎に行って見たくなった。あまり天気も芳しくなく、時折小雨が降る中、事務所から5分程度の店に11時45分に到着。ほとんど人の出入りがないので空いているかと思ったが大間違い、テーブルは10コほどで端は喫茶店風のビニールのボックス席、真ん中は昔の蕎麦屋のような足の細いグラグラしそうなテーブル、その4人掛けテーブルは2~3人の人が座っている。

少しあってウェートレスに『ご相席でよろしければどうぞ』と声を掛けられる。折角来たのだからと4人掛けの蕎麦屋にあったような足の細いテーブルにひとり座る若いサラリーマン風の人に相席を断って座る。

はじめは真向かいに座るが、テーブルが狭いので真向かいでは皿が載せにくいと斜め前に移動、しかし、その瞬間安普請のテーブルが揺れてコップになみなみと注がれた水が少しこぼれ、やや焦る。

注文を聞かれ、反射的に『カツカレー』と言ってしまう。メニューにはランチが500円と書いてあり、吊るされたホワイトボードには『ランチ、肉団子の野菜あんかけ』と書かれている。

どんなものか?と思っていると、向かいのサラリーマン氏はまさにランチを注文、銀の皿に肉団子2個、さらに野菜たっぷりの餡がかかり、横にキャベツの千切りの乗ったワンプレートが登場、いい匂いがする。ただ、あまりに近いため、じっくり見られないのが残念?

少し回りを見る余裕ができたので観察すると奥のボックスの2人の女性グループ以外は全てサラリーマン風の人、年齢は20~50台とバラバラだが、若い人が多い。また、みんな仲間同士かなと思うが、豈図らんや殆ど一人で来た客ばかりである。というのは食べ終わり勘定するのは皆お一人様。

そうしているうちカツカレー(550円)が登場。丸いさらに昔風の小麦粉でネットリした黄色いカレー、カツは6切れに切られている。食べると懐かしい味、カツはあげたてで熱く、うまい。テーブルに唯一ある調味料のウスターソース、これがビニールにミドリの口の付いて押すと凹むタイプ、をおもむろに掛ける。味はさらによくなる。玉ねぎや小さい肉の塊も入り、辛味は少ないが、甘くなくいい感じで量もそこそこ。唯一の欠点はご飯が少し柔らかめのことくらいか。

食べながら新しい客の注文に耳をそばだてると『ハンバーグ、いつものようにキャベツ大目』とか、『メンチカツ、ご飯を少なめに』とか、かなり好みも聞いてくれそうな雰囲気。テレビがかかり、NHKが流れている中で5分位で完食、勘定を払い外に出たらちょうど時報がなり始めたところ。どんどん新たな客が入店するからか、他を見ても長居をするものはおらず、一方、誰ひとり諦めて帰る人のいない。この店には常連が多い、しかし、常連に媚びない、また、店内は昭和40年代からタイムスリップしたようなお店。さあ、次は何を注文してみようか。

桃乳舎
中央区日本橋小網町13ー13
0336663645

大学の切手

2014-04-19 00:14:56 | 日記

切手シリーズ その23。大学の切手について調べてみた。最初に切手となったのは1952年10月に発行された『東京大学創立75周年』、当時は国体の切手を含めて年間に5回しか記念切手が出されていないのだから価値がある。図案はやはり安田講堂で値段はどうでもよいが、カタログでは1枚2300円もする。東大ではふるさと切手でも1995年7月に『赤門』の切手が発行されている。

次に記念切手になったのは1958年11月に発行された『慶応義塾創立100年記念』、図案は塾舎と福沢諭吉である。さらに2008年に『慶応義塾創立150周年記念』の10枚組の小型シートが発行されている。


それ以外では記念切手が出されている大学はない。ただ、占領下の沖縄では1951年2月に『琉球大学開校記念』の切手、さらに1960年5月には『琉球大学開学10周年』の切手が発行されている。


では、ふるさと切手をと見てみると早稲田大学は2001年10月に『大隈講堂』、京都大学は1997年6月に『京都大学時計台』、北海道大学は2000年2月に『札幌時計台』、2001年9月に『ポプラ並木』が図案となった切手が発行されている。
こうしてみるとあまり日本では切手に大学は登場する機会が少ないような気がする。


因みに福沢諭吉も大隈重信も新島襄も文化人シリーズでは切手になっている。

日本橋小網町

2014-04-18 06:34:57 | 日記

日本橋の街巡りシリーズ、その1。中央区には日本橋⚪️⚪️町という地名が19ある(日本橋中州を含む)が、それらをそぞろ回って街並み散歩と洒落てみたい。第1回は手始めに事務所の近くにある日本橋小網町をぶらぶらしてみる。

日本橋小網町は明治には日本橋小網町1~4丁目、小網町仲町の5つのブロックに分かれていた。その街の名前の起源は『網を引いて将軍の観覧に供した漁師が御肴御用を命じられ、白魚献上の特権を得た。その漁師たちが1丁目の街角に網を一張干しておく風習からついた』とされている。

日本橋川に沿った細長い町で、東堀留川が流れていたが、今は埋めたてられて面影もなく、かつて海辺にあった名残は小網神社くらいしかない。その並びには古い看板屋。裏には東堀留川が流れていたらしい。

さらに広い通りを渡り、鎧橋に抜ける道を歩くとすぐ右手に三軒長屋、木造モルタルで看板造で昭和初期の建物だろうか。三軒のうち右の一軒のみ銅貼りというのは珍しい。


その先を左に折れると桃乳舎という喫茶店。明治22年に牛乳販売店として創業、その後当時流行したミルクホールになり、今に至る。今はランチが美味しく、リーズナブルなレトロカフェとして近所では有名である。


因みに東京初のカフェ『メイゾン鴻の巣』が明治43年にできたのもこの小網町で今も碑が残されている。

さらにその先を右に曲がると鰻の『喜代川』。明治7年の創業でここで140年商売を続けているだけですごい。座敷でランチは3000円也である。


これだけ並べるとどんなにかレトロな街と思われるかも知れないが、他はビルばかりで、特に最近はマンションの建設も相次いでいる。その谷間に昔の街の面影を探すのも楽しい町歩きである。

ハナミズキ

2014-04-17 00:09:47 | 日記

ハナミズキの花は桜が散って1~2週間で花を付ける。かつて1912年に東京市長だった尾崎行雄が桜をアメリカに贈ったお返しに返礼として送られ、日本に街路樹として広まったらしい。

ミズキ科の落葉樹で花のようにみえるのは総苞、花は真ん中の緑の小さな花の集合体でアメリカヤマボウシの別名がある。種類は色々あり、赤い実が沢山なるものとならないのがあるようだ。


我が家のハナミズキは赤い花を付けるが、もう育て始めて5年以上になる。元は2メートルくらいあったのだが、夏の旅行で水が不足した為、一度枯れかかったもの。しかし、下の方の枝には葉が残っていたため、農協の園芸部の人に聞いたところ、枯れた部分さえ切ってしまえば復活するかもしれないと聴いた。すぐに先の部分を落としたところ、翌年には葉が茂り、その次の年には花も僅かに咲いた。そして今の姿になって3年目、わずか1.2メートル位しかないが、きちんと花を付けてくれる。(すぐ上の写真は我が家のハナミズキ)夏前にはウドンコ病の薬を散布したり、秋には肥料をやったりと手間がかかるが、昨年は実も一つつくなどちゃんと応えてくれる。
一週間前にはまだ茶色だった花も昨日位からは咲き始め、ひとり悦にいっている。

近所にはさらに立派な白やピンク、赤のハナミズキが咲いて、いよいよ春本番である。(下の写真は一週間前のハナミズキ)


消費税と運賃

2014-04-16 06:37:19 | 日記

鉄道シリーズ その60。郵便料金や電気料金同様などと同様に鉄道運賃も今年4月から値上げされたのがほとんどである。しかし、今回の鉄道運賃の改定は従来のものとかなり異なる。

まず、挙げられるのが、『1物2価』になったことである。いままでもカード利用促進のために色々と特典を付けることを無しとはしなかったが、今回は高速道路のETCカードを見習って手間のかかる現金と効率のよいICカードの二つの価格を明示したこと。もう一つはICカード利用の場合に10円単位から1円単位にしたことである。

例えば東京メトロの最低運賃が160円からきっぷを買う場合は170円、ICカードは165円である。ICカードの場合3.125%の値上げだが、これはまさに税率分だけの値上げと説明している。

一方、JRの場合(山手線内)は最低運賃130円をきっぷを買う場合は140円、ICカードの場合は133円とこれは2.3%の値上げに留めている。但し、これは134円にすると3.07%と3%以上の値上げになることを意識したものだろう。

このライバルとは都営地下鉄は少し違う。一部に都営地下鉄は値上げしないと思っている向きもあるが、実はシステム変更に伴い時間がかかるため、6月1日まで引き上げを延期しただけである。但し、引き上げ幅も最低運賃170円をきっぷを買う場合は180円、ICカードの場合は174円とこれも2.3%の引き上げに留めている。これはJRと同じと考えられるかもしれないが、175円にしても引き上げ率は2.94%であることを考えるとやはり日頃より他の競合路線と比較して運賃が高いことを意識しているのかもしれない。

まあ、兎にも角にも値上げで便乗していることがないことは好感が持てるが、システムの変更が効かない理由で値上げを先送りした都営地下鉄は自体の経営が苦しいにも関わらず4月1日に改定できないことが、逆に問題含みな気がする。勿論、同じ公営交通でも9月まで転嫁できない名古屋地下鉄に比べればましなもしれないが。


深大寺

2014-04-15 06:36:14 | 日記

古刹を巡る その8。たまには身近にと深大寺の話。江戸では深大寺は浅草寺に次ぐ古刹であることを知る人はあまり多くないのでは。

この寺は調布市にあり、調布やつつじヶ丘、吉祥寺などからバスの便も多く、便利な武蔵野の残る名刹である。正式名称は天台宗別格本山浮岳山昌楽院深大寺といい、名前は水神の深沙大王に由来する。寺の沿革は733年に満功上人(まんくう)が法相宗の一宇を建てたのが起源、859年に天台宗に改宗、その後2回の火事に合い、今の本堂は大正に建てられたものである。



元三大師が祀られている大師堂には元三大師像があるが、開帳がないとなかなかお目にかかれない。最近では5年前の2009年に25年ぶりの中開帳が行われ、小生もその有難いお姿や他にもなかなか拝めない仏像などを見ることができた。

しかし、この寺が素晴らしいのはそれだけではない。なんと都内には他にない白鳳時代の金銅仏『銅造阿弥陀如来綺像』(重文)をガラス越しながらいつでも、しかも無料で見ることが出来る。この仏様はかつて新薬師寺にあり、1944年以来盗難にあって出てこない『香薬師像』にも似ていると言われている。

さらに、深大寺の境内には大きな『なんじゃもんじゃ』の木や重文の梵鐘など名物も多くある。


また、小さな石佛も多く、もちろん植物園や蕎麦屋もいいが、是非ゆっくり寺自体を見てもらいたいものである。特にこれからの季節が植物園にはサツキやバラ、藤の花なども咲き乱れ、是非訪れたい場所である。


国定公園切手

2014-04-14 06:34:50 | 日記

切手シリーズ その22。公園切手の最後は国定公園。第二次国立公園より4年早く1958年から1973年まで41シリーズ58種の切手が発行された。各シリーズ1~2枚ずつ多色刷りのグラビア印刷されている。

国定公園とは自然公園法で『国立公園に準じる優れた自然の風景地』として環境大臣が指定する公園で1950年に琵琶湖、佐渡弥彦、耶馬日田英彦山の3か所が指定されている。国立公園は国が直接管理するのと違い、国定公園は都道府県が管理を行なうもので、現在全国で56カ所ある。

記念すべき第一号は佐渡弥彦国定公園で1958年8月に2種の切手が発行されたが、当時の郵政大臣はのちに総理大臣にもなる田中角栄でお手盛りとの批判があった。


国立公園シリーズは写真のような構図が多いが、国定公園は絵のような構図が多く、人も描かれているものも多い。『佐渡弥彦』の佐渡おけさを踊る女性、1960年8月発行の『足摺』の巡礼の親子、1961年3月発行の『南房総』の海女、1961年8月発行の『山陰海岸』の因幡の傘踊りを踊る男性などである。


また、1972年6月発行の『栗駒』のように地元名産のこけしがあるものもある。
さらに1973年3月発行の『明治の森』は2種発行されたが、一方は高尾山(東京都)、もう一方は箕面の滝(大阪府)と離れた2カ所が同時に発行された例もある。 


最後に発行されたのが1973年9月の『天竜川三河』でこれを最後に発行をやめている。発行されていない地方は再開が待たれるのではないであろうか。

いずれをしても、公園シリーズでは最も価格も安く、全国にあることから入門時には集めやすいシリーズであろう。

回数券袋

2014-04-13 08:02:14 | 日記

鉄道シリーズ その59。鉄道マニアには色々な種類がいて、それを他人が見るとおかしいのではと思うことも多い。鉄道模型のように金がかかるものから、鉄道写真を撮り続ける『撮り鉄』、単に乗ることの好きな『乗り鉄』、汽笛や車内放送を録音する『録り鉄』、スタンプや時刻表などを集める『蒐集鉄』、果ては廃止直前の鉄道に乗る『葬式鉄』とすごいのがいる。

また、マニアだけにそれぞれに驚くような妙な拘りがあり、『乗り鉄』で必ず車窓を見なければならないと自身で決めている奴、『撮り鉄』でラッセル車やロータリー車のみを追い、冬の北海道で毎年雪だるまのようになっている奴、『蒐集鉄』で時刻表と鉄道雑誌だけでダンボール4~5箱位あって置くところに困る奴。ここで小生はと自分を省みると『蒐集鉄』に最も近く、時刻表や鉄道雑誌、スタンプなどは集め始めて、かれこれ約半世紀になる。もちろん『撮り鉄』『乗り鉄』でもあるが。

スタンプの話は以前このブログで書いたが、昨年は私鉄各社が企画した『花と寺社』や京王電鉄100周年などのスタンプラリーにはまった。では最近はというと『回数券袋』を集め始めた。例えば東急電鉄は6色あるらしく、うち3色を集めたとか、自社の分譲地を回っている山万にも回数券袋があるとか、わずかなコレクションにも発見は多い。(因みに東急の6色の写真は借り物である)

しかし、世の中には上がいて専門のサイトを立ち上げておられるマニアの方が数名。まあ、あまり金のかからない蒐集なのでもう少し続けてみたい。(最初と2つ目が小生のコレクション)


第二次国立公園シリーズ

2014-04-12 05:22:13 | 日記

切手シリーズ その21。公園シリーズも第二次国立公園に入る。1956年10月発行の西海国立公園で第一次国立公園シリーズ終了後、1958年に国定公園シリーズが始まったが、1962年~1974年に第二次国立公園シリーズとして25回52種の切手が発行された。



1962年1月に最初に出されたのはやはり富士箱根伊豆国立公園4種。いずれも単色だが、特に『三つ峠からの富士』は第一次の戦前、戦後にだされたものにもあり、最高の構図なのかもしれない。

第2回がやはり日光国立公園4種。ただ、これは第一次とちがい全てヨコの構図のため、華厳の滝がなく、いわゆる日光は一枚で後は那須茶臼岳、尾瀬ヶ原、塩原渓谷と網羅されている。

その後は2種ずつになり、1965年3月に出された上信越高原国立公園は1枚がタテの構図になり、その後も何回かタテ1枚 ヨコ1枚というものも出された。(知床、阿寒、陸中海岸、西海、西表)

第一次国立公園シリーズに比べて切手のサイズが小さくなり、小型シートもだされず、数が多い割には地味なシリーズである。


また、1974年3月の西表国立公園でシリーズは終了したが、なぜか『利尻礼文サロベツ』『釧路湿原』『山陰海岸』『足摺宇和海』の4か所はだされないままである。これは『利尻礼文』は1968年5月、『山陰海岸』は1961年8月、『足摺』は1960年8月に国定公園シリーズで発行されているが、『釧路湿原』だけはまだ未発行のままである。



地下鉄千代田線

2014-04-11 00:03:22 | 日記

鉄道シリーズ その58。地下鉄千代田線は飛ばしたわけではない。小生が未乗区間の綾瀬~北綾瀬を乗ってからと思っているうちに遅くなった。

千代田線の建設は1964年に決定され、1969年12月に北千住~大手町が開業した。その後1971年3月に大手町~霞ヶ関、4月に北千住~綾瀬、1972年10月霞ヶ関~代々木公園、1978年3月代々木公園~代々木上原が完成、千代田線の本線は全線開通した。合わせて小田急線とも相互乗り入れを開始した。1979年に綾瀬~北綾瀬の分線も開業している。

その後1995年3月には丸ノ内線、日比谷線などとともに地下鉄サリン事件の舞台にもなった。
小田急線との乗り入れに関しては2002年に小田急多摩線唐木田駅行きの多摩急行を増発、さらに2008年3月には小田急線ロマンスカー60000系の運転を開始し、フェルメールブルーのロマンスカーが北千住から地下鉄線を走るという画期的な運転が定期的に行われるようになった。

ところで、綾瀬~北綾瀬の分線の話だが、東京メトロには丸ノ内線の分岐線(中野坂上~方南町)を除き支線はない。実際に綾瀬駅に行くと上下2本ずつホームはあるが、北綾瀬行きのホームは何処かと探すと代々木上原方面行きのホームの反対側に0番線ホームがあたかも京都駅の山陰本線のように突き出す形である。


運転間隔はほぼ10分に1本、2編成が往復している。うち一つが5000系、もう一つが6000系でもう他では見ることができないベテランが3両編成で頑張っている。珍しいことに2.3km全て地上部分、しかも高架で、さらにワンマン運転のためホームドアも完備している。



しかし、のんびりした線で本線の混雑ぶりを横目に決まった人たちをひたすら運び続けている。わずか1駅しかない線だが、鉄道マニアにはお勧めの路線である。