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古刹を巡る その7。古刹というとつい京都や奈良、滋賀、兵庫といった関西圏を思い浮かべることが多いが、東北地方にも名刹はある。その中で今回は山形県寒河江市にある本山慈恩寺を紹介したい。
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この寺は奈良時代、746年にインドの婆羅門僧正が聖武天皇の勅命により開基したと言われている。江戸時代には徳川幕府の直轄となり、寺領2800石余りで東北随一、菊の紋章が厨子の左右に、そして徳川の葵の紋章が正面に配されていることから当時の権力者の力を伺い知ることができる。
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現在の本堂は1618年に山形藩主最上義光が再建したもので三重塔の建築もおこなわれた。江戸時代は弥勒堂を中心に3つの寺院と48坊からなっていたが、今は3つの寺院と17坊となっている。
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慈恩寺の名前は法相宗の祖慈恩大師に由来しており、その後天台宗、真言宗、時宗なども入り多くの宗派が併存、最上家のお家騒動で徳川家が入った際に一つの院に改宗しようとしたが、他の院が反対し、天台宗と真言宗を兼ねることになった。その後宗派の争いが続き、戦後ようやく今の慈恩宗に落ち着いた。
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小生はこの古刹には2回訪問し、最近は昨年5月。ちょうど同じ山形県山形市立石寺の50年に一度の秘仏開帳の際に帰りに立ち寄ったもので立石寺は長蛇の列に2時間並びようやく見ることができたのだが、慈恩寺に来たら殆ど人いなかった。そして同じ秘仏開帳にもかかわらず、地元ボランティアのガイドのおじいさんがのんびり、しかし、丁寧に案内してくれたことをよく覚えている。
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そして、普通の寺には檀家がいて寺を守るが、この寺は勅願寺でしかも明治維新の際に寺領も取り上げられ、こうした周辺の人が守るしかないという話を聞いた。
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三重塔にはまたお婆さんがいて1日いるのはなかなか大変だと話してくれ、来年6月には更に規模の大きな秘仏開帳をするから是非来て欲しいと言われた。そうした人々に守られている寺で勿論素晴らしい仏像も多く、十二神将の躍動感にも驚いたが、やはり人との触れ合いを感じた寺である。
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また、お参りを終えて本堂前の砂利道を歩くと何故かフクロウの子供がポツンと立っている。どうもカラスなどに襲われて巣から落ちたらしい。親鳥がそばにいるからほっておけば助けに来るという地元の人の話でそのままにしたが、どうなったのか?愛らしい姿を今も思い出す。
やっと長い冬を終えて春を迎える頃になったであろう。今年は名物慈恩寺そばも食べてじっくりお参りしたいと考えている古刹である。