hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

上野桜木辺りの坂道(2)

2015-04-20 05:00:41 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その35。上野桜木の続きで御隠殿坂から言問通りに戻り、左に曲がる。言問通りは片側一車線で車の通行も多く、しかも工事もしているため、渋滞が激しい。また、古い商店を改造して文具や雑貨を売ったり、喫茶店を開いている店が目につく。

谷中6丁目まで歩くと根津方面への下り坂が出てくるが、これが『善光寺坂』。肝心の善光寺はというと1601年に信濃善光寺の宿院として建立され、門前町ができるほど賑わったが、火災で元禄年間に焼失、青山に移ってしまったが、地名(善光寺門前町)と坂の名前だけが残されたもの。地名は変わったが、坂道だけは残っている。



谷中6丁目まで戻り、右折する。2本目を右にいく善光寺坂と並行する坂道が『三段坂』、よく見ると三段になっている。この坂道自体は明治後半に作られたらしく、名前は戦後のものと考えられている。

三段坂の途中を左に曲がると短い上り坂、その先には都立上野高校が見えるが、高校に沿って緩く右にカーブする坂道が『清水(しみず)坂』。この名前は弘法大師に因む清水が湧いていたことからつけられたもので別名暗闇坂ともいう。先には煉瓦建築の古い館もあり、谷中らしい風情のある坂である。


坂を下り、真っ直ぐ行くと不忍通りに出る。それを右に曲がるとすぐに千代田線根津駅に到着。谷中にはまだ坂は多くあるが、かなり歩いたので谷中の坂道はまたそのうち。

山中酒造店

2015-04-19 05:00:41 | 日記

『きまぐれ酒蔵散歩 その8』前回が昨年の8月だから8ヶ月ぶりの酒蔵訪問。今回は茨城県常総市の山中酒造にお邪魔した。そういっても中々ピンとこないかも知れないが、『石下(いしげ)の一人娘さやか』と言えば知っている方も多いであろう。

場所は関東鉄道常総線石下駅で降りて徒歩10分くらい。石下駅の前に広がる道を真っ直ぐ川の方に歩き、2つ目の信号を左折、あとはひたすら真っ直ぐ歩けば到着する。

今回は前もって電話をしていたのですぐに斎藤マネージャーが案内してくれる。正面右がお宅、左側が販売所でその裏一帯が酒蔵となっている。


酒蔵の入り口には見事な欅、かつて新潟からくる杜氏が寝泊まりしていた前にこの木が生えているが、今の時期は欅が水を吸う音で夜眠れないほどだったらしい。

蔵に入るとタンクがゴロゴロ、やはり本醸造以下の酒はすぐのところにあるが、吟醸より上の酒は温度管理されている中にタンクが置かれている。

すぐ横に斗瓶があるので尋ねるとやはり斗瓶取りした良い酒が置かれているとのこと。


さらに中に入ると酒を絞る舟があるが、いまでは舟なら並べて絞らず、新しい機械でじっくり絞るとのこと。昔は杜氏など15人くらい毎年新潟から招いていたが、今は専務が杜氏となり、4人程度で酒造りをしている。圧搾機の横では酒粕を袋に入れる作業、野菜やしもつかれという郷土料理に使うため、販売できるらしい。
それから30年前に作ったビデオを見せてもらうが、懐かしい酒造りの様子が見られ、いま新しくビデオを作ってもこれほど興味深いものは出来ないだろう。


最後に『一人娘 さやか』のさやかは実在の人物かを尋ねたら、意外な答え。かつて社長が商標登録をしようと役所に一人娘の特徴である『さわやか』を持っていくと既にあるとのこと。困った社長は『や』を取って申請したので『さやか』になったと渋々教えてくれた。しかし、社長のお嬢さんが東京の大学で醸造を学んでいるので帰ってきて、酒造りをしてくれるといいなあとの話もあった。

その後はお楽しみの試飲。まずは昨年茨城県産の酒米『ピュアいばらぎ』を使った純米吟醸を作ったのでと非売品を飲ませてもらう。持ち前の柔らかさはあるが、キレがある不思議な味。社長もでてきて試飲するが、一杯が多く嬉しい。

次に『純米大吟醸 袋取り雫酒』を飲ませてもらうが、これは洗練されていて香りが鼻に抜ける。さらに『にごり酒』を飲むが、薄にごりタイプで純米だが、あまり甘くない。これは食中酒に良さそうである。最後に本醸造を飲んだが、70パーセント精米で燗にすると良さそうな味。しかし、どれも試飲カップに半分以上注いでくれて試飲というより飲み会のよう。社長もいける口で隣で手酌で試飲をされていた。

とにかくアットホームな蔵ながら、酒造りには厳しい蔵。輸出も先ほどの雫酒やにごり酒が好調で10パーセントは輸出しており、地元が50パーセント、東京など名酒会を経由で出すが、中々普通の酒では売れなくて新たな工夫が大変との話だった。やや、耳が痛い。

その後はお礼をいって少し酒を買い、また、駅に戻ったが、とにかく静かな街で散策には豊田城や長塚節の生家もあり良いところ、だろうと思う。(小生は酒蔵しか行かなかった。)少し飲みすぎで面倒になったのが、敗因かなあ。

上野桜木辺りの坂道(1)

2015-04-18 05:00:26 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その34。今回は上野から根津にかけて歩く。上野駅公園口から出ると前に通りがあり、東京文化会館、国立西洋美術館、寛永寺輪王殿などの横を通る。


その先の駐車場を抜けると右側に殉死の碑が前に立つ墓地と東京大空襲の慰霊碑がある。


殉死の碑の解説を読むと3代将軍家光が亡くなった際に殉死した幕府の重臣堀田正盛や阿部重次などの墓がある。しかし、その後殉死が増えたため、家光の死後12年で殉死の禁止を幕府が定め、その後は無くなった。


そのまま真っ直ぐ行くと忍岡中学の校庭が見え、学校に沿って右に曲がると『新坂』がある。この名前の坂もよくあるが、やはり明治になり新しくできた坂で昔の地図には鶯坂とある。これは鶯谷駅から来る道だからであろう。


寛永寺の前を通り、言問通りを右に曲がると緩い坂があるが、これが『寛永寺坂』。そしてしばらく行くJRの跨線橋があるが、これが寛永寺橋。この跨線橋ができた昭和初期にできた坂らしい。

この道沿いには古い家や店が多く、閉めてはいるが渋いお煎餅屋さんがある。

少し戻り上野桜木2丁目信号を右折すると谷中霊園。その曲がるあたりが、戦前、僅かな期間のみあった京成本線の地下駅『寛永寺坂駅』の地上部分らしい。今も国旗の掲揚台が残されていた。


桜が散ってまさに『強者どもが夢の跡』という感じで霊園内での花見を禁止する看板の取り外し作業に遭遇。


その先を右折して澁澤家の立派な墓地の前を行くと跨線橋の脇に降りる『御隠殿坂』がある。御隠殿は寛永寺住職輪王寺宮法親王の別邸で江戸時代に作られたもの。その後山手線が通り、踏切を渡るさいに使われたと記録にはある。

(この続きは次回)

長崎飯店虎ノ門店~虎ノ門ランチグルメ

2015-04-17 05:00:11 | グルメ

『東京で食べるチャンポン・皿うどん』その6。今週前半まではコートが恋しい天候が続いて、この企画にはちょうど良かったが、天候が持ち直したこともあり、どちらかというと暑くなってきた。今回お邪魔したのはこのブログの大切な読者であるMくんご推薦の『長崎飯店虎ノ門店』。

ネットには行列必至と書かれていたため、少し早めの11時15分に店に到着。場所は地下鉄虎ノ門駅から上がり、裏通りを歩くと名門居酒屋『升本虎ノ門』を左折、すぐのところ。

時間は早いが、先客は数名。今回はチャンポン(900円)を注文。カウンターの前には調理人が3人、うち2人が鍋を振る。チャンポンはゆがいた麺に大きな中華鍋から具入りのスープを掛けてすぐにできる。

丼はそれほど大きな物ではないが、具材は野菜(キャベツ、モヤシ、玉ねぎ)に加え、豚肉。海鮮はゲソ、アサリ、干したカキなど。他にも赤白蒲鉾、さつま揚げなど具沢山。スープは豚骨系ではなく、濁った灰色のような海鮮系。

一口目は少し塩辛いかなと思ったが、野菜や麺を食べるとちょうど良い。麺もこのスープを吸って味がよく、本場に近い味がする。しかし、目の前で調理しているだけに結構暑い。この企画を続けると考えるとこの先が思いやられる。やはり、いつか挫折して『東京で味わう冷やし中華』にでもなりそうだ。

隣の御仁は皿うどんを注文したが、出されたのは餡かけ細麺と麺なしチャンポンスープ。しまった、これならチャンポンと皿うどんの両方をとりあえず味わえたのにと思うも、時すでに遅し。さらにその隣のおじさんはチャーハンセットを注文するが、これは目の前で作るボリュームあるチャーハンと先ほどの麺なしチャンポンスープのセット。これも中々。

この店にはメニューは詳細書かれておらず、しかもお客様は誰も戸惑わない。虎ノ門のサラリーマンにこよなく愛される店は15分後にはもうカウンターは満席になっていた。ごちそうさま。


長崎飯店虎ノ門店
港区虎ノ門1ー8ー11
0335089801

紀尾井町と八重桜

2015-04-16 05:00:54 | 日記

桜は終わったかなあと思っていたが、久々に太陽が覗いたので少し赤坂見附周辺を歩くと見事な八重桜の並木に遭遇した。


この辺りは千鳥ヶ淵の桜が有名だが、弁慶橋から清水谷公園にかけては八重桜、それも今ちょうど満開を迎えている。弁慶橋の由来も書かれているが、それによると『江戸時代にはここには橋はなく、明治18年に神田岩本町あたりにあった藍染川にかかっていた弁慶橋が廃橋になり、その廃材で作られたので前の橋の名前を継承してこの名前がある』とのこと。


かつて赤坂プリンスのあった跡地には東京ガーデンテラスが建築中で『ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町』と名付けられたホテルを核テナントに壮大な建築物が途上にある。これも2016年の開業を目指しており、次の桜が咲く頃には風景がまた変わるだろう。

ホテルニューオオタニの前の八重桜はピンクが多いが所々に白い花もあり、その景色はくす玉が風に踊るようで美しい。清水谷公園は紀伊藩と尾張藩の屋敷の真ん中にあった『紀尾井町』の清水の湧き出す谷を意味する『清水谷』にある公園で、明治初期に大久保利通が暗殺された場所に近く、今も大きな碑が残られている。周りは高いビルに囲まれてはいるが、紅葉などが植えられているオアシスである。

太陽が輝く中、ゆらゆらする八重桜は中々いい。

関東鉄道常総線(下館~石下)

2015-04-15 05:00:29 | 日記

鉄道シリーズ その102。関東鉄道常総線に乗る。下館~水海道は単線のため、途中駅で交換が相次ぎ、停車時間が長い。特に朝のうちは守谷発下館行の快速運転があるため、下館行が、優先されることが多い。

乗車した2400系ディーゼルカーの単行は下館を出てディーゼルカーは左にカーブを切って走る。始めこそ住宅地が広がるが、次の大田郷駅からは畑や田んぼの真ん中をひたすら走る。そのエンジン音が心地よく、比較的保線も良いので快適。すぐに左側に広がる平原の向こうには筑波山が見えてくる。


黒子駅には手前からホームまで何本もの桜が咲いており、満開の頃は素晴らしいだろう。初めの2駅では交換のために長く停車。車窓からは菜の花畑が広がり、小川が流れるのがよく見え、桃のピンク、ダイコンの紫、菜の花の黄色、名残の桜の白と様々な色の花が咲く。


次の騰波ノ江(とばのえ)駅は難読駅、駅の手前に桜と常盤木が一緒に生えてる変わった風景に見えたが、あれは何だったのだろう。残念ながら写真は撮りそびれた。


大宝(だいほう)駅は木造の駅舎がいい雰囲気。そしてようやく下妻駅に到着するが、第二地銀の本店があったとは思えない静けさである。それでも全て(といっても3枚)のドアが開き、交換のためしばらく停まる。


次の宗道(そうどう)駅・玉村駅あたりはまた平原の中を行くが、まさに関東平野の広さを実感。


ようやく取り敢えずの目的地である石下駅に到着、ここまで運賃が880円、22kmを42分かけて走る。



今は石下駅も朝の11時までは駅員がいるが、そのあとは無人駅。それでも駅前にはタクシー会社が2社もある。(この先は次回)

木に咲く春の花

2015-04-14 05:00:00 | 日記

今年の冬は寒かったが、この辺りの季節になるとなんとなく帳尻が合う気がする。そして、桜が咲くとそれを追いかけるように色々な花が咲き始める。


まずは花海棠(ハナカイドウ)桜と同じバラ科の樹木で桜より少し花の色が濃い。下を向いて花が咲くが、その後は仲間のリンゴのような小さな実をつける。

そしてハナモモ、ピンクの色が濃く、一斉にピンク色の樹になるから遠くからもその姿はハッキリ見える。


また、キクモモも椿などと同様に源平(同じ樹に赤やピンク、白といった違う色の花が咲くもの)に咲くものもあり、人の目を引く。

ハナミズキも早くも花(正しくは萼)が色づいてきてもう間もなく美しく咲き誇る。また、ドウダンツツジの白い花も可憐である。

桜が散ると残念な気分にはなるが、街を歩くと僅か1週間の違いで花も大きく変わり、あちらこちらに新たな花を見つけることができる楽しい季節である。



新宿湘南ライン~水戸線

2015-04-13 05:00:42 | 日記

鉄道シリーズ その101。先日乗車した八高線で気動車の良さを再確認したため、今回は関東鉄道常総線に乗るべく下館を目指す。せっかく行くのならば同じ経絡を往復するのもマニアとしては面白くないため、まずは新宿湘南ラインで小山へ。


朝の電車でゆっくりしようと渋谷駅ではグリーン車をおごる。今はホームにある販売機にスイカを入れて下車駅までのグリーン券をスイカに記憶させると検札もこない仕組み。

2階建のグリーン車だが、2階は満席で1階に席を確保、席の上にタッチするとランプが赤から緑に。これで準備万端、席の移動は再度新たな席で同じことをすると前の席のランプは赤に戻り、新しい席のランプは緑になる。これは良く出来ている。

池袋、赤羽、浦和 、大宮と停まっていくが、赤羽線ではなく、田端駅の手前を左に行くかつての貨物線を通る。しかし、そこからは各駅停車でウトウト。気がつくと久喜駅、ここまで普段利用する半蔵門線が来ているとは、かなり遠い。その先は3県の県境を3駅つまり一駅ずつ違う駅を通る地点がある。栗橋駅までは埼玉、古河駅は茨城、野木駅からは栃木となっていく。たぶんJR在来線ではここだけだろう。(中央本線も高尾までは東京、相模湖と藤野は神奈川、その先は山梨となるが、2駅ある。)



そして2時間20分かけて小山駅に到着、さすがに新幹線が停まるだけあり、大きい駅である。しかし、接続が悪く、小山駅到着後1分で水戸線は出てしまう。まあ、普通電車では止むを得ないか。


44分待って水戸線友部行きに乗車。交直両用のE501系4両編成の車両が15番線に停車しており、やはりボタンを押して乗り込むシステム。小山駅構内は直流だが、その先は交流のためである。電車は反対方向に出て、左側に向かう。小田林、結城、東結城、玉戸と停まって20分ほどで下館に到着。



ここからは真岡鐵道も出ており、今は筑西市になっているが、茨城県西の中心。跨線橋を渡ると関東鉄道改札口、スイカを再度タッチしてホームに。


関東鉄道常総線は取手行きだが、水海道駅で乗り換えとなる。下館~水海道は単行、その先は3両編成となる。(ここからは次回)


寛永寺

2015-04-12 05:00:22 | 日記

『古刹を巡る』その29。今回は寛永寺。上野にある増上寺と並ぶ徳川家の菩提寺で徳川家の15人の将軍のうち6人の霊廟がある。

元は上野公園や動物園など全てが寛永寺の寺領であったというからその栄華は凄かったと思われるが、今は根本中堂と輪王殿、開山堂などが残るのみで五重塔や上野大仏などは動物園周辺にある。

上野駅公園口から坂を登り、文化会館の前の道をまっすぐ行くと輪王殿の前に出る。その隣が開山堂で1625年に開山した天海と慈恵大師良源を祀ってある。


新坂の先の国立博物館裏門辺りを歩くとJR山手線との間に寛永寺の霊園があり、4代家綱の霊廟勅額門が見えてくる。人通りも少なく、タクシーや営業車のお昼寝場所になっている。

更に上野中学沿いに道なりに行くと根本中堂が現れるが、実は彰義隊の上野の戦いで戦場となり、明治維新後は上野国立博物館の辺りにあった本堂は焼け落ちたこともあり、一旦廃止状態に追い込まれた。根本中堂は現存するが、実はこれも焼失したが、元は子院の大慈院のあった辺りに川越の喜多院の本地堂を移築し、縮小はしたものの、何とか復興した。


そのため、伽藍はバラバラになったが、根本中堂には本尊の薬師三尊像を安置している。そばには昔の瓦が飾られていたが、その大きさには驚く。


庭には桜の木もまだ少し残るが、増上寺に比べ、規模の小ささは否定できない。また、周囲には霊廟を始め墓地も沢山残され、かつての規模を思わせる。谷中が近いせいか、拝観者も外国人ばかりであった。

ばってん亭~日本橋ランチグルメ

2015-04-11 05:00:14 | グルメ

『東京で食べるチャンポン・皿うどん』その5。このシリーズも早くも5回目、さて何回まで続くのか。種切れは近いかもしれない。今日お邪魔したのは江戸橋から昭和通りを上野方向に歩いてほど近い『ばってん亭』。

外観は古い喫茶店風だが、中に入ると鏡張りで鏡の前に一人用の席が並ぶ。中央には8人席、あと4人席が2つというランチを意識した店づくりである。ご亭主が厨房、奥様がホールと老夫婦2人でやっており、愛想もいい。

店の名前がバッテンだけに味もXとならないなことを願いながらチャンポン大(900円)を注文。メニューは皿うどんの太麺・細麺の他に赤ラーメン、赤のクッパ、牛肉スタミナ丼。残りのメニューには赤でXがしてある。

注文後5分ほどしてチャンポン到着。丼がデカイ。中の量も多い。胡椒はなぜか黒胡椒粗挽きである。まずはスープを一口、味は海鮮と蒲鉾の味が強く、トンコツ味があまりしない。コクがなく、やや塩辛い感じ。

ただ、キャベツやモヤシなどを食べながら飲むと其れ程でもない。具はエビ、アサリ、ゲソ、豚肉、蒲鉾、さつま揚げなど具沢山。野菜はキャベツ、モヤシ、筍、シイタケなどである。麺はちゃんとスープを吸っていて味はそこそこ美味い。

口コミには厳しいのもあるが、其れ程シイタケの味も強くなく、悪くない。ただし、量が多すぎ、普通にしておけばと後悔した。味は街のチャンポンならまあ美味い方だと思う。良かったXでなくて。


ばってん亭
中央区日本橋本町1ー6ー3
0362020525