hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

武蔵屋~秩父ランチグルメ

2015-07-21 05:00:25 | グルメ

日本はご当地名物の麺があり、例えば四国のウドンを食べたり、博多のラーメンのように秩父は蕎麦である。それは秩父は蕎麦の産地でもあり、また美味い蕎麦屋が幾つもある。その中で今回は小生がもっとも好きな店に行く。それは秩父駅(秩父鉄道)から徒歩5分ほどのところにある武蔵屋である。涼麺シリーズ第二弾は武蔵屋の天ざる蕎麦といきたい。


秩父鉄道の踏切際にある古民家風のかなり大きく、どっしりとした店に入ると天井が高い。店は今のご主人の父親が始めたもので、今の建物は32年になる。

秩父宮妃殿下も来られたほどの名店だが、だからではなく、小生はこの店の蕎麦つゆが好きだからいつも来るのである。

いつものように天ざる大盛(天ざる1530円、大盛170円)を注文、5分ほどで到着する。


まず、天つゆと蕎麦つゆが別盛りとなっているのが、嬉しい。というのは同じつゆに付けると折角のワサビが天ぷらの油で全く効かなくなるからである。天ぷらは大きなえびとカボチャ、青紫蘇、ししとうが入ってる。もちろん全て揚げたてでカボチャはホクホク、青紫蘇はパリパリと美味い。蕎麦を一箸食べるが、薄くて平たい挽きぐるみ、良い香りでやや固めのコシのある蕎麦が喉越しもいい。もちろん“三たて”で、蕎麦粉も自社挽き、その証拠にそば殻が山と積まれて、枕用に売られている。

つゆもこの辺りでは珍しくやや甘めでたっぷりつけられるところが良い。蕎麦の盛りも中々よく、蕎麦と天ぷらを次々と平らげていくが、しっかり量もあり、満腹となる。

また、蕎麦つゆがたっぷりあるのも嬉しい。天ぷらの周りの衣のかけらを蕎麦つゆにいれ、蕎麦湯を注ぎゆっくり飲む。いや、鯖節の出汁がよく効いて、美味い。いや、満足、満足。


なお、店の同じ敷地に唐津の源右衛門窯のギャラリーがあるがこちらも中々の品揃えで是非来店の折には覗かれるとよい。

武蔵屋
秩父市番場町4ー11
0494231818
(火曜休み)

寒川神社

2015-07-20 05:00:40 | 日記

寒川神社は相模国一宮にあたる由緒ある神社である。神社からさらに約7キロ上流には国分寺(海老名市国分)もあり、八方除けの守護神として朝廷からも名神大社として崇敬されていた。

その歴史は古く727年には既に社殿建設の記録はあるので創建は古代、有力豪族が造営したと考えられる。

相模線宮山駅を降りて車道を右に曲がる。少し歩くと寒川大橋があるがそれを渡り、次の信号を左折すると寒川神社に到着、5分程度である。しかし、夏の日差しは厳しくこの程度でも額には玉の汗が溜まる。

境内入口には三之鳥居があり、参道が続く。手水舎の先には神門があり、その手前には大きな狛犬が睨みを利かせている。


さらに先に行くと本殿があるが、綺麗に掃き清められ、それほど大規模な神社ではないが、素晴らしい景観である。本殿奥には神嶽山神苑という庭園があるが、時間の都合で見ることができなかった。

全国唯一の八方除けの守護神であり、家相、地相、方位、日柄、厄年などに由来する全ての禍事を取り除き、家業繁栄・福徳円満な日々をもたらすとあって入念にお参りした。

鬼平江戸処(羽生PA)

2015-07-19 05:00:52 | 日記

最近の高速道路のPAやSAは物販の拠点として見直され、特に東名道上りの海老名SAや中央道上りの談合坂SAはちょっとしたショッピングセンターの趣さえある。

しかし、規模は小さくても中々面白いのが、東北自動車道上りの羽生PAである。佐野SAと蓮田SAに挟まれ、また、羽生というあまり特色のない場所にあるが、東京(江戸)の入口に位置することに注目して江戸時代にタイムスリップしたようなPAに2013年全面改装した。


自ら『鬼平江戸処』と称し、池波正太郎氏の鬼平犯科帳にでてくる街並み、特に池波氏が好きだった江戸庶民の食べ物を再現している。小道具である看板も時代を付けて再現されており、外から見るのも楽しみ。



施設の中に入ると江戸ののれん街的な店が出店しており、うなぎ(鯉平)、中華そば(たいめいなけん)、蕎麦(まつや)、しゃも鍋(玉ひで)、江戸めし(なべや)といった豪華取り合わせが並ぶ。小生も以前に蕎麦を食べたが、さすがに蕎麦もつゆもうまかった。土産物にも工夫がされており、いよいよ東京に入るのかということを実感させてくれる。


ほかにも人形焼やくずもち、江戸風スイーツなどもあり、食事をしなくても楽しめる。こういうPAもどしどし作り、道の駅だけでなくPAも旅行の楽しみになるようにして貰いたい。



大勝軒~日本橋ランチグルメ

2015-07-18 05:00:01 | 日記

お待たせしました、涼麺シリーズ その1。先週から夏の日差しがきつくなり、チャンポン・皿うどんシリーズはひと休み。しばらくは冷やし中華やぶっかけウドンのような涼麺を食べることに。

第一回は日本橋本町にある『大勝軒』の冷やし中華。お店はCOREDO室町の裏手、蒲鉾の老舗神茂の向かいにある。周りの老舗の建物にも引けを取らない関東大震災後の三階建の復興住宅で銅板の緑青がいい味を出している。

ちょうど台風から派生する雨のため、まだ先客はゼロ。中はクーラーが効いていてこれなら何も無理して冷やし中華でもないが、初志貫徹で『冷やしそば 上』(1100円)を注文。

すぐに作り始めるが、調理場の主人がホールの奥様と思われる人に材料の準備が悪いと怒る始末。仲良くやってよ、と思う間に麺が運ばれる。

それほど盛りは良くないが具沢山。チャーシュー、錦糸卵、キュウリの細切りに煮たもやし、小エビとクラゲがアクセント、紅生姜が中々美しい。タレはやや酸っぱ目だが、小生は好みの味。

ところで冷やし中華にあう香辛料は何だろう。かつては必ず辛子だったが、店の辛子が古いことも多く、酸っぱい味が強いのもあるため、小生はいつもラー油にチェンジした。

そのラー油をたっぷりかけて食べるが、麺は細麺ながら中々コシがあり美味い。


わずか5分程度で完食、さすがに食べログ3.5の実力はある。次はAランチ(ラーメンと半チャーハン)900円を食べに来たい。

大勝軒
中央区日本橋本町1ー1ー3
0332412551

小石川の坂道

2015-07-17 05:00:59 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』その49。今回は小石川の坂道を巡る。最初に歩いたのは伝通院の前から下る坂道で途中に善光寺があるため、その名をとって『善光寺坂』という。

善光寺は伝通院の塔頭で元の名前は縁受院と称していたが、明治になり善光寺に改め、信濃善光寺の別院になった。つまり、この坂の名前は明治以降に付けられたものである。


緩やかな坂をいくと道の真ん中に椋の古木がある。この木には坂の北側にある澤蔵司の魂が宿ると言われている。因みに坂の標識の後ろにあるのが善光寺である。



坂を下り切ると左側から道が合流、次の角を鋭角に曲がり、しばらく行くと道が左に曲がりながら坂道になるが、この坂が『六角坂』である。

この名前の由来は六角越前守の屋敷が曲がった辺りにあったことのようだ。



その先に古い教会があり、その先を左に曲がると始めは坂ではないが急に、急な下り坂になる。この坂道が『堀坂』である。この場所の北側に旗本の堀氏の宮内という分家屋敷があったことから堀坂または宮内坂と呼ばれた。また、当地の名主の鎌田源三の名前を取って源三坂と呼ばれた。因みに坂の下にはほうずき市でも有名な源覚寺(こんにゃくえんま)がある。
坂の上に戻り、左に曲がるとすぐにビルの中に小石川大神宮がある。こういうのも珍しい。


そして春日通りに出て、向かいには中央大学理工学部があるが、この辺りがちょうど『冨坂』の真ん中あたりである。


実は冨坂は長い坂道で春日町の交差点を境に伝通院方面が西冨坂、逆に本郷三丁目方向を東冨坂という。元は『とび坂』といわれ、鳥の鳶が多くいたためついた名前で鳶坂が転じて冨坂となった。



さらに文京シビックセンターの方に降りると左には戦没者霊園、さらに礫川公園がある。公園には春日局の像もある。これは春日町の由来は江戸時代に3代将軍家光の生母である春日局が拝領した土地であり、そのためかつては春日殿町と呼ばれていたことが記されている。

それにしても暑くなると坂の上り下りはなかなか辛い。この企画はいつまで続くのかな、やや心配である。

相模線(海老名~宮山)

2015-07-16 05:00:35 | 日記

鉄道シリーズ その111。今回はJR相模線の海老名~宮山を乗る。

相模線は元は相模鉄道が1921年に茅ヶ崎~川寒川(寒川~川寒川は1931年に廃線)を相模鉄道が開通させ、1931年に全線開業した。しかし、1944年に東海道本線と中央本線をバイパスとして結ぶ路線として国有化された。

もともとは西武多摩川線などと同様に相模川の砂利を運ぶために作られた路線であったが、その後、バイパスとしての価値を見出された。その後は関東近県では数少ない閑散線としての扱いをされ、1991年にようやく電化されたが、それまではキハ20やキハ30など気動車が神奈川県内で唯一見ることができる路線であった。


海老名駅は1987年に新設された駅でそれまでは隣の厚木駅が小田急線の乗換駅であった。そのためという訳ではないが、小田急・相鉄の海老名駅からは少し離れた高架に仮設のような駅がある。朝はホームか狭く、人が溢れそうである。

相模線は単線のため、主要駅での交換があり、停車時間が長い。次の厚木駅はなぜか海老名市にあるが、これは本来は相模川を渡り、対岸の厚木に駅を作ろうとしたが、資金的に厳しく、旧海老名村に駅を置いた。その後できた小田急線も厚木駅をここに置き、本来の厚木には本厚木駅を置いたのである。

社家(しゃけ)、門沢橋と田園風景の中を走り、東海道新幹線の相模川鉄橋のそばに倉見駅はある。この辺りからは富士山や丹沢山系が望める。


そして、宮山駅に到着するが、昨年12月で出改札業務を終了し、無人駅のようになっている。


但し、寒川神社の最寄り駅であり、年末年始などは数多くの利用者があるようで臨時出口も設けられている。


一時は廃止対象にもなりかねない営業係数374(1971年)であったが、電化、海老名駅開業、運行本数増などテコ入れをしてきており、通勤通学路線としての活用は図られているが、日中はのんびりしたローカル線の趣も残る線である。

ミルクスタンド

2015-07-15 05:00:44 | 日記

鉄道シリーズ その110。これが鉄道シリーズのネタとして相応しいかは議論があるかもしれないが、駅そばもブログに書いたことがあるし、ミルクスタンドもいいのではと今回のテーマにする。子供の頃にはそこいら中の駅のホームや改札口近くにあったのにすっかり見なくなって久しい。もう少し丁寧に言うと東京で見なくなって久しいのかもしれない。

それをまず発見したのが、山手線御徒町駅の改札口を出てすぐの構内。制服のおばさんが牛乳のギャップを開ける道具を持って立っている。

少し見ていたが、自らはセールスをせず、待ちの姿勢を貫いている。いや、その店の辺りの風景は昭和そのものである。

次いで見つけたのが総武線秋葉原駅ホーム。千葉方面のお店の方が新しく、『Milk Shop Luck 酪』と看板にはある。そうか、店名のLuckは酪農の酪とラックを掛けてあるのかと気づく。しかし、一見ハイカラだが、おばちゃんはやはりギャップを開ける道具を持って待っている。

御茶ノ水方面のホームにあるお店はストレートに『ミルクスタンド』とのみ記載。

しかし、この店は品揃いが良く、コーヒー牛乳だけでも4種類あり、おばちゃんに『どれにする?』と普通に聞かれる。迷ってどれが売れ筋か聞き返すと正直に一番安い90円のメグミルクと帰ってくる。


小生は素直にそれを飲むが、ホームで飲む牛乳は美味い。ただ、少し量が少ない気もしたが。


他にあまりホームに見つからないので若干趣は違うが、懐かしい店構えのミルクホール2軒。1軒目は神田駅近くの『サカエヤ』、銅板で貼られた昭和初期の看板造で今も現役である。


もう1軒は人形町に近い小網町にある『桃乳舎』、これは前にブログでも紹介したが、建物もレトロだが、店の中も、さらに味もレトロ。ただし、あまり美味しくないと感じる人も多いかもしれない。うどん粉たっぷりの黄色いカレーが好きなら大丈夫だが。


たまにはあまり人が注目しない駅の施設もいいものだ。そういえば赤帽さんがいなくなって久しい。昔の時刻表には『赤帽』『電報』などのマークが主要な駅に付いていたのだが。

日光線(JR東日本)

2015-07-14 05:00:09 | 日記

鉄道シリーズ その109。今回はJR日光線に乗る。今は日光の表玄関は東武日光駅になりつつあるが、JR日光線は由緒正しき路線である。江戸時代の五街道の一つ日光街道に沿って宇都宮・日光間40.5kmを42分で結ぶ。

開業は1890年でその後国営化された旧日本鉄道が造った。その後、昭和初期には東武線との熾烈な乗客獲得競争に破れ、戦後は優等列車も運行され、湘南方面から直通で行ける『湘南日光』なども運転されたが、今は全て普通列車である。



宇都宮駅5番ホームから出ているが、このホームはレトロな雰囲気に装飾され、電車も単なる205系の通勤電車だが、茶色を基調とした渋い雰囲気にまとめあげられ、行き先表示も何故か明朝体である。

4両編成の電車は宇都宮駅を出るとまっすぐ日光に向かうが、すぐに登りに入る。最初に鶴田駅に到着、人気がない。ドアはボタンで開けるシステムで、乗客は一両に10人程度、山歩きの格好をした人が多い。


単線で並木が多いからか、スピードが早く感じられ、鹿沼駅に到着。しかし、この駅も思いの外小さい。

次の文挟(ふばさみ)駅は中々読めない名前だが、この辺りは畜産農家が多いのか、車窓から牛たちがのんびり寝転ぶ姿が見える。

次の下野大沢駅周辺は田んぼが広がり、日光街道か見え隠れする。その杉並木は長さも木の大きさも日本一で4万本くらいあるらしい。



今市駅は少し大きい駅で次は日光駅終点、杉並木が左側にあったり、右に変わったり。


日光駅は今年で125年の歴史ある駅で今の駅舎はネオ・ルネッサンス様式の洒落たもの。終着駅ではあるが、櫛形ではない。建築も1912年だから100年間を超えている。


1階には貴賓室もあり、往時を偲ばせる。なるほど日光線自体もこの駅舎の基調に合わせたのかと納得。外に出ると日光連山も拝め、ここまで来るだけの価値はある。



伝通院

2015-07-13 05:00:28 | 日記

『古刹を巡る』その34。今回は伝通院を訪問。伝通院は電車で行くならば後楽園駅か春日駅で降りて冨坂を10分かけて登るか、茗荷谷駅から20分歩くしかないが、バスならば『伝通院前』から3分で到着。

今回はやはりバスで行く。実は小生は隣のバス停まで毎日バスで通学していたが、お寺に参拝するのは今回が初めてである。

伝通院は正式な名前は無量山伝通院寿経寺という浄土宗の寺院で室町時代(1405年)の開山だが、その名前が知れたのは徳川家康の母・於大の方を1603年に埋葬し、その法名を取って『伝通院』にしてからである。

江戸時代は600石の寺領が与えられ、増上寺・寛永寺と並び江戸の三霊山と呼ばれた。また、幕末には塔頭の一つである処静院で新撰組の前身の浪士組が結成された。

伝通院は春日通りから少し参道を歩いていくが、その奥には威風堂々とした山門があり、中に入ると左側に小さな墓と観音像、さらに鐘楼があり、本堂に続く。本堂にはいくつもの仏像が並んでいるが、あまりお参りをする人はいない。本堂の周りを歩くと左側とさらに奥に墓所が広がる。


墓所には於大の方を始め、千姫など有名な徳川家の女性と幼くして亡くなった子供たちが眠っているが、驚くのはその墓石の大きさ。



徳川家の威信を表しているのかも知れない。これだけ立派な寺のそばに通学していたのにもっと早く参拝すればとやや後悔した。

なお、7月18日、19日は参道で朝顔・ほうずき市が開催され(朝顔が伝通院、ほうずきは源覚寺)、その提灯が並んでいた。

宇都宮餃子館~宇都宮グルメ

2015-07-12 08:00:38 | 日記

定例的にやっているゴルフ会の会場は今年は宇都宮だったので夜の部は当然宇都宮名物の餃子当然なった。

宇都宮の餃子は昭和15年に旧陸軍宇都宮部隊が満州に駐留し、戻った人たちが広めたといわれている。駅前には餃子像、その後ろには宇都宮が誇るなでしこジャパンの安藤梢・鮫島彩選手やのパネルも飾られていた。

今回お邪魔したのは『宇都宮餃子館』、JR宇都宮駅の向かいにある比較的大きな店舗である。入口にはキャラクターのスタミナ健太くんの像も置かれている。

まずは生ビールで乾杯。やはり、ビールとくれば餃子だが、最初に登場したのは『水餃子』、ニンニクの効いた甘辛いタレにつけて食べるのだが、いやこれはうまい。


腹が減っていることもあるが、幾つでも食べられそうである。次にソース焼きそば。これはだれの注文かわからないが、これもビールによく合う。


次にお待たせの焼餃子、5種類セットを頼むが、その中身は健太餃子(普通の餃子)、肉餃子、ニンニク餃子、シソ餃子、エビ餃子である。(ほかにシイタケ、激辛、チーズ、ニラの計9種類ある。)順番に食べていくが、ニンニク餃子はやや辛く、強烈だが、癖になりそう。シソ餃子はさっぱりしていてこれもうまい。エビ餃子はあまり個性を感じなかった。

しかし、これだけ食べるとさっぱりした冷奴を頼む人も出てくるおじさんの宴会。そのあとにまたニラ餃子、スタミナ餃子の揚げ餃子を注文、ニラ餃子はいつも食べているからかもしれないが、これも小生好み。8人で2時間たらふく食べて3500円、十分満足しました。


あと街に出るとあちこちに餃子の店の看板、食べ比べにも是非挑戦したい。
宇都宮餃子館 宇都宮中央店
宇都宮市駅前通り3ー1ー5
0286371000