hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ポインセチア

2015-11-20 05:00:53 | 日記

クリスマスまで1ヶ月を切り、ポインセチアにするか、シクラメンにするかでこの季節は毎年悩む。というのはどちらも鉢植えの多年草であり、うまく育てれば1年後も保つのに、結局枯らしてしまう。その反省と罪悪感があるが、中々育てるのが難しい。

ポインセチアはメキシコ原産でトウダイグサ科の常緑低木であり、和名はショウジョウボクと言うが、その名前は知っている人は少ない。昨年購入したポインセチアは三鷹の農協で1400円(?)ほどを出して赤ではなくピンクの葉を付けたものを購入した。

あまり、大きな株ではなかったが、年明けまでは綺麗に紅葉し、ピンクの葉も結構のこった。さらに夏くらいになって、すべての葉は緑になったもの、まだ元気でいた。しかし、秋の便りを聴き始めたら急に水を吸わなくなり、枯れてしまったのである。これでも恥ずかしながら、歴代のポインセチアでは最も長命ではあったのであるが。


性懲りも無く、農協にポインセチアを見にいくが、その種類はどんどん増加していることに今更ながら驚く。もちろん、あの鮮やかな赤が大勢ではあるが、白いふが入ったもの、鮮やかなピンクのもの、さらに薄いピンク、濃いピンク、乳白色、薄い黄緑色。それについに紫色のものまで発見してしまった。

ポインセチアはメキシコ原産の常緑低木であり、最低気温が5℃にならなければ枯れないため、九州などでは庭植えしても越冬できるらしい。

葉が赤くなるのは紅葉するからであり、日照時間と関係する。さらに黄色い花芽を付ける場合には夏ごろから1日も欠かさず、夕方から朝まで真っ暗にする必要があり、箱などをかけなければならないが、そのコントロールは中々難しいようである。寒さと水分コントロールをうまくして、花芽はともかく、今年こそ大事に育て、来年のクリスマスには年越しをしたポインセチアを紅葉させてみたいものだ。

菊の切手

2015-11-19 05:00:39 | 日記

切手シリーズ その51。今回は菊を意匠とした切手の話。やはり、日本人が『秋の花』と言って思い出す花の典型が菊である。秋になると大阪の枚方パークの菊人形や葛飾八幡宮の菊祭りなど各地でご自慢の菊の展示会が開かれたり、育て方の講習会がある。

一口に菊と言っても種類は多岐にわたり、観賞菊だけでも花の大きな大菊の種類もあつもの、くだもの、狂いものといった花がそれぞれに姿はまるで違う。また、小菊は花の直径が1~3cmのものを指し、懸崖仕立や菊人形などにする。

日本の場合は菊が天皇家の紋章に使われるために特別な紋章となっている。正式には『十六弁八重表菊紋』といい、後鳥羽上皇が身の回りに施したためといわれている。

ここからようやく切手の話だが、戦前戦中の記念切手や『1899年発行の菊切手以降1948年発行の第二次昭和切手まで』は全てに菊の紋章が付けられている。特に最初に発行された記念切手としても有名な1894年3月発行の明治天皇銀婚記念の切手は『おすめすの鶴と菊花紋章』がデザインされているが、真ん中にある菊の御紋が印象的である。

しかし、戦後は占領軍から菊花紋章は取るように命令を受け、1947年8月発行の民間貿易再開記念の切手以降は菊花紋章は無くなった。

しかし、皮肉なことに1951年9月発行の平和条約調印記念の切手発行は2種(2円、24円)は菊花、8円は日本国旗が描かれていて、菊はやはり日本を象徴する意匠として使われている。


また、1961年に毎月1種類発行された花シリーズでも11月は菊が採用されている。ちなみに1月は水仙、2月は梅、12月はサザンカである。

通常切手でも新動植物国宝図案切手の1966年シリーズでは15円切手として菊が採用された。これはちょうど封書の国内料金が10円→15円になったタイミングで従来の10円さくらから15円菊に変更された。

この15円切手は切手帳ペーン、コイル切手、ミニパック、発光切手など色々なバラエティーに富んだ形で発行され続け、1972年に封書の国内料金が20円に値上げされ、20円松の切手になるまで使用された。

やはり、こうしてみると菊は『日の丸』『富士山』などともに日本を代表する図案なのである。

松島神社の酉の市

2015-11-18 05:00:16 | 日記

11月になると酉の市の話題が良く取り上げられる。東京で有名なのは鷲神社(おおとりじんじゃ・台東区下谷)、花園神社(新宿区)などだが、地元の神社でも熊手を頂くことかでき、小生の地元では武蔵野八幡(吉祥寺)が名が通っている。

因みによく三の酉がある年は火事が多いというが、この信ぴょう性はかなり疑わしい。というのは干支は12日毎に回ってくるため、一の酉(暦で11月の最初の酉の日)が1日~6日にある年は三の酉があるし、7日から12日の場合は二の酉までしかないことになる。つまり、毎年確率2分の1で三の酉があるからである。


勤務先の小舟町から程近い松島神社でも5日、17日、29日と3回酉の市が立つが、今年は二の酉の17日に行ってみた。わずか1軒だけだが、熊手を売る店が出る。また、松島神社は日本橋七福神の中で大国主命を祀っているのでも有名。地元の人たちには浅草より古くから熊手を売っているとの自負もあるようである。

松島神社の熊手は1000、1500、2000円の3種類、1500円には小判が、2000円にはおかめが付いており、他の神社に比べて少し小さいのが特徴である。いつもに比べれば賑わっている地元の神社を訪れ、真ん中の小判のついたタイプを頂いてきた。因みに中央区で酉の市をしているのは築地の波除神社とここだけである。


酉の市が来るともう今年も終わりに近いが、熊手を買って福をかき集められるようにしたいものである。


神功皇后の切手

2015-11-17 05:00:25 | 日記

切手シリーズ その50。切手の意匠としては各国の国王や元首、大統領などを使うことが多い。例えばタイ王国では長きに渡ってプミポン国王の肖像を紙幣や全ての通常切手に使用しているし、アメリカでも同様に紙幣や通常切手に歴代の大統領の肖像を使っている。


しかし、日本では明治天皇や大正天皇の肖像を使った紙幣は皆無であり、さらに通常切手に関しては肖像を使ったものはわずかしかない。


まず、最初に肖像を使った切手が登場したのは日清戦争勝利の際の北白川宮、秩父宮両親王の記念切手である。これには夫々の親王の肖像が描かれていない。

では、皇族の肖像は使われたのにもかかわらず、明治天皇の肖像が紙幣や切手に使われないのはなぜなのか。その答えは明治天皇は極度の写真嫌いであり、さらに周りも神格化しているにもかかわらず、簡単にその肖像を見たり、汚い手で折り曲げたり、肖像に消印を押したりすることに違和感を覚えたからと推測される。しかし、当時のお抱え外国人のキョーソネは紙幣や切手には高位者の肖像を使うべきと主張。そこで出てきたのが、神功皇后を使う案である。

神功皇后は戦後教育を受けた人には馴染みはあまりないが、14代仲哀天皇の妻で15代応神天皇の母である。仲哀天皇が熊襲の矢により崩御したため、住吉大神の託宣により妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り、朝鮮半島の新羅を攻めた。すると新羅も百済も高句麗も戦わずして降伏した。これを三韓征伐というが、中々の女傑である。

1897年に新たに発行された政府紙幣に神功皇后の肖像を天皇の代わりに使った。しかし、神功皇后は実在したか否かもわからない人物であり、想像してキョーソネが描いた肖像のため、どう見ても西洋風の女性として描かれている。


切手も1908年に高額である5円と10円に紙幣同様、神功皇后の肖像を使ったものを発行した。しかし、その意匠は紙幣を参考にしたもののため、やはりバタ臭いものとなった。


ただ、1923年に関東大震災で印刷所にあった原板が焼失したため、1924年から日本人風の肖像に変更された。このため、1908年発行のものを旧高額切手、1923年発行のものを新高額切手と呼んでいる。日本最初の女性の切手が何となく西洋風の肖像なのはそんなわけなのである。

酒房一~四谷グルメ

2015-11-16 05:00:50 | グルメ

四谷三丁目周辺にはなかなかいい居酒屋がある。ギネスに載った萬屋おかげさん、交差点近くの日がさ雨がさ、反対側の酒徒庵など挙げるときりがない。その中で古くからあるような風情の『酒房一』に今回はお邪魔した。

まず、予約の電話を入れると主人から『うちに来たことある?』と言われ、初めてと伝えると『予約は大丈夫だけど、うちは汚い飲み屋だよ』と言われる。気にもせず、当日前まで行くと中々歴史を感じる店構えである。

引き戸を開けて店に入ると小生の連れのみ奥に1人、ボックスが4つ、あとはカウンターのみの居酒屋兆治のセットのような店である。

生ビールを注文すると後はお通しを出すから、それからにしてと言われる。そしてビールで乾杯。


主人がお通しを持ってくるが、比較的大きな皿に『大根と豚肉の煮物』、次の皿は『ハマチの刺身』、さらに『もずく酢にベビーホタテ』と堂々としたもの。


確かにあまりつまみを食べない人ならこれで充分かも。主人曰く、『これだけ出せばすぐ注文しないから、こっちが楽、1人でやっているからね。』中々合理性がある。

3皿とも美味い、特にハマチが脂が乗って食べ応えがある。ついで日本酒に行くが、やはりこの店はスキー正宗、新潟県上越市の酒である。


普通の店よりコップが大きく、受け皿にこぼしてくれるのが嬉しい。久しぶりに飲むが、辛口で美味い。食べログにこれを飲みすぎて失敗した人のコメントがあるが、よく分かる。


ついで『ホタルイカの沖漬け』『ポテトサラダ』をお願いする。量が多いのに驚くが味付けがいい。とくにポテトサラダは抜群である。


さらにモツ煮と地鶏のフライを注文。豪快だがどちらも味付けが繊細。次に頼んだ『ぶなの露』はスキー正宗と同じ蔵元の純米吟醸、これも飲み口がいい。

次に漬物としてキュウリとセロリの浅漬けを頼むがこれも豪快に切ってある。量も多く、この無骨さが嬉しい。

『巖瀬』という富山の酒を飲み、仕上げに柚子サワーをお願いするが、残念ながらあまり味は覚えていない。

気がつくと店はかなりの人、特に1人のおじさん飲みが多く、じっくり荒木町で飲むならいい店だ。主人は新潟県妙高の燕温泉の出身らしく、妙高談義で盛り上がった。こうして荒木町の夜は更けていった。

酒房一
新宿区荒木町3
0333556589

日本橋2丁目

2015-11-15 05:00:53 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その23。このシリーズも後は『中央区日本橋』のみとなってしまった。今回はその中で日本橋2丁目を取り上げる。

日本橋2丁目は元々は中央通り(日本橋通り)を中心とした日本橋通2丁目と昭和通りを中心とした江戸橋2丁目が合併してできた町で西側が丸の内仲通り、東側は高速道路に囲まれたほぼ長方形のエリアである。そのほぼ中央には日本橋高島屋と丸善といった日本橋を代表する建物が集結。


周りにはかつて赤木屋証券ビルや山本山などがあったものの、現在中央通り通り昭和通りに囲まれたエリア半分日本橋高島屋を除きほとんどが再開発の途上である。


東京日本橋タワーやPMO日本橋2丁目などが完成またはほぼ完成したもの、アーバンネット日本橋2丁目ビルなどが建設途上、さらに高島屋新館や高島屋の隣などはまだ整地中である。


それでも八重洲側との境にある通りには立食い蕎麦で有名なよもだそばなどサラリーマンのランチを支える店が並び、また、高島屋と昭和通りを挟む一角には山本山や鰻の美国屋、穴子の箱飯で有名な玉ゐ、寿司の美家古寿司など古い建物もわずかに残されている。


何れにしても小さな町に2本の巨大な道路が分割しており、それぞれが隣の1、3丁目との強い繋がりを作っている。


江戸橋という地名は1973年になくなり、また、都営地下鉄浅草線にも江戸橋駅があったが、1989年に日本橋駅に変更されている。ただ、その名残として今も永代通りと昭和通りの交差点は『江戸橋1丁目』として残されている。

この街はあと、3年くらい経てばどうなっているのか、嬉しさ半分、虚しさ半分の期待度で見ていきたい街である。

紅葉のメカニズム

2015-11-14 05:00:40 | 日記

11月から12月にかけては紅葉の季節である。東京も比較的暖かい日が続いたが、それでも徐々に紅葉が始まってきた。しかし、不思議なのはまずその紅葉のメカニズムである。イチョウやポプラは黄色くなり、桜や柿は赤くなる、ナラやクヌギのように茶色になるもあるし、雨が続いいた秋は紅葉の色が悪く、枯れたような褐色になることもある。

葉が緑色であるのは葉緑体があるからだが、紅葉のメカニズムは葉の細胞の中で気温が下がると葉緑体が分解し、緑の色素がなくなり、元からある黄色の色素が残るため葉が黄色く見える。つまり、イチョウやポプラなどは葉を赤くする酵素が作れないのでクロロフィルが分解されてβカロテンが残るために黄色く色づく。


しかし、赤く色づく葉は秋になり、葉の出入口が閉ざされると生成されたデンプンが幹に送られず、葉の中に溜まるため、これが分解されて糖になる。この糖とアミノ酸を材料にアントシアニンという赤い色素が合成され、葉は赤く色づくのである。

それならば赤くも黄色くもなく、茶色になってしまう場合はどうしてであろうか。これは原理は黄色くなるのと同じだが、タンニン性の物質など褐色物質の蓄積が目立つためで量の違いで黄色くなったり、茶色になったりするのである。また、本来ならば赤くなる葉が茶色になるのはアントシアニンの生成が少ない、例えば秋に日照が少なくアントシアニンの材料になるデンプンが少ない場合は赤く色付かず茶色となってしまうのである。

紅葉そのものはいわば葉の老化である。秋が深まると日照時間が短くなり、さらに気温が低くなると根からの水分供給が減る。落葉樹の葉は大きいため、水分の蒸発量が多く、葉をつけたままでは木全体が水不足で死んでしまうため、葉を落とす。さらに副次的要素として落葉が木の根元にたまり、さらに微生物などに分解されることにより、木の養分になるリサイクルが成り立っている。

動くことのできない植物がその生を維持するため、また、葉などに溜まった不要な老廃物を捨てることにより、よい状態を維持するために紅葉があるのである。いや、調べてみると自然の偉大さを知ることも多い。

おいでませ山口館

2015-11-13 05:00:37 | 日記

アンテナショップ巡り その19。今回は『おいでませ山口館』にお邪魔した。

日本橋プラザビル1階にあり、反対側には山梨県のアンテナショップ富士山館がある。外側には『おいでませ』と書かれ、外から入ると観光案内コーナーがある。すぐ横には民芸品、もう来年の干支サルの置物が飾られていた。

その先には萩焼がショーウィンドウに並ぶ。もちろん、通常の茶碗やぐい飲みなどもあるが、萩焼のワイングラスには驚いた。

やはり3方を海に囲まれた山口県だけあって海産物が豊富、特にフグはキャラクターになるくらいでフグ茶漬けやフグ唐揚げ、さらにはふぐ刺しの冷凍品まで揃っている。


その隣には生きていたイカを瞬間冷凍したものが並び、よくみると姿造りがどこでも食べられると書かれている。1杯2500円は高いが、きょうみがある。

他にもウルメイワシやフグの加工品、薩摩揚げのようなものまで山口県出身者には垂涎のラインナップであろう。


酒どころだけに流石に今日は獺祭の入荷ははなかったが、雁木や五橋など銘酒も並び、山猿という来年の正月向けの猿ラベルの清酒も並んでいた。



おいでませ山口館
中央区日本橋2ー3ー4
0332311863

トレーダーヴィックス~赤坂グルメ

2015-11-12 05:00:23 | グルメ

ホテルニューオオタニ4階にあるトレーダーヴィックスには通い始めて30年以上になる。というのは新婚旅行で訪れたカナダ・バンクーバーのホテルにこの店があった関係から毎年結婚記念日には訪れているからである。東京の店も41周年とかで月日の流れを感じる。

今回はいつものレストランの隣にあるバーコーナーに席をお願いした。外は向かい側のタワーの宴会場が見える程度で眺めは大したことはない。

この店の売りは珍しいトロピカルなカクテル、南の島の楽しそうなメニューが迎えてくれる。

小生はイースタンサワーというバーボンベースのカクテルをお願いする。大きめのグラスにクラッシュアイス、バーボンとジュース、マラスキーノチェリーとパイナップルが飾られている爽やかなカクテル。


乾杯の後、COSMO TIDBIT(コスモティドビッツ)を注文、スペアリブ・チャーシュー・クラブラングーン・エビフライが乗っている。

最初に蝶の皿、バーベキューソースと辛子が乗せらている。これをつけながら食べるが、いずれも美味い。とくに手掴みで食べるスペアリブはこのレストランの中にある窯で焼いたもので香りもよく、ボリュームもある。

簡単に1杯目を飲んでお代わりはメネフネジュース。メネフネジュースて言ってもライトラムと蜂蜜入りのカクテル、かわいい現地の人のお人形付、今回は女性バージョンでした。因みにこの人形に服を着せて来るお客さんも多く、いくつも飾られてていた。(冒頭の写真がメネフネおばさん?)


食事はSTIR FRIED CHICKEN IN LETTUCE CUP(鶏とピーナッツなどの炒めものをレタスに包みにする)は少し辛口、レタスとソースがマイルドにしてくれる。

BEEF CHO CHO(牛肉の薄切りを甘いソースをかけて炙ったもの)、CRAB CAKE(カニコロッケを揚げずに焼いた風)などを取るが、いずれも流石に美味い。味だけでなく、チョーチョーは炙ってたべたり、レタスで巻いたり遊び心もあり、南国のリゾート気分。


さらにスパークリングワインとジンのカクテル(コロネルビックオブ)を飲むがこれは強い。フライライス(焼き飯)もチャーシューやエビがゴロゴロ入る豪華版、いつも楽しくさせてくれる店である。


南国気分を楽しんで、美味い料理と洒落たカクテルに少し酔って、たまの贅沢、次来れるのは来年の11月かな?


トレーダーヴィックス
ホテルニューオオタニガーデンタワー4階
0332654707

国土緑化運動 切手

2015-11-11 05:00:28 | 日記

切手シリーズ その49。このシリーズも7月以来だからかなり久しぶりである。今回は最初にクイズから入りたい。

毎年定期的に発行されているシリーズの中で『切手趣味週間』『国民体育大会』『国土緑化運動』『国際文通週間』を歴史の古いものからならべよ、という問題。
一番古いのは『第2回国民体育大会』(1947.10.25)『切手趣味週間』(1947.11.1)、次に『全国緑化運動(当時)』(1948.4.1)、そして少し離れて『国際文通週間』(1958.10.5)当時最初の3シリーズはほぼ同時に始まっている。

その中で今回は『国土緑化運動』に注目したい。最初に発行された1948年は戦争で失われた森林を戻そうと国土緑化運動が大々的に行われ、デザインは樹木が1本かかれている。
その直後に産業図案切手(通常切手)の1949年5月に発行された20円切手にも植林する風景が描かれている。翌年はデザインの樹木が2本になり、1949年4月1日に発行。

ところが、ここからかなり時間が空いて1965.5に『国土緑化運動』として記念切手が1枚発行された。しかし、『郵便番号普及』『交通安全運動』に押されて中々発行はなく、次は1971年4月にクロマツとモミジの図案である。

しかし、1972年からは毎年発行されており、1972年4月は『緑の森と雪ツバキ』(新潟県)、翌年は1973年4月に『フェニックス』(宮崎県)、1974年5月に南部赤松(岩手県)、1975年5月6樹木に川のデザイン、1976年4月は『杉林と筑波山に梅』(茨城県)で1992年のみはふるさと切手として発行されたが、翌年からは再び記念切手として2000年まで発行、現在もふるさと切手として発行されている。発行時期は全国植樹祭に合わせて5月に発行されている。

これらの切手は発行数も多く、1949年国土緑化のみカタログ値で2000円以上するが、それ以外は100円程度で手に入れることができる。

また、他に1959、1968、1969、1970年は記念ハガキが発行されており、その印面も面白しろい。

因みに今年はふるさと切手小型シートが発行され、植樹祭は石川県で行なわれた。