hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

摂社日枝神社

2017-07-21 05:00:20 | 日記

兜町にある証券取引所のすぐそばに日枝神社があることを知らない人も多い。日本橋川を渡り、証券取引所の前を通りすぎた向かい側のビルとビルの間に日枝神社日本橋摂社がある。気をつけないと通りすぎてしまいそうな幅の参道である。

『摂社』とは本社と末社の間に位置するもので寛永年間に山王日枝神社のお旅所と定められ遥拝所が設けられたのがその由緒である。作られた当初は薬師堂や閻魔堂も建立され、大変賑わったようであったが、明治の神仏分離令により、薬師堂は境内から分離された。

日枝神社摂社の裏には智泉院というお寺があるが、ここの本尊は薬師観音像であった。しかし、廃仏棄釈の中、仏像は川崎市にある等学院に移され、現在も安置されている。


また、智泉院にある銅製の地蔵尊は関東大震災で被災した人を弔うために日本橋魚河岸が昭和2年に建立したものである。


また、日枝神社摂社に戻り、お詣りするが、この社も東京大空襲で罹災し、戦後立て直されたものである。表通りから歩いて行くと立派な鳥居があり、天を見上げる狛犬がお出迎え。

境内は意外に広く、高い木も何本も植えらている。夏の日差しが厳しい日中もこれを遮り、ひんやりまではいかないが、少し涼しさを感じることができる。三方から入ることができるこの神社には明徳稲荷大神も祀られている。

そしてこの周りにも立派なイチョウの木が配されていた。いつも前を通る神社も改めてお詣りすると色々な発見があるものだ。

日々草の病気

2017-07-20 05:00:26 | 日記

日々草の苗を買うために三鷹農協を訪問。日々草はポーチュラカと共に暑さには強い植物のため、毎年我が家の玄関のテラコッタ3つに植えている。今年は6月に植えたのだが、白の花を咲かせるものが全滅、紫も3株中1株がやられた一方でピンクは3株とも美しく花を咲かせている状態。

これではいかんと枯れた日々草を補充のため、再訪となった。しかし、なぜ、テラコッタによってこんなに差が出たのがが納得いかず、生産者に直接話を聞くことにした。私は肥料のだがあげすぎが枯れた原因かと思ったが、肥料はあまり関係ないとのこと。もちろん、直接根に触れるほど与えることはよくないが、これで枯れる訳はないらしい。

枯れた経緯だが、最初は普通に咲いていたのもつかの間、徐々に根元が細くなり、さらに花も小さくなって最後は枯れてしまうというもの。これを生産者に話すと、立ち枯れ病だと考えられるとのこと。
原因は土の中に住む病原菌、糸状菌で日々草やインパチェンス、ダリアなどに多い病気らしい。原因ははっきりはしないが、病原菌は多湿な状態を好み、水はけが悪いとかかってしまうらしい。
私が前のビオラを植えていた土に土壌改良剤を加えただけで日々草を植えたことも要因の1つらしい。生産者の人曰く、一旦土をシートなどの上に広げて太陽の光で消毒すればこの病原菌は退治できるとのこと。前の植物を抜いて、篩にかけ、根を除くだけではなく、乾かすことも必要。できれば一旦土を全て出し、テラコッタ自体もよく乾かす方がよいようだ。

それにしても夏の水やりは少ないと枯れるし、途中ににわか雨などあり、土が濡れているところにまた水をやると枯れてしまう。中々園芸は難しい。今回は同じ轍を踏まないように新しい培養土を購入してこれに植替えることにした。

目黒駅(1)

2017-07-19 05:00:45 | 日記

『メトロに乗って』その62。今回は都営三田線、東京メトロ南北線の目黒駅で降りて駅近くを歩いてみる。実はこの辺りは坂シリーズで歩いたことがあるのだが、東京有数の急坂である行人坂がある。

まず、目黒駅だが、1885年に日本鉄道の駅として開業(現在の山手線の元になった品川〜赤羽、当時は品川線)。鉄道マニアなら大体知っているトリビア『目黒駅は品川区、品川駅は港区』のように目黒駅の所在地は品川区上大崎である。これは地元住民が反対したためとの説もあるが、より直線で結ぶため、現在の線になったと推測されている。

実際の目黒区は権之助坂近くからがそのテリトリーとなっている。地下鉄は両線とも2000年9月であり、それまでの東急目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分かれ、目黒線に地下鉄が乗り入れるとともに、東急の目黒駅が地下化されたのである。

地下から上がると正面口と西口があるが、正面口から出ると3またに分かれ、まっすぐ行くと権之助坂に続き、左の道を行くと行人坂となる。

今回は行人坂を降りて行くが、すぐ左には有力芸能事務所のホリプロの立派なグレーの建物が見えてくる。


そのほぼ向かい側にあるのが大円寺である。このお寺は寛永年間に行者大海が創建したと伝えられている。1772年2月にこの寺が火元となり、明和の大火(行人坂火事)が発生し、その被害者を悼み、石仏群(520体)が作られたと言われている。


また、坂の途中には勢至菩薩の石像があるが、これには江戸時代中期に目黒川架橋の銘文が刻まれている。


僧の西運が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、その途中で人々に報謝を得てこれを元に目黒川に太鼓橋を架けたとある。

さらに坂は急になり、坂の下には雅叙園が立派なホテルとなっている。


元は1931年に細川力蔵が創設した目黒雅叙園という結婚式場が始まりで、日本最初の総合結婚式場ということになる。中華料理の円形ターンテーブルもここで考えられたものらしい。しかし、力蔵の死後、運営会社が破綻、現在はワタナベウエディングの傘下にある。敷地内にはアルコタワーというオフィスビルもあり、以前とは様変わりである。

(以下、次回)

越後そば〜東京駅ランチグルメ

2017-07-18 05:00:56 | グルメ

営業という仕事柄、駅の蕎麦、つまり駅そばにお世話になることが多い。品川駅ホームや神田駅ホーム下、秋葉原駅コンコースなどは有名だが、意外ないのが東京駅の『駅そば』。しかし、これを丸の内口と八重洲口を結ぶ自由通路の八重洲口側の出口(地下一階)で発見、早速お邪魔した。

店の名前は『越後そば』、クレアグループの一店で他にも浅草橋駅や亀有駅などにも展開している。しかし、方式がやや変わっていて、自販機で食券を買い、すぐ横の外に面したカウンターで出し、蕎麦を受け取り入店するもの。店の中が狭いため、この方式を採用しているようだ。

店に入ると窓側には8席程度のカウンター席、あとは立ち食いだが、これも狭い。まだ、11時半だったため、席が1つ空いていてそこで蕎麦を啜る。かき揚げ蕎麦(460円)はこの辺りでは安い部類で天ぷらも出方を見ながら揚げたてを出してくれる。

かき揚げは大きく、玉ねぎ、にんじん、ネギなどのカラッと揚がったもの。最初はパリッというくらいで蕎麦出汁も心なしか色も薄く、出汁はそれなりに効いていて、嬉しいのはあまり辛くない。蕎麦は越後蕎麦と名乗るだけありふのりをつなぎにしていることから喉越しがよく、つるっと入る。

難をいうならかき揚げが出汁を吸うのでもう少し出汁が多いと嬉しいが、あとは個人的には満点に近い。東京駅で安く、早く、そこそこ美味い飯にありつけるこの店がオススメである。ごちそうさまでした。(なお、他にも大丸の向かいあたりに京風の蕎麦や鳥そばを食わせる店はあるが、こちらは大体メニューが1000円の東京駅価格である。)

越後そば東京店
千代田区丸の内1ー9ー1
0332110035

夏野菜が育つ農園

2017-07-17 05:00:49 | 日記

三鷹農業公園には農園があり、今は夏野菜のナス、キュウリ、トマトが実をつけたり、花が咲いたりしている。今住んでいる近所の畑も徐々にアパートや老健施設に建て代わり、これらの野菜を見ることも少なくなった。もちろん、プランターでナスやミニトマトを作っているうちはあるが、農園のそれとは規模が違う。

まずはナス。ナスの背の高さが80cmほどもあり、ナスの実をたくさんつけている。花は紫色で花芯は黄色と中々コントラストが取れ、美しい。

『茄子の花と親の意見は万に一つも無駄がない』と言われるほど無駄な花は少ない。

トマトも同じナス科だが、実のなり方は随分違う。ツル性の植物ではないが、弱くひょろっとしているため、添え木が必須である。花は黄色いが地味に小さな花で目立たない。


最後にキュウリだが、こちらはウリ科のツル性の植物で添え木に巻きついて育つ。しかし、農園のものは茎が太く、がっしりとしている。

花はやはり黄色いが、トマトに比べ大きく、花の付け根の子房の部分は小さいキュウリのようで可愛らしい。

いずれも夏の日差しを受けてどんどん育っているようで収穫を逃したのか、大きなキュウリがぶら下がっていた。

キアゲハの幼虫

2017-07-16 05:00:26 | 日記

キアゲハやアゲハチョウなどアゲハの仲間がが我が家の周辺には結構飛んでくる。この時期、彼らは卵を産む場所を探すことが多い。しかし、彼らは種類によって幼虫の餌となる植物は異なる。

まず、クロアゲハは山椒が大好物でほかにはカラタチやミカンなどミカン科の葉のようである。アゲハチョウもほぼクロアゲハと同じである。しかし、キアゲハはセリ科の植物、セリ、パセリ、イタリアンパセリ、ニンジンなどである。


我が家ではスイートバジル、パセリ、イタリアンパセリ、山椒を育てているが、かなりが彼らの好みと合致しているようで我が家の2階のプランター内の花が咲いて放置してあったイタリアンパセリにキアゲハの幼虫を発見したのが先々週金曜日。その時は大小3匹を発見した。


しかし、彼らの食欲は大変なもので2株のイタリアンパセリの葉や花、種などを食い散らかし、気がつくと丸坊主。先週金曜日にはまだ2匹いたが、茎だけのイタリアンパセリではどんなに迷走服のような色の幼虫でも目立つ。

たぶん、鳥に食べられだのだろう、今朝には1匹になってしまった。僕ももう食べる葉もなく、体を隠すこともできないこの幼虫が僕も可哀想になり、妻の反対を押し切って130円のイタリアンパセリの苗を新しく購入、早速幼虫を移してやった。

すると早速葉を食べ出す。また、葉を食べつくすとまた身も守れなくなるため、いよいよ危ないが、その前に蛹になれるかが勝負であろう。以前にクロアゲハの幼虫に我が家の山椒の葉を全て提供したのだが、葉を食い尽くし、身をカモフラージュできなくなった翌日には忽然と姿を消したこともあったからである。僕ができるのはここまで、後は彼の幸運を祈りたい。

アサガオの切手

2017-07-15 05:00:50 | 日記

『切手シリーズ』その67。通勤路にもアサガオがちょくちょく見れるように、そういえば入谷の朝顔市も。そんなことでアサガオの切手を探して見た。最初のアサガオの切手も花シリーズの8番目、1961年8月発行の10円切手である。

因みに7月はヤマユリであった。

次のアサガオの切手が出たのは1999年7月東京のふるさと切手『隅田川の花火』と共に発行された80円切手である。

2000年4月『第100回日本外科学会総会記念』として日本の麻酔学の先駆者華岡青洲とチョウセンアサガオが描かれた切手が発行された。チョウセンアサガオからは漢方の麻酔薬が作られたからである。

2002年6月にも東京のふるさと切手としてほうづき市と共に朝顔市の80円切手が発行されている。

さらに2003年10月には石川県のふるさと切手として『俳句の街、松任、加賀千代女生誕300年記念』の80円切手連刷が発行されている。これにはあの名句『朝顔に釣瓶取られてもらい水』が背景に描かれている。

また、2006年4月の切手趣味週間には円山応挙の『朝顔狗子図杉戸』が80円切手連刷で発行されていて、左側には朝顔、右側には可愛い犬の子が戯れるところが描かれている。

しかし、花の切手が多いわりには花だけに注目されてのアサガオ切手の発行はない。(例えば、1990年4月発行の47都道府県の花にも桜はソメイヨシノ、しだれ桜など5府県、ツツジが4県、ウメが3府県、チューリップ・リンドウが2県とあるのにアサガオはない。)これはやはり、咲いている時間が、短いからなのであろうか。

けいすけ住吉店〜住吉ランチグルメ

2017-07-14 05:00:29 | 日記

急に夏のような暑さにはなったが、暑い時には熱いものをと今日のランチはラーメンにしてみた。店は『肉そばけいすけ 住吉店』、東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄新宿線住吉駅から猿江方面に降りて5分程度歩くと店に到着。

店は神保町本店とは違いこじんまり、カウンターと座敷に10人ほど座れる。入口には券売機、少しわかりにくいが、とりあえず肉そば(780円)のボタンを押すとあとは簡単。

先客は2名、12時過ぎの入店だからやや寂しいかな。ラーメンは5分程度で到着、カウンター越しに渡されるのではなく、ちゃんと置いてくれるのは嬉しい。器はそれほど大きくはないが、上に乗せたチャーシュー7枚は迫力。ほかにカイワレ、ナルトに乗せたおろしショウガ、玉ねぎのみじん切り、メンマが乗っている。

まずはスープ、真っ黒いが飲むとそれほど味が濃いわけではなく、動物系のコクのあるタイプで飲みやすい。ショウガを溶かすとマイルドになる。麺は中太、結構硬く、かみごたえがある。たくさん乗っているチャーシューは脂が少なく、あまり厚くないため、食べやすい。

この辺りからお客さんもぞくぞく入店するが、肉そばか背脂肉そばばかり、また、女性が一人もおらず、20〜40代の働き盛りの人ばかり。あまり、話し声もせず、みんな黙々とラーメンをすする。味はスープがなかなかうまく、ボリュームも満点。ただ、店を出てから汗がどっと吹き出たのは予想どおりであった。

肉そばけいすけ住吉店
江東区住吉2ー25ー1
0338461040

渋谷駅周辺の坂(2)

2017-07-13 05:00:50 | 日記

『東京の坂・江戸の坂』その84。渋谷周辺の坂の続き。スペイン坂を登り、パルコの跡の敷地に沿うような歩くと東急ハンズの脇に出てくるが、その前にあるのが『オルガン坂』である。


その由来は音楽関係の店が集まっていたためとも、ハンズの前の階段がオルガンの鍵盤のように見えるからとも言われている。

続いてオルガン坂を登りきり、山手教会の方に曲がる。この道も坂道だが、名前はない。


坂を降りきり、ガードを越えて右に曲がると渋谷名物『のんべい横丁』。新しくなるばかりが目立つ渋谷のなかで昭和の雰囲気を色濃く残す店が軒を連ねている。まだ、日が高いので店は掃除する人がいる程度、なんとなく懐かしい家並みである。

表通りまで出て左に曲がり、交差点の先が『宮益坂』である。この坂はかつては富士見坂と呼ばれていたが、坂の途中に御嶽権現にあやかり、江戸時代中期に渋谷宮益町としたのでこの名前を取り、現在の名前となった。


坂の中腹、左側にはその御嶽神社が今もあり、階段を上ると立派な社殿がある。

宮益坂を登りきると国道246号線にぶつかるが、向かって右手に降りて行く坂道(国道246号線)が金王坂である。名前は金王神社によるものだが、歩道橋に名前が付いているため見たこともある方が多いのではないか。


渋谷はその通り、谷となっており、各方面に坂道が多いが、その名前は江戸時代からのものもあればまだ20年たらずの物もある。さらにかなりの人の往来があるのになもなき坂道も多い。さすが多様性の街だけあると感心した。

渋谷駅周辺の坂(1)

2017-07-12 05:00:17 | 日記

『東京の坂・江戸の坂』その83。今回は渋谷周辺の坂を巡る。渋谷駅周辺は周りから見て高度が低く、谷のようになっており、坂の多い地区である。

まずはその代表格である道玄坂を目指す。道玄坂は渋谷駅ハチ公口を出て、109に向かう。この辺りが坂の下にあたり、そのまま真っ直ぐに行くと旧大山街道となるが、この坂を指す。道玄坂の由来は道玄庵という庵があったことに由来する。(和田義盛の末裔大和田太郎道玄がこの坂に出没して山賊野党の如く振る舞ったという伝説ではないようである。)

大山街道は流行った大山詣で賑わったものだが、現在の松見坂あたりまでを当時は道玄坂と呼んでいた。江戸中期からは現在の坂を指すようになったようだ。


道玄坂には両側に街路樹が植えられ、雰囲気がある。坂の途中から右に百軒店(ひゃっけんだな)入口があり、昔から繁華街であった。


坂の途中には道玄坂の碑として与謝野晶子の歌碑や樋口清之の『渋谷道玄坂』など3つが並んでいる。

一旦、109まで戻り、センター街を横切り、その先の井の頭通りから公園通りに向かうLoftの前の坂道が間坂(まさか)である。


これは1989年に一般公募により付けられた名前で『ビルとビルの間』『渋谷駅と公園通りの間』『まさかという語呂のよさ』などがその理由らしい。ただ、近くの桜丘に字が同じで『あいださか』という坂があるからややこしい。因みにLoftの1階には間坂スタジオがある。


少し戻り、井の頭通りを行くと右にスペイン通りとなるが、この坂が『スペイン坂』である。この坂の名前も1975年と新しく、地元の喫茶店店主内田裕夫氏がスペインにあこがれて付けたもの。

その後、周辺の店もこれに合わせたため、スペイン通りと呼ばれている。

坂は途中で階段となり、2016年8月までは坂の上にあったパルコpart1の中にFM東京のスペイン坂スタジオがあったが、パルコpart1の建て替えに伴い閉鎖されてしまった。(以下、次回)