昨日は登山口がダム湖の端っこで電波が入らずブログアップ出来なくてすみませんでした
今日は今回の山旅で最長時間歩き、最高の標高差の「大笠山」に登ってきました
ガイドブック「日本三百名山」の(下)他に拠ると大笠山は標高差1300㍍。コースタイム9時間
これだけ続けて登っていても僕らは軟弱なので、かなりの気合を入れないと行けない山でした。
また「登頂済山写真」にアップしますけど・・・急坂で遠かったです
話しが変わりますが・・書けば限がないので「海外に移住した人」の話、今回は今日が最後にします。(また時々書きますけど。短期滞在の方についても)
二昔前までは殆どの人が尻上がりの人生を歩めたけれど、それでもちょっとした事から茨の人生になってしまう人もいました。
現在の日本では、順調な人生を歩める人は少なく、今後を考えると尻上がりの人は極めて稀になるように思えます
どんな国も、どんな社会も、どんな企業も、どんな家庭も未来永劫に栄えた事が無いのは過去を振り返れば解る事で、それは節度を忘れる人間の性がそうさせる仕方の無い事なのかも知れません
今日は二昔前に極めて順調に歩んできた一人の人が、バブル崩壊後の経済危機で地獄のような道に堕ちながらも、今は愉しい人生を送っている人の話をしましょう
ホロホロ3世で海外をクルージングしていた時の話しで国はフィリピンですが、それ以上はその人の事を思うので書けません。
ヨットは何処にでも自由に行く事が出来るので、外国人を見たことが無いような僻地の入り江にイカリを入れて数日過ごす事は珍しくありません
そんな所にイカリを入れて、テンダー(上陸用小船)で上陸しても、店も無く僅かな村人しか居ないとか、全く人が居ない事も多々あります
その場所は5~6軒の家が、それも離れてあるだけの村だったんですが、数日居る間に村人が「日本人が住んでいる」と言うんです
こんな田舎の辺鄙な所に日本人が住んでいるなんて思いもしませんでしたが・・・二人で訪ねてみました
初めての家を訪ねる場合、夫婦で行くのが一番安心されます
それでも、その家では我々が日本人と解ると、召使いのおじさんと、その人が言う「お手伝いさん」(僕らはそうでないと思ったけど)が警戒して、なかなか日本人に取り次いでくれませんでした
しかし、多分陰から様子を伺っていたその人が「夫婦」なので安心したんだと思うんですが、出てきてくれました
そして話しが出来たんですが・・・・
その人は昭和45年頃に独立して、バブルの頃には20人程社員を抱える鉄工所を経営していたそうです。
事業は順調で、一時は二億円ほどの預金も出来、一生安泰と安心して家族も仲良く暮らしていたそうなんですが・・・バブル崩壊で仕事が激減
もっと儲けようと新社屋を考えて買っていた土地の支払いが難しくなり始めます。
「いつまでもこんな不景気は続くはずが無い」と思い込んでしまったのが間違いで、預金も使い、何もかも抵当に入れて借金をして凌ごうとしたそうですが・・・
遂に資金が回らなくなって「高利」のお金を借りてしまったそうです
そうなると社員も家族間もうまく行きません。 奥さんは子供夫婦と家出。
それが解ると銀行は少しでも貸付金を引き揚げようとします。
結局倒産になって、無一文、宿無し
銀行は全て競売して解決しましたが、高利で借りたお金の返済は許してくれません
鉄工所の技術があるので日本中の鉄工所で働かさせて貰いながら五年ほど取り立てから逃げ回ったそうです
しかし、数ヶ月すると探し当てて、給料の差し押さえをされる事になり、遂に日本を諦めて全く英語も話せないにも関わらずフィリピンに逃げてきたそうです。
それで日本人を警戒していた理由も解ったんですが、幸いだった事はその時60歳になっていたことです
短い間しか年金を掛けてなかったそうですが13万円が入ります
これをフィリピンで引き出せば充分暮らせます。
僕が始めて訪ねた時は10年もが経過していましたが綺麗なコンクリートの家と召使い用の小屋、家の中もフィリピンでは滅多に見えない位の調度品を揃えて暮らしていました(言葉は日本語で通していましたが、解るんですね)
そして、「ここは天国、日本に居る日本の年寄りは可哀想」と言っていました。(誰にもここに居ると言わないようにとも念を押されましたが)
なぜなら、風邪を引いたりすると、召使いの家族からお手伝いさんと言う女性が必死に看病してくれるそうです
それだけでなく「何時までも元気でここに住んで欲しい」ので愉しい事や催しがあれば、連れて行ってくれるし、風呂に入っても背中を流してくれるし・・・との事です
理由は簡単なことで、この人の年金が入って来る限り、自分達は安心して生活が出来ます。
もし死んでしまうと、入って来るお金が無くなり、生活する事も難しくなるのがフィリピンなんです
それから4~5年して再度伺った時は召使いに運転してもらって、前より良いジープで買い物に出かける所だったんですが、歳はとっていましたが以前より元気な声になって愉しそうでした
色々な人生があって、色々な人がいますね。
今はどうしてるかな~・・・
明日は「男にとっての理想の死に場所、死に方」について書いてみたいと思います
多分全国的に夏日と思うので、今日登った大笠山で写した涼しい写真をアップします。
雪渓の上の僕です。横になると瞬く間に冷えました
写真をクリックすると大きく見えます
今日は今回の山旅で最長時間歩き、最高の標高差の「大笠山」に登ってきました
ガイドブック「日本三百名山」の(下)他に拠ると大笠山は標高差1300㍍。コースタイム9時間
これだけ続けて登っていても僕らは軟弱なので、かなりの気合を入れないと行けない山でした。
また「登頂済山写真」にアップしますけど・・・急坂で遠かったです
話しが変わりますが・・書けば限がないので「海外に移住した人」の話、今回は今日が最後にします。(また時々書きますけど。短期滞在の方についても)
二昔前までは殆どの人が尻上がりの人生を歩めたけれど、それでもちょっとした事から茨の人生になってしまう人もいました。
現在の日本では、順調な人生を歩める人は少なく、今後を考えると尻上がりの人は極めて稀になるように思えます
どんな国も、どんな社会も、どんな企業も、どんな家庭も未来永劫に栄えた事が無いのは過去を振り返れば解る事で、それは節度を忘れる人間の性がそうさせる仕方の無い事なのかも知れません
今日は二昔前に極めて順調に歩んできた一人の人が、バブル崩壊後の経済危機で地獄のような道に堕ちながらも、今は愉しい人生を送っている人の話をしましょう
ホロホロ3世で海外をクルージングしていた時の話しで国はフィリピンですが、それ以上はその人の事を思うので書けません。
ヨットは何処にでも自由に行く事が出来るので、外国人を見たことが無いような僻地の入り江にイカリを入れて数日過ごす事は珍しくありません
そんな所にイカリを入れて、テンダー(上陸用小船)で上陸しても、店も無く僅かな村人しか居ないとか、全く人が居ない事も多々あります
その場所は5~6軒の家が、それも離れてあるだけの村だったんですが、数日居る間に村人が「日本人が住んでいる」と言うんです
こんな田舎の辺鄙な所に日本人が住んでいるなんて思いもしませんでしたが・・・二人で訪ねてみました
初めての家を訪ねる場合、夫婦で行くのが一番安心されます
それでも、その家では我々が日本人と解ると、召使いのおじさんと、その人が言う「お手伝いさん」(僕らはそうでないと思ったけど)が警戒して、なかなか日本人に取り次いでくれませんでした
しかし、多分陰から様子を伺っていたその人が「夫婦」なので安心したんだと思うんですが、出てきてくれました
そして話しが出来たんですが・・・・
その人は昭和45年頃に独立して、バブルの頃には20人程社員を抱える鉄工所を経営していたそうです。
事業は順調で、一時は二億円ほどの預金も出来、一生安泰と安心して家族も仲良く暮らしていたそうなんですが・・・バブル崩壊で仕事が激減
もっと儲けようと新社屋を考えて買っていた土地の支払いが難しくなり始めます。
「いつまでもこんな不景気は続くはずが無い」と思い込んでしまったのが間違いで、預金も使い、何もかも抵当に入れて借金をして凌ごうとしたそうですが・・・
遂に資金が回らなくなって「高利」のお金を借りてしまったそうです
そうなると社員も家族間もうまく行きません。 奥さんは子供夫婦と家出。
それが解ると銀行は少しでも貸付金を引き揚げようとします。
結局倒産になって、無一文、宿無し
銀行は全て競売して解決しましたが、高利で借りたお金の返済は許してくれません
鉄工所の技術があるので日本中の鉄工所で働かさせて貰いながら五年ほど取り立てから逃げ回ったそうです
しかし、数ヶ月すると探し当てて、給料の差し押さえをされる事になり、遂に日本を諦めて全く英語も話せないにも関わらずフィリピンに逃げてきたそうです。
それで日本人を警戒していた理由も解ったんですが、幸いだった事はその時60歳になっていたことです
短い間しか年金を掛けてなかったそうですが13万円が入ります
これをフィリピンで引き出せば充分暮らせます。
僕が始めて訪ねた時は10年もが経過していましたが綺麗なコンクリートの家と召使い用の小屋、家の中もフィリピンでは滅多に見えない位の調度品を揃えて暮らしていました(言葉は日本語で通していましたが、解るんですね)
そして、「ここは天国、日本に居る日本の年寄りは可哀想」と言っていました。(誰にもここに居ると言わないようにとも念を押されましたが)
なぜなら、風邪を引いたりすると、召使いの家族からお手伝いさんと言う女性が必死に看病してくれるそうです
それだけでなく「何時までも元気でここに住んで欲しい」ので愉しい事や催しがあれば、連れて行ってくれるし、風呂に入っても背中を流してくれるし・・・との事です
理由は簡単なことで、この人の年金が入って来る限り、自分達は安心して生活が出来ます。
もし死んでしまうと、入って来るお金が無くなり、生活する事も難しくなるのがフィリピンなんです
それから4~5年して再度伺った時は召使いに運転してもらって、前より良いジープで買い物に出かける所だったんですが、歳はとっていましたが以前より元気な声になって愉しそうでした
色々な人生があって、色々な人がいますね。
今はどうしてるかな~・・・
明日は「男にとっての理想の死に場所、死に方」について書いてみたいと思います
多分全国的に夏日と思うので、今日登った大笠山で写した涼しい写真をアップします。
雪渓の上の僕です。横になると瞬く間に冷えました
写真をクリックすると大きく見えます