現在の信濃、戸隠高原は濃い霧に包まれて、木立の間にも漂っています
そこにたった一台だけで停まって居るバスのすぐ近くは「鬼女紅葉」の紅葉伝説からヒントを得て書かれた「戸隠伝説殺人事件」(内田康夫著)の最初の殺人舞台です
旅をしている時に、行った場所で、そこが舞台になっている本を読むのが好きな僕は、一ヶ月以上前に買ったこの本を、今回戸隠に来るまで楽しみに残して置いたんです
ヨットで世界を巡っている時も出来るだけ、そうしてきたんですが皆さんも機会があれば試して見てください。
本の面白さが何倍にもなりますよ
さて今日は4時半に起きました
しかし・・・雨が降っていました
八時までに止んでくれたらと待っていたんですが、昼過ぎまで降り続き、本は読めましたが山には登れませんでした。
明日は全国的に晴れそうな予報なので黒姫山に行ってきます
話はタイトルになりますが、移住者の話に皆さんも飽きてきたと思うし、僕も少し疲れたので今回と次回で終わりにしますので、もう少しご辛抱ください
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などの他にも数え切れない程の新興宗教がこの世には存在します
またこれらメジャーな宗教の中でも枝分かれしていますが、それら全てが信者に「信じるものは幸せになれる」と謳いつつ、事ある毎に何らかの形でお金やそれに順ずるものを信者から集めて成り立っています。
そして哀しい事にそれらの宗教で生活している人達の多くが「お金しか信じていない」現実があります
しかし実際に信者の殆どは信じる事で「救われている」のも事実で、「信じる事が出来ない人」は間違った道を進む事が多く、長い目で見れば幸せになれない場合が多いのも事実です
さて今日のタイトルに入ります。
ここでは男性又は女性が一人で海外に移住した場合の事を書いています。
選んだ相手は殆どの場合宗教を持っています
お金しか信ずるものが無いような現代の日本人には理解し難い事ですが、宗教は人の根底をなすものですから、それを変える事は非常に難しいものです。
その多様な宗教の中に「食制限」をしているものが多くあります
ユダヤ教ではウサギ、ブタ。イスラム教もブタ。ヒンズー教は牛。キリスト教の一部宗派ではブタ。日本の仏教では明治まで野生動物以外の動物、牛、馬、犬、猿、ニワトリは食べることを禁じていました(他にもあるかもしれないが知らない)
しかし今の日本人は宗教を持っていませんからお坊さんでも平気で生肉を食うし、多くの政治家に至っては二枚の舌を上手に使って毒から皿まで平気で食べます
ところが外国に行って見ると解りますが、驚くほどの人達が「その掟を守っています」
フィリピンはキリスト教の国で、(沢山住んでいる中国人は大乗仏教徒(日本は小乗仏教)で食べれるものは何でも食べ、人の胎児まで精力剤としてスープにして食べていたそうですが)キリスト教の中の幾つかの宗派が存在して、教会も同じ地域に分かれてあったりします。
その内の一つか二つ(何派か忘れた)は豚肉を食べることを禁じています(インドネシアでは殆どの島がイスラムなので食べません)
その様な相手を選んでしまい、一緒にずっと暮らす事になると
ブタが食べられなければ牛を食べれば良い訳ですが、フィリピンの牛肉は殆どが年老いた水牛か農耕牛で肉が非常に硬いです
ところがブタは「鹿児島の黒ブタ」のようなのから、いろいろですが柔らかくて日本と殆ど変わりません
市場などでぶつ切りで買うんですが、見れば美味しそうに見えるのは豚肉なので牛肉より、豚肉が食べたくなります
ところが宗教を守っている人は禁止されている肉を調理した鍋釜も食器も以後は絶対に使えないので、ブタ肉を買って来て自分で料理すれば済む問題でありません
そうなると、一緒に居る限り豚肉、ハム、ベーコン等が食べられない事になってそれが耐えられずに逃げ出した人も居ました
また「信者」だから少しでも多く教会に寄付をしたがります
そのお金を度々催促されるのがイヤで逃げ出した人もいます
この様に固く信じている人は徐々に減って、日本人的な「お金が神」の人も多くなっているのも事実ですが、その様な事が現実に起きている事も覚えておくといいでしょう。
でも豚肉が食えないとなれば、辛いでしょうね。
そんな事で豚肉が好きな人は、相手が豚肉を食べられる宗教かどうかを前もって確かめておく必要があります(牛もですが)
最後にキリスト教の教えを非常に都合よく解釈しているフィリピン人や太平洋の島々など南方系の人々は悪い事をしても「懺悔すれば許される」と思っています
人の物を盗んでも教会へ行って懺悔したらそれで全ての罪は消えたと思い、すがすがしい顔で出てきて、又盗みをしてその後教会で懺悔すると言った事を毎日繰り返している人が少なくありません
これは宗教に関係ないと思うんですが、人の物と自分のものの区別がはっきりしていません
良く言えば「おおらかな人達」で悪く思えば耐えられない人達が多いことも覚えておくべきでしょう
何より本人がおおらかになることでしょうね
そこにたった一台だけで停まって居るバスのすぐ近くは「鬼女紅葉」の紅葉伝説からヒントを得て書かれた「戸隠伝説殺人事件」(内田康夫著)の最初の殺人舞台です
旅をしている時に、行った場所で、そこが舞台になっている本を読むのが好きな僕は、一ヶ月以上前に買ったこの本を、今回戸隠に来るまで楽しみに残して置いたんです
ヨットで世界を巡っている時も出来るだけ、そうしてきたんですが皆さんも機会があれば試して見てください。
本の面白さが何倍にもなりますよ
さて今日は4時半に起きました
しかし・・・雨が降っていました
八時までに止んでくれたらと待っていたんですが、昼過ぎまで降り続き、本は読めましたが山には登れませんでした。
明日は全国的に晴れそうな予報なので黒姫山に行ってきます
話はタイトルになりますが、移住者の話に皆さんも飽きてきたと思うし、僕も少し疲れたので今回と次回で終わりにしますので、もう少しご辛抱ください
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などの他にも数え切れない程の新興宗教がこの世には存在します
またこれらメジャーな宗教の中でも枝分かれしていますが、それら全てが信者に「信じるものは幸せになれる」と謳いつつ、事ある毎に何らかの形でお金やそれに順ずるものを信者から集めて成り立っています。
そして哀しい事にそれらの宗教で生活している人達の多くが「お金しか信じていない」現実があります
しかし実際に信者の殆どは信じる事で「救われている」のも事実で、「信じる事が出来ない人」は間違った道を進む事が多く、長い目で見れば幸せになれない場合が多いのも事実です
さて今日のタイトルに入ります。
ここでは男性又は女性が一人で海外に移住した場合の事を書いています。
選んだ相手は殆どの場合宗教を持っています
お金しか信ずるものが無いような現代の日本人には理解し難い事ですが、宗教は人の根底をなすものですから、それを変える事は非常に難しいものです。
その多様な宗教の中に「食制限」をしているものが多くあります
ユダヤ教ではウサギ、ブタ。イスラム教もブタ。ヒンズー教は牛。キリスト教の一部宗派ではブタ。日本の仏教では明治まで野生動物以外の動物、牛、馬、犬、猿、ニワトリは食べることを禁じていました(他にもあるかもしれないが知らない)
しかし今の日本人は宗教を持っていませんからお坊さんでも平気で生肉を食うし、多くの政治家に至っては二枚の舌を上手に使って毒から皿まで平気で食べます
ところが外国に行って見ると解りますが、驚くほどの人達が「その掟を守っています」
フィリピンはキリスト教の国で、(沢山住んでいる中国人は大乗仏教徒(日本は小乗仏教)で食べれるものは何でも食べ、人の胎児まで精力剤としてスープにして食べていたそうですが)キリスト教の中の幾つかの宗派が存在して、教会も同じ地域に分かれてあったりします。
その内の一つか二つ(何派か忘れた)は豚肉を食べることを禁じています(インドネシアでは殆どの島がイスラムなので食べません)
その様な相手を選んでしまい、一緒にずっと暮らす事になると
ブタが食べられなければ牛を食べれば良い訳ですが、フィリピンの牛肉は殆どが年老いた水牛か農耕牛で肉が非常に硬いです
ところがブタは「鹿児島の黒ブタ」のようなのから、いろいろですが柔らかくて日本と殆ど変わりません
市場などでぶつ切りで買うんですが、見れば美味しそうに見えるのは豚肉なので牛肉より、豚肉が食べたくなります
ところが宗教を守っている人は禁止されている肉を調理した鍋釜も食器も以後は絶対に使えないので、ブタ肉を買って来て自分で料理すれば済む問題でありません
そうなると、一緒に居る限り豚肉、ハム、ベーコン等が食べられない事になってそれが耐えられずに逃げ出した人も居ました
また「信者」だから少しでも多く教会に寄付をしたがります
そのお金を度々催促されるのがイヤで逃げ出した人もいます
この様に固く信じている人は徐々に減って、日本人的な「お金が神」の人も多くなっているのも事実ですが、その様な事が現実に起きている事も覚えておくといいでしょう。
でも豚肉が食えないとなれば、辛いでしょうね。
そんな事で豚肉が好きな人は、相手が豚肉を食べられる宗教かどうかを前もって確かめておく必要があります(牛もですが)
最後にキリスト教の教えを非常に都合よく解釈しているフィリピン人や太平洋の島々など南方系の人々は悪い事をしても「懺悔すれば許される」と思っています
人の物を盗んでも教会へ行って懺悔したらそれで全ての罪は消えたと思い、すがすがしい顔で出てきて、又盗みをしてその後教会で懺悔すると言った事を毎日繰り返している人が少なくありません
これは宗教に関係ないと思うんですが、人の物と自分のものの区別がはっきりしていません
良く言えば「おおらかな人達」で悪く思えば耐えられない人達が多いことも覚えておくべきでしょう
何より本人がおおらかになることでしょうね