三月四日、橘港のホロホロに集った三人は、今日、ここ橘港で13回目の夜を最後に、今年の紀伊半島温泉巡りクルージングを終了する事になりました
後三ヶ月で79歳になる竹内氏は、毎日、毎食時前に湯割で焼酎を呑み、温泉は毎日二回入り、自由時間は数時間歩くし・・・「いつでもヤレル」と威張るほど元気なおじいさん
僕の後輩とは言え「健康優良児」だった竹田氏は、こまめに食事を作ったり、後始末をしてくれ、自由時間はマラソンの練習を欠かしませんでした
僕はと言えば・・・毎日一番沢山お酒を呑んで・・・余り運動もせず・・・でも半分以上自分が好きな食事を作り、クルージングも温泉もしっかり愉しみました
ただ、関東、東北で起きた大地震と津波、まさかと思っていた放射能漏れがあって・・・・
あの時以来、日本の殆どの人がそうだったように、そうなってはいけないと思いながらも、ナマリを飲みこんだような・・・重いものを背負いました
そして「事なかれ主義」なのか「主体性」が無いのか・・・
日本中で何もかもの予定されていた行事が「取り止め」になって、益々日本を暗くしています

確かに、この様な場合ですから「自粛」するのも一理あります。
しかし「そうして良くなるか」と言えば・・・そうは思えません。
むしろ「全体が暗くなり」被災者の人達を心配させる事になります。
こんな時だからこそ、負けずに行事を遂行するべきだと僕は思います
いつも書いていますが、極めて偏った僕の考えだから、間違っているかも知れませんが・・・
僕はそう思って、今日は最後の宴会を、昨日に続いて(四日から続いてますが)大いに呑もうとおでんを沢山作りました
しかし・・・夕方、風呂に行こうとすると雪が降り始めました
幾ら僕が酔狂でも、ヨットの上で雪見酒は出来ません。
風も強く、気温も低く・・・降った雪がデッキ(甲板)の上で凍ってツルツル滑ります
そんな中、みきちゃんとみかちゃんが「お帰り花束」や差し入れを持って来てくれました



78歳の竹内氏は・・・僕以上?に女好きなので・・・一気に燃え上がり・・ピッチが上がりましたが・・・歳に勝てず?ヨロヨロと一番にベッドへ
それからも僕は呑んで食べて喋って・・・
11時前まで続きました
寒い中で未だに救助を待つ人達、避難所で残り少ない灯油で心細く過ごしている人達、放射能漏れに気を揉む人達がいることは遠く離れていても知っています
でも・・・何がどうだっても、人はその置かれた立場の中で、少しでも愉しく過ごす努力をするしかありません。
心配して暗い顔をしていて良くなる事なんて何もありません。
苦しい時こそ笑顔を作り、それが歪んだ顔になっていても、続けていたら本物の笑顔になれる時が来ます。
そう僕は信じています。
難しいと思いますが、被災地の方々、頑張ってそうして見てください。
今日の写真は、みきちゃんが準備してくれた「おかえり花束」を持つ、右から竹内氏、竹田氏と僕です
前の大鍋に山盛りのおでん。巻き寿司も差し入れです
写真をクリックすると大きく見えます

後三ヶ月で79歳になる竹内氏は、毎日、毎食時前に湯割で焼酎を呑み、温泉は毎日二回入り、自由時間は数時間歩くし・・・「いつでもヤレル」と威張るほど元気なおじいさん

僕の後輩とは言え「健康優良児」だった竹田氏は、こまめに食事を作ったり、後始末をしてくれ、自由時間はマラソンの練習を欠かしませんでした

僕はと言えば・・・毎日一番沢山お酒を呑んで・・・余り運動もせず・・・でも半分以上自分が好きな食事を作り、クルージングも温泉もしっかり愉しみました

ただ、関東、東北で起きた大地震と津波、まさかと思っていた放射能漏れがあって・・・・
あの時以来、日本の殆どの人がそうだったように、そうなってはいけないと思いながらも、ナマリを飲みこんだような・・・重いものを背負いました

そして「事なかれ主義」なのか「主体性」が無いのか・・・
日本中で何もかもの予定されていた行事が「取り止め」になって、益々日本を暗くしています


確かに、この様な場合ですから「自粛」するのも一理あります。
しかし「そうして良くなるか」と言えば・・・そうは思えません。
むしろ「全体が暗くなり」被災者の人達を心配させる事になります。
こんな時だからこそ、負けずに行事を遂行するべきだと僕は思います

いつも書いていますが、極めて偏った僕の考えだから、間違っているかも知れませんが・・・
僕はそう思って、今日は最後の宴会を、昨日に続いて(四日から続いてますが)大いに呑もうとおでんを沢山作りました

しかし・・・夕方、風呂に行こうとすると雪が降り始めました

幾ら僕が酔狂でも、ヨットの上で雪見酒は出来ません。
風も強く、気温も低く・・・降った雪がデッキ(甲板)の上で凍ってツルツル滑ります

そんな中、みきちゃんとみかちゃんが「お帰り花束」や差し入れを持って来てくれました




78歳の竹内氏は・・・僕以上?に女好きなので・・・一気に燃え上がり・・ピッチが上がりましたが・・・歳に勝てず?ヨロヨロと一番にベッドへ

それからも僕は呑んで食べて喋って・・・
11時前まで続きました

寒い中で未だに救助を待つ人達、避難所で残り少ない灯油で心細く過ごしている人達、放射能漏れに気を揉む人達がいることは遠く離れていても知っています

でも・・・何がどうだっても、人はその置かれた立場の中で、少しでも愉しく過ごす努力をするしかありません。
心配して暗い顔をしていて良くなる事なんて何もありません。
苦しい時こそ笑顔を作り、それが歪んだ顔になっていても、続けていたら本物の笑顔になれる時が来ます。
そう僕は信じています。
難しいと思いますが、被災地の方々、頑張ってそうして見てください。
今日の写真は、みきちゃんが準備してくれた「おかえり花束」を持つ、右から竹内氏、竹田氏と僕です

前の大鍋に山盛りのおでん。巻き寿司も差し入れです

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