outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

白鵬の連勝ストップ

2010年11月15日 19時34分14秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
やはり昨日の心配は当りました

昨日の相撲を見て、今場所は調子が良くない(余裕が無かった)と感じたのが、今日結果として現れてしまいました。

これはどんな人でも「好不調がある」と言う証明のようなものですが・・・

人生もまた、好調な時と不調な時があります

それを工夫して、好調な時も不調な時も愉しむようにするのが「知恵」だと思います

と・・書いたのは・・・実は今の僕は一般的に考えてかなり「不調」と言える状態なんです

それをいかに愉しく、楽しみながら乗り越えるかを模索中で、ブログでも解るとおり、今ひとつ元気が出てません。

心配くださった方々、ありがとうございます

でも・・もう少しまってください。

62年も愉しく生きてきた僕ですから「知恵」を絞って、益々元気に愉しくして、そのうちに一部始終を報告いたします

さてそんな僕は朝から野暮用で鳴門市、徳島市と走り回り、倉庫ハウスに戻ったのは夕方でした

少し降った雨が上がると同時に非常に冷たい風が吹き、気温も急降下。

体力が落ちたら気力も落ちると思っているので、汗をかく程度ですがキャッチボールなどして晩酌

東京出張帰りの八十氏が寄ってくれて、今度の日曜に山に行く約束。

明日もまた野暮用に追われます

でも早朝に散歩コースの「西方山」に登って気合を入れます

皆さんも、気分が落ち込んだら「とにかく汗を流す」事を試して見てください。

僕は

白鵬も落ち込んでいる人も頑張りましょうね
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白鵬初日白星スタート

2010年11月14日 18時34分16秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
横綱白鵬はモンゴル出身ですが、奥さんは徳島出身なので、徳島で「優勝パレード」を
したり、後援会の力の入れようも気合が入ってます

そんな事で僕も少し気合を入れてしまうんですが、今場所は双葉山の連勝記録を抜くかも?と期待されている場所です

相撲に限らず、なんのスポーツでも「力を入れて応援」すると「負けそうな不安」から、頼りなく見えたりします

そんな目で見ると・・今日の相撲も危なかったように思うんですが・・どうでしょう?

さて相撲の話は置いといて

昨日に続き今日も山に行きました

「なんでそんなに焦っているの」と思われるかも知れませんが・・・

60歳を過ぎた体は、油断すると体力低下が急激なんです

後15年、77歳までヨットに乗り、アルプスの縦走も出来、海外を半年程度続けて旅が出来る体力を維持するには、同時に気力も維持しなければなりません

先日、67歳のちょっと太りすぎ(僕と殆ど同じ)の人と話したんですが、太ると脚に負担が掛かります。

負担が掛かるから、ついつい座ってしまったり、歩く距離が短くなります

ジムで毎日運動してはいるそうですが・・・

坂道を百メートル登る事が出来ません

負荷を掛けない運動では体力が維持できない証明みたいな・・・

「やはり荷物を持って山に登るのが良い」と思ったので、確かに少し慌てていますが、毎週末の土日だけでも「体力、気力維持」の為に山に行こうと決めたんです

平日でも時間があれば行きます

これは「遊ぶ為に必要な体力、気力の維持」が目的で、長く年金を貰おうと思ってではありません。

年金の事を書いた翌日、山本氏が「一桁間違ってるだろう」と言ってきてくれる程、少ない額だから長く貰っても・・・それ程国の邪魔にはなりませんが・・・・

ヨットのことが非常に気になっています

舵輪部を分解したままだし、早く解決したい場所が沢山あるのに・・・

なんで?とこれも思われるかも知れませんが、僕にものっぴきならない野暮用があって・・・

明日も、明後日もヨットに行けそうにありません

今日は山から戻って、軽トラを丁寧に隅々まで掃除し、倉庫も工作場以外の所を掃除しました

そんな事する間があるのに??と思わないでください。

「のっぴきならない事情」はやがて書きますので・・・

今日の写真も別府でのものです。

マリンピアむさしのクレーンに吊られているホロホロです

ここのクレーンの能力は20トンで非常にしっかりしています

安心して吊り上げているのを見る事ができました。(最後にマニラヨットクラブで吊ったときは少し心配した

写真をクリックすると大きく見えます。
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水井橋登山口から太龍寺山

2010年11月13日 18時59分05秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
今日は石鎚山に行く予定だったんですが・・・昨日愚息が帰ってきたので中止、変更して
朝から四国八十八箇所寺、21番札所 太龍寺に三人で行ってきました

昔の太龍寺はロープウェイもドライブウェイも無く、今日僕らが登った遍路道を登るのが一般的で、四国八十八箇所を周る人達は、その前の20番札所の鶴林寺(今はドライブウェイがある)から来る事になります

ところが、この鶴林寺には「坊主転がし」と呼ばれるような険しい遍路道、勝浦川縁から登って、那賀川に下り、すぐにまた太龍寺に登るんですから・・・かなりの気合と体力が必要でした

徳島の三大難所と言われている鶴林寺と太龍寺が続いているんですから(もう一つは焼山寺)

そんな鶴林寺から太龍寺へと歩いている「歩き遍路」に今日は20人ほど会いました

今気候が良いから?? 流行? いつもより随分多いのでビックリでした

ロープウェイや車で来ている人は・・・今日は土曜日だからラッシュでした。

四国八十八箇所の殆どのお寺にドライブウェイが造られたのは・・・表向きには「参拝者の為」でしたが・・・徳島でも夜の街が賑わい、坊主も色と欲に溺れていた事を考えると・・・自分達が夜の街に楽に出たかったから・・・のようです

まあ坊主は極めて人間的ですから。

さて話しが逸れましたが、八月末に5ヶ月の山旅から戻った頃の僕は絶好調でした

最後に歩いた、薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳、水晶岳、野口五郎岳、烏帽子岳、引き返して野口五郎、から祖父岳、雲ノ平から太郎平そして折立に下山した頃は・・

コースタイム10時間を連日平気で続けていました

ところが・・・それから二ヶ月余り。

特に四国一周と別府の航海39日で・・・すっかり脚は衰えました

自分の所為なんですが・・・何故か歩けなかったんです。

その衰えを回復する為に、先週の高丸山に続いて太龍寺山に行ったんですが・・・

歩き慣れていない息子よりは、順調に歩けたけど、まだまだ駄目です

そんなんで明日も歩きに行きます

午後は宝田町の方の家から荷物を運んで整理・・・クタクタになるまで動いた一日でした。



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ヨットで海に出ると言うこと

2010年11月12日 18時36分49秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
昨日のブログを読んで、僕の事を「いい加減な人間」とか「軽はずみな人間」と感じた人が居るかも知れませんが、14年間海の上で生活して、唯の一度も怖いと思った事が無いと、同乗の美由紀が言うほど、大切な所では人が驚くほど慎重なんですよ

先ず何かが発生したら、「命の危険があるか?」を先ず問います。

次に「次の目的地に着けるか?」を問います。

この二つをクリアーしてたら、何も慌てる事は無いんですが・・・

しかし愉しくなければなりませんから・・・特に食べる事に繋がる事は三番目に重要でした

ヨットに限った事ではありませんし、陸上で生活していてもですが、一瞬先に何が起きるか解る人は唯の一人もいません

そんな先が見えない中で、どんな船であっても海に乗り出すと言う事は陸上の場合より、ある面では安全です(殆どの事件は人が起こすので海は人の密度が少ない)が、気軽に車で走っているように、横に停めて休む事は出来ません

例えばエンジンが止まったとします

陸上なら道路の横に寄せて、携帯電話か、通行中の車に頼むか、歩くか、公共交通機関を利用して修理のプロにお願いするのが一般的です

しかし海上を走っているヨットのエンジンが止まったら、セールで安全で適当な水深の場所に移動してイカリを入れてとりあえず落ち着きます。

この場合だと今の日本では殆どが携帯電話が通じますから、プロにお願いすることも可能です。

しかし・・・アンカーを入れる事が出来ない沖のほうの場合だと、携帯電話も繋がりません。

直後に風があるか無いかは「運次第」で日本の場合半々でしょう。

エンジンが止まると電気はすぐに無くなりますので・・・航海計器は使えません。

風が出ても、行く方向が解らない事態が起きてしまったんです。

そうなると・・・潮任せの漂流です

これはロビンソンクルーソーになれるチャンスですから、喜ぶべき状況ですが・・・

流れ着くまでの食料があって初めて、愉しく過ごせます

僕は漂流を心から願っている人なので・・・出港時に食料はどっさり積み込みます

世界一周中は常に一ヶ月以上の余分を積むようにしていました。

日本に戻ってから数日の航海でも10日分の食料は余分に積むように心掛けています

余って捨てるようになってしまう事はありますが、「海上移動」という特殊な状況で、もしも島影にアンカーを入れることが出来る場合でも、海で起きた事は自分の力で解決(応急処置ででも)して、数日掛かっても助けを呼ばず、次の目的地まで船を持って行くのが、シーマンだと思っているからです

そんなんで、人の船に載せて貰っても、緊急食料とお酒は非常に気になって、事前チェックを怠りません

皆さんも海に出る場合、助けが呼べる海はほんの少しの面積しかありませんから、日頃からその習慣をつけておくのは大切と思いますよ。

今日の写真は「伊予郡中港」で台風避難中に慰問に来てくれた中野氏と辻井氏とホロホロ乗り組みの奥原氏です。

中野氏の手作り餃子で鍋をして愉しく過ごしました

写真をクリックすると大きく見えます。

忘れていました

今日の僕は、近所の家庭菜園を丁寧に観察して「我が家が一番」と喜びながら、西方山に登った後、倉庫ハウスの工作場を片付けて、掃除機をかけると昼前。

美由紀と二人徳島へ出かけて昼飯を食い、野暮用を済ませて戻ったら夕方

久しぶりに愚息が帰ってきたけど・・・

我が家も色々大変です
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ヨットの部品作り

2010年11月11日 20時38分32秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
車だと、納車されたら殆ど何もしなくても、完全ですが、ヨットと言う乗り物は、世界一周中も常にそうでしたが、新艇が納入された時でさえ「不完全」な乗り物なんです

こんな乗り物は他に無いと思うんですが・・・新艇でも雨が降って室内に水が入っても、物入れに水が溜まっても、自分で直すのが当然であり、これがヨットの愉しみなのだと、歴史が長い欧米諸国では普通に言われています。

不完全な状態から自分で自分流に仕上げるのがヨットなんです。

しかし日本人は楽しみ方を知らない人達が結構居て、販売店やメーカーにに文句を言う人も時々居るそうだねと外人から笑われた事もあります。

そんなヨットですから、特に外国艇の場合、命に別状が無いトラブルは新艇から無数にあります。

まして長く使うにつれて、益々不具合箇所は出てきます。

それを「優先順位」でその時々に何らかの対策をしながら世界を周るんですが・・・一時も完全な状態になった事はありません

どれ程手を掛けても、完全にはならないのがヨットで「完全に整備が出来たら世界一周に出る」と10年、20年毎日ヨットに来て朝から晩まで整備を続けて年老いたヨットマンは笑い話になりますが、実際に星の数ほどいます

僕の場合ニュージーランドからフィジーまでの七日間、毎日200リットル程度の原因不明海水浸入があっても「どこからかな~・・」程度で、その程度なら簡単に排水できるので「沈む心配は無い」と平常通り、爆睡釣りをしたり、晩酌をしながら航海できる性格だから、整備に時間を費やすより、命に別状がなければ「遊び優先」(到着後数日して傘を出そうとして、雨具入れにしていた部屋のハル部分(船体)の窓が閉まってなかった。ヒールした時にその窓が時々水中に没していたらしい)

そんな具合で、危険感知能力に欠ける神経質な人や小心者には気になる箇所が沢山あるんです

もしかすると・・・一人で簡単に乗れる小さなヨットに変えようと思うと、ホロホロを何処かに嫁入りさせなければなりません。

その相手が・・・ヨットの事を解ってなかったら・・・と考えて、特にどうと言う事も無い箇所の修理をして、愉しもうと昨日から取り掛かっています


解りにくい説明になりますが

昨日、ホロホロの舵の遊びが多すぎるのを修理する為に、舵輪部を分解したんですが、そのついでに、舵輪を固定する(固定の必要性は無いが)部分のネジが馬鹿になっていたのを、家に持ち帰っていました

ヨットの部品などと言うのは、殆どが外国製で、それも多く出回っているもので無いから、作れるものは自分で作る事になります

今回「ネジ」と書きましたが、親指サイズの鋳造真鍮にメスネジが三つ切られているものですが・・・これが真鍮製だからネジ山が弱く飛んでしまったんです。

それで強い材質のステンレスにしようと思って・・・朝から倉庫ハウスの工作場で頑張っていたんですが・・・タップ(メスネジを切る道具)が折れてしまい

その後の作業も考えて、「(株)いまぢ」の会長に応援を頼みました

会長の工場へ行けば機械や工具が何でも揃っているし、何と言ってもプロですから

そして手伝ってもらって(殆どして貰ったが)完成

でもこんな親指程度のサイズの部品でも、作るとなると二人で丸々半日掛かりました

そして会長と津の峰山の中腹にある展望所まで上がって、橘湾から紀伊水道を眺めて帰って昼食。

オーストラリアの友達からメールが来ていたのに、英語の文章を書くのは苦手だから、そのままになっていたのを、頑張って書いて、他のメールにも返事を書いていたら・・

スノーグースの山本氏が阿南へ来ていると電話

迎えに行って、デッキで四時になるのを待って・・・ビールを飲み始めました

山本氏は先日、僕が別府から徳島へ向っていた頃、瀬戸内海の7つの島々で行われた「瀬戸内アートフェスティバル」にヨットで出かけていた話を聞かせてくれました

期間中人気が急上昇して延べ100万人が訪れたと言う芸術祭は、自然の中で素晴らしかったそうです。

隔年毎に今後も開催されると言うので、次回はぜひともホロホロで乗り込みたいと思っています

汽車の時間を見て、駅まで送ったんですが・・・暫らくして「間に合わなかった」と電話が

山本さんゴメンナサイ

今日の写真は別府からの帰路、徳島ケンチョピアで帰還宴会を済ませた翌日、橘港へ向うホロホロを見たとメールで送られてきた写真です

撮影は森本氏。

同じくその少し後でホロホロを見たと八十氏も写した写真を届けてくれました

写真をクリックすると大きく見えます
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大塚製薬 株式上場

2010年11月10日 18時53分25秒 | 退職生活
景気が良い話題が少ない昨今の日本だから・・・今日は景気が良い大きな話と、ちょっと小さな話をしましょう

徳島県が発祥で日本に名が知られている企業と言っても、二つの銀行(阿波銀行、徳島銀行、一部上場)とコンピューターソフトのジャストシステム、ホームセンターのナカイ、金ちゃんラーメンの徳島製粉、発光ダイオードの日亜化学、最後にポカリスエットやオロナミンC、カロリーメイトで有名な大塚製薬位しか浮かびません。

その大塚製薬(正しくは大塚ホールディングス)が今年12月にも東証一部に上場するそうです

年間売上高1兆1000億、子会社に大鵬薬品やアース製薬他数百の企業を持っている、日本の製薬会社でも五本の指に入る巨大企業です

その大塚製薬グループでは、創立以来社員にボーナスなどで株式を渡していました。

だから、グループに勤めていた人達は、殆どの人が大塚製薬の株を持っています

美由紀の友達(62歳)もその一人で、昔五年間だけパートで働いたそうですが・・・パートのその女性も株を貰っています。

そして・・・先日会社からの連絡で解ったそうですが・・・増資で増えていて、今の買取価格で三千万円程だそうです

五年間パートに行った人が三千万円ですから・・・その人の旦那は一昨年の定年まで勤めていますから・・・幾らになるんでしょう??

大塚製薬が上場すれば、徳島県に億万長者が数万人生まれるそうです。

大塚製薬に勤めている人、勤めていた人達の顔は止めたくても止まらない笑いで歪んでいます。

現在の徳島県は東京、香川に次いで三番目に県民一人当たりの金融資産が多い県なんですが・・もしかすると日本で一番になるかも知れません

凄いでしょ。

でも所得が少ないのに金融資産が多いと言うのは・・・悲しい事で、政治が信用できないからの自衛本能なんです

預貯金なんて全く無くても安心して暮らせる世の中が最高なんですが・・・難しいですね。

大塚製薬を見たことは何度もあるけれど、門をくぐった事も無い僕は、当然貰った株もありませんから・・・笑いを堪える必要もありませんが・・・・

去年「年金なんとか便」なる便りが届いて、見てみると一時期働いたり、アルバイトした時の記録がありませんでした

それで・・・それを書いて送ってあったら、今年になって「記録が見つかりました」との事で、手続きをしました

そしたら・・・昨日支払額のお知らせが届きました

60歳から貰える年金が遅れてですが、20か月分が遡って計算されています

大塚製薬に一日勤めた位の金額ですが、僕が生まれて初めて受け取る記念すべき年金

これで食べていくのは少々難しいけど、振込み日が11月15日らしいので、その日は気合を入れて振込み銀行へ受け取りに行こうと思っています

とは書いたものの・・・年金を受け取る日が来るなんて・・・若い頃には思っても無かったけど・・・そんな歳になったと、嬉しいやら哀しいやら

今日の写真は年金の「初回支払額のお知らせ」です。

21年2月分から22年9月分までが計算、加算されています。

これに拠ると・・・僕の一年間の受け取り年金額は、どうやら45200円のようです

でも良かった良かった

写真をクリックすると大きく見えます

後になりましたが、今日の僕は午前中野菜に殺虫剤散布、雑草に除草剤散布

今治会長が別府旅行のお土産を届けてくれてしばし世間話

午後はヨットに行って舵の具合を直そうとしたけど・・・抜きたいシャフトが抜けません

機械屋の芹田氏が来たら教えてもらう事にして燃料タンクの掃除

美樹ちゃんがおやつを持って来てくれてお茶

家に戻って少し野暮用を済ませて一日は終りました。

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モクズガニ捕獲カゴ罠

2010年11月09日 17時18分44秒 | 退職生活
僕の家に近い那賀川は徳島県で二番目に大きい川です

川が大きいと、当然ながらそこに住める魚やカニも多いんですが・・・

モクズガニに関して言えば、上流(支流の谷など)で獲る程大きく、河口に近ずくにつれて小さくなります

僕が罠を仕掛けている場所は河口に近く、満潮では潮が混じるような所ですから、それ程大きな蟹は期待できません

いつも半数以上は放流サイズで、その場で逃しているんですが・・・

さて・・・

今日の結果です。

昨日新鮮な餌をタップリ入れて仕掛けたので、かなりの成果を期待していました

ところが・・普段なら夢が結果を教えてくれるのに、昨晩は夢を見ませんでした

そればかりか、罠を仕掛けた朝は早くから目覚めるのに・・・美由紀が散歩から戻って起こされるまで寝ていました。

ヨットで別府から帰るのに疲れていたから?などと考えながら・・

罠を見に行きました

昨日のブログに書いたように「今年は小さい」と聞いていたので、それ程期待もしていませんでしたが、それでも10匹位は「食べるサイズ」が獲れていると思っていたんです。

最初のカゴを引き揚げると・・・ゼロでした

まさかの結果に

がっかりするより、驚きでした

何かの拍子に他のは入っていて、一つか二つには全く入っていない事もあるんで・・・

そうかな~・・と二つ目を引き揚げると、6匹入ってました。

が・・・全部放流サイズ

三つ目、四つ目・・・と六つのカゴ罠を引き揚げましたが・・・一つ目を除いて全部にモクズガニは入っていましたが・・・

全部放流サイズでした

人間は猿や他の動物と違い「その中から選ぶ」無節操能力があります。

例えば、無人島に流れ着いたオトコの前に10人の老婆が流れ着いても、一人を選ぶんだそうです

そんな人間の一人ですから・・・全部放流サイズのモクズガニの中から大きいのを5匹選びましたが

数は全部で丁度30匹でした。

25匹は勝浦の谷へ放流するのに別に飼っています。

雨が降るまで次の罠は仕掛けに行きません。

今日の阿南市は風が強くて、急激に気温も下がり、ヨットに行くような気分にならず、家庭菜園の野菜達に肥料をやりました

この野菜達ですが、僕が別府に行く前に定植したり、種を蒔いていたのを美由紀がしっかり面倒見ていたようで、全般にどこの畑にも負けない位立派に育っています

白菜も巨大になって、かなり巻いています

道行く人達が「よく出来ていますね~」と感心してくれる程なんですが、追肥をやらないと「燃料切れ」になるので、今日は化成肥料と鶏糞、牛糞などを一株づつ丁寧にやりました

「アイゴが釣れている」と聞いたので、堤防へ見に行きましたが、今日は風が強いからか、誰も釣っていませんでした

夕方、ドイツ旅行帰りのよしえちゃん(僕と同い年)が寄ってくれて、お話し

旅の話し、山の話しが終ったら・・・お互い退職者(歳)だから・・・

何歳まで旅や山に行けるか?と言う「秒読み的」な話しに

僕は15年と言い、よしえちゃんは後10年と

どちらにしても・・・長くないですね

話は変わって

近々の週末に石鎚山に行きたいと思っています。

落ち鮎の再解禁が明後日からなので、これも行きたい

ホロホロも手を入れたいし・・・残りが少ない62歳は忙しい

今晩は・・・高い山では雪になりそう

蟹罠で少し元気が落ちてる溝田でした。
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ホウレン草の種蒔き

2010年11月08日 17時34分47秒 | 退職生活
何故か理由は解りませんが、僕はホウレン草を育てたら「名人?」で誰からもお褒めの言葉を頂くほど立派に育ちます

そんなホウレン草を今年の山旅から戻ってすぐ(9月初め)に二畝、4列に種を蒔いていました

それは今大きな株になっています。

ところが、立派に育つので、アチコチに美由紀が配りたがり、足りなくなりそうなので、もう少し種を蒔けとの仰せなのです

40日ほどのヨット旅から戻ったばかりだから・・ここは素直に言う事を聞かないと・・ぶちきれたら困る

上手に出来るから、僕のやり方を書いてみます。

季節は9月初めから四月位まで、1月二月を除けばいつでも種は蒔けるようです

先ず連作はどんな野菜にも良くありませんから・・・違う場所へ。

場所を決めたら、そこへ石灰を土の表面が殆ど真っ白になる位薄くですが撒きます

次に同じ位に真っ白になった石灰が見えなくなる位、薄く鶏糞を撒きます

次に鶏糞が見えなくなるくらい、薄く牛糞を撒きます。

三段に入った肥料が土と良く混じるように耕して、畝を作ります

水を掛けて数日置くこともありますが、すぐに蒔いても育っています。

畝幅は50センチ位で、適当に二列の溝を指で作って、そこへ種を1センチ置き位に筋蒔きします。

そして水をたっぷり掛けてやります。

後は発芽して、混んでいたら適当に間引き

そして二列の間と外側の計三列に溝を作り、そこへ牛糞を入れます

これだけなんですが・・・非常に大きくなります

これをしてたらお昼になって昼食。

その後散髪に行って、次に先日ガソリンスタンドで「後で持ってくる」と約束していた軽油の免税証(ヨットに入れる軽油を免税してもらう為。リッター当り30円ほど安くなる)を県民局へ受け取りに

そしてスーパーで魚のアラを貰ってきて・・・

カニの罠を6個仕掛けに行きました

今年は一番のモクズ蟹シーズンに別府へ行っていたので今回が初めてです。

近くで仕掛けている人に電話で聞いたところでは・・・雨の後は良く入ったそうですが・・・今は小さいのばかりで駄目なんだそうです

でも罠はいいですね

明日の朝まで、ワクワクドキドキ、何匹獲れるか楽しみです

小さくても勝浦の谷へ放流用に柳田氏が欲しいと言っていたから・・・無駄にはなりません

あくまでも・・予想ですが・・・6個の罠なので、食料サイズが10匹

放流サイズが30匹で、合計40匹位が今頃罠の中で餌を食べているでしょう

朝が来て・・・出ようとしても出られない事も知らずに

今日の写真は大分のマリンピア武蔵へ、ホロホロが上架している事をブログで見て、広島から訪ねて来てくれ、一緒に北浜マリーナへ向かう「プリマドンナ 41フィート」です。

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キノコ狩り

2010年11月07日 19時00分13秒 | 退職生活
昨夜の日本シリーズ、ロッテ、中日戦は手に汗握りましたね

今朝目覚めてデッキを見ると雨で濡れていました

昨日から、脚力低下防止と機嫌取りに「キノコ狩り」に行こうと決めていたのに

それで慌てて天気予報やレーダーナウキャスト、天気図などで調べて、大した雨にならないだろうと山行き決定

八時半に八十氏が来て、美由紀と三人で出発。

目的地は剣山系の「高丸山」

車で一時間半ほど掛かるけど、ここは「千年の森」として、整備されブナの大木も多く、だからキノコも結構多いんです

一番多いのが・・有名な毒キノコのツキヨタケなんですが・・・

僕らの狙いは「ボリボリ(ナラタケ、火を通せば毒が消えて美味しい)」

八十氏は昨日も明神山に登っているし、ここ半年余り殆ど毎週山に登っているので、脚力に不安なし。

美由紀は毎朝の様に友達と近くの山に登っているので、これも不安なし

僕だけが二ヶ月山に登ってないばかりか、一ヶ月余りのヨット生活で脚力が衰えているので

そんなんで、心配しながらの登りでしたが・・・キノコ狩りは「休みが多い」ので、何とか遅れをとらず頂上へ

途中でクリタケとブナシメジ、ヌメリスギタケ、ヤマブシタケを収穫

この時点で「キノコ狩り」の名目達成

頂上で少しだけ弁当を食べ、下山途中でまたクリタケとボリボリを収穫

登山口へ戻って、ヤマブシタケ、ヌメリスギタケを入れたラーメンを作って昼食

もう半月早く来ていたら・・・大収穫だったんだけど・・・

家に戻ったら車から降りる時に「筋肉痛」が起きる前兆は感じたけど・・・ちゃんと登れたので、二ヶ月ぶりにしては合格

三月から出発するスキーと山登り旅に備えて、これからは週に一度位のペースでトレーニングしようと思ってます

夕方、アフリカ帰りの柳田氏がミカンを届けてくれて、土産話を

僕らがまだ行ってない世界であり、今後行く予定の場所なので・・・興味深く聞きました

旅の話を聞けば・・・すぐにも旅に出たくなるけど・・・僕は順番を決めているから・・・その時まで辛抱です

この様に長期の計画で生きていると、「融通が効かない」ので色々考えてしまう事もあります

しかしこの計画が無ければ楽しさ、愉しみ方が中途半端になるように思うんです。

例えば「スキーと山旅は来年度で終る」となるとしっかり愉しもうと思えます

短い人生を濃密に生きたいと思えば、計画して、順番にこなして行くしか方法が無いのではないでしょうか?

終わりを決めず、次も決めず、だらだらしてたら何も出来ないうちに死ななければならない歳になりますから。

そして・・体が動かなくなってから・・・「しておけばよかった」と言う人は大勢居ます

そんな人も・・何かの理由をつけて、「それなりであった(努力も度胸もなかったから仕方ない)」と納得して死を迎えるそうですが・・・

今日の写真は紅葉した山の写真のつもりだったんですが、携帯で写した写真がうまく行ってなくて・・・ちょっと古いですが、別府で愛艇ホロホロ3世を上架した時のものです。

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オトコの頑張り

2010年11月06日 18時38分37秒 | 退職生活
昨夜は「東京大空襲」はどれほどのものであったのか?と考える位、倉庫ハウスに戻ってきたオジサンの上空をBー29が飛んでいました

この様な場合、防空頭巾を被る事は不可能なので、普段より15センチほど頭を低くして、少しでも被害が無いようにするわけですが・・・

確かに、到着した事も連絡しませんでしたし・・・出発したことも連絡しませんでしたが・・・台風の時に「安全な港に居る」と一度は連絡していました

だいたい・・・結婚して38年もなると・・・連絡してもしなくても、元気で戻ってきても、疲れて戻ってきても、愉しかったとしても、苦しかったとしても・・・「腹が立つ」のは同じなのです

そもそも・・・存在自体が「腹が立つ」んですから・・・とキミマロさんも言っています

さて、どの様な場合にも朝は来ます

死なない限り、眠り続ける事はできませんから・・・

7時半過ぎに起きたら、美由紀は居ませんでした。

多分散歩に行ったんだろうと思った僕は・・・戻ってくるまでにヨットへ行きたかったけど・・・

そうなると・・また爆撃が・・・・

そこで昨夜、白菜にナメクジが襲来していると言っていたので・・・

米糠を買いに行き、ビールとランネード(殺虫剤)油粕を混ぜて、白菜の間に置く準備を始めました

そんな時に帰ってきたので

それで・・ヨットに片付けに行くと・・・戻ってこれるように家を出ることができました

ヨットに行ってすぐエンジンを掛け、乗せていた予備の燃料補給

足らないので買いに行って、入れたけどまだ不足(ポリ缶が三つしかない)

暫らく乗らない場合、冬は特に燃料タンクを一杯にして置かないと、タンクの天井に水滴が溜まり、それが落ちて底に溜まりトラブルの原因になるんです。

でも殆ど一杯に近いと思うので、次回買って来る事にして、エンジンオイルの交換

エンジンオイルは別府に出発する前に交換していたんですが・・何故かオイルが汚れなかったんです

エンジンオイルが汚れないのは「オイルが悪い」と聞いたので、心配して抜いて見ると、検量棒のところのオイルが汚れて無かっただけで、抜いたオイルは正常な汚れでした

でも抜いたから交換。(5リットルしか抜けなかった(6,5リットルが正常)ので量が少なかったようにも思う)

世界を周っていた頃は毎月交換していましたが、日本に戻ってからは乗る時間が少ないので、数日の航海に出る時に交換するようにしています。(良くオイルを交換しているのでエンジンは絶好調です

続いて一次燃料フィルターの確認

開けてビックリ

行く前に確認、掃除をしてあったのに・・・ドロドロのタールかヘドロの様なのが、フィルターの八分目まで溜まっていました

久しぶりに長時間走ったので、タンクの底に溜まっていたのが出てきたんでしょう。

タンクを一杯にする前に、タンクの底を掃除する必要がありそうです

そんな事をしていたら・・隣りのヨット「フリータイム、Y-31EX」の人も来て、お話し

68歳の退職者ですが、ホロホロが出ていた時に一人で一週間(以前が五日で今回最長記録との事)、瀬戸内海へ行ったそうです

「自信がついた」と言ってましたが、多くの日本のヨットに言えることですが、少しでも快適に長くクルージングしたいなら、冷蔵庫は絶対に必要です。それを補うバッテリーとソーラーパネルも必要です。 調理がしやすいようにギャレー(台所)も改造や工夫が必要です。

でも・・・出来てないから・・・氷を手に入れるのに走り回っています。 調理が出来ないから外食や弁当かレトルトかカップヌードル

「自分のヨットにしていない」

中途半端な人が多いんです。せっかく良いヨットを持っているのに・・・

でも・・・すぐ家に帰るから・・敷居は低そうでした

今日の写真は、一昨日の帰還宴会に遅れてきたので一緒に写真が撮れなかった花束を持つ「女性に弱い」マハリン森田氏です。

左手に持つ写真は・・・瀬戸内海の島で、僕の免許証から発生した出来事ですが
、このブログは非常に沢山の人が見てくれているので・・・詳しい事を書くと困る人が出るので済みませんが書けません。

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航海の余韻

2010年11月05日 18時57分34秒 | 退職生活
39日の航海は「別府温泉と四国一周」となり、本日午後三時頃阿南市橘港に到着いたしました

今航海、乗艇者の代表として、各地寄港先でお世話になった方々に厚く御礼申し上げます

到着して間もなく気付き驚いた事があります

それは・・・この39日で僕の頭髪が非常に白くなっていました

今日の写真は、徳島ケンチョピアに到着し、みきちゃんから花束を受け取った近藤、奥原、溝田の写真なんですが・・・出港した時(9月29日)の頭髪と比べてみてください

別府で「筒涸らしの術」に遭ったみたいでしょ

帰路体調を崩したのが原因か? 北浜マリーナと長浜港の揺れが原因か? それとも本当にくの一忍法が原因か?

いずれにしても・・・驚くほど白くなりました

話は変わって・・

僕の場合、しばらく旅に出ていたら、その余韻を愉しむ為の時間をいつもとっています

今回も橘港に着いて、解散した後、一人でヨットを整理しながら、今回の航海の事をゆっくり振り返りたかったんです

そして勿論一人で一杯飲んで・・・次の航海の計画などを考えながら眠るんです

ところが・・・今回は、昨日徳島で宴会したゴミが余りにも大量となったので、朝から全員で分別もしてゴミの整理を終え、水があるところへ行って、船体も洗って、片づけが殆ど終っていたんです。

もう一つ、呑みすぎで体調芳しくなく、呑めそうも無く、昨日風呂に入ってなかった事も手伝って・・・

徳島から迎えに来てくれた近藤氏と本間氏、奥原氏の四人が一緒に帰る事になりました。

自分だけが39日家を空けていると・・・少しですが「敷居が高く」感じます

それを・・・どのように誤魔化しながら家に入るかが・・・課題

先ずは家庭菜園の野菜の出来具合などを暫らく観察すれど・・・応答なし

次に倉庫を開けて、運んできたゴミを入れても・・・応答なし

遂に着替えの入った大きなカバンを提げて玄関に入ろうとしたら・・・鍵が掛かっている

車からキーを持って来て、鍵を開けて中に入るとテレビの声。

そこで「かえったぞ~!」と一言

結婚後38年。

当然ながら・・・嬉しそうに迎えてくれるなんてことはありません

「なんで帰って来たの?帰らなくても良いのに」と口には出さないけれど・・・

一人で自由に過ごしていたのに・・・と・・・殆どの奥様方は思うそうです

我が家同様に。

でもここで挫けては、二度と家に入る事は出来ませんから・・・無口でせっせと荷物を運び込むのです

まあ・・その後は世間一般と同様、イヤミや文句の矢が飛んでくるのを、静かに避けながら、全ての矢が投げ終わるのを辛抱強く待つのがオトコと言うものです

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徳島ケンチョピア入港

2010年11月04日 23時59分59秒 | 退職生活
渦潮で有名な鳴門海峡の潮流は最速時に時速20キロで流れ、狭い水道の海面は一メートル以上の段差ができます

そんな鳴門海峡をヨットが通るには潮流が弱まった時を選らばなければなりません。

その時間が今日は13時45分でした。

振り回しで気持ちよく眠れた朝、ゆっくりと朝食を済ませ、セールを小さくして良い時間に到着するようにゆっくり帆走

少し早い13時過ぎ、大きな貨物船が何十隻も連なって集まってくる本四連絡橋の下、すぐ横を追い越して行く貨物船と共に抜けました

本間、奥原、溝田の三名が徳島ケンチョピアに到着したのは15時40分。

マハリン近藤氏が出迎えてくれて、無事ポンツーンに繋留

間もなくサーモン三谷氏が、そして美樹ちゃんが、恵美ちゃん、美香ちゃん、八十氏、けんちゃん、森田氏、ひとみちゃん、さくらちゃん、あやかちゃんと・・・次々に来艇

ホロホロ帰還宴会に加わってくれて

宴会仕様のホロホロの座敷は満席でしたが、愉しく騒がしく先ほどまで宴会が続いていました

それにしても・・・大盛況でした

僕は連日の宴会で少々疲れ気味だったから・・・今日は少しにしようと思っていたのに・・呑み過ぎて食べ過ぎて

明日の体調が少し心配です

明日、最後のログ、徳島から阿南を終えると・・出発から早くも39日。

久しぶりに一ヶ月以上のヨット生活をして・・・

ちょっと体力の衰えは感じてしまったけど・・「まだまだいける」とも思い、次の船出の構想を練ったりしています

今日は忙しい中、遠路仕事帰りに関西から駆けつけてくれた森田氏他皆さんありがとうございました

今日の写真は宴会の一シーンです。

写真に写っていない方々、ごめんなさい

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懐かしの振り回しアンカー泊

2010年11月03日 20時03分35秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
日本のヨット乗りは「クルージング」と言って、ヨットを走らせ、港の中の岸壁に横付けするのが殆どですが、本当のクルージングは自然の入り江や島影にオモテからアンカーを入れて「振り回し(風の吹く方向にヨットが立つ)」で停泊し眠ります

ホロホロも世界を周っていた14年間、1000箇所以上の場所で「振り回し」をしてきました

これだと停泊は極めて簡単に出来て、ヨットも傷まず快適です。

非力な僕と美由紀が二人で世界を周れた理由もこの停泊方法だからなんですが・・・

残念な事に日本は気候が悪く、風も冬の間位しか一定しないので、この振り回しをする機会は余りありません

今回小豆島に来て、良い北西の風と広い湾があったので、久しぶりにこれをやってみました

気持ちいいですね~・・・やっぱりヨットは振り回しです。

さて今日は、昨日から参加した本間氏と三人で本島(ホンジマ)を出港

本船航路を少し外した所を横風を受けて順調にセーリング

11時に「二十四の瞳」分教場前に到着。

新しく堤防が出来ていたので、そこに繋いで観光

昔は多分、大石先生に少しだけ似ていただろうと思う女性とお話などもして・・・

オリーブ温泉へ行こうとしたけど・・・テンダー(上陸用小船)を持ってきていなかったので、どこかに繋ごうと探して見つからず・・

舳先だけを岸に付けて二人を下ろし、僕は沖にアンカーを入れてシャワー

二人が戻って、又同じように乗せて・・・

今日は振り回しで泊ろうと、場所を少し移動して、アンカーを入れて宴会

振り回しはヨットが独特の動き方をします。

本間氏もニュージーランドから日本まで一年半掛けてヨットでクルージングした経験があるので・・懐かしいと

これは来年から海外をクルージングする予定の奥原氏の勉強でもあるんですが・・僕も非常に懐かしく嬉しい時を過ごしています

いよいよ明日は鳴門海峡を越えて、徳島のケンチョピアに入港です

マハリン近藤氏他が、宴会準備で待ってくれています

今回のような苦しい日本の海の移動でも、終わりが見えてくると寂しさがあります。

初めての奥原氏も、そう感じているようで・・「さみしいな~・・」を連発しています

今日の写真は、小豆島なら・・「二十四の瞳」の分教場の前で写した、本間氏と奥原氏です。

以前マカナでクルージングした時は、ここに品川氏と息子の航太君が立って同じように写したのを思い出しました

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香川県本島(ホンジマ)まで来ました

2010年11月02日 19時45分24秒 | 退職生活
今回の別府~徳島の航海は波乱続き

21日に近藤氏を含む3名で別府北浜マリーナを出港して・・・途中リタイア引き返しから・・・

その後のマリーナは「船酔いマリーナ」と化し・・・

25日に北東の風が収まった隙に気合を入れて、四国愛媛県の長浜港まで来ましたが

台風発生

台風が引きこむ風と100HPもの差があるシベリア高気圧で一気に冬となり・・
東北東の風強く、もやい綱が切れたほど

ここでは台風は避けられないと、伊予郡中港に強風の向かい風の中移動して・・ほっと一息

台風通過まで辻井さん、中野さんの慰問で愉しく宴会などもして・・・出港

体調悪く入港した伯方島では警察の桟橋に緊急繋留したことで、人命軽視の警察官と一悶着

一日寝たり起きたりの養生が効いたのか・・・今日は朝より昼、昼より夜と次第に体調は回復して今は標準状態に戻って、缶ビールも4本美味しく呑めました

本島到着は13時でした。

とりあえず水上タクシーが付ける場所に横付け。

前のレストランで天婦羅うどんを食べて・・・

奥原氏は島内散策

僕はヨットで、マカナ品川氏にメールで送って貰った小鳴門海峡の海図を確認

メールと言うのは本当に便利ですね

ただ便利になったけど・・・幸せになった人より不幸になった人が多いのが残念ですが今回の場合は非常に助かりました


最初ヨットを繋いだ時は、他の船が居たので仮留め。

他の船が出た後で、艫(船尾)からアンカーを入れて、槍付けをしたところ・・・アンカーが効かなくて

打ち直しをしようと・・・アンカーを揚げている時にフェリーの入港がありました

思ったようにアンカーを揚げられず・・ウロウロしてたら舵にロープが巻きついて・・・四苦八苦

そんなところへ本間氏到着

結局オモテ(船首)からチェーン付きの本イカリを入れて艫付けでホロホロを繋ぎました

日本の港を周ると毎日毎日何かしら問題がありますね。

でも・・・一段落してから・・・しっかり宴会をしていますのでご安心ください

明日は小豆島まで行く予定です

昨日、今日と風呂に入ってないので、明日は温泉のあるところへ行きたいと思っています。

徳島入港は明後日、阿南橘港入港は明々後日

まあこれは極めて順調に事が運んだ場合ですが・・・

今日の写真は貨物船で混雑する狭い瀬戸内海の航路を東進して、瀬戸大橋を目前にした時写したものです

なんとなく・・・「かえってきたな~」と感じました。

本島はこの橋の少し西側にある島です。

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瀬戸内海島巡り

2010年11月01日 18時38分24秒 | 退職生活
今回の旅で初めての寄港となった「島」伯方島は「しまなみ海道」が通る島です

開通当時は珍しさで訪れる人も多く、一時期活気があったんですが・・・今は元気がありません

ヨットで度々クルージングしているから、多くの瀬戸内海の島にも寄港しているし、南西諸島から沖縄まで日本の島には随分寄港し島内散策や観光もしました

そしていつも感じる、当然と言えば当然ですが、観光(主にダイビング)で成り立っている沖縄を除いて、他の島では産業が無いから若い人を見かける事は非常に稀です

太平洋の島やフィリピン、インドネシアの島々に行くと子供が溢れていて「活気」を感じ、元気になります(当然若いオンナも溢れています

夏休み期間は今も少し賑わいはあるようですが・・・日本の島で今の季節は・・・将来の日本島の縮図です

たまに若い人を見たら公務員か団体職員。

いくら歩いても人は殆ど見掛けず、見かけたと思ったら次に必要なのは棺桶と思える様な人達です

本当に気の毒なほど元気がありません

商店はシャッターを閉め、空き家が目立ちます

観光客を呼びたいと造られた施設は「お化け屋敷」

そんな島が多い瀬戸内海の島ですが・・・

見方を変えると・・・近い将来「無人島」になりそうな島もありますから・・・

そこに運良く漂着すれば・・・ロビンソンクルーソーになれるのです

そして15年は待てないから・・・出来れば10日ほど後に、オウムはいなくていいから、フライディの代わりに若くて美しい女性を助けて、愉しく暮らせる可能性が無いとは言い切れません

やはり・・・ヨットには夢がありますね~

そんな熱病に冒されたか?今日の僕は体調全快とはならず、終日寝たり起きたり

食事も毎回奥原氏に作って貰って・・・でもしっかり食べるのは食べています

夕方になって随分良くなって来たので、明日は出港出来そうです

今年の二月から三月に「紀伊半島温泉巡りクルージング」に一緒に行った本間氏より、先ほど電話があって

本州からの船に乗れたら、明日入港予定の「本島」から橘港までホロホロに乗船することになりました

そんなんで・・・明日の夜は・・・「宴会やな~」と奥原氏は献立てを考えています

そんな奥原氏は、僕が寝ている間にしっかり伯方島の散策に数時間出かけていました

「役場に並みのオンナが居た」とだけの報告でしたが

今日の写真は少し以前に戻りますが・・・

別府滞在中に良くお世話になった地元ヨットマン木原氏の二隻目の愛艇パギパギ二世?(ピオン30)です。

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