かぶれの世界(新)

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東京郊外の生活2024-25(7)

2025-03-06 11:54:38 | 日記・エッセイ・コラム
玄関の鏡の横に息子が取っ手を付けてくれた。我が家の玄関の土間は1坪しかなく、両側に靴箱と鏡があり田舎の実家に比べてとても狭苦しい。彼はそうは言わなかったが、私が腰と膝を痛めて靴の着脱をする時如何にも苦しそうなのを見て、取っ手を付けたのだと思う。

息子は事前に取っ手を付けていいかと私に確認し、元々不便だと思っていた私は即答で了解した。この家に私が住む期間は長くとも後数年で、彼は平均寿命まで生きたとして30-40年住むことになる。「お前の家だ、自由にやればいい」と答えた。

20年余り前に50代半ばで早期退職し、田舎の実家で一人暮らしの母をケアする為に東京と田舎を行き来するようになった。最初は実家の2階の蚕部屋を全面改造し、書斎と寝室に第2書斎と本の収納部屋を作った。その後、介護マネージャの勧めで階段と風呂に手摺を取り付けた。

数年たって母が心臓病で3か月間入院し、退院すると6か月間介護施設へ、そして数年間養老院に入り、実家に戻ることなく亡くなった。その後私は実家の資産管理やお墓の見守りに年の半分は田舎の実家で暮らすようになった。その後の私はあっという間に還暦を迎え古希から喜寿になり、気が付けば母の為に作った手摺は私の田舎生活に必須になった。

そして、色々工夫して立て直した東京郊外の自宅でも、肝心の玄関の出入り口が後期高齢者になった私には不便になっていた。息子の取っ手取り付けの提案はそんな私には最高の提案だった。考えてみると、私も繰り返しの同じ人生を過ごしてると、つくづく思った。■
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東京郊外の暮らし2024-25(6)田舎暮らしの準備

2025-03-04 16:59:05 | 日記・エッセイ・コラム
高齢者の私には重荷だった確定申告が終わると体が軽くなったような気がして、気になっていた他の懸案事項が進み始めた。と言ってもその多くは来月に控える独居老人の田舎暮らしの準備だ。

体が軽くなったように感じる原因は一つには前入歯の型取りが終わり、出来上がりを待つ2週間の治療のお休みが出来たこと。二つには骨盤と膝関節の痛み止めの薬を変更して1か月の様子見になったこと。関連して肩の痛みを和らげるロキソニンテープを貼ってよく眠れる様になったことだ。

先ずは6月に期限が切れるマイナンバーカードの更新だ。4月に帰郷して半年間の田舎暮らしの間に健康保険が切れる。市役所の担当に相談するとその間は「後期高齢者医療再交付」を申請して紙の保険証を申請せよという。折角のマイナンバーカードの時代になったのに、旅行中に有効期限が過ぎたら「紙」の時代に戻れということだ。情けないと思ったが一応最悪ケースは免れた。

次に帰郷先の市役所から農業用地の貸借契約期限が満期になるので「地権者及び耕作者一緒」に市役所にきて再契約の手続きをしろという通知を受けた。市役所の担当部門に電話し実は「契約満期前に耕作者が稲作は赤字になったと打ち切りの申し出を受け今は廃田状態にある」と報告した。

担当者はそう言う事情なら来庁は不用とのこと。私は代わりの耕作者を探しており、地区農業委員にもその旨伝えて代替の大手耕作者に当たって貰っているが今のところ心当たりなし。隣町の五十崎地区では農協が纏めて対応している等の例もあり、支援をお願いして一応様子見となった。

その次は先月の実家の電気料金が誰も住んでないのに5200円余請求され、電力会社に事情を問い合わせた。従来は3000円台だったので、漏電等の最悪事態が起こっているか心配と事情を問い合わせた。電力会社は直ぐに調べてくれて1月は政府の補助金が切れ、かつ1月の制度の切り替えが重なり一時的な費用が生じたの事。それを聞いて電気の事故でなくてホッとした。

腰痛に加えて入れ歯の調子が悪く治療を受けていた為に、痛み止めの薬が体の状況と整合せずあちこちに異常を感じ、加えて確定申告が気になって今まで他の事をやる気にならなかった。だが、申告が終わり治療が一旦落ち着き、他に気になっていた微妙な肩痛も昨日ロキソニンテープを貼ってよく眠れるようになった。なのでよく眠れるようになり、不思議と懸念事項が次々片付いた。

これで心配事が無くなったと思ったら、昨日大阪に住む義弟から心配な電話を受けた。検査の結果ガンが判明し1週間かそこらで手術を受けるという。彼の兄は某大学病院医院長、弟は引退した検事というエリート一家で事前に何度か検査を受けていたという。

だが、義弟は勧められても一度も検査を受けてないという。何故かその辺は私に似てて60歳頃から検査を受けたことがない。幸い私はその頃親友に勧めれれた通りに対応して今日まで生きている。私が一昨年偽痛風で田舎で入院した時は彼の世話になった。是非手術に成功して欲しい。■
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確定申告への道(3)終

2025-03-03 15:34:44 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午後、市内の青色申告会に出向き昨年度の確定申告を仕上げた。人生初の事業主としての青色申告だった。事業主と言っても四国愛媛県の山間部にある実家を相続し、稲田を貯木場として貸して得た僅かな不動産収入があるだけだ。現実は退職後から25年続けて来た確定申告の作成が辛くなった為に、不動産収入があるからと勧められ青色申告会に加入して事業主になった。

日曜日だというのに昨日は青申の会員でほぼ満員だった。4度目の私はこれで最後にしなければとそれなりに準備をして参加し、担当女性の手際の良さと合わせて何とか終わらせた。家内のアルバイトの年収や国民年金と、私の厚生年金と住宅ローン等の資料を準備して記録して貰った。振込先やマイナンバーの情報を聞かれ、助言を受け日曜で自宅にいた家内に確認して申告書を完成させた。

最後に申告書のコピー作成の窓口に行くと、ベテランの職員らしき人が内容をチェックして不動産の収入の明細書と申告書の数字が不一致と判明した。彼は一目見て直ぐに分かった。私が朝出掛ける前に数値を確認して修正した数字を、担当女性が遡って修正しなかったためだろうと説明すると手際よく修正してくれた。これで一件落着、申告書のコピーを作って貰って帰宅した。

帰宅すると5時半すぎ、米・ウクライナ大統領会談の決裂の大騒ぎのニュースを顔をしかめて見ながら夕食を頂いた。夕食時の話題はこの大騒ぎに集中し確定申告など注目されなかった。早朝に目が覚めると肩の痛みが酷く、家内に以前処方された痛み止めのテープ(ロキソニン)を貼って貰って一息ついた。飲み薬はカロナール、張り薬はロキソニンと異なるが気にしてられなかった。

来年の確定申告作成時にどうなるか、私の体調がどうなるのか気になる。家族間のLINEメールで体調不良の場合は長男と次男に確定申告作成を代行するよう頼んだ。今回初めて青色申告会に行き、若い男女の姿を見かけた。親の代行で申告書作成に来たと聞き、青色申告会に加入すればそういうことも出来るのだと初めて知った。勿論、出来るだけ自分の健康回復に努めるが。■
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東京郊外の生活2024-25(5)

2025-02-16 20:11:58 | 日記・エッセイ・コラム
今年の東京は沖縄の次に暖かい冬が続いている。毎年同じ冬なのかは分からないが。サラリーマン時代に4月に雪が降り、登山靴で会社まで通勤した記憶がある。毎日の天候の推移を眺めていると、今年は雪が降りそうもない。

先週水曜日に突然「春一番」が吹き荒れた。というか、私には「春の嵐」の様だった。近くの遊歩道から南武線に沿って崖線上の歩道を歩くと、西側に見える多摩丘陵は茶色に煙って見え、その先に見えるはずの富士山は茶色の空に隠れてた。強風が多摩丘陵一帯に畑の土を吹き上げていた。

翌日も強風は止まず甲州街道沿いの歩道を自転車で買い物に行った家内は余りに強風で怖くなり、狭い歩道は怖くなって自転車を押して歩いたという。次の日も強風は続いたが見上げると空は真っ青に晴れて、夕方の多摩丘陵とその先の富士山のシルエットが美しく見えた。

「春一番」に先立って私の股関節痛が少しづつ良くなってきた。今週月曜日から毎日1万歩7-8キロの散歩をこなす様になった。と言っても最初は午前と午後に分けて散歩した。最初の1万歩の挑戦の翌日の朝は足痛が不安だったが、目が覚めると特別の違和感もなく毎日やれる自信がついた。

慎重に散歩を続けたつもりだが、5日目に私の得意の「やり過ぎ病」が再発した。自宅から新府中街道を経由し新鎌倉街道に出て、関戸橋から多摩川を下り遊歩道を通って自宅に戻った。新府中街道の真っすぐ先に見える富士山は、まるで富士吉田市の市街地から見る富士山の様だった。

関戸橋の手前の多摩川沿いから見る富士山は真っ白で自転車やジョギングをする人達とすれ違った。その頃から左足に少し痛みを感じるようになり、ああまた「やり過ぎ病」が出たと思った。帰宅後の歩数は1万歩程度だったが、休みなしで1万歩以上歩いたので足への負担が大きくなった。

翌日(昨日)の朝は足の痛みが再発したが、何とか我慢して午前と午後に分けて1万歩を歩いた。平日だけど大國魂神社からケヤキ並木通りの人通りは多く、若干だけど足を引きずる様に散歩を続けた。まだ暫く続けて1万歩を歩くのは無理なようだ。

毎日1万歩歩いて足腰痛が良くなったと見定めて、思い切って4月中旬に羽田から松山への航空便を予約した。一昨年に廃車手続きをし、車なしの田舎生活をする様になった。なので足腰の回復は必須条件だ。残った2か月の東京郊外の生活の間に回復しなければならない。

実は今日も「やり過ぎ散歩」に挑戦、東京競馬場を周回し約1万歩歩いた。最早孫と一緒に奥多摩の山歩き等とても無理だが、多摩丘陵くらいは何とか歩きたいと思う。自転車にも普通に乗れるようにしたい。田舎での一人暮らしには自転車で買い物に行けることも必須だ。■
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確定申告への道(2)

2025-02-05 20:24:08 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、確定申告作成の支援を受ける為3度目の青白申告会(青申)ビルに行った。今年から確定申告を青色に変えるので手助けを受ける為だ。恥ずかしい事に、手助けの約束の時刻11:15から20分遅れててしまった。私のパソコンに書き込んだ予約時刻は11:15と正しかったが、私はこの時間を自宅を出る時刻と勘違いしてしまった。

10時頃からパソコンに記録した申告データを確認をして、自宅で本番の準備を始めた。その頃に気付けば問題なかったのだが、青申カードに書き込んだ青申での開始時刻が11:15だと気付いた時は何と11:15分だった! 慌てて家内の自転車を借りて行こうとしたが、サドルの高さ調整ネジが強過ぎて調整出来ず乗れなかった。

部屋に戻って約束より10分遅れると青申に電話で伝えたが、慌ててバタバタしているうちに20分遅れてしまい担当者と顔合わせしたのは11:35分だった。そこから3種類の年金(国、厚生、米国)を報告したところで予定の11:55になった。担当の方は昼食後直ぐに次の予約があるからと目の前からいなくなった。すべては私のせいであり文句は言えなかった。

受付に戻り次の支援を3月2日(日)に予約したが、次回で申告作成が終わるのか担当の方も保証できないとのこと。私は一昨年まで自分で申告を全てやっていた、しかも半日くらいで済ませていたのが不思議だ。酷くボケてしまったと帰り道を情けない気持ちで自宅に向かった。

と、前方に珍しく私より遅い足取りで歩く老婦人がいた。私と同じ青申の予約を終えて戻る方だったと思う。追い抜いたところでポケットをまさぐって手袋が無いと気付き、「あれっ、ない」と小声をあげて彼女の前で立ち止まった。急に彼女の前で立ち止まったので「スミマセン」と謝った。

彼女はにこにこ笑いながら「大丈夫ですよ」と優しく答えた。それから次の交差点まで「歳をとって人の迷惑も顧みずついつい立ち止まった、残り少ない人生をどう過ごすか、母や父の亡くなった年齢によって死に顔が違った」等など「年寄り会話」を続けた。何を言っても「それも人生」と彼女は受け流すように答えてくれ、旧甲州街道との交差点で分かれた。神様みたいな人だった。

残り1キロ余り歩いて自宅に戻った。一人歩きになって気付いたのは、昨年末から痛みが続いていた足腰の痛みを殆ど感じなかった事だ。何で痛みが取れたのか分からなかった。今迄なら「万歳、良くなった!」と調子に乗ってあちこち歩き回り、痛みが再発したが今回は用心した。

昨日も自宅に戻ってから運動を控えたが、今日も家内に頼まれた買い物をしに近くのスーパーに行っただけだ。昨日も今日も高々3キロの距離を歩いただけ。これで何とか足腰を治して、初の「事業者」としての青色確定申告を終わらせ、4月に田舎に戻りたいと思う。■
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