かぶれの世界(新)

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田舎暮し雑感10秋(4)

2010-10-31 15:15:13 | 日記・エッセイ・コラム

食欲の秋

柿大好きの私にとって今年の柿不作はチョット寂しい。庭に2本の富有柿の木があるのだが、例年は何十個も実をつけ直接もいで食べるのが楽しみだった。今年は両手でお釣が来る程度しかなっておらず、熟するのを待っているとカラスに食い散らかされた。

利根柿の出荷が始まったと2-3週間前頃からテレビは伝えていたが、今年は不作で例年より値段が高いという。それでも、柿の産地といわれている隣町の内子町に行き、農家が直接持ち込むオープン市場で安価な2級品を買って食べている。傷がつき形が悪いが味は悪くない。

先週、近所の長老が折り詰めのカニ飯を持ってきてくれた。実家の横を流れる小川に囲いを漬けてカニや鰻を飼わせてもらっているお礼だという。蓋を開けると川ガニ独特の香りがしてきた。子供の頃祖母の実家で川ガニを散々食った。殻に残った紅く固まったカニ味噌をつついて食べた。今も変わらぬ絶品だった。

赤とんぼが消えた秋

先日テレビ番組で全国的に赤とんぼが消えたと報じているのを見て、9月中頃田舎に戻った時からずっと赤とんぼを見ていないことに気が付いた。地元の友人に聞くとお盆頃に見たとの返事、テレビに簡単に乗せられ聞いた私を恥じた。軽蔑するテレビの罠に自らかかった。それはそれとして、近年赤とんぼが減った実感があるし、他の昆虫も余り見かけない。例外なのはバッタだ。

暫く前から川縁の道を歩くと足を踏み出す度にバッタが左右に飛び立つ。バッタが目立ちだして2週間経った数日前から体の色が少しずつ緑から茶色に変化し、私の足音でもあわてて飛び立たなくなった。よく見ると落ち着いているのは交尾中の2匹だった。さもありなん。役目を果たした彼らの命は後僅かだろうと思うと、「お前もそうだろう」と内なる声が聞こえてきた。

出費の秋1

自宅のエアコンが故障したと家内から電話があった。何で今頃暖房だと思ったが、東京は一気に冷え込み12月の気温になったと伝えるニュースを思い出した。猛暑のこの夏、息子の部屋のエアコンを買い換えたのに続いてだ。「エコポイントがあるうちに買換えたほうが良い、出来るだけ安価なものでいいのでは」と勧めたが痛い出費だ。何故か故障は連続して起こる。買った時期が同じ頃という事は、故障時期も設計しているとすれば見事だ。あり得ない。

それと前後して大阪の妹が月曜日に母の様子伺いに来ると突然電話が入った。近じか嫁いだ娘や息子が大阪に顔を出すので、その前の週(つまり今週)しか田舎に来る時間が無いという。まるで母親らしくないと思って来たが、我々の歳になると普通の親らしくなるようだ。私も孫が出来て親らしい感情が湧いてきた。それはさておき、家内も甥の結婚式でその次の週に田舎に戻ってくる。

出費の秋2

彼女達の訪問に合わせて、ずっと前から壊れていた母屋の風呂を直すことにした。私は農作業の後汚れた身体で母屋に入らないようにと、別棟に作られた風呂で済ませていた。だが、女性陣には不評だった。お湯の出が悪いのは温度調整の蛇口(混合栓という)の弁周りの故障と思い、自前で交換したが変わらない。どうも給湯器本体が故障したらしい。調べると97年製だった。

メーカーのサービス窓口に電話すると、給湯器事業は撤退したといい別のサービス会社を紹介された。石油式の給湯器メーカーは2社になったという。昨日連絡して調べて貰うと、流量センサーかその先の制御の不具合のようで部品が無く修理不可だという。代品に取り替えると工事費込みでネット最安値の2倍の見積もりを提示された。

明日(つまり今日)工事をする前提で、今決めたら端数を値引きと言われ手を打った。足元を見られたかも。毎日の食事や光熱費を1円、10円と節約する一方で、二桁の万円単位の出費が連続する。先ほど工事が終り、妹や家内は気持ちの良く風呂に入れるはずだ。ついでに自己流で取り付けた混合栓を付直して貰い、水漏れの不安がなくなった。まだ終らない。最後に2階のシャワーのリモコン発注漏れが分かり、取り付けを追加する羽目になった。すっかり終った気分になっていたのに。■

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藪睨み・米国中間選挙

2010-10-29 17:54:38 | 国際・政治

支持率下落が止まらないオバマ

米国の中間選挙が来週に迫っている。念願だった医療保険制度改革法を成立させた3月23日がオバマ大統領のピークだった。それ以来予想以上に力強かった世界経済の回復基調に今年になって翳りが見えだし、私のレーダーから米国の政治事情が消えすっかり疎くなってしまった。

それ以降オバマ政権と民主党支持率は下落を続けた。ニュースの見出しをみて気にはなっていた。そこで「クローズアップ現代」などのテレビ報道などを見て、直近に報じられた選挙予測と分析記事などを拾い読みして、付け焼刃ながら論じてみたい。

オバマ政権が何故支持を失ったか付け焼刃ながら急ぎ調べた。情勢を報じる記事を見る限り現状は、昨年9月にオバマ大統領が支持率を下げた原因について私の推測(http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20090907 )の延長線上にあるように見える。

そこのけ、ティーパーティーが通る

2009年との違いは草の根が「ティーパーティー」という全国的なうねりになり、予備選で共和党の大物候補を破り選挙運動に多大の影響を与えていることだ。彼らは反改革・反リベラリズム、極端に言えば代案を示さない何でも反対タイプと特徴付けられる。

ティーパーティーは何者か。ニューズウィーク誌によればテレビに登場するのはペイリン前アラスカ州知事など女性が象徴的だが、ティーパーティー運動の中心は中年白人男性だ。中流階級は、収めた税金が金持ちと不法移民などの下層階級に使われると反発し、強い「怒り」を抱いている。

背景には経済回復が滞り雇用回復が進まず、中産階級が傷んでいることだ。2009年の期待が何も実現されず、失望に変わった。だが、ティーパーティー運動は何でも反対する無知な人達で、これに迎合する政治は米国を貶めると心配する声も聞こえてくる。ペイリン女史が奇声を上げて演壇に登る様子を見ると顔をしかめたくなる。実際、具体的な政策となるとティーパーティーは無策に近いし、共和党は政策をどう妥協させるか扱いに困っている。

消えた若者、女性の反発

深刻なのは、それ以外の層でも民主党は支持を失いつつあることだ。NYタイムズ/CBSの最新調査(10/27)によれば伝統的基盤の女性・カソリック・貧困層・無党派の支持が失われたという。多分このトレンドを変える事が出来るのは若者世代だ。だが、オバマ大統領選出の原動力となった若者世代が高い失業率に悩み、中間選挙に消極的で投票率が10%低下すると予想されている。

こうなると、日本の状況に酷似してくるように私は感じる。1票の格差が何時までも是正されないのが最大の原因だが、日本は老人と地方に比べ若者世代の政治への影響力の無さは悲惨だ。小沢氏の政治と金問題で女性の支持を失い、無党派層の若者は雇用不安で保守化した。

日本の状況は決して良くないのだが、政府が徹底的に借金し子供世代に問題先送りしている。政府の借金の結果として選挙権のある中間層の痛み和らげているのが、日本にティーパーティーのような過激な政治運動が現れない理由かもしれないと思う。

ここに来て、米国はティーパーティーに代表される無知な中流層に政治を決めさせて良いか、選挙直前になって一部の米国民の意識の変化が伺える。直近のニューズウィーク誌の世論調査ではオバマ支持が54%に回復、民主党候補への投票が48%になったと報じている。同誌は同じ記事で、不在投票(early voting)で、民主党候補がリードと報じている。

大方の予測は民主党大敗

しかし、上記のNYタイムズのように主要なメディアは民主党の大敗を予測している。Pew Research Centerは不在投票が全投票数の4分の1にまで増えると予測しているが(日本でも同じ傾向がある)、そこでも民主党が共和党を上回っているという兆候はないと報じている。民主党支持回復を伝えるニューズウィーク誌だけ突出している。

だがそれは私の期待でもある。例によって根拠薄弱の大胆占いをすると、民主党は負けるにしても大敗しないと期待する。占いより甘い期待というところだ。それがアメリカ民主主義の守るべき線であり、アメリカの良心だから。

総合すると下院は与野党逆転し、上院も逆転すれすれの際どい戦いとなる。それが現実になったら、米国も日本と同じようにネジレ国会が生じる。米国の大統領は国民が選ぶシステムであり、中間選挙は過去2年間の大統領の信任投票を意味する。しかし、困難な議会運営になっても大統領の地位が揺るぐ訳ではない。そこが世論調査や首長選の度に首相の地位が云々される日本との違いだ。■

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ポストシーズンが面白い

2010-10-25 22:46:18 | スポーツ

今年のプロ野球のリーグ優勝決定戦は日米共に面白かった。両国のシステムは違うが中日を除き日米共通して、勢いに乗ったイケイケのチームが大本命を破って勝ち残ったことだ。残った4チームは夫々特徴がある。

日本では、シーズン勝率5割そこそこのロッテが、粘り強い攻撃で西武・ソフトバンクを撃破した。シーズン中とは別のチームのような二枚腰の強さだった。唯一シーズン中と変わらず力を発したのは中日で、阪神に連勝し勢いがついていた巨人を2試合連続完封した防御力は圧巻だった。

米国では、昨年のチャンピオンのヤンキースと一昨年のフィリーズが、戦前の予想を裏切り共に敗れた。ヤンキースは金に任せて優秀な選手を補強し昨年以上の力があるはずだった。この数年フィリーズは投打が充実し、先発の顔ぶれを見るだけで「勝負あった感」があった。

だが、レンジャーズは絶対的なエース(クリフ・リー)と、現時点で世界最高の打者(ハミルトン)という2枚の切り札が活躍して、チームに勢いをつけヤンキースを圧倒した。実際、ゲームの勝敗は別にしてこの二人のプレイは惚れ惚れするというか、ただ見るだけでも楽しい。

一方ジャイアンツは初戦でリンスカムの快投と、シーズン中は特別活躍しなかったロスの本塁打連発がチームに勢いをつけた。ロスの活躍は昨年の松井のように好いところで本塁打を打ち、まさにラッキーボーイだった。これも勝つ条件の一つだ。

さて、いよいよ日本一と世界一(実は米国一だが、一応敬意を示して)の戦いが始まる。例によって私の大胆占いは、ディフェンスと監督で中日、投打の切り札の決定力でレンジャーズが勝つと予測する。どちらも初戦が重要だ。初戦でロッテの打線が中日の投手を打ち込むか、リンスカムがハミルトンら強打のレンジャーズ打線を抑えれば、私の予測は大外れとなる。

日米共に人気チームが勝ち残らなかった。日本では、地上波の中継がないという聞いたことのないシリーズになるという。米国でも、ここ数年必ず日本人選手の誰かが出場していたのだが、今年は一人もいないというのも寂しい。だが、大変興味あるゲーム内容になると期待している。■

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羽田空港の国際線復活に思う

2010-10-24 16:50:40 | ニュース

めて海外に行ったのは78年にアナハイムで開催された日米コンピューター会議に参加した時で、羽田から成田に国際線が移行した直後だったと記憶している。羽田から国際線に乗った記憶は無い。開港直後でまだ反対闘争の最中、箱崎のシティターミナルから乗ったリムジンが厳戒中の空港に到着した時の緊張感がまだ記憶の片隅にある。

当時は何故成田なのかという立地上の疑問より、何故反対を押し切って強行したのかという疑問の方が大きかった。今振り返ると、成田空港は日本経済の驚異的な成長が生み出した「冨と歪」の両方を地方や弱者に分配していく、日本の政治プロセスの典型的な例だった気がする。それも国策だったと言えなくもないが。

このプロセスはそれ以降ずっと続いてきた。成田開港後日本が「史上最も華やかだった10年間」と、その後のバブル崩壊に続く「失われた20年」の間も基本は変わらなかった。羽田国際線復活のニュースを聞いて、むしろ成田開港後のこの30年を日本衰退の歩みという風に感じる。当時のお邪魔虫はいまや千葉県の権益となった。伊丹空港の議論を見ても、歴史の皮肉というべきか。

日本を強くする為の産業や教育・インフラ等の投資が、この頃から末端に向かい始めた。経済発展の一過程と言いきれない。当時、新幹線のような効率的で優れた交通システムは世界に存在せず、日本一人勝ちの競争力を象徴する存在だった。働きすぎとか、受験戦争とか、振り返ると傲慢な余裕だった気がする。その後の展開を見ると、世界との競争はそれ程甘くなかった。

方は当然のように、新幹線・高速道路・空港から公共設備まで全て欲しがった。四国の実家の前を高速道路が走る、40年前に当時としては夢のような話を父がしていたのを思い出す。たとえは悪いが、背骨よりネイルアートに熱心になった。日本が背骨や動脈の強化より末端に投資が向かった間、世界は新幹線や港湾など効率的なシステムを作り日本を追い越した。

この間地方への利益誘導に熱心だった自民党の責任大だが、野党とメディアや民意が後押ししたのも事実である。一時期無敵と思われた製造業に代表される日本の競争力がこれ程弱体化するとは当時予想しなかった。今だにそれ程深刻に捉えていない人がかなりいると感じる。

政権交代後、小鳩体制は投資対象をハコモノから弱者救済に移行したが、益々日本の動脈硬化が進み弱体化すると悲観的(というか、むしろ絶望的)だった。空港・港湾行政や新幹線・高速道路計画の重点見直しが聞こえてきても、小沢氏が実権を握っている限り具体的な箇所付けの段階で骨抜きになるだろうと期待しなかった。

だが、菅内閣になってどうも本気らしいという希望が湧いてきた。羽田空港の第4滑走路は自民党時代からの方針だが、羽田・成田の位置付け等具体的な運用計画は、菅政権の背骨重視の基本政策線上にあると感じる。詳細は官僚のアイデアかもしれないが、出所は善悪の判断とは別だ。

レッ、菅内閣はやる気だぞ、というのが私の印象だ。JR東海のリニア新幹線の直線ルートの実質決定も同じ線上にある。自民党政権下では線路は真っ直ぐ走らない可能性が高いし、鳩山内閣でも土壇場で長野県の票が線路を曲げるかもしれないと疑っていた。菅体制の政策決定プロセスの良いところはこのような線路を曲げる要素が少ないことだ。

どうも菅内閣は今の日本の現実を直視して対処しようという腹積もりじゃないだろうか。選挙狙いだけとは感じられない。従来は、首相がそうでも周りの環境はそうでもなかった。財政赤字の取り組み、社会保障と税体系の一体議論・法人税低減など、我国にとって最大の問題を先送りしない姿勢は好ましいと、私は感じ始めている。

新聞テレビは例によって散々ケチをつけるけど、それほど悪くないぞと思い始めた。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」じゃ無ければ、「あばたも笑窪」になるのは極端だが、もっと主張に耳を傾けるべきだ。尖閣列島を巡る中国外交は拙劣と批判が多いが、両国が受けたダメージを総合するとどっこいどっこいだ。プラスでないのが残念だが、「負け比べ」とみれば良い勝負ではなかろうか。

菅首相は何も言わないというが、胡錦濤だってそうだ。最終責任者が決定的な事を言わない曖昧戦略は、二代続いた軽い発言連発首相より余程マシだ。羽田空港国際化からここまで話が発展したが、先行き困難が待ち受けていても今までの酷さから見ればグッドニューズで、この方針を評価し更なる改善に向けて後押しすべきと思う。■

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クラウドな人

2010-10-21 23:18:26 | デジタル・インターネット

気が付くと私はすっかり「クラウドな人」になっていた。つまり、気付かずにクラウドコンピューティングを利用し、それ無しでは成り立たない生活をしていた。多分パソコンや携帯などIT機器を使っている多くの人は、大なり小なり気付かずに「クラウドな人」になっているはずだと思う。

クラウドコンピューティングとは

ご存じない読者の為に; クラウドコンピューティングとはWikipediaによれば「インターネットをベースとしたコンピューターの利用形態で、ユーザーはコンピューター処理をネットワーク経由でサービスとして利用する」と定義されている。(簡単のため以下クラウドと短縮する)

クラウドが注目され始めたのはつい最近で、私が早期退職した2003年頃はAmazon.comはあったが、まだクラウドコンピューティングとして脚光を浴びてなかった。IT業界に従事していたにもかかわらず、私は初めて聞いた時クラウドが何のことか分からなかった。

その後、パソコンの先に繋がっている「雲」みたいなものという意味だと分かり成る程と思った。IT世界特有の訳の分からない用語でないことに好感を持った。当時もはや関係の無い先端技術のように感じた。だが、気が付けばクラウド無しでは生きて行けないインフラになっていた。

気が付けば世の中クラウドばかり

私の初めてのクラウド体験はAmazon.comで本やCDを買った時だと思う。現在では多くの通販はクラウド無しには成り立たない。又、このブログ記事を書く時やそれ以外でも全ての「調べ物」をする時、代表的クラウドであるGoogleやYahooの検索エンジンをフルに活用する。

通販や情報検索だけではない、銀行や証券会社のオンライン取引もクラウド技術が取り入れられている。税金支払いや日々の買い物も関わりがある。世界の主要証券市場の株価や商品価格も机の上の液晶ディスプレイに表示され、株式や投信の売買がクラウド上で可能だ。

私は東京と田舎の間を行き来してする生活をしているが、クラウドのお陰でどこにいてもメール送受信から買物、税金支払い、調査や投資など大抵のことが普通に出来る。従来通りなのは郵便や荷物など限られた「形あるもの」のやり取りと、肉声で語り自分の身体を移動させる手段だけだ。

コンテンツビジネス総倒れか

実用的なものだけではない。音楽や書籍までクラウドに取り込まれ、ビジネススの形を変えてしまった。結果的にそれは私の生活スタイルにも影響しそうだ。音楽ダウンロードが増えた結果、近年CDが売れなくなったそうだ。DVDレンタルも具合が悪いそうだ。タワーレコードが駄目になった時は驚いたが、この夏ブロックバスターが倒産した時は「お前もか」と思った。

私にとってもっと個人的に影響を受けそうなのは、書籍が電子化されるトレンドだ。米国ではビジネスモデルの変化がドラスティックな形で現われる。CD、DVDと共に代表的コンテンツである本の米国最大手販売のバーンズ&ノーブルも倒産した。新聞社の経営が悪化し地方新聞が倒産、大手も人員整理が続いているのも衆知のことで、同じ延長線上にある。

クラウドは中古市場を消滅させる

コンテンツが光ディスクや書籍など「形あるもの」に焼き付け或いは印刷されて表現されている間、私は中古市場を積極的に活用してきた。だが、デジタル記録されクラウドの大容量記憶装置に格納されると、将来中古市場に出てこなくなる可能性が高いと心配している。

いつもの大胆に占うと、究極のクラウドは「形あるもの」を不要にするだろう。貴重な音楽や書物の絶版がなくなり、売れない少数派のコンテンツが世に出る機会を与える一方で、中古市場を消滅させるだろう。私の「周回遅れの読書録」の主要ソースである古本屋も消滅するのだろうか。

蛇足: 私的クラウド歴史

以下は読み飛ばしてください。私がクラウドを意識するようになった個人的なきっかけです。
IT会社を退職後の7年間でクラウドコンピューティングが企業活動だけで無く、知らないうちに我々個人の生活のあり方を変えるほどに深く関わっていることに最近気付いた。

私は①高速コンピューター、②大容量記憶装置、③高速通信回線、④アプリケーションの仮想化、⑤セキュリティ(情報の保全)の技術進歩が新たなコンピューターの利用法を生み出したと感じる。私の理解は「コンピューター共用技術」と言った極めて専門的な頭の固いもので、最近までそれが個人生活に及ぼす影響といった視点で理解しようとしなかった。

退職して頻繁に田舎の実家に行くようになり、実家でも東京宅と同じようなIT環境を作り長期滞在できるようにした。最初は東京宅のPC環境をノートパソコンにコピーして実家で使った。だが、ノートパソコンを持って飛行機で往復するのはかさ張るし重い。家庭内イントラネット経由でのPC環境のコピーは時間がかかり、前日から準備し効率が悪く大変だった。

そこで、光ディスク(CDRW)と磁気ディスク(ICカード型HDD)を組み合わせて利用することにした。光ディスクはコンパクトだが容量不足で、PC環境のホンの一部しか収納できなかった。バックアップを兼ねて当時100倍以上の容量がある磁気ディスクを使った。高価だが読書き速度は十分早かった。これで、ノートパソコンを持ち運ぶ労苦から開放された。

そうしているうちに、USBメモリーが予想もしない速さで技術進歩し、記憶容量が増え手軽に買えるようになった。USBメモリーはパソコンに差込みさえすればディスクより簡単で高速に読書きできるし、容量もGBクラスあって十分足りた。これでパソコン環境のコピーは手段の問題ではなく、何を移行させるか内容だけの問題になった。

それでもUSBメモリーを紛失とか故障する万が一のケースに備える必要があった。この問題を解決したのがクラウドコンピュティングだった。野口悠紀雄氏はGmailの「下書き」を利用すればどこでも仕掛かり中の文書を取り出して編集できるとテレビか本で勧めるのを見て、ピンと来た。

その後、Googleドキュメントなどのサービスが追加されデジタル化されたコンテンツなら何でもどこでもアクセスでき、閲覧から文書作成・編集など仕事も趣味も出来るようになった。野口氏のヒントをきっかけに私はクラウド利用度を飛躍的に高めた。今後も「クラウドな人」の道を歩んで行きそうだ。Let’s get cloud! ■

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