かぶれの世界(新)

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独居高齢者ついに入院(2)

2023-04-30 13:59:16 | 健康・病気
あと1時間余りで「試験外泊」を終えて病院に戻る。明日病院で生化学指標など検査を受け、今後の治療法を決めそれによって退院するか否かを決めると先生に聞いた。私はその前にスーパーで下着などを買って、入院が続く場合に備える積りだ。

一昨夜、昨夜は実家でよく眠れた。キングベッドに敷布団を敷いて寝るので、病院のベッドより寝心地が良い。だが、現実は痛み止め「ロキソニン」のお陰だ。昨夜も眠れず10時半ばにロキソニンを服用し、目が覚めると3時半過ぎだった。目覚めると熟睡感があり、持病の頻尿が改善した気分だ。

入院前3日間は動けなくせいぜい1日1食だった。先生や看護師からは病気に加え、脱水症の症状が酷いとよく言われた。先生は病院に来るのが三日遅れたと指摘された。私の「やせ我慢」症がここでも影響してしまった。病気の原因になった山裾歩き前から、入院翌日に体重が2キロ減っていた。

そこから今朝の体重は0.7キロ増えていた。よく考えられた病院食でも私はご飯を3割程度は残していた。味が薄くて美味しくなかった。最初は味がなくてマズかった。だが、3日たった頃から病院食でも味は薄いがそれなりに旨味を感じるようになった。

痩せた原因は、入院直前の3日間1日1食しか食べず脱水症になった為だが、もう一つの理由は入院中は間食しなくなったからと思う。実家にいるこの2日間は自前の食事とチョコレートやクッキーをちょくちょく食べた。今後病気が治ったら山歩き等をする、食生活をどうすべきかだろうか。

明日からの検査に備え過去30-40年間の生化学指標の記録を先生やスタッフに診て貰い参考にして貰う積りだ。だが、ネットや電話で調べたところディジタル化した私の記録を病院に伝える手段がないことが分かった。ついつい相談した女性スタッフに「遅れている」と言ってしまった。

最終的にパソコンの画面をスマホで写真に撮り、病院に戻った時に関係スタッフに診て貰うことにした。マイナンバーカードを作り保険証代わりに使えるようになる計画を聞いた時から、多分私のカルテはディジタル化されどこの医者も見ることが出来ることにはならないと期待しなかった。今回、東京に戻ってもそうなるのではないだろうか。■
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独居高齢者ついに入院

2023-04-29 19:30:10 | 健康・病気
1週間前に投稿した「認知症の私は馬鹿か」は、その3日後に人生3度目の救急車で病院に運ばれ入院する前触れだった。結論は馬鹿で正しかったのだが、話は長くなるので現時点から遡って紹介したい。というのは昨日午後から入院したままで「試験外泊」が許され実家に戻ってきている。

病院で昼食を済ませバスで実家の近くのスーパーまで行き、当座の食料を仕入れ母が馴染みにしていたタクシーで実家まで戻った。郵便受けは地域の回覧物や郵便・新聞等で一杯だった。想像するに2日前から気を利かしてくれ、郵便受けのスペースを食う新聞配達が止まっていた。

驚いたのは東京の自宅のある自治体から6回目のワクチン接種の案内が来ていたことだ。ニュースになった記憶はなかったのだが。想像した通り、対象は後期高齢者の私だけだった。多分、自治体固有の判断かもしれない、となると田舎のここで市民じゃない私は対応されないかも。

玄関を開けて家に入ると当然のことながら私が救急車に乗せられた時のままだった。玄関の電話置台の横にに食べ残しのカップに箸が突っ込まれたまま置かれてた。今ではビッコを引きながら、段差がある広い家の中を歩き階段を上り下り出来る。これが克服できず救急車を呼ぶ原因になった。

放置していた洗濯物と病院から持ち帰った衣類を洗濯機に放り込んで洗濯機を動かした。夕飯は冷凍の讃岐うどんに揚げ物と少しくたびれたねぎの刻みをかけて食べた。郵便物を整理してワクチン接種以外にも四国電力の契約変更通知とか、地域ごとに異なる対応が必要な通知を整理した。

その後風呂でシャワーを浴びて洗濯機をチェックするとエライことになっていた。洗濯物が白いゴミにまみれていた。洗濯物のポケットなど所々に小さなコブみたいなものがあり、掴むとグニュグニュした気持ち悪い塊があった。水洗いや手洗いをトライしたが効果なく、乾かして処理しようと一旦諦めた。その後、書斎に上がってパソコンとスマホでメール等の整理をした。

正直言ってこれでは「試験外泊」は疲れるために外泊する為にしかならない。だが、嘆いても私の他には誰もいない。半分以上の処理を残したままテレビの娯楽番組を見て寝ることにした。だが、深夜になっても患部に熱を感じ眠れなかった。だが、ここで初めて入院した教訓の一つが機能した。

夕食後に服用した痛み止め「セルコックス」とは他に、深夜11時過ぎに「ロキソニン」を服用した。そうすると知らない間に眠り込み、気付くと12時過ぎで睡眠時間は短いが熟睡感があった。次に目が覚めると朝の7時前だった。今迄は薄い痛みでも眠れなかったようだ。

病院でも同じ経験をした。最初は深夜4時に看護婦が気付き「ロキソニン」を飲ませてくれ、その次の回は11時に私から申し出てナースセンターの担当に「ロキソニン」を依頼し睡眠時間を確保した。寝る前に看護婦と眠れない時の手順は決めていた。私は痛みに強い男だと自負し、処方されても我慢できる時は飲まないが、今回先生や看護婦は薬は必要な時は必ず飲むべしという。

私は勘違いしてた。痛み止めの「ロキソニン」が睡眠を助けてくれるとは思いもしなかった。私にはその効果は驚くべきだった。素人の私が勝手な判断をしてはいけないが、今回の病気(靴の摩擦が誘因した疑痛風による痛み)に対する睡眠誘導には抜群の効果があると証明された。■
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認知症の私は馬鹿か

2023-04-22 19:35:17 | 日記・エッセイ・コラム
今日は一歩も家から出なかった。正確には洗濯物干しに庭まで出た。一昨日久し振りに山裾歩きをしたが、その時履いた頑丈な靴が窮屈で、外反母趾部分が赤く腫れてに靴に当たる部分が圧迫され赤く腫れあがり痛みが下半身全体に広がった。ベッドの上で足を動かすと痛みで何度も目が覚めた。

昨日の夕方になって少し痛みが退いたと感じたので、川沿いの道を足慣らしで散歩した。4‐5キロ程度の距離なので軽い散歩の積りだった。夜ベッドに入り寝返りを打った時の痛みは少し軽くなったと思ったが、今朝起きて寝室から出て1階に下りる時の痛みが最悪で家を出る気にならなかった。

そこまで来て「待てよ、これって今まで何度も経験した痛みだ」と気づいた。やっと気づいた。先ず、何度も足を痛めた頑丈な作業靴で山裾を歩くべきではなかった、一旦足を痛めたら軽いからと言って散歩してはいけなかった。今迄に何度か同じミスをして足を痛めたのに忘れていた。

最近の私の物忘れは酷くなる一方だ。頻繁に名前を忘れたり約束事を忘れたりし、家族も私自身も認知症が進行していると認識している。注意しなければいけないと分かっている。同じ間違いを何度も繰り返すのは、自分自身馬鹿だと思いながらどうにもならない。

来週は田舎の親しい友人と食事しようと約束しているが、この調子だと約束を守れないかもしれない。何とか約束を守ろうと今日は家に籠ったが、明日の状況によっては残念ながら延期をお願いしたいと思っている。■
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予想通りの岸田首相襲撃の的外れ報道

2023-04-20 17:56:40 | 国際・政治
岸田首相が爆弾襲撃を受けた時、テレビ報道は娯楽番組を流し続けたのは国辱的な大失策だと投稿した。BBCやCNNといった海外メディアですらリアルタイムで報じたというのに恥ずかしくないのかと。しかし、それだけではなかった。マスコミ報道は翌日から警備体制の問題を指摘したが、次に犯人の政治的背景を時間をかけて延々と解説し始めた。又も脱線した、懲りない人たちだと思った。

私はこのマスコミ報道の展開を見て安倍元首相暗殺事件後に展開されたマスコミ報道を思い出した。最も重要なのは国民が選び海外からも高く評価されていた日本政府の元トップが不法な手段で殺された、二度とこんな事件が起こらないよう要人警護等を徹底的に追及すべきだった。それより大事なことなどない。だが、今回の恥ずべき報道は何が大事か全く理解してないと証明した。

安倍元首相暗殺事件についてマスコミがが的外れの報道を延々と続けたのが、結果的に今回の岸田襲撃事件を引き起こしたかも知れないと反省しないのだろうか。犯人だけでない、自らの立ち位置に根拠不明の不満を持つ輩に次の事件を誘発する恐れさえあると私は思う。私はマスコミが煽った恐れさえあるように感じる。もっと節度を持った報道をして欲しい。

報道に係る人材はそれ程馬鹿じゃないはずだ。何故こんな馬鹿な方向に報道がねじ曲がってしまうのか、私には理解できない。マスコミ各社の幹部の指導に従って報道が方向づけられているのだろうか。私には記者の考え方が普段から指示を受け偏向しているかもしれない、今回のような国の最も重要な事件の報じ方を見てその可能性があると思った。

だが、こんな異常な現象は今に始まったことではない、日本だけの事でもないことも私は理解している。馬鹿な報道は過去に日本だけでなく、ドイツや英国にもあった。SNSが発達した現代では欧米に限らず更に危険な現象が起こりうる。貧富の差は捻じ曲げる強い力がある。重要なのは、傾いた国の「復元力」であり、優れた指導者を選ぶ国民の力でありそれを助けるマスコミだと信じる。■
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認知症と戦う高齢者

2023-04-19 20:14:53 | 日記・エッセイ・コラム
多分、普通の人にとっては別に戦う程の事はないと思う。しかし、年々物忘れが酷くなる私には物忘れを繕う為に必死だった。最大の問題は地場銀行の通帳を東京の自宅に忘れて来たこと。キャッシュカードは持参したが暗証番号を忘れ使えない。これ以上間違った暗証を使うとカードが無効になると同時に、共用のクレジットカードも使えなくなるので身動きできない。

田舎暮らしに必要な費用は地場銀行から引き出して使い、東京の自宅での生活費用と分けて来た。実家で発生する費用は母の死後私が全て負担していたが、家族に意識させないように家計を分けていた。二つの家計を管理することは苦にならなかったが、記憶力が劣化するにつれ上記のような問題が起った。後期高齢者になって年金収入が減った、だが節約すれば家計のやりくりは問題ではない。

だが、少額だとしても銀行から生活資金を引き出せないとどうにもならない。事前に銀行に事情を説明して古い通帳・印鑑・キャッシュカードと免許証を持参して受付に行ったが、30分以上たってやっと呼び出された。手続き後ベンチに戻り再度呼び出されるのを待ったが、事前に事情を説明したのに中々呼び出されない。対応してくれた行員は事前説明した人そのものだったのだが。

ベンチで待っている人が少しずつ減って来て、残った中年女性と二人だけで自然と愚痴るようになった。彼女によると市内にある銀行支店は他に第二地銀と他県の銀行支店で、大手銀行の支店はなくサービスを競争する環境にないらしい。会話が弾み始めた頃に受付の行員が来て、手続きが遅くなって申し訳ないと謝りに来た。かといって具体的にどうするか説明はなく時間は経過した。

1時間以上たって受付行員がきて処理が終わったと伝えられた。気の短い私が予定が狂ったと嘆くだけで怒らなかったのは、対応してくれたのが若くて可愛い女子行員だったことだ。彼女によると3月4月は人事異動等による面倒で時間のかかる手続きが多い為だという。私はホントに困ったけど君みたいな若くて美人な子じゃ怒れないと言いたい放題調子よく言ってしまった。

全ての処理が終わって残された話し相手の女性に手を振って挨拶し出口に向かった。すると又もや受付の行員がすっ飛んできて謝罪した。私はお蔭で残された女性客と知り合い話が出来ましたと笑って答えた。彼女も良かったと返してくれた。私は認知症気味だけど全く調子いい男だ。

しかし、まだやらなければいけないことがあった。その後昔から世話になっている司法書士の事務所に行って、母の時代から農地の土地貸借の契約書類を依頼して帰宅すると1時半頃になっていた。今迄ずっと苦にせず処理して来たのに、肝心なことを忘れるて何もかにも難しく苦労している。■
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