かぶれの世界(新)

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新・沖縄の心

2017-06-29 21:50:16 | ニュース
沖縄の基地移転について若者の声から発想を膨らませた私の大胆仮説です。

6月23日は第2次世界大戦の終末時期に日米が沖縄で戦い、日本軍の組織的戦闘が終結した最後の戦いと言われる。多くの住民が巻き添えになった沖縄では沖縄戦没者追悼式が行われ、参加した安倍首相の前で翁長知事が辺野古沖基地移設の中止を求め参列者の拍手を浴びたと報じられた。

いつもの通りで予想された反応だったので驚きはなかったが、それより少し前に報じられた沖縄の最近の若者たちの「基地反対」の意識が私には新鮮に感じた。彼等の主張は同じ基地反対でも、従来の「沖縄の心」という被害者的立場から米軍基地は沖縄から出ていけという主張ではなかった。

彼等は米軍基地は日本の安全保障の為に必要だと考えるが、その為の沖縄の負担を本土にも分担して欲しいというものだそうだ。そう主張する沖縄の若者が増えているのだそうだ。テレビ局がどこだったか記憶してないが、普段の報道姿勢からテレ朝やTBSが報じることのない「沖縄の心」だと私は思った。

この若者の主張は本土に住む人達にもスッと入って行くと私は感じた。同じ国民目線でものを言ってるように感じるからだ。第2次世界大戦の惨禍を被った人たちは数百万に亘る。各地で戦死した兵隊だけではない、広島と長崎の原爆被害や東京大空襲でも何十万人の民間人が亡くなった。別に戦争だけではない。神戸や東北大震災で多くの人が亡くなり心が残された。沖縄は特別だけれども沢山ある悲惨な歴史の一つでもある。

若者たちの訴えには、本土も沖縄も同じ日本人だとして負担を分担してくれという気持ちが伝わってくる。そこには「米軍基地は日本の安全保障にとって必要、つまり自らも日本国民として国民の安全を大事に思ってます」というメッセージが込められていると感じる。上記のマスコミ報道や一部野党にはその心が感じられないのだ。

昨今の世論調査では多くの国民的な争点でシニア世代と若者世代の間に断絶らしきものが感じ取れる。戦争を直接体験したか戦争直後の過酷な経験をして育ったシニア世代は、戦争を引き起こすあらゆる可能性に反対なのは理解できる。だが若者たちは今を生きそこから自らの将来を重ね合わせ物事を判断して主張していることを忘れてはならない。

沖縄だけではない。私にはシニア世代と若者世代の考え方のギャップが世界的に広がっている様に感じる。上記に指摘したマスコミの報道姿勢はシニア世代の人達と同じ延長線上にあると思う。無茶苦茶の論理と言われるかも知れないが、シニア世代が英国のEU離脱を決めたのと大阪都構想を反対したのは同じ構図だ。

私には「沖縄の心」も「シニア世代の心」になりつつあると思う。だとしても、毎年世代は入れ替わってゆく。このような世代間ギャップは5年も経ったら風景を全く変えるだろう。新しい風景を見て死にたいものだ。■
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民放が無視する加計学園ニュースの何故

2017-06-27 21:11:29 | ニュース
昨夜のNHKニュースで「加計学園の獣医学新設決定で行政が歪められた」という訴えに関して、決定に関わった諮問会議の委員が記者会見した模様が報じられた。記者会見したのは八田大阪大教授や竹中東洋大教授ら識者と特区に指定されている福岡市などの6つの自治体長で、歪めたのは寧ろ「50年に亘り獣医学部新設を認めなかった文科省」ではないかと反論したという。私には理屈の通った指摘と思った。

「医師会と厚生省」みたいに「獣医師会と文科省」の間で生まれた岩盤規制なるものがあるはずだと思っていたので、加計学園騒動が始まった最初の頃から規制緩和に関わる摩擦の側面があると推測していた。そういう視点からも見る必要があると思っていたが、報道された内容は官邸が決定に影響を与えた可能性の指摘ばかりだった。彼等は自社の主張と異なる諮問会議のような出来事を無視する傾向があると感じる。

文科省内の非公式メモや前川前事務次官からの漏洩情報と、それに対する政府側の反論をメディアは報じて来た。何故なのだろうか。諮問会議は政策を最終的に決定したプロセスだったはずだが、毎日見るTBSの昼のニュース番組では諮問会議を無視したまま政局評論家に論じさせている。他のテレビ局も多分同じ、一方政権の反論に沿う諮問会議のニュースはNHKのみ。私は何か見落としているのだろうか。■
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東芝の危機

2017-06-25 15:33:13 | ニュース
といっても現在の東芝の経営危機ではなく、50年近く前に売れっ子の経済評論家の三鬼陽之助氏が著したベストセラーの題名のことだ。当時東芝に就職が決まった友人に私達悪友がからかった記憶がある。しかし、その後東芝は危機を脱し日本を代表する大企業であり続けたはずだった。山手線の浜松町を降りて歩道橋を歩くと長方形の本社ビルの存在感は図抜けていた。品川の社員倶楽部の門は大名屋敷みたいだった。

私が現役の頃には東芝のパソコンは世界的なブランドだった。何度か浜松町の本社に行きその成功を目の当たりにした。ビジネス上のことだが知人も出来た。会議で知り合った人達は皆退職されたと思う。それでも、会計不正で売りに出された半導体事業の人達のことを思うと、昔の競争相手の苦境に胸が痛くなる思いだ。

多分、彼等にとってみれば今回の東芝の危機には何の責任もない「貰い事故」であり、逆に最も会社の業績に貢献して来たのにこんな仕打ちを受けるのは納得いかない、というのが多くの人達の心情ではないだろうか。会計不正が表面化してから長い時間が経過したが、この心の傷は一生癒えないだろう。

特に西田元会長はIT事業を再興させた立役者(外からはそう見えた)だけに、同じ西田氏が仕掛けたWHの買収が会計不正の発端になったと聞くたびに、裏切られたという気持ちなったと思う。一方、マスコミ報道は福島原発事故以降「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」的に、東電のあらゆる活動に対して十羽一からげで否定的になったが、東芝にも同じものを感じる。

昨今の「東芝の危機」報道にもそのような傾向がある。東芝の半導体事業は関係者の頑張りで競争力を維持し唯一日本で残った、私から言わせると凄いビジネス・ユニットなのだ。危機は彼等の失敗ではなく、他のビジネスの失敗と経営陣の企業統治問題で会社が窮地に陥っているだけなのだ。東芝本体は東証2部に降格、更に上場を維持出来るかも分からない状況だ。虎の子の半導体ビジネスを売る以外に生残れないと判断した。

仮に半導体ビジネスが報じられたスキームで買収されたとしても、新生「東芝メモリ」の経営が順調に存続するか疑問だ。激烈な世界市場で生き残るためには、1)半導体ビジネスをよく理解して的確な判断を下せるトップと、2)何兆円にもなる設備投資を継続していく資金が必須だ。今は東芝本体が生き残るための資金調達のみ注目されているが、東芝メモリが生き残るのも大変なことなのだ。そういう視点からの報道が望まれる。■
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考古学のたたり(続)

2017-06-24 21:19:14 | うんちく・小ネタ
2日続けてこのテーマで記事を書くとは思わなかった。朝食後いつものように新聞をチェックした後、MLBの田中・ダルビッシュの日本人投手対決を見ているとYさんが来られた。昨日「市はさっさと自分の仕事をやれ」と二人で意見を合わせた。そうしたら休日にも拘らず早速市の教育委員会の担当学芸員と一緒に来られた。

Yさんの凄い実行力に驚いた。多分Yさんはこの分野で市の職員を休日に駆り出すほどの影響力を持った人なのだろう。私にはどうでもいいことだが。用件そのものは直ぐに終わった。もし我が家の山林なら自由に発掘しても結構、終わったら原状回復してくれ、山林の境界確認は関係部署とやってくれと繰り返して終わった。

実は、それから後の話がやたら長かった。話題を変えようと話の腰を折る合いの手を入れると、Yさんは自由自在に次々と新しいテーマを語りだす。私は学芸員に市の博物館があれば是非展示物を見たい、どんなものが展示されているか知りたいと聞いた。そうするとYさんが引き取ってくどくどと解説するといった具合だ。

彼等の解説によるとこの地域は1万年前の縄文土器やもっと古い石器時代のものが出土したらしい。土器や石器などが出土した所はかなり広い地域にまたがっており、古代人口がかなり多かったようだ。興味深かったのは弥生時代の土器が標高150-200mの山中から発掘されているとう。

時代によって土器等を発掘する標高が上がったり下ったりするのだそうだ。弥生時代は何故か(理由を聞いたけど彼等は知らなかったようだ)山に居を移したらしく、今回もその延長でYさんのような民間人が見つけたのだという、我家の山林で。ところが石器時代の出土品は平地から出て来たという。

Yさんの自画自賛風の解説によると、ここ大洲市は次々と出土する土器・石器とか言い伝えから古代日本の文化の中心だったというどこかの有名な先生を引用した。ホンマカイナ。ここはどこにでもある田舎の城下町かと思っていたが、古代から続く歴史があるとは驚きだった。

それにしては沢山の遺跡を生かした街づくりが出来てないと持論の市政批判から財政難まで以前からの疑問をぶつけ話は延々と続いた。散々話の腰を折る合いの手を入れたが、Yさんと気が合った。私達は同じ人種かも知れない。昼前に二人の訪問者はわざわざ背丈もある雑草の山道を越えて隣の集落「都」に戻って行った。■
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考古学のたたり

2017-06-23 17:34:23 | 日記・エッセイ・コラム
午後書斎で好きな音楽を聴きながらゆったりしていると、来客があった。机の横のインターフォンの画像を見ると知らない老人がもぞもぞ言ってるが聞き取れない。午前中バドミントン練習に参加したので2階から玄関まで急な階段を降りて行くだけで結構辛い。小一時間前に近所のオバサンに檀家会費を支払ったばかりで、今度は何の支払かと思いながら少しつっけんどに「すぐ行きます」と答え降りて行った。

隣の集落に住むYさんだった。名前は憶えていたが顔と一致しなかった。Yさんちは本家と分家があって、今日来られたのは分家の方だったから分からなかったのかもしれない。話がとりともなく要件が何だか分からないまま、私としては珍しく辛抱強く聞いた。我家の裏山の境界から土器が出土した、許可なく溝を掘ってしまったので了解を得るために来たのだそうだ。

その土器は弥生時代の特徴ある形をしており、専門家は1800年前頃のものだという。「えー、凄いな。こんな田舎に!」と驚くと、この辺はかなり昔からの歴史がある土地なのだそうだ。私の住む実家の集落の名前は古城(こじょう)、Yさんの住む集落は都(みやこ)というのがその証拠だとY さんは言った。だが、以前投稿したように我が家の祖先は400年前に土佐から逃げて来て土着した。先祖は戦国時代以前の歴史とは関係ない。

昨年東京府中市の自宅を建て直した時、平安時代頃の土器が出土し一時工事が中断した。その時は市から連絡を受け、都の条例に基づき教育委員会から正式に通知が来た。仮住いの期間が伸びて予定外の出費がかかった苦い思い出がある。しかし、条例があるので文句も言えなかった。そして、今度は田舎の実家の裏山からもっと古い土器が原形を保ったまま出て来た。悪い予感がした。

何故、民間人のYさんが来られたかというと、3年前だったかに国調(国土調査)を受けたがまだ100%確定してないからという。さっぱりわからない顔をすると、山の境界は別の係りが担当で国調が終わるまで確認できないのだという。原状回復して貰えば私は構わないが、この件は市役所がキチンと対応すべきだ、私は3年前に地図を見た、市役所内の屁理屈などこねるなと。さっさと仕事をやれと言って下さいと言って要件は終わった。

実はそれから先が長かった。Yさんは「おすくな社中」の相談役で、少彦名神社(すくなひこな神社)の復元保存の活動をしているという。私も本家から関係本を頂き、少しは聞いたことがあるので質問したのが良くなかった。それから延々話が続いた。3年前に「危機に瀕する世界遺産」に登録され、昨年修復活動がユネスコアジア太平洋の年間最優秀賞を受けたのだそうだ。そりゃー、言いたいことが沢山あるはずだ。聞くしかない。

その後保存活動や集会に参加を誘われたが、私は「宗教心が全く無くて」とか的外れの理由で断るのに汗をかいた。なんだかんだで午後の予定がぶっ飛んでしまった。これも考古学のたたりか!■
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