アジアカップの直後、反日中国観客が起こした騒動の政治的な側面についてマスメディア、とくにTVは過剰と思える反応をしたが新聞は概して抑制気味であった。 その後世の中の関心はアテネオリンピックに移り、もう議論されることもなくなった。 メディアは当然暴走した数千人に焦点を当て繰返し同じシーンを放送したのだが、残り90%以上の観客について田原真司氏がNBに興味ある記事を書いていたのでその抜粋を以下に紹介する。 要約すると鄧小平改革の結果生まれた持つものと持たざるものの階級、即ち、スタジアム内の中国経済の急成長で生まれた富裕層とスタジアム外の売れるものなら何でも売ろうという貧民層である。 経済成長の安定化と冨の配分の不平等の克服についての中国政府の取り組みは今後5~10年の世界経済の行方を左右するものであり注目される。
入場者数6万人余りのうち、試合後の反日騒動に加わったのはせいぜい数千人。中国人サポーターの9割以上は、ゲームが終わるとさっさと家路に就いた。 スタジアムの門前で若者たちが気勢を上げているすぐ脇を、はるかに多くの人数が一瞥もくれずぞろぞろと帰っていく。公安当局の警備が厳しいので、面倒に巻き込まれないようにしている様子でもなかった。むしろ本当に関心がないのか、あるいは騒いでいる連中と一緒にされたくないように見えた。
実は、アジアカップの入場券の価格は、北京市民の物価感覚で考えるとかなり高額だった。一番安い席でも200元(約2600円)。最も高い席は2000元(約2万6000円)と、平均的なサラリーマンのほぼ1カ月分の給料に相当する。しかも、決勝での日中対戦が決まると、入場券はたちまち売り切れ、ヤミ市場で定価の2~3倍で取引されるプラチナペーパーと化した。試合が後半に入ってからダフ屋に聞くと、そ
れでもまだ定価400元のチケットを600元で売っていたほどだ。 つまり、スタジアムの中で観戦していた中国人サポーターの多くは、高価な入場券を買えるだけの購買力を持つ、中産階級以上の富裕層だった。
こうした豊かな人々は、「改革開放の総設計師」と呼ばれたトウ小平氏が生み出した新たな階層である。78年12月、トウ小平氏は中国共産党の重要会議で「一部の地域、一部の企業、一部の労働者や農民の収入が先に多くなり、生活が先に向上するのを許容しなければならない」と提唱した。いわゆる先富論である。海外からの投資受け入れに有利な沿海部や、一生懸命に努力する個人が先に豊かになること認め、中国経済全体の発展の牽引車にしようとしたのだ。 先富論の理想は、先に豊かになった者がやがては貧しい者を助け、最終的に「共同富裕」を実現することである。アジアカップ決勝の夜、反日騒動の中心にいたのは、チケットを買えず場外で応援していた学生らしき若者だった。しかし、スタジアムから出てきた豊かな人々は、彼らに同情するわけでも、逆にたしなめるわけでもなく、どんどん立ち去っていった。
そしてもう1つ、同じ場所にいながら騒動に全く無関心なグループがあった。スタジアム周辺の群衆を目当てに集まった物売りたちだ。入場券の値段をつり上げたダフ屋はもちろん、中国の国旗から応援用のラッパ、アイスクリームやミネラルウオーター、子供のおもちゃに至るまで、売れそうなものなら何でも売っていた。 物売りたちの多くは、国有企業のリストラで失業したり、地方から出てきたが仕事が見つからない貧しい人々である。騒ぎがエスカレートし、警官隊とのもみ合いが始まっても、物売りたちは眼中にないかのように商売を続けていた。彼らの頭の中は、今日の生活を支えるカネを稼ぐことだけでいっぱいだったのだろう。
トウ小平氏の先富論は、中国に驚異的な経済成長と生活水準の向上をもたらした。しかし同時に、貧富格差の拡大という矛盾も生んだ。工人スタジアムの前で目にした、互いに無関心なグループのコントラストは、富める者と貧しい者の間の深い溝を感じさせた。
入場者数6万人余りのうち、試合後の反日騒動に加わったのはせいぜい数千人。中国人サポーターの9割以上は、ゲームが終わるとさっさと家路に就いた。 スタジアムの門前で若者たちが気勢を上げているすぐ脇を、はるかに多くの人数が一瞥もくれずぞろぞろと帰っていく。公安当局の警備が厳しいので、面倒に巻き込まれないようにしている様子でもなかった。むしろ本当に関心がないのか、あるいは騒いでいる連中と一緒にされたくないように見えた。
実は、アジアカップの入場券の価格は、北京市民の物価感覚で考えるとかなり高額だった。一番安い席でも200元(約2600円)。最も高い席は2000元(約2万6000円)と、平均的なサラリーマンのほぼ1カ月分の給料に相当する。しかも、決勝での日中対戦が決まると、入場券はたちまち売り切れ、ヤミ市場で定価の2~3倍で取引されるプラチナペーパーと化した。試合が後半に入ってからダフ屋に聞くと、そ
れでもまだ定価400元のチケットを600元で売っていたほどだ。 つまり、スタジアムの中で観戦していた中国人サポーターの多くは、高価な入場券を買えるだけの購買力を持つ、中産階級以上の富裕層だった。
こうした豊かな人々は、「改革開放の総設計師」と呼ばれたトウ小平氏が生み出した新たな階層である。78年12月、トウ小平氏は中国共産党の重要会議で「一部の地域、一部の企業、一部の労働者や農民の収入が先に多くなり、生活が先に向上するのを許容しなければならない」と提唱した。いわゆる先富論である。海外からの投資受け入れに有利な沿海部や、一生懸命に努力する個人が先に豊かになること認め、中国経済全体の発展の牽引車にしようとしたのだ。 先富論の理想は、先に豊かになった者がやがては貧しい者を助け、最終的に「共同富裕」を実現することである。アジアカップ決勝の夜、反日騒動の中心にいたのは、チケットを買えず場外で応援していた学生らしき若者だった。しかし、スタジアムから出てきた豊かな人々は、彼らに同情するわけでも、逆にたしなめるわけでもなく、どんどん立ち去っていった。
そしてもう1つ、同じ場所にいながら騒動に全く無関心なグループがあった。スタジアム周辺の群衆を目当てに集まった物売りたちだ。入場券の値段をつり上げたダフ屋はもちろん、中国の国旗から応援用のラッパ、アイスクリームやミネラルウオーター、子供のおもちゃに至るまで、売れそうなものなら何でも売っていた。 物売りたちの多くは、国有企業のリストラで失業したり、地方から出てきたが仕事が見つからない貧しい人々である。騒ぎがエスカレートし、警官隊とのもみ合いが始まっても、物売りたちは眼中にないかのように商売を続けていた。彼らの頭の中は、今日の生活を支えるカネを稼ぐことだけでいっぱいだったのだろう。
トウ小平氏の先富論は、中国に驚異的な経済成長と生活水準の向上をもたらした。しかし同時に、貧富格差の拡大という矛盾も生んだ。工人スタジアムの前で目にした、互いに無関心なグループのコントラストは、富める者と貧しい者の間の深い溝を感じさせた。