かぶれの世界(新)

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覇者の驕り(続々)公聴会の成果

2010-02-28 23:54:34 | 社会・経済

品質問題について米国公聴会に出席したトヨタの対応を、私の独断的で天邪鬼な見方でコメントする。大雑把な見方だが何かとケチをつける傾向のある論評に対して、ここはプラス志向全開で行きたい。

国下院の公聴会に出席した豊田社長及びトヨタの対応について、日米のメディアの評価を見比べた。総合すると「日本人トップとしては」と注釈付だが、かなり成功したと私は思う。実際、海外の公の席で日本人トップが言葉で説得して窮地を切り抜けた例を私は思い出せない。

端的に言うと、公聴会出席前の米国メディアの報道は質量共に前例のない多さだったが、公聴会後からピッタリ止まった。過熱報道を黙らせたとは言わないが、豊田社長の証言で少なくとも暫らくは沈静化させることに成功した。冷泉彰彦氏の評価「ひとまず及第点」が適切な見方と思う。

公聴会での通訳の妥当性は分からないが、具体的なやり取りについてトップが前面に出て説明する米国文化では受けられない等と問題を指摘する専門家・評論家の声を殆どの日本メディアは取り上げていた。だが、テレビで批評している人達が元々極めてドメスティックな人達で、彼らの尤もらしい批評を聞いても説得力があるようには聞こえない。

米国での集中豪雨的な報道のお陰で、豊田社長は今最も顔を知られた日本人だろう。鳩山首相は知らなくても豊田社長なら誰かすぐに答えられるだろう。公聴会では偉大なトヨタ創設者の孫(米国でも名門出を特別な目で見る者も多い)に敬意を表し、彼自身も誠実な印象を与えることにある程度成功した。トヨタは米国の企業市民であることに疑問をはさむ声は余りなかった。

聴会の後トヨタディーラーや従業員との会合で声を詰まらせ涙を見せた映像は印象的で、彼が強欲な経営者ではなく血も涙もある人間だと印象付けた。電子制御のブレーキの安全性など肝心なところをはっきりさせなかったという非難もある。その通りだ。

だが、リーマンショック後の金融関係や自動車産業トップが如何にも傲慢で強欲な印象を与えたのに比べると、豊田社長の誠実そうなつぶらな瞳を見て誰も強欲だったとは思わなかったと思う。その意味で広報戦略としては寧ろ大成功だった。米国企業でもそうはうまくやれてない。

一般に言われるように涙は一概にマイナスとは限らない。今回の豊田社長の涙とボディランゲージの組合せは、米国人にとっても弱さより誠実さの表現になり悪くなかった、というのが私の受けた印象だ。感極まり涙が出そうになるのをグッとこらえ、おもむろに向き直って決意を表明すれば満点だが、それ程芝居がからなくとも「ああこの人はいい人だな」と誰もが思ったはずだ。

もちろん車の安全性が明確に証明されない限り最終的な決着はありえない。既に起こった不幸な事故に対する賠償金は巨額にのぼるのは間違いない。過去は変えられない。だが、車の販売は何があろうと今後も続く、販売の落ち込みを食い止め前向きな仕事に全力を注ぐ、そういう環境を作るために最低限の社長の仕事をしたと私は評価する。■

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天邪鬼の秘かな喜び

2010-02-26 12:21:23 | 日記・エッセイ・コラム

天邪鬼の私が、理屈っぽい皮肉たっぷりの毒舌家であることは私を知る人の間では定着している。そのために時折、意図せず人の心を傷つけ、しかもそれを気付かず後悔することが良くある。もしかしたら年齢のせいで最近その傾向が強くなったかもしれない。

ということで内心は思っていても口に出さないことがある。私にはその程度で丁度いいのかもしれない。そういう時私と考えを同じくする声を聞くと、秘かにほくそ笑んでしまう。昨日何気なくFM放送を聴いていると、「韓国のキムヨナ選手の動きがとても優雅で女性を感じさせる」みたいなことを言う視聴者の声が紹介された。

オリンピックが始まって以来、有力な金メダル候補として浅田選手や安藤選手が微にいり細にわたり連日紹介され、とてもキムヨナが好きだとかいう雰囲気が私の周りでは無かった。我が家の食卓での会話でもそんなことを言うものなら冷たい視線が向けられる。

国別対抗である限りオリンピックでは日本人選手を応援しろよ、みたいな感じだ。そんなもんだから、この視聴者の勇気ある発言(と私には感じる)には嬉しくなった。でも、オリンピックが終るまでは私は言わないことにしている。

同列では議論できないが、先日のテレビ番組のアンケートで「日本を良くした人ナンバーワン」が小泉前首相だったと聞いた時、私にはそれに似た驚きだった。政権交代後で政治家が言うのは理解できるが、いわゆる評論家諸氏が殆ど例外なく小泉改革批判をするのには違和感があった。

今でも小泉改革を高く評価する私は、テレビから声を揃えて流れてくる小泉批判の前に、表立って積極的な小泉擁護をするのは気がひけた。それだけに、アンケートがどれだけの信頼のおける手法をとったのかはさておき、その結果を聞いてフィギュアスケート選手の好みに関するのと同種の気持ちになった訳だ。

先日の国母選手の報道のあり方は、その後熱が冷めて冷静な報道に変った。もっと活躍していれば私の天邪鬼的喜びが増したのだが。キムヨナと小泉氏についてはどうなるだろう。天邪鬼の私には興味ある展開になるかもしれない。■

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長崎からのメッセージ

2010-02-22 22:25:25 | 国際・政治

長崎県知事選で与党3党が推薦した橋本氏が、自公両党が推した中村元副知事に大差で敗れた。民主党幹部や閣僚まで選挙応援に投入されたが、昨夏衆院選の全選挙区で勝った長崎県で約10万票という予想外の大差がつき、まさに惨敗したといってよい。

一方、朝日新聞が週末に実施した世論調査で内閣支持率は37%になり、支持率低下が続いていることが報じられた。支持率低下の最大の原因は政治資金問題で、特に小沢幹事長の説明責任と民主党の対応姿勢が納得されていない為と分析され、選挙結果を反映した形となった。

深刻なのは、民主党への信頼が揺るぎだしたことだ。夏の参院選で民主党が過半数を占めないほうがよいという意見が55%、占めた方がよいが31%だったことだろう。この意味するところは、政治資金問題が小沢氏個人から民主党の問題になったと見る。この状態を放置できない、民主党は早急に解消すべきであると考える。

報道によれば、小沢幹事長は利益誘導と引き換えに組織票を確保する戦略を重視し推進してきた。しかも今回の選挙戦では閣僚から衆参議員まで大動員し、かつて自民党がやった地元利益誘導を選挙戦術に使うという露骨な運動をやったが全く効果が無かった。つまり組織票より結果を左右する大きな力が働いた。

それはチョット考えれば至極当然のことだ。即ち、いまや第一党の無党派が民主党は「ノー」と言ったからだ。投票率が8%上昇したのは殆どが無党派の人達で、彼等が民主党推薦候補に投票しなかった。元々民主党は無党派層の支持を受けて政権をとった。だが、今進めている組織票を固めるいわゆる小沢的なる手法は、実は無党派層を敵に回すアプローチだった疑いがある。

先週、いわゆる政治バラエティ番組のアンケートで、意外にも小泉首相が日本を良くした人第一位と紹介された。アンケート手法が信頼のおけるものか分からないが、昨今の政治や評論家が口を揃えて酷評しても、国民の間で根強い小泉人気を垣間見た気がした。

これも勝手な推測だが無党派層が政権選択に決定的な役割を果たすと仮定すれば、小泉氏以降の自民党首相に失望した国民(無党派層)が、小泉改革の後継として政治主導で無駄を省く公約を掲げた民主党を選択したと見ることが出来る。

とすれば、仮に政治資金問題が無かったとしても、利益誘導を餌に組織票を強化する小沢的手法で無党派層の支持を得て参院選に勝てるかどうか、何れにしても疑問であったといえる。東京のベッドタウン町田市では当然として、長崎県の結果の意味するところは深刻だと推測する。

悪いことには今回の閣僚等の露骨な利益誘導を示唆する選挙演説は、民主党の改革イメージを傷つける記録として残ったように感じる。自民党から政権交代しても同じだったという失望感を与えるには取って置きの証拠品だ。都合の悪いところを取り出して繰り返し使われる恐れがある。

とはいうものの、個別の政策は色々問題があって迷走気味だとしても、国民がまだ民主党政権に対する期待が無くなった訳ではない。以前「Xデー」と言ったが、小出しにしないで相当思い切った手を打てばまだ踏みとどまれる。そう期待する国民も多いはずだ。■

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覇者の驕り(続)トヨタの説明責任

2010-02-19 16:48:38 | 社会・経済

最悪の広報戦略

米国でのトヨタ叩きとも思われる追求が続いている。今朝方トヨタ社長が要請を受けて議会証言すると報じられた。散々渋った結果、正式招請を受けてイヤイヤ出席する印象を米国民に与えているのは間違いない。私から見ると対応が全て後手に回り、考えうる最悪の広報戦略といってよい。

過熱気味の米国メディアにも淡々と事実を紹介する中立的な記事も無くはないが、全体としてはトヨタ社長が議会証言を逃げまくっている印象を米国民に与えている。小沢幹事長が不透明な政治資金を説明せず、国民の不信感や怒りをかっているのと同種の感情をもたれているようだ。当たり前で常識的と思われることをやらない驕った姿勢と人々は見ている。

ピント外れの批評

日本国内でも今回のトラブルを分析評価する記事が多いが、全体的に技術論に傾いているように感じる。トヨタ経営の過剰な純血主義と急速な世界展開で人材が追いつかず、加えてハイブリッド化で自動車の開発生産が複雑になる一方、部品の共通化で問題が世界に拡散し、対応できなくなった。昔ながらの現場のボトムアップを基盤にするトヨタ式生産方式が機能しなくなった等々。

だが、今、米国議会やメディアが問題にしているのはそういうことではない。彼らが声高に非難しているのはトヨタ車が深刻な品質問題を起したことではなく、その問題への対応の仕方である。トヨタは早くから車に問題があることを知っていながら、当局やメディアに嘘をついて隠していた疑いを持たれていることだ。即ち、米国民に生命に関る恐れがある欠陥車を売り続けてきた疑いだ。

問われているのは品質ではない

今回のトヨタのリコールはかつてなく大規模だが、遡ってリコール規模や故障率を調べてみればフォードやGMと比べて突出しているわけではない。だが、これを日本車に対する差別と捉えない方がよい。いってみれば品質問題は米国車では日常茶飯事。しかし、問題が起こった時素早く正直な(に見える)対応が絶対的に重要なのだ。そこをトヨタが誤り、バッシングを受けている。

開発・生産の品質は最終的に顧客からの声で決まる。問題は事故などの情報を全米から収集、分析して問題抽出し、重要性を判断して対応を決定・実行し顧客の安全を守る、この一連のサイクルの速度と決定するトヨタのシステムが機能しなかった、欠陥があったということだ。問われているのは車の品質もさることながら、それを処理するトヨタの仕組なのである。

品質問題の対応を誤った

具体的には、どこに事故情報のデータベースがあり、どの時点で対外的に何を言ったか、社内の設計や生産をどう変えたか、その根拠は何であったかが問われるだろう。夫々の時点での判断や決定が詳細にレビューされ、どこで誤りが起こったか、その責任はどこにあるか、全体システムが適切に機能させる仕組の有無と責任はどこにあるか、トヨタは説明を求められている。

もし好意的な推測をするなら今回の大失態は、現場を徹底的に改善し、高品質を誇るトヨタならではの問題かもしれない。そこに驕りを指摘する専門家もいる。滅多に大きな品質問題を起さなかったので、大規模なトラブル慣れしておらず、適切な組織作りや対処法が出来てなかったという言い訳だ。

初心に戻りゼロからやり直せ

だが、この言い訳は説得性がないように感じる。トヨタは以前にも問題を起し品質管理強化のため、現豊田社長その人が当時品質担当副社長になり取り組んだはずだった。私の数少ない経験では、問題を大きくしたのは市場の品質フィードバックが貧弱な場合か、フィードバックを受けても組織として適切に機能しない、のどちらかであろう。私は後者のほうがありそうな原因のように感じる。急拡張したとはいえ、大トヨタが顧客の声を聞く仕組がないはずがない、問題はそれから先だろう。

情報がピラミッド組織の上部に上がっていくにつれて、どこかで経営や開発と相克する立場の責任者に到達し、そこで業績優先もしくは開発責任を回避するような誤った優先順位により判断が歪められたのではないかと思う。或いはそういう情報判断(脚色)した報告がされたのだろう。建前か本音のどちらでも価値観が対立する部署もしくは責任者がいるはずだ。

それが原始データの発生現場に近いところなのか、最上位の経営管理者なのかによって対応が異なる。トヨタの場合どちらなのか、非常に興味がある。何れにしろ、経営トップは問題を正しく把握できてなかった。今回の事件でトヨタの品質を含む意思決定システムがバラバラに分解され評価されるだろう。初心に戻ってゼロからトヨタウエイを見直すきっかけになるのではないかと思う。■

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天邪鬼オリンピックの楽しみ方

2010-02-17 22:14:26 | ニュース

今年はワールドカップイヤーなのに、サッカーがちっとも盛り上がらないのが残念だ。一方、国母選手の腰パン事件以来、我が家でも冬季オリンピックがメイントピックになった。非常識な格好には違いないが、朝から夕方まで必ずどこかのチェンネルで喧々諤々議論する、いささかうんざりするほどの集中豪雨的報道だった。

少し前まではそれは朝青龍だった。引退表明後ハワイで休暇を過ごす朝青龍を追いかけて逐一同行を報道するのは、はた迷惑を越えて最早クレージーだ。国母選手の腰パンのお陰で、朝青龍関の周りから潮が引くように記者がいなくなったのではないだろうか。

昨今のテレビを代表とするメディアの品のない報道振りは、私には目に余るように感じる。彼等はスキャンダルを食い物にし、消耗するまで使い切る、どう見ても節度がない。次の餌食を求めて咆哮する。そういう番組の視聴率がいいからと、益々下劣さの度合いが酷くなる。横綱の品格など云々する前に、自らを振り返って品格を語る資格があるか考えた事もなさそうだ。

今、秘かに期待していることがある。あの国母選手が活躍してメダルを取り、メディアがどう反応するか色々と予測することだ。先ず間違いなく、手のひらを返したようにメダリストにおもねる報道をすると私は推測する。早くその様を見てみたい。

勝てば官軍?いや違う、それが国民の望むこと、視聴率が取れるからなどとは決して言わない、顔をしかめた真面目な顔の返事が帰ってきそうな気がする。などと酷評しながら、私は朝からテレビを見て自虐的な馬鹿になる。飛び切りの天邪鬼の私ならではのオリンピックの楽しみ方だ。■

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