かぶれの世界(新)

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2011年大胆占い最終見直し

2011-12-31 13:12:11 | 社会・経済

今年最後の外為市場で円高が進行、対ドルで再び76円台に突入、対ユーロで100円を切り11年ぶりの高値をつけた。欧州危機に揺れた2011年を象徴する1年の終り方だった。

恐れたリスクが現実になった

今年初めに「世界は国内事情の対処に追われ内向きの年になる」と予測した。米国はリーマン・ショック後の財政悪化に悩み、新興国はバブル崩壊・格差拡大が放置できない状況になり、世界経済は緩やかになるというものだった。同時に3つのリスクとして中国不動産バブル崩壊・欧州財政危機・米国経済回復停滞をあげ、扱いを誤ると世界経済は二番底に陥る恐れがあると予測した。

この1年を振り返って「大胆占い」を見直すと、予測したリスクの一つ欧州財政危機が長引き深まり、順調に回復を見せていた世界経済を停滞させたが、最悪の二番底までには至らなかった。一方、アラブの春と東日本大震災は年頭には兆しすら感じなかったが、結果的には世界経済にとってそれ程大きなインパクトを与えてない。大胆占いは概ね当ったと総括する。

欧州危機の爪痕が全世界に

占いでは今年の経済成長率は昨年以下になるが、個別には楽観的な予測をした。だが、上記のように欧州危機の深化と大震災は全ての経済活動に悪影響を与えた。日本総研(121日)によれば、世界の実質GDP成長率の見通しは、年頭の私の予想を下回って落着しそうだ。

米国の経済成長率は2%後半から3%前半 → 1.7
欧州と日本は1%半ばから後半  → 欧州 1.7%、日本 ▲0.7
中国は8%後半に低下             → 9.3
他の新興国も踊り場に入り         → インド 7.8% ブラジル 4.5
総合して世界経済は4%半           → 3.9

中国経済に関しては私の予想が悲観的に過ぎたかもしれない。実際中国のGDP成長率9.3%は2009年(9.2%)を上回りそう悪くはないように見える。だが、欧州危機による輸出の落ち込みが数字に表れてくるのは2012年になると私は予測する。

中東の春を対岸で眺める

米国が内向きになるにしても、これ程の速度で中東から撤退するとは予想しなかった。アラブの春にも積極的に関ろうとしなかった。来年の大統領選を控え財政悪化で国民に人気のない戦費を捻出する余裕が無くなったのが理由だが、完全撤退は拙速に過ぎ中東の安定に悪影響を与える恐れがありそうだ。欧州勢はリビア革命に関与したが及び腰だったし、新興国も欧州危機の為に身を守るだけで手一杯になった。概していうと各国は内向きになるよう強いられた。

欧州危機と米国の相対的影響力低下とあいまって中国の存在感が高まり、中国の支援を受けた財政危機諸国が民主的プロセスを妥協する恐れがあると予測したが見事に外れた。実際には、アラブの春で独裁者が追放される一方、中国も実利を考え財政危機の欧州諸国への支援を躊躇した。中国と関係の深い独裁国のミャンマーやアフリカが中国との関係を見直す事態になった。

アジアで競り合う米中

中東からの急ぎ過ぎる撤退と同様に予想出来なかったのが、世界第2位の経済大国かつ軍事大国になった中国が強圧的な外交に転換したのを警戒し、アジア各国が米国との関係を深めバランスを取る動きが鮮明になったことだ。

中東や欧州からアジアに重点をシフトした米国の戦略とも一致した動きだ。結果、私の予測に反し世界の民主化が進んだように感じる。来年世代交代する中国の新首脳陣がこのトレンドに対してどう反応するのか興味深い。

混迷でも超円高の復興日本

全く予想もしなかった東日本大震災は、日本の強みと弱みを浮き彫りにした。強さと優しさを併せ持つ被災した人々は世界の賞賛を浴び、寸断されたサプライチェーンを驚くべき速さで復旧させ日本の力を見せ付けた。一方で、震災復興や原発事故の一大事に政治は対立し、マスコミは政局を助長させるだけで建設的な論争に導けず二流であることを露呈した。

そんな中で、歴史的な円高の進行は日本企業の海外展開を予想以上に進めた。大震災以降もその動きは衰えていない。国を分ける論争となったTPP交渉参加の可否論議が示すように、我国の政治とそれを左右するマスコミ・民意がプロビジネスでないことは明らかになった。感情論的でビジネスに必要な冷静な損得判断が中々出来ない風土を改めて実感させられた。

お楽しみ

世界最高峰のMLBで長年活躍したイチロー・松井が揃って衰えを見せた年だった。まだ選手として存在感はあったが、日本人選手にチームリーダーとしての活躍は無理なようだった。その他の日本人MLBプレーヤーにもいつか監督やコーチをやりそうな感じを受けないのは残念だ。

いずれにしても世界最高峰の場所で活躍するのは容易くない、挑戦する姿勢を評価したい。一方、海外サッカーに進出した第二世代のJリーガーは徐々に実績を残し始め、ジャパンの底上げに貢献した。プロ野球と違うところは、伸び代の大きい若い世代から挑戦出来ることだが、ビジネス視点でJリーグのシステム見直しをすべき時が来たように感じる。■

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師走の日常

2011-12-29 11:47:38 | 日記・エッセイ・コラム

東京に戻った翌日から都会生活の日常が始まった。翌日、先ずは田舎のパソコン環境を自宅のパソコンに移行した。数年前からUSBメモリーで簡単に移行できるようになった。翌々日は家族パーティに参加し、次の日に年賀状を書いた。その間に自宅の手入れ、床下の防虫点検、年末年始の準備をやった。帰京前にはやることが一杯あるように感じて気が重かったが、やってみれば恒例のルーチンワークで淡々と進んで行った。

クリスマス・パーティ

娘夫婦のうちのポットラック・パーティに行った。こちらにいる間は家族が集まる機会を沢山作りたいと思っている年中行事の一つだ。長男の嫁と孫が急性ウィルス胃腸炎になったそうで主役が不参加になったので、その前に五反田のアパートに見舞いに立ち寄り、予約してくれていたチキンを受け取った。冴えない顔でベッドにいる母子を見て、心細さそうなのが可愛いと思った。

娘夫婦の家までタクシーに乗ろうとすると、千歳台までは遠くてもったいないから電車で行けという。聞くと渋谷まで行き乗り換えて下北沢、更に乗り換えて千歳船橋まで来れば迎えに来てくれるという。随分遠回りのように感じたが、電車でも意外と早く行けた。小田急には区間準急という名の電車にまごついたが、文字通りある区間だけ準急になると聞き納得した。

今年の持ち寄り料理は刺身・チキン・ビーフで美味しく頂いた。普段余り料理しない娘が簡単レシピを見ながらロースト・ビーフと食後のブッシュ・ド・ノエルを作ったというが、意外に手作りの美味しさがあった。シャンペン2本とワイン1本のアルコール効果が大きかったのかもしれない。家族で美味しい料理を頂き、酒を飲むのが一番の楽しみだ。我ながら年をとったと思った。

年賀状

次は年賀状だ。近くのデパートの前にテントが張られ、郵便局が出張ってきて年賀状を売っていた。場所と雰囲気のせいか郵便局内にいる時より職員の愛想が良い。インターネット時代でも意外に年賀状の売り上げはそう減ってないという。だが7割がインクジェット用だそうだ。

年賀状の年始の挨拶は簡単なのだが、恒例で追加する政治経済予測に手こずったが、決まれば後はパソコンの仕事。作成した本文を打ち出して見直すと、宛名書きと上下逆様の打ち損じが何と40枚もあった。こんなことは初めてだ。最近は失敗すると深く考えないで、何でも年齢のせいにして片付ける。翌日、郵便局で15円の実費を払って交換してもらい、打ち直して投函した。

床下点検

元々畑だったところに建てたので、自宅の床は湿気が多いといわれている。我家は建築法が変わる前なので、むき出しの地面に基礎が打ってある。地面をコンクリートで覆ってないので湿気の影響を受けやすい。更に10年位前に風呂からの水漏れがあってカビが大量発生し押入れの床が腐り、床下に換気扇を取り付けた経緯があった。昨年地元農協の紹介で床下に乾燥マットを敷き、その1年後の定期点検を急遽実施して貰った。

直前の連絡だったが、点検は契約に基づくもので是非調べて欲しかった。というのも、田舎から自宅に戻り風呂桶と床のタイルの継ぎ目に隙間を見つけたからで、応急手当をしたものの今までの水漏れの影響が心配だった。2時間あまりの点検でカビもシロアリも無いことが確認されホッとした。点検してくれた作業員に聞くと我家が最後で、これで仕事納めだという。建築法改正後の家が増えても仕事は減らないのだそうだ。

ニトリからシマチュウへ

末の息子がCDラックを買いたいので付き合ってくれと頼まれ、近くのニトリに車で行った。年末の買い物客が多いせいだろうが、パーキングに入る車の行列が甲州街道まで続いていた。目指す商品を見つけると、今度はレジに並ぶ長い列があった。

ベビーカーでむずかる子供に手を焼いている感じの良い母娘が列の前にいた。ついつい何時ものように口出しをすると、子供は泣き止み「このオジサン誰だ」と怪訝な顔をし、機嫌が直った。「知らないオジサンと話しちゃダメだぞ」なんて軽口を叩くと、母娘の顔に笑みが浮かんだ。支払いを終えた若いお母さんが遠くから振り返って会釈をした。何だか気分良い。

翌日自宅から歩いていける距離にあるシマチュウに行ってカーペットを買った。お正月に孫が来た時フローリング床よりカーペットの方が良いとの娘の助言に従った。同じ値段ならニトリの方が物が良いと思ったが、シマチュウの方が安いカーペットを置いていたので迷わず買った。消耗品なら安いほうが良い。何となくユニクロとシマムラの関係を連想した。

散歩の途中バドミントンクラブのリーダーに偶然会った。彼は退職前に同じ会社に勤め、数年前ガンを患い治療後元気になった。私がガンの疑いで検査を受けた、来年に再検査を受けることを報告すると、彼は自分の例を教えて元気付けてくれた。そう言ってくれるのは分かっていたが、知って欲しいという私の気持ちが余計なことを言わせたようだ。■

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不幸の悪循環

2011-12-27 11:41:31 | 国際・政治

内閣支持率の急低下

野田内閣の支持率が劇的に低下した。9月に発足以来支持率は30ポイント低下し36%、不支持が53%になったと25日の日本経済新聞は報じた。一川・山岡大臣の問責決議、原発事故収束宣言、消費税増税、公務員給与削減先送り等が支持率低下の原因として上げられている。

そして来年度予算案が極めて評判が悪い。震災復興関連を除く歳出は6年ぶりに前年度より減って90.3兆円。歳入は税収の42.3兆円に対し国債発行が44.2兆円で、今年度並みの44兆円にとどめたというが、別枠の震災復興や年金財源を含めると予算規模は実質96兆円であるという。これが「史上最悪の予算」といわれる所以だ。

平行して政府与党は消費増税を含む社会保障と税の一体改革の素案取りまとめに入った。八ツ場ダムの建設再開などを理由に党内の反対が噴出し、党税制調査会は昨日予定していた論点整理ができず初日からつまずいた。政権運営に変調を来たし「政治の混迷」といわれ始めた。

「選挙至上主義」の重罪

デジャヴー、民主党最後の希望だった野田政権もいつか来た道を辿り始めたのか。だが、私には想定の範囲内である。というのは今年の8月に「短命政権の構造」(http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20110809 )で指摘した「政治を機能させない構造」に野田政権も否応無くはめ込まれたからだ。選挙棄権者が無責任に「誰がやっても変わらない」というのはある意味正しい。

参院で多数を取る野党の自公両党が政局狙いで右を向き、そして与党内の相当数を占める小沢派が機を見て賞味期限を過ぎたマニフェストを盾に左を向く。党内外の「選挙至上主義」的アプローチが妥協できない状況を作り野田内閣は身動き取れない。最大多数が物事を決める民主主義制度が作った落とし穴だ。

元々野田政権にとって頼りは世論だった。政権発足時、野田新首相は支持率に一喜一憂しない政権運営と言ったが、選挙至上主義の野党・小沢派対策には世論の後押ししかない。だが、冒頭に述べたようにここに来て頼りの野田首相の支持率は急降下したのだから先々が思いやられる。

「福祉ポピュリズム」が国を覆う

このように政治が機能しない根底にはネジレ国会に加えて「福祉ポピュリズム」が我国を覆っていることがある。毎年社会保障費が消費税2%の比率で上昇しているが、歳出削減と税収増の痛みは上記の選挙至上主義者の狙う「政局」のネタにして先送りするばかり。

弱者及び格差問題を取り上げる報道は、一方で救済を負担する側の痛みにも同情し、どちらの問題にも政府批判する矛盾に平気だ。結果として歳出が増加一方となる「福祉ポピュリズム」が国民の間に蔓延している。小沢グループの選挙に弱い若手議員はこの手の雰囲気に極めて敏感に反応している。

最近の首相5代に亘って我国はこの「不幸な悪循環」に嵌まった。この悪循環の潤滑油となっているのがマスコミの政局至上主義報道だ。政策に賛否を明らかにせず政権の対応を非難する報道は、現状のネジレ国会では政治の混迷に手を貸している責任を負う。私には国民に阿り軍部を煽って我国を破滅に向わせた戦前の新聞の姿とダブってくる。今度はギリシャ化に手を貸すのかと。

「負担なき社会保障」の行く末

菅前首相時代に官僚不信で政治が機能しない、政治主導はどこに行った、と両方の報道が見られた。だが、野田首相になって官僚主導か否かの議論より、財務省の言いなりという指摘が増えたように感じる。だが、重要なのは誰が主導するかではなく政策そのものであり、それがキチンと実行されるか否かだ。政策を論じないで官僚主導を非難するのは国民をミスリードする。

その野田政権の政策に大筋大きな誤りはないと私は思うが、一部に疑念があるのは事実だ。今党内で紛糾している来年度予算には、八ツ場ダムの建設再開や整備新幹線などを含めたのは誤りだと私も思う。政策なき政局から理念に基づく論争に戻り、小沢派の反対論に正統性を与えた。

しかし、この国の行く末を決める現在の最大テーマは「消費税を含む社会保障と税の一体改革」であることを肝に銘じて欲しい。欧州危機を招いた最大の原因は「負担なき社会保障」である。八ツ場ダムの為に国の最大テーマが議論されず先送りされるといった本末転倒の事態にならないこと祈りたい。■

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JALの旅Redux

2011-12-23 12:08:55 | 旅行記

昨日の午後東京に戻った。実家の近くのバス停から松山に向い、バスを乗り継いで空港に行った。予め時刻表を調べてバス停に行ったが、10分経ってもバスは来ない。15分経って心配になりバス会社に電話したが、運行状況に異常はないとの返事。20分近くになって再度電話して問い合わせ中にバスが見えた。

下を走る長距離バスが時刻表通りに来ると期待しないほうが良い。それは想定の範囲内なのだが、事故とか工事中で大渋滞になりバスが走れなくなるとフライトに間に合わなくなる。20分遅れで来たバスは、その後は順調に目的地まで私を運んでくれた。

いつもだと1ヶ月前には帰京する日を決めて格安航空券を買うのだが、今回はガン騒動があって生検の結果を受けて日取りを決めたのは、フライトの2週間前だった。いつも利用するANAのサイトで調べると、羽田までチケットは定額の3.7万円しか残ってなかった。

足元を見られたと怒って高速バスの利用を考えたが、家族は私の身体を心配してバスはやめたほうがいいという。旅慣れた義妹が金券ショップに当ってみろと勧めてくれた。ネットで調べるとANA2.5万円程度、JALだと1.4万円強のチケットが売り出されていた。この先はネットの売買ではなく電話での応対でクレジット購入、後日チケットレスの引き取り番号がメールで通知された。

いわばこれが現在のANAJALの評価だと思った。この金券の価格差が市場の評価である。つまりJALにはこのフライトの在庫(空席)が相当数ある、それが金券市場に流れる。案の定、搭乗して席に着くと半数位の席が埋まっている程度だった。私が座った前方窓側の席の隣は二つとも空いていた。

乗ってみると、いつも利用するANAに比べて機内サービスは変わらなかった。コーヒーは無料だったし、CAは中々可愛いと思った。数えてみなかったので正確ではないが、CAの数はANAより少なかったも知れない。お客の数が少なければそれでもいいと思う。

読みかけの本に飽きてふと窓の外を見ると、富士山のシルエットが夕焼けの空にくっきりと見えた。後方を見ると日本アルプスの連山が雲海に浮かんで見えた。黄金の太陽が西の空に沈んでいく景色は素晴しかった。下を見ると伊豆半島らしき上空を飛んで東京湾に向っているようだった。

この頃になって機内ショッピングの案内をして周る美人CAを見て思いつき、明日のパーティに娘夫婦と息子の嫁にプレゼントを買った。彼女を独占してあれやこれや迷ってマフラーとネックレスを2式買うと決めた頃には着陸態勢に入ったので支払いは着陸後になった。

乗客が全て降りた後いざクレジットで支払いしようとすると、リミットオーバーで支払いが拒否された。もしかして初めて利用した金券ショップから情報が流れたかと、悪い予感がした。それではと別のカードを試したが同じ結果だった。CAは現金はないかとやさしく迫る。

財布を調べると2万円しかない。田舎の生活用に準備していたお金が少し残っていたのを思い出し、バッグの底を探すと封筒を見つけた。それで何とか支払いを済ませ、手元に少なくとも電車に乗れるだけのお釣りが残った。みっともないと思わなかったのは年のせいだろうか。

支払いが終ってタラップを降りるともう他の乗客は見当たらない。バスを待つ間寒風を避けようとタラップに戻ろうとしたが、次のフライトの準備があるのでと彼女に追い出された。もう客じゃないし。その間に付き添ってくれた地上員に聞くと、搭乗率は昨年は倒産騒ぎで酷かったが今はかなり回復してきたという。

今のフライトも目安となる60%はいかなかったみたいだと伝えると、彼は今朝の往きのフライトはほぼ満席だったという。確かに私の利用したフライトは1日で一番空いていて安く購入したのを忘れていた。JALは平均搭乗率60%を回復したのだろうか。その心配は不要かもしれない。

昨日の日本経済新聞によるとJALは法的整理を経て債務を圧縮、不採算路線の整理も進みANAとの収益力の再逆転が明白になってきているのだそうだ。私のような乗客にとって見ればJALが元気を取り戻し、しっかり競争して両社が利便性が改善していくのはウェルカムだ。

京急から南武線に乗り変え自宅に着いたのは7時前。息子は食事をしないで待っててくれた。東京での日常が戻った。都会生活Redux ■

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高齢化の時計(11)

2011-12-19 22:23:37 | 日記・エッセイ・コラム

北朝鮮の独裁者金正日が二日前に移動中の列車内で死んだというニュース速報が突然流れてきた。母を見舞った後、帰京の挨拶を兼ねて友人と昼食中だった。死因は過労による心筋梗塞で69歳だったという。持病の糖尿病があり2008年に脳梗塞を起こしたが、その後回復して精力的に地方回りをしていたというから、多くの人達にとっては唐突だった。

これを聞いて、母が長く糖尿病を患い一昨年脳梗塞になり3ヶ月入院、リハビリを半年続けた後現在の介護付き養老施設に入居した経過が浮かんできた。彼はもっと若いし具体的な症状も分からないが、脳梗塞の原因となった糖尿病の怖さを改めて感じた。

過労というのは、ここ数年で後継者を決め外交と地方廻りを進めた無理がたたったのだという。死を意識した独裁者が死後の世界にも影響を及ぼそうと、最後の力を振り絞っている様子が目に浮かんだ。これを聞いて残された時間が少ないと覚悟した独裁者の気持ちがある程度わかったような気がした。というのも、私も高齢化の時計が進み時間が余り残ってないと感じたからだ。

私のガン騒動は検査結果悪性と判断されず時間の猶予をもらった(多分)が、その間残された人達の為に何を残し伝えたいか私も真剣に考えた。先祖が残し伝えてきたものをキチンと記録して子供達に伝える責任が私にはあると思った。それをどうするかは彼等の判断だ。だが、少なくともこうして欲しいという私の希望も明らかにしておきたかった。

実はまだ整理できてないものがある。それは私と母のどちらが先に逝くか、それによって残された人がすべきことをリストしておくことだ。現状を除き3つのケースを考えた。1)私が治療の為機能しなくなった場合の母と実家のケア、2)その状況下で母が死んだ場合の対応、3)私が母より先に死んだ場合の母と実家及び自宅のケアである。

どう考えても死ぬ順序を間違えると残された者が大変だ。実は私の祖父は20代半ば、父は定年前の50代半ばで死んで親が葬式を出した。そして寡婦となった祖母と母が実家を守ってきた。何時の頃か私は母より先に死ぬ親不孝だけは絶対すまいと決意した。しかし、10月末にガンの疑いが極めて濃厚と宣告された時は、もしかしたら3代続けて親不孝をするかもしれないと恐れた。

「やりたい事はすべてやった、何の後悔も無い」と淡々と語る義母ほど私は悟りを開いた訳では無い。だが、私も今まで色々な経験をしてきたし、この先起こるだろう最悪ケースを考え覚悟もして何でも受け入れる気持ちになっていた(いざとなればどうなるか分からないが)。だが、母より先に逝くのだけは避けたかった。仮にそうなれば、母には伝えて欲しくないと思っていた。

まだ疑いは残るものの医者から生検の結果が良性だと聞き、それ以来上記3つのケースの検討が進まなくなった。それより帰京後に予定しているポットラック・パーティや年末年始の旅行のことのほうが気になってきた。落ち着いたところで、上記のケース・スタディを再開する積りだ。■

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