かぶれの世界(新)

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ウォール街占拠デモの意味

2011-10-31 12:21:39 | 国際・政治

ウォール街占拠デモ(Occupy Wall Street:OWS)は何を主張しているのか良く分からないという評がある。米国政治に強い影響力を与える様になった「茶会」のようになるのか、特に来年の大統領選にどんな影響を与えるのか、公になった記事等から推測してみたい。

We are the 99%

これがウォール街占拠デモの合言葉である。1%の富裕層が富の大半を保有し残りの世界を仕切っていることに対するアンチテーゼである。米中間層には没落感が強まっている。米議会予算局が25日発表した調査結果(10/26 WSJ)が状況を的確に表している。

記事によると2007年までの30年間の所得推移が、所得最高位の1%に入る家庭が275%伸びたのに対し、60%の中間層が40%足らず、再下位層の20%はわずか18%だった。言い換えるとこの30年間富裕層のみが劇的に所得を増やし、所得格差拡大が今も進行している。

国民が納めた巨額の税金を使って救ったウォール街の連中が、チョット経済が回復したといって又もや高額の報酬を得始めた一方で、米国の失業率は9.1%であり25歳以下に限ると27.7%にもなる。このままでは格差が更に進行する、もう黙ってはおられないと立ち上がったのである。

このウォール街占拠デモには「共通する概念」が見えないと言われている。いずれのデモも「経済政策の見直しや格差是正」を声高に叫んで現状に不満を表明する「複合集積体」である(大前研一氏)。だが、ニューヨークに始まったデモは1ヶ月以上も続き、フェイスブックやツィッターを通じて全米から世界に広がりを見せている。共通する概念も無く運動がこんなに広がるものか。

茶会は共和党に取り込まれた

それを考える上で、茶会(Tea Party)運動とよく比較される。茶会は中西部シカゴの白人中産階級から始まった。運動の主体は、地方都市の自営業者と非労組組合員の高卒白人労働者たちで、毎日曜日に教会に行く福音主義プロテスタント教徒、「働かざる者食うべからず」が信条だという(高濱賛氏)。

ウォール街占拠デモと同じく茶会の主体も実は残りの99%だが納税者であり、抗議の対象は政府であり健康保険制度改革や弱者優先のバラマキ財政といった無駄使いに強い反発があるという。米国では自主独立・自助精神は人物評価の基準であり共感を得やすかった。

その身近な憤りが、「小さな連邦政府・州政府の権限拡大」とか「合衆国憲法への回帰」を要求する抽象的なスローガンにすり代わり、共和党に巧みに取り込まれて反オバマ大統領運動の推進力になった。民主党は同じようにOWSを取り込めるだろうか。

引き裂かれている民主党

オバマ大統領はこれまでに一定の理解を示す発言をしている。しかし、デモ参加者は金融システムのあり方に対するより広範囲な不満を代弁と、持って回った慎重な発言をしている。来年の大統領選挙を控え選挙資金の大口寄付者である金融機関を簡単に敵に回す訳にはいかない。

一方、08年に初の黒人大統領誕生に導いた若いボランティアや組合、市民団体といった支持者達はOWS支援に回っている。米キニピアック大がニューヨーク市の有権者1068人を対象にした調査では、67%がOWSを支持すると回答。来年の大統領選挙に向けて民主・共和両党にとって無視できない有権者の動向になる可能性があるという。

OWSの動機は経済格差にあり、グローバルな問題である経済格差をターゲットにしたからこそ、政治に無関心な若者層・失業者など主義主張を超えて共感し運動が急拡大した。政策云々よりも、早く経済回復させ失業率が改善する先行き明るさを求め、不満が表現している。

大胆に色分けすると、茶会の構成メンバーが自営業者・非組合労働者であるのに対し、OWSは失業者の負け組であるといえる。抗議の対象は前者が政府、後者が富裕層である。ここにもう一つの対応の難しさがあるように感じる。

ウォール街占拠デモは過激化する?

米国文化のもう一つの特徴は、お金を儲けるのは良いことだ、儲けただけ慈善に回す人が社会から高く評価され尊敬を受ける。BゲーツやWバフェットが尊敬されているのも、世界一の富豪であると同時に世界一の慈善家であるからだ。この精神が米国の活力を生んでいる。

オバマ大統領と民主党はこの価値観を両立させ、国民の多数から指示を受けるプランを見出してないように私は感じる。Wバフェットのように富裕層からもっと税金を取れと自ら提案する例外もあるが、上記の大口寄付者の金融機関はそうは思ってないだろう。

デモ発生以来1ヶ月が経ち、季節外れの大雪でもまだ続いているという。しかし、共通理念が無くリーダーもいない運動がこのままでは立ち行かなくなる可能性がある。雇用環境は変わっていないし、民主共和両党の対立で効果的な対策も出てこない。不満の表現だけでは世界連帯も難しい。閉塞感に耐えられなると過激化する恐れがないとは言い切れない。■

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高齢化の時計(6)

2011-10-29 21:08:14 | 日記・エッセイ・コラム

前立腺肥大症になったと前回投稿した。どうもこのネタで延々と記事がかけそうな状況になってきた。泌尿科医に処方して貰ったハルナールD錠を服用し始めると、翌日から排尿の頻度が1時間から2時間間隔程度に改善して楽になった。1回当りの排尿の量が少し多くなった。

その後2,3日は気持ちだけ良くなった気がしたが、殆ど改善を感じなかった。むしろ小便が白く濁り、小便の最後に尿道の先端に痛みを感じるようになってきた。2週間分の薬を処方してもらったが、白濁が進む一方で痛みも悪化したので最後の3日は服用を止めた。その3日で小便の白濁と痛みが少しだけ改善したように感じた。

昨日泌尿科医に診てもらうと、先生は白濁と痛みは膀胱炎が進んだ結果だろうと言い、薬との関係についてはコメント無かった。それより先生が気になったのは血液検査の結果PSAが基準値より一桁多い45.83もあり、前立腺がんの疑いが出てきたことだ。AL-Pの345も良くないらしい。

肛門から手を突っ込んで触診しそのような感触があったと言われた。前立腺がんなら色々治療法もあるが、骨にまで達しているか確認が必要だと。「つまり、骨まで来てるとややこしいことになる」と私が言うと、そうだと即答された。他病院でMRI検査を予約して紹介状を書いてくれた。

当座はガンかどうかを見極めることを最優先にし、その間は膀胱炎を治して小便の白濁と痛みを止めるようにしようと先生は続け、炎症の治療の為のクラビット錠を1週間分処方してくれた。私も納得した。今朝から服用を開始し、午後小便に立った時もう効果が出てきたように感じた。

実家に戻りパソコンに記録した過去データと血液検査の結果を比べてみた。残念ながらPSAは過去の測定項目には含まれておらず比較できなかった。2ヶ月前の健診でショックを受けた高尿酸(9.5→6.2)と高コレステロール(253→191)はその後の徹底した食生活改善で正常値に戻っていたのには驚いた。たった2ヶ月でこれほど改善するとは思ってもいなかった。

血圧も朝排尿後と夜寝る前の2回毎日きっちり測定した。初診時は180-110程度もあったが、主に最高血圧130-140台で最低血圧が90台だったが、時折150台を突破することもあった。特に排尿の痛みが大きくなった後半になったと思うが、相関関係は分からない。先生は(少しでも)150台があれば治療が必要とのことだった(今まで私はそうは思ってなかった)。

東京の家族には診療結果をありのままメールで知らせた。万が一の場合に少しでも驚かせないように、心の準備をさせておきたかった。仮に前立腺がんと判定されても、珍しくないし治療法があるそうだ。最悪ケースにならないという保障は無いが、先ずは検査を待つしかない。最悪ケースも想定の範囲内というのがプロの対処法だ。退職した時からそれなりの準備をしてきた。■

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感情論的・TPP賛成論

2011-10-27 22:21:32 | 国際・政治

日本がTPPに参加すべきか否か、これがこのところ断続的に繰り返して報じられる最大にして最優先テーマだ。先は長いけど福島原発事故をどう収束させるかプランが出来ている。TPPこそ我国のあり方を決める極めて重要な判断の分岐点に立っていると私は考える。TPP参加の可否の決断に残された時間が少ないという点からも、今最優先で考えるテーマである。

私の背景はやや微妙だ。農家の跡取り息子だが、企業で長年働いた一サラリーマンでもある。ここでは選挙民の一人として私の考えを紹介する積りだ。例によって天邪鬼で皮肉っぽく私の「大胆占い的見解」である。言いたい放題で誤解を招きかねないと思うが、お許し頂きたい。感情的な反対論が多いように感じるので、この際私も感情的賛成論をぶってみたい。

結論を先に言うと、強硬な反対論を押しのけ断固としてTPP交渉に参加すべきである。理由は端的にいうとそれが技術立国日本の進むべき道だからだ。TPPなど開国を進め日本の得意技を最大限生かすシフトをとり、その上で弱者を救済すべきだ。メディアやポピュリスト政治が大好きな「弱者の正義」を優先して国策を決めるべきではないと言うことだ。それは負け犬の戦略であり、衰退する国の戦略だ。逆に言うと強い国でなければいつか弱者すら救えなくなる日が来る。

最大の反対論は農業団体から発せられているが、彼らの多くは長年にわたり補助金漬になっている既得権益団体だ(勿論例外もある)。補助金の多くは輸出産業など企業からの直接間接の税金から賄われている。今、TPP反対論は補助金の出所である企業活動の足を引っ張ろうとしている。人としてそれをやっちゃいけないだろう、私はそう感じる。

ウルグアイラウンド以降かつての自民党政権の農業政策は、何兆円もつぎ込み農家・農協や農機具メーカーを潤したが、多くはハコモノに変わり日本の農業を強くしなかった。今、反対の先頭に立っているのは何兆円も注ぎ込まれたのに、依然「私たちは弱者だ、もっと守ってくれ」と言う人達だ。そんな連中にいくらお金をつぎ込んでも無駄使いするだけだ(済みません)。

税金だと誰からのお金か忘れてしまっているようだが、補助金の出し手は国というが納税者であることを忘れてもらっては困る。納税者のかなりの部分は輸出産業と関連産業などとそこで働く人々なのだ。TPP絶対反対を叫ぶ人達を見ると、納税者としては感情的になってもおかしくない。「よくそんなことが言えるもんだ」と言いたくなるのが少なくとも私の正直な感じだ。

論争の詳細を調べると噛み合わない主張を感情的に繰り返している。例えば、議論の透明性が無いから反対、経産省や農水省が我田引水的に算出した効果損失では判断材料にならない、農業に加え医療など他の分野まで不利な取引をすることになる、外交交渉の駆引き論から米国の陰謀説、先に締結された米韓FTAの問題(ラチェット規定(逆回転禁止)とかIDS条項などを議論)等等、議論は一方的で収束しそうも無い。

議論を総合してみてトータルでベストな解を求めようと言う議論が極めて少ない。あっても聞こうとしない。痛みは少しでもあったら反対する。多次元の主張をメディアが整理して伝え国民的コンセンサスを作って行く、最近の報道を見てそういう動きを感じ取れない。なんかそういう国が世界で増えているような気がする。国が破綻しそうになっても既得権益のみ主張する人達だ。

広義の民度が低い問題だけでなく、選挙制度にも大きな問題があると私は感じる。報じられるところによれば、与野党併せてTPP反対議員が400人もいるという。そんなに農民はいないはずだ。一方、TPPで利益を得るサラリーマンや消費者は何倍もいる、彼等は何を考えどう反映されているのかそれこそ不透明だ。極端に言えば議員は農協の組織票が欲しいだけだ。既得権益の大きい声を黙って聞いていて良いものか。■

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介護録11秋(2)

2011-10-26 17:08:55 | 日記・エッセイ・コラム

このところ3週間続けて母の機嫌がよかった。3週間前は久しぶりに買い物に連れて行かれ、自分で選んでお気に入りの服を買ったからだ。濃いグレーと黄色の細い横縞の地味な秋物のシャツだった。今度はグレー系の物を買うと相好を崩して母は言った。相変わらず地味で渋い好みだ。

傍にいた介護職員のオバサンは、「女はいくつになっても服を買うのが楽しみだからね」と言った。リハビリの為に入院した時、ピンクのパジャマを買っていくと「こんなもの着れるか」と母が凄く怒ったのを思い出した。来月も買い物に行くと聞き、是非ともとお願いした。

その後も続けて母は機嫌が良い。彼女が怒ることをしないコツが分かって来た。彼女が知っていると思われる昔のことを聞くことだ。今は丁度国土調査が進行中で、報告を兼ねて山林境界を何度か確認したが、彼女の記憶はしっかりしていた。昔と同じように明確な返事が返ってきた。私にとっても母の記憶が頼りで実のところ凄く助かった。

2週間前に施設を訪問した時、話が終って帰り際に突然ニコッと笑って「ウミホウズキ」が欲しいと母が言った。始め何のことか分からず聞き直したが、母は普段見せる苛立ちも無く言い直して「海ホウズキ」だと分かった。「分かった、探してみる」と答えて階下のオフィスに立ち寄った。

母の異食が報告されているので、海ホウズキを与えても良いかどうか介護責任者に確認したかった。ところが誰も海ホウズキが何か知らなかった。事務所でネット検索してみてもらったが、どうもピンと来なかったようだ。とりあえず手に入れたら、医者に判断して貰おうと言って終わった。

その日は遠回りをして海岸線の道を通り、途中海辺のお土産店に入った。私と同じ年恰好の店員を見つけたが、聞いたこともないという。知らないんだ。ミカンの産直販売店に母と同じ年恰好のお婆さんがいたので聞くと、「今はどこにも売ってない。もう採れない、漁師に頼むと1年に1回採れる」程度だと言う。諦めろということだ。

その後、海の近くで育った人を見つけては聞いてみたが、基本的に答えは同じだった。家内も知っていて知人を当たってみるが期待できそうもないとのこと。久しぶりにオジサン(母の弟)に電話して聞いたが結果は同じだった。別の知人によれば、彼の育った長浜町では昔沢山いた漁師は殆どが海に出なくなったのと、そもそも温暖化か何かの理由で採れなくなったという。

昨日母を見舞い、先ずは国土調査の状況を報告し母の記憶を確認した。その後、「どこに行っても海ホウズキが手に入らなかった、引き続き探してみるよ」と伝えた。「おしゃぶりして鳴らすのか」と聞くと、「ただ見たいと思っただけ」と穏やかな顔で返事が返ってきた。子供の頃を懐かしく思い出しているのだな、そんな気持ちになるのは良く分かる気がした。■

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新・国調が行く(2)

2011-10-22 20:51:46 | 日記・エッセイ・コラム

畑面積が大幅に減った

月が変わって今月の初めに、今度は田畑の境界確認をやった。田畑は山林と違い境界がはっきりしているので簡単だろうと思ったが別の問題があった。田んぼの境界は通常用水路で区切られているが、その場合通路がなければならず合わせて2mが公道になるという。

実体は畑に沿って50cmの溝があるだけだが、そこから1.5mは私の土地ではないのだと言う。運の悪いことに該当する畑の2辺に溝が通り、私の畑の側が公道になると登記図面にあるという。私の畑だけに公道を通すとは不公平な気がした。

区画整理をした当時、父は市の幹部で少なくとも間接的に関っていたはずだ。図面がそうなっているとなれば、文句言う筋合いではないと思いその場で了解した。2辺が1.5mも削られたと思うと、理由は何であれ凄く損をしたような気がする。先祖と子孫の両方に申し訳ない。

ここまで来た競争入札

その日の立会いの予定を終り、実家に帰る途中別のユニフオーム姿の一団に出会った。聞くと彼らは地元の森林組合で、国土調査中だという。国土調査は細かく地域を区切り、入札で作業を委託しているのだそうだ。実家の近くにある私の主要な山林は彼らの担当の一部だった。今までは松山市の民間測量会社だった。こういうところまで競争が持ち込まれているのは結構なことだ。

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森林組合は私が秋頃に田舎に来る予定だと市役所から聞かされていたが、具体的な日付は知らず今まで連絡が無かった。早速私の予定を伝え、後日立会いの日取りの連絡が来た。一度雨天順延となり、今週水曜日の午後に立会いをやり直すことになった。

先祖の確執を辿る

境を接する山林の持ち主の一人が私の同級生で、彼はこの辺では珍しい本格的な専業農夫だ。彼は農地に比べ山林にはそれ程興味がなく、かなりいい加減に境界を確定しようとした。だが、彼の父と境界を巡って確執があったので第三者が入り境界を明確にしたと母から聞いていており、私は母の教えてくれた目印をキチンと確認したかった。

係りの人と一緒に手入れされてない藪の中を歩き回り、母から聞いた通りの境界の杭を全て探しあてた。そのお陰で今回は境界を巡る論争もなく短時間に終った。他の1辺は山道が境界で確認は歩くだけだった。残りの1辺は急な斜面の境界に埋め込まれた小石で厄介だったが、調査員はそう時間をかけず10個余りの境界石を見つけた。境界石は不自然に地表から突き出していた。

ヤブコギに疲労困憊

最後の大物は実家の裏山にある。子供の頃はこの辺が最高の遊び場の一つだった。小川に沿った小道を駆け上がり、野いちごやすいこんぼうなどを食べた。その道は10年前に木出し道として一度機械で広げられたが、今は誰も通らず再び雑草に覆われていた。

山道が途切れるとその先は更に急斜面の藪で足元が緩く滑った。この程度でも子供の頃は何てことなかった。数分間急坂を登るだけで息が切れて追いつかなくなった。つい10年前までは重い荷物を背負ってバックパッキングしたというのに情けない。

「ゆっくり来てくださいね」なんて優しい言葉をかけてくれた割に調査員はドンドン先を行った。遅れてやっと尾根に辿り着くとどっと汗が噴出、下着がぐっしょり濡れて気持ち悪かった。長靴じゃなくて本格的な山靴にすべきだった。

信頼の相続

行く先々は既にピンクのテープと杭が打たれており、私は了解と言って確認するだけだった。というのは、母親がこの境界に接する地主は全面的に信頼出来ると言ったのを何度も聞いていた。その地主は郷土の成功者で、山林の境界は別の町に住む番頭さんが管理していた。

私は母が信頼できると聞いただけなのだが、それだけで安心して立ち会うことが出来た。調査員が別の日に番頭さんと確認したと聞くと境界をろくに調べもしないまま了解した。その方も相当の年齢のはずだが、生きている間に国調が実施されてよかったと思った。

四辺の境界が確認できたところで目印の杭打ちやテープを巻いていく調査員を残して先に山を下りた。シャワーを浴びて着替えサッパリしたところで玄関のインターフォンが鳴り、もう1ヶ所残っているので付き合ってくれという。参ったなー、もう。■

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