かぶれの世界(新)

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もしトラ決定!?

2024-06-29 21:06:41 | 国際・政治
昨夜(米国時間27日)の米大統領選テレビ討論会の中継が始まって直ぐに、私はチャンネルを娯楽番組に切り替えた。バイデンはガラガラ声で言葉に詰まることも度々あり、誰もが政策より健康を気にした。個人的にはバイデン支持の私には彼がボロボロになるショーなど見たくなかった。案の定NYタイムズ等民主党支持のメディアは、バイデンを見捨てた様な報道をしたという。

今朝の報道では拮抗していた両候補の支持率は一気にトランプが圧倒的に優勢に傾いたと報じていた。記事を読んで予想通りの米国民の評価にもガッカリした。確かに81歳という高齢者が世界最強国のリーダーに相応しいとは思えない。だが、もしそれが見かけ上の健康問題だけで判断した結果だとしたら、候補者の政策や人間性に対する評価はどうなのか。

特にテレビが報じるトランプ集会で候補者や支持者が、もう選挙に勝ったかのような態度や発言をし、彼らの主張が世界最強国の人達かと思うと失望した。民主党支持のNYタイムズもABC等のメディアや著名な専門家ももうバイデンでは勝てない、別の候補を立てるべきだと報じるのを見るとガッカリだ。アメリカはもう「もしトラ」になってしまったのだろうか。■
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原付バイクの思い出

2024-06-27 16:51:40 | 日記・エッセイ・コラム
ホンダの50cc原付バイクが来年5月に生産終了すると先週土曜日に報じられた。私には思い出がある。まだ10代の頃だったが、父が通勤に使っていた原付バイクをくれた。彼は代わりにマツダの350ccの軽自動車を買って通勤するようになった。

まだ学生の頃だったのだが原付バイクで遠乗りしたとかの記憶はない。ガソリンタンクは1.8リットルで、リットル80キロ位走ったので効率よく走れば満タンで200キロ近く走ったと思う。当時はヘルメットを被る必要もなく、自転車代わりに裏道を走った程度だった。

東京に出て会社勤めを始めてからバイクに乗らなくなった。30歳前後の夏だったと思うが、担当プロジェクトが無事終わり地元のお祭りに出かけた。バイクショップが広場で出張販売しているのを見て、急にバイクに乗りたくなった。原付時代に大型車の免許を取っていた。

ふと思いついてホンダの125ccを買った。ふと思いつくのは後期高齢者の今も続く私の特徴だ。その場で買って自宅に乗って帰った時、私の記憶では家内の反応はなかったと思う。彼女は何も言わなかった気がする。申し訳ない事に何度も相談なく思い付きで大事なことを決めた。

それをきっかけに、何度かバイクを買い替えた。そんなにお金がある訳ではなく、その後買い替えたのは全て中古車だ。当時はヤマハのレーサーモデルの2ストローク車が若者の人気だった。私はエンジン音が気に入らず、気に入ったのはスズキのカタナ250のカウリング付きの改造車だった。中古車には買いやすい値段の改造車があった。

当時400ccモデルが欲しいと思ってたが、ある機会で試乗した時急カーブで車体を傾けた時ふらついて一瞬恐怖を感じた。マシーン重量とエンジン加速のバランスをうまく取れなかった。それ以来これ以上のエンジンのマシンに乗らないと決めた、ある種正気に戻った。

それ以降は10年以上カタナであちこちに行った。家内や子供を乗せ、会社の女の子を送っていったこともある。週末になると河口湖や軽井沢まで軽く走るとか、長野や鹿島のバドミントン合宿に参加、大阪の妹宅に顔を出して四国の実家に帰省、東北の米沢に仕事で行ったりした。

バイクが若い頃の生活を豊かにしてくれたと思う。この間危険な目に会い怪我をしたこともあるが、運よく他人に迷惑をかけず大事にも至らなかった。この経験がその後の車の運転にも影響を与えたと思う。90年代に米国に暮らした時に、初めて移動手段として車に乗った。そこで、高速道路で2度もスピンしたが私も他の誰にも怪我させることなかった。

退職後は年の半分の田舎生活にマツダのスポーツ車が曲がりくねった山間道路をぶっ飛ばす楽しみを与えてくれた。2年前に居眠り運転で事故り廃車する羽目になった。又、別の機会があれば報告したい。全ては、60年近く前に父がくれたカブから始まった人生の一部だと感じる。振り返ると、私はやりたい放題、子供達にこんな危険な生活はさせなかった。父に感謝する。■
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眠れない夜

2024-06-26 14:38:19 | スポーツ
何時もの様に昨夜10時頃にベッドについたが、今朝がた4時頃までに暑苦しくて寝付かれなかった。暑いので夏布団を剥がすと肌寒くなり布団をかぶる、イライラして何度繰り返したか。隣の書斎の温度計を見ると24度前後で、普通に眠れた前日の25度より低かったのだが。

小雨が降っていたが湿度が上がるのを構わず窓を開けると少し風を感じたが、どうにも寝付けなかった。いつもの様にラジオの深夜番組を聞いて眠りを誘っていたが、今回は役にたたなかった。4時頃に疲れ切って寝込んだ。目が覚めると、ラジオは7時のニュースを流していた。

実は昨夜ベッドにつく前までは暑くても熟睡するるだろうと思っていた。昨日午前中に歯科医で仮歯の仮付けをしてもらい、一旦東京に戻り8月始めに帰京し入れ歯の型を取ることになった。一段落ついた気分だった。昼食後に思い付いて気分良く小雨の中ジョギングに出かけた。

先週土曜日に10キロ走ったばかりで中3日で走るのはやり過ぎと思ったが、走り始めると気分良くなり肱川沿いの小屋まで往復12キロのコースに向かっていた。45分で小屋に着き、帰途も50分で戻った。偽痛風にかかる前までの記録の範囲で走れて回復したと驚いた。

走っている間はエネルギー補給のゼリーを口にし、帰宅後はプロティンをたっぷり飲んだ。いつもより凄い汗が止まらず、シャワーを浴びた後も暫く汗が続いた。書斎に上がりコーヒーを飲みながらテレビを見、夕食後も全身の熱が中々引かなかった。

普段は軽い夕食で済ませるのだが、昨日は頑張った足を褒める積りで焼肉やチーズ等に酒の摘みといった何時もより重めの夕食を摂った。その後もベッドにつくまでずっと体が暑かった。素人判断だが連日のやり過ぎトレーニングと栄養素の摂取で体に変化が起こったと思った。

もしかしたら老いた体が少し若々しくなって熱を帯びたのかもしれない。今朝起きて階段を上り下りして洗濯物を取り入れても酷い筋肉痛はなかった。先週土曜日の10キロ走より速く走っても足の疲れは変わらなかった。もし素人判断が本物ならこれからも頑張ってみたい。■
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やりすぎ男の反省

2024-06-23 11:08:36 | 日記・エッセイ・コラム
後期高齢者になって目に見えて体力の衰えが進むのにあらがうわが身の姿を今まで描いてきた。特に昨年の春に偽痛風で入院後は、体力がほぼゼロの状態からの回復を「やりすぎ」と言われる位やった。振り返ると、私は自分の老化を測るために(1)血圧体重(2)生化学指標(3)運動能力(4)思考能力の領域に分けて長年データを採集して判断するよう努めて来た。

だが、いざ病気になって体力ゼロになると運動能力と血圧体重についてばかり気にしていた。何故こんな基礎的なことを忘れてたのか、昨日教えられた。昨日朝食時に何時もの様に新聞テレビを見ながら、土曜版の数独(ナンバープレース)をやった。たった9分で解けた。

昨日は超難問クラスで評価欄には「15分以内ならキレキレ、さすが上級者」との評価だ。30分超なら初心者の評価だった。病気する前はギリギリで問題を解けたが、病気後は倍の時間がかかるか、特に最近は途中でギブアップすることも珍しくなかった。それがたったの9分で解けたので、正直「エー、嘘!」と思わず声が出た。何かの間違いだ、と。

勿論、たった1回だけの実験データで判断することは出来ない。あと何度かトライしてみて結果が偶然だったかどうか判断しようと思う。だが、少なくとも上級者になるよう再チャレンジしてみようという前向きな気持ちになったのは事実だ。やりすぎ男としては正直嬉しかった。

こうなるとやりすぎ男の先走り性格が出てきて、金曜日の10キロ走で病気前に近い走りが出来たのが前触れだったと都合よく自己評価したりした。これからどうなるかは全く分からない、だがやりすぎ男の反省はこの程度だ。出来れば、死ぬまで。 ■
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やり過ぎが身に着いた!?

2024-06-22 18:15:40 | 健康・病気
ここにきてやりすぎ男に限界を感じて来た。昨春の偽痛風後にすっかり衰えた体力を回復する為に、時に後期高齢者にはやり過ぎなトレーニングをして来た積りだ。自転車や山歩き等を一生懸命やり続けているが、ジョギングは100mも走ると足が動かなくなり走るのを諦めていた。

しかし、今月になり夏日が続き始めた頃から血圧が上がり始めた。私は会社勤め頃から血圧が高く、退職後に毎朝血圧測定し始めて夏になると血圧が上がることに気づいた。係り付けの先生は一般論として寒くなると血圧が上がるが、私が全く逆で今年もその症状が現れた。

加えてハードな運動をすると翌日は血圧が下がる、副交感神経が刺激されるからだと係り付け医はいう。だが、偽痛風後の弱った体を考え初めはハードな運動は控えめにしてきた。だが、上記の様に気温上昇に連れて血圧が上がり始め、このところ強めの運動をするようになった。

そうなると更なる効果を狙い、駄目だと諦めていたジョギングを何とか再開したくなった。先月の9日に強い決意のもと、「100m程度でも気にせず走れるだけ走り、暫く歩いて再度走る」を繰り返して計3キロ走り、歩きも入れて8キロの距離をこなした。

意外にも翌日に筋肉痛が起こらなかった。翌々日も筋肉痛がなかったので、同じ走り方で今度は一度に300m程度は続けて走れた。諦めずに続ければもっと早く回復したと思うと残念だった。なので、同じように歩きを入れて疲れを取り再度走るを繰り返し、計5キロ走り歩きを含めて13キロに距離を伸ばした。その効果があったのか、次の6日間血圧は正常だった。

翌週からは種目を変え自転車で激坂を走り、更に2日間の休みを入れて、同程度の坂のサイクリングか雨の日はエアロバイクを200-250kcl程度繰り返して血圧を保った。ハードな運動をやればジョギングでもサイクリングでも血圧を正常に保てそうと思った、その時は。

ところが、5月末に気温が上昇し夏日が続くようになったころから、血圧の上昇が始まった。私的にはずっとハードな運動は続けて来た積りだったのだが。例えば今月12日に1.7万歩11キロ歩き、15日に1.8万歩15キロ歩き、昨日は同じ距離のうち最長の10キロを走った。

だが、今朝の血圧は135-79と若干下がったが、それ以前はやや高めの140-83程度が続いていた。毎回少しずつ距離を伸ばし、昨日走った10キロなら偽痛風以前とほぼ同じでタイムも100分程度まで戻った。なのに、血圧が下がらなくなったのは不思議だ。

何故ハードな運動をしても体調に変化が見られなくなったのだろうか。実は昨日10キロ走った後足の筋肉に疲れを感じた。今朝も筋肉痛っぽい疲れを感じた。これこそ昔の私の体ではないか。私の体はやりすぎ体質に慣れて来た、言い換えれば数年前の体に若返って来たのではないか。

全く都合の良い考えだと分かっている。体調に関わらず何でも都合の良い見方をするのが私の特徴だ。話は違うが、今朝の天気予報を見て、今日土曜の午前中は曇りで日曜は終日雨模様と判断し、朝食後にリュックを背負ってスーパーに食料の買い出しに向かった。

だが、買い物が終ってお店を出ると凄い雨模様で2キロ余りを土砂降りの中歩いて帰った。何時もはNHKのⓓボタンと2つのスマホの天気予報の多数決で外出を決める。今日の午前中は絶対大丈夫、雨は夕方からのはずだったが、見事に外れた。でも、何故か悪い気分ではなかった。■
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