かぶれの世界(新)

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参院選の性格を決めた首相判断

2010-03-31 16:55:34 | 国際・政治

政事業見直しを亀井・原口案のままで行くと、昨日の閣僚懇談会で首相判断を下したと報じるニュースを聞いて、鳩山さんは腹を決めたなと思った。それは単に一政策というより、今後の参院選の基調を決めるトータルな判断をしたというように私には感じられた。

どの選挙にも党や候補者の戦いであると同時に、彼らを支持する象徴的な選挙民グループ間の戦いという性格がある。昨日の閣僚懇談会における郵政事業見直しの方針決定は、7月に予定されている参院選の性格を後戻りできない決定的なものにしたと感じた。

小泉郵政選挙は都市と若者の反乱で、地方に勝利した。前回の総選挙は、今までの世論の動きを見直すと、税金の使い道を一向に改善しようとしない自民党にお灸をすえる性格が強かった。が、世代間の戦いで老人世代が若者世代に勝ったという側面がある。両選挙に共通するのは、例年の投票率を上回る無党派層の票が大勢を決める役割を果たした。

この郵政事業見直しは30万とも云われる全国の郵政票を期待したもので、国民新党だけでなく多くの民主党議員からの要望を反映して公式な政策となったと認識すべきだろう。それは小沢幹事長の選挙方針と合致する。言い換えれば、無党派層の票で実現した政権交代を、より安定した組織票をベースにした持続性のある政権にしていくという考えだ。

だが、それと同時に今までに何度か指摘して来た様に、小沢氏の手法は従来民主党を支持してきた人達の考えと相克する諸刃の剣になる恐れがある。今回、国民の1%しか支持しない国民新党の政策を受け入れ「郵政票」に直結する既得権益を守る判断をし、それにより組織票を獲得するほうを選択した。

我が国にとってあるべき政策かどうかの判断というより、天秤にかけて失う票より得る票の方が大きいと見た上での判断と感じる。一旦権力を握ると、何としてもより確かなものにしがみつきたいという誘惑は理解できるが、原則無く政策が揺れ動くのはある種の怖さがある。

民主党の支持率が低下し無党派層が急増している現在の状況において、今回の判断は参院選の性格を明確にしたと私は感じる。即ち、次の参院選は労組や郵政票に代表される「組織対無党派層の戦い」になる可能性が決定的になったと思われる。まだ早過ぎるが、「投票率が低ければ民主、高ければ非民主」となるだろう。どこかで見た風景だ。■

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介護録10春(1)

2010-03-28 17:32:38 | 健康・病気

リハビリの成果は?

田舎に来て2週間たった。近所の人に会う度に母が何時帰ってくるのか聞かれ、良くなってきたがもう家には帰れないと答えるのがつらい。今回の田舎行きはリハビリの6ヶ月期限までに母を養老院に転院させ、そこでの生活を落ち着かせる目的だ。病院で久しぶりに見た母は少し小さくなった気がするが、皺くしゃくしゃの茶色い顔が普通の年寄りになった印象を受け悪くは無かった。

担当の相談員や介護士によると私が田舎に来る日を楽しみにしていたと言うが、私の顔を見た時母の表情は余り変わらなかった。介護士の話では機嫌の良い時には東京での生活や米国に旅行した話をしたらしく、痴呆が進んだ様子でもない。車椅子での近所の散歩では野の花を摘んで花瓶に生けたりするらしい。だが、私と話をする時は反応が少なく実感できなかった。

リハビリの成果で、車椅子の車輪に手を掛け部屋から食堂に移動し、杖をついてトイレに行けるまで回復していた。前より尿意を取り戻したらしいが、何度かに一度の割合で失禁や失便があるという。私はそれ程期待していなかったので、小さな回復でも嬉しくなった。入院当時他の患者と交わろうとしなかったが、今では院内の行事に参加しているという。

看護婦さんによれば食事は1600kcalというが、自宅介護時は1200calだった。インシュリン注射は朝16単位、夕方4単位で血糖値は150から200台に安定しているという。自宅介護時の食事管理がうまく行かなかったのは、無理して低カロリーに抑えようとしたからかもしれない。早くこの病院に入院させれば良かったと思ったが、今更どうしようもない。

老人ホーム探し

3日前に病院の紹介で介護付の有料老人ホームを見学した。「特養」といわれる公共の老人ホームは法的な制約があるため、転院を繰り返し本人だけでなく家族も大変だったという事例を聞いていた。母には終身医療・介護サービスを受けられる有料老人ホームを見つけたかった。母は性格的に相部屋を嫌がるので個室が必要だが、一方で孤立しないような環境も重要だった。

見学の前に病院の紹介を受けた二つのホームを書類やネットで事前調査した。二つとも松山市郊外にある有料の介護付老人ホームで、一つは温泉風呂と立地環境、もう一つは全国展開する介護ノウハウが売りのように感じた。両方とも80-90室程度の規模で、前者は65%弱、後者は25%の部屋が埋まっていた。

一般に施設が満杯で空き部屋待ちの為に1-2ヶ月かかると聞いていたので部屋が埋まってないのは意外だった。両方とも通常のビジネスと同じで、営業と技術(老人介護)のペアが施設を案内し質問に答え、私の見学に丁寧に対応してくれた。需要超過どころか、需要不足で一生懸命営業に取り組んでいる感じを受けた。

最初パンフレットを見た時全く違う形式の印象があり、同じレベルで評価が難しいと感じた。そこで、見学前にスプレッドシートに確認項目と質問を整理し、見学後実家に戻ってスプレッドシートの空欄を埋めていった。その結果をメリット・デメリットに分類し冷静に眺め、価格・サービスなどを総合して両施設を比較すると、最初の印象ほど差がないことが分かった。

調査より勉強

異なる料金体系(例えば入居金が一千万以上とゼロ)でも例えば7年間居ると、トータルの支払いはほぼ同じというシミュレーション結果になった。仮に死亡等で早く施設を出ることになっても、入居料金の7-8割が月割りで返却され、高額の入居料が不利というわけでもなかった。

気になっていた老人ホームと病院との連携、看護婦・介護士・ケアマネ等スタッフの充実も、施設の売りというより運営上の必須事項だということが分かった。換言すると、最初からその条件を満たしている施設だけ推選を受けたといえそうだ。

更に気になっていたのは老人ホームに入居後に住所変更すべきかどうかだった。入居後の介護レベル認定や医療・介護から食事まで補助金を出す自治体との関係が強い。現在は自治体間で認定作業を依頼する制度があるので住所変更不要だが、実質住んでない老人への補助金等は財政逼迫自治体の不満があり、法改正の可能性もあるらしいが今直ぐの事ではなさそうだ。

老人ホーム探しと施設の見学は、何も知らなかった私が老人介護制度を勉強するちょっとした旅だった。施設の差より共通事項の勉強の為の見学だった。だが、これ以上時間をかけても何か意味のある成果が出そうでも無い。来週早々に病院のアドバイスを聞かせて貰い母の行き先を判断する積りだ。■

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田舎暮し雑感10春

2010-03-25 16:12:14 | 日記・エッセイ・コラム

山空港に降り立った2週間前は春風が心地よく、遠くの山々が霞み初春という言葉がぴったりだったが、昨日から冬の寒さがぶり返した。その間に気温が20度を上回り5月の陽気になり、一気に10度以上最高気温が低下したこともあり、今年の気候はまるで人間ストレステストをしているようだ。

それでも平均気温は上昇しているのだろう。今月亡くなった義理の叔父のうちにお線香を上げに双海町に行った時、サクラが6-7分咲いていた。そこは伊予灘に面する温暖なミカン農家だったところだが、隣の高知県ではもっと早く今週もう満開だと朝のラジオが伝えていた。

近くに住む叔父の家に最初訪問したが生憎外出中、義理の叔母さんに立て替えてくれた香典を返した。子供の頃の夏休みは里帰りする母に付いて行った山道は広く感じたが、初めて車で通ってみると車輪の幅ほどの道で路肩が無い。対向車が来ないかとヒヤヒヤの運転だった。

彼女が言うには義理の叔父さんの家に行く道はもっと急坂で狭い道で、私の運転では危ないからと一旦海岸線を通る国道におり、そこで私の車を乗り捨て叔母さんの車に乗せてもらって行った。軽自動車だけど4駆のシフトクラッチで、狭い山道を走るのには最適という。私はとても無理。

帰りに彼女にデコポンと一緒に珍しいからとツクシンボウを持たせてくれた。その日にハカマを取って水に漬けてアク抜きをし、翌日卵とじにして食べた。米国駐在時近くの国立公園をハイキングしツクシを採り、急遽日本に電話して料理法を聞いたことを思い出した。何だか生臭い、東京に電話すると少しお酒を入れたほうが良かったようだ。

庭菜園の持ち主が入院して手入れしなくなり野菜の丈が伸びて何とかしなければと思っていたが、何が植えてあるのかも良く分からない。他に当ても無く隣のオバサンに頼んで見てもらった。背丈近くまで伸びて白い花をつけているのが大根、黄色い花がカブだった。

「トウ」が立っているのは全て抜き、粗く切って捨てろという。もったいないと思ったが、彼女はトウが立つと大根は堅くなり水分が抜け密度が薄く食べられないという。他にほうれん草、白菜なども全滅。残ったのはソラマメ・エンドウの豆類、ネギの他は水仙やシャクヤク等花類だけ。

「トウがたった」という言葉は昔よく聞いたことがある。私はてっきり適齢期を過ぎた女性のことをいう昔の言葉だと思ったが、本来は植物が育ちすぎて薹(塔)の形になり食べ頃を過ぎたことを意味することをこの年になり始めて知った。(因みに今では女性は何歳でも適齢期、全く聞かなくなった。)

手入れ前後の庭の様子を写真に撮って、入院中の母に見せたが余り反応が無かった。喜んでくれると思ったのに、もう興味が無くなったのだろうか。ふと思いついて昨冬農協から購入した種芋のことを聞くと、何をのんびりしたことを言うのかとばかりに、直ぐ植えろと言った。性格悪いよ。

病院から帰ると直ぐに取り掛かった。農業カレンダーによると2月が種まきの時期らしい。家庭菜園の白菜を抜いた辺りを耕し、溝を掘り30cm間隔程度に種芋を置き、その間に肥料を振って土をかぶせた。私の記憶が確かであればこれで良いはずだ。6月後半には採り入れ予定だ。■

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マグロと国家の品格

2010-03-22 23:41:52 | 社会・経済

マグロ禁輸が否決されたと伝えるメディアや政治家の声が何だか浮かれ気味というか、嬉しさを必死にこらえている様子が感じられた。直前まで情勢不利と伝えられていたが、欧米の環境保護団体の動きに反発する漁業民の声を反映して、途上国が反対に回ったためと報じられている。

これってどこかで見た記憶のある風景だ。中国が資源欲しさにダルフールで反対部族の虐殺を続けるスーダン制裁に拒否権を発動したり、途上国を取り纏め京都プロトコルに続く地球温暖化対策を頓挫させたのと同じ構図だ。みっともないやり方だと軽蔑していたが、気が付けば同じことをしていた訳だ。

以前「品格」は国家に使うべき言葉ではないと批判した。だが、このマグロ事件は国レベルでも品格を問われることがあると考え直した。世界の8割も日本がマグロを消費すると言うのは異常だ。トロといえば時価という値札を見て我慢した一昔前の時代に戻る覚悟をしていたのだが。

一国一票の制度では如何に新興国の票を纏めるかが重要だと再確認したと思われる。国益という視点ではそうだが、資源の過剰消費となると日本が被害者の立場に立ち、資源保護をリードする立場に立たないのは何故か。品格のあるなしで議論すべきことかどうか意見が分かれると思うが、少し情けない気分になった。■

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公示地価下落の底流

2010-03-20 22:07:33 | 社会・経済

示地価(今年1月時点)が全国平均で前年比4.6%下落、特に商業地の落ち込みが大きく6.1%の下落となったと18日に報じられた。中でも下落率が大きいのが日本商業地のシンボルである銀座界隈だった。これは景気に連動した地価の変化だけでは説明できない、日本の消費者の変化を反映したものである。

直接的な原因として、証券化された不動産(REIT)から海外の投資が引き上げられたことが指摘される。リーマンショック以降の世界同時不況が資本引き上げの引き金を引いた。だが、引き上げられた資金がどこに向かったかと言うと、どうも相当部分が香港・シンガポール・上海に向かったらしい。つまり、海外から見て日本が魅力的な投資の対象ではなくなってきたということだ。

大雑把に言うと今回下落が目立った商業地の中でも、高級商業地の新橋や銀座は海外からのREIT投資で地価が上昇し、資本が引き上げられてその分下落したといえる。しかし、リーマンショックの前から高級品販売のシンボルだった百貨店の衰退は一貫して続いていた。海外からの投資で地価の上げ下げはノイズであり、むしろ伝統的な高級商業地衰退がトレンドだった。

それは若者の消費スタイルの変化や、デフレをどう見るか、で私がこのブログで何度か指摘してきた「合理的消費」への変化が底流にあると考える。不景気とか流行とか一過性で終るものではなく、今後長く続く新しい生活スタイルへの転換が起こっているように私は解釈する。

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-30代の若者の消費行動の変化を同じ18日NHKの「クローズアップ現代」は報じた。高額なファッションやブランド品、車、海外旅行が売れなくなり質素な生活をする一方で、音楽など人夫々に異なるこだわりには思い切ってお金を使うといった消費スタイルだ。

番組はこの変化の底流に、若者の所得減少や将来不安、バブル崩壊後に育った世代、価値観の転換などの原因を指摘したが、必ずしもこれだという明快な分析はなかった。番組ではこの変化を異変と呼び、企業や専門家が対策に悩んでいると報じたが、私は直感的に異変というより「新しい標準(ニューノーマル)」だと考える。

何故直感か、それはかなり前の時代に遡る。私はバブル時代の日本人の消費行動は、世界の他の国と比べると変だと思っていた。バブル時代と前後して喧伝された「一点豪華主義」も、何故こんな無駄使いをするのか理解に苦しんだ。消費に関して私はその時代の傍観者だった。

長男が仕事に就き暫く経った数年前、彼がかつて殆どの独身男性が欲しがった車を欲しくないと言い、あえて買うならプリウスのような環境対応車と言った。趣味以外は質素な生活をしている様子だった。その時は彼独自の嗜好かと思ったが、クローズアップ現代を見て改めて彼が多くの若者の一員であると理解した。

若者の消費スタイルの変化は景気の回復とか流行の変化で変わるような一時的なものではない。マーケティングの専門家はとっくに気付いていて対応している。百貨店の撤退や銀座に欧米の安価なファッション製品の専門店が進出しているのもその一環だ。だが新たな商品やビジネス・モデルの開発は容易ではない。

デフレデフレと騒ぐより、これが標準だと思い前向きに取り組まなければ衰退産業の一翼をになう羽目になるだろう。デフレの時こそ企業は知恵を絞り、市場を根底から変える新製品を開発し今日も主力製品であり続けている歴史がある。さもなければ、撤退しか残された道は無い。■

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