かぶれの世界(新)

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No place for old men

2016-02-29 15:13:47 | 日記
私風に翻訳すると「年寄に居場所はない」という記事を、2週間くらい前のインターネット・ニュース・メール「The Marshall Project」で読んだ。テキサス州の刑務所に50歳以上が2.7万人(全体の18%)いて、300人以上が車椅子で過ごしている。生活費の高い高齢者の比率が急増し、予算不足の当局は必死で恩赦して出所させようとしている。つまり、老人は刑務所にすら居場所がない、という。日本でも同じような事情と聞いたことがある。

金曜日に国勢調査で人口が5年で94万人以上減少したというショッキングなニュースが報じられた。少子高齢化は日本だけの問題ではなく、世界的な問題になっている。隣国の中国や韓国でも高齢化が深刻な問題として報じる記事をよく目にするようになった。中国は一人っ子政策が破綻したとされ、一方韓国は日本より低い出生率にあえいでいるという。しかも米国の刑務所にまで少子高齢化が進んでいるとは驚きだった。

私自身も仮住いの団地に引っ越して3週間たち周りの状況が見えて来るにつれて、私も含め老人がやたら多いように感じた。皮肉にもここはplace for old men(老人の居場所)だと思う。居場所がないというのも物悲しいが、それじゃといって老人の居場所に住むというのもあまり嬉しくない。やはり老若男女が住む環境が理想だ。

実際、近隣を歩くと高齢化が団地内だけじゃないように感じる。「哀しい」と言うか大袈裟だが自分が消えていくようで微妙な「恐怖心」みたいなものを感じる。昨日国分寺街道を北に向かって歩き、途中から広大な農工大と明星学園のキャンパスに挟まれた学園通り付近を散歩した。かつて賑やかだった風情が残っている緑に囲まれた道は、人通りが少なく閑散として余り楽しくなかった。やはり子供や若者の姿を見るとホッとするものがある。

お年寄りでも会話を交わせれば違うかもしれない。団地内ではすれ違う人達は誰も知らず、軽く頭を下げて挨拶するだけだ。 家内や息子は毎日仕事に出かけるのでまた別の気分なのかも知れない。だが、私は散歩や買い物で外出するだけでまるで田舎の実家で一人暮らししている様な気分だ。仮住いとはいえチョット予想外のことが起こっている。田舎生活と同じ覚悟が必要だったようだ。■
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家族が行方不明!

2016-02-26 16:15:17 | 日記
団地での仮住いでの生活に慣れて来たと思ったら昨夜我家に大事件が起こり、結果的には何もなく無事解決したが途中色々考えさせられた。

夕食時間になっても息子が帰ってこず音信不通になった。彼はいつも夕食時の7時前後に帰宅する。少しでも遅れる時はその旨メールで連絡をくれる。それが治療を受けている医者の勧めであり、我家ではそれが当たり前になっていた。しかし、昨夜は9時を過ぎても帰宅せず連絡も無かった。その頃から俄然心配になった。

私は勤め先が川崎ということか知らず、家内も会社名しか記憶が無かった。そこからネットを辿って職場に連絡したが通常の終業時刻に退社したという。ネットが無ければ最初のとっかかりから躓いていたはずだ。職場に残っている同僚に聞くと何も普段とは変わらなかった、唯一残された手がかりはシステム管理予定表に「予定あり」との書き込みがあったとのこと。しかし、社内の予定ではなかったようだ。

別居している二人の子供に連絡したが彼等も何も知らなかった。息子はスマホを忘れて行ったが、念の為にかけた携帯電話もメールにスマホは反応せず、どこからも返事が無かった。時計を見ると10時半だった。ついにギブアップして最寄りの警察署に電話して助けを求めた。

事情を一通り話すと再度110番しろと言われ、その報告が終わると近くの交番から若い警官が来て聞かれるままに詳しく状況説明した。彼はその後も時間をおいて2回来て追加質問した。更に指示されて110番に電話した。その報告のネタも尽きた。万が一の為息子と娘にそれまでの状況を報告し、後は連絡を待つだけとなった。

飲みかけだったワインを飲み干し時計を見ると12時半頃だった。最終電車がなくなる頃だ。家内にそろそろ寝ようと声をかけた時、玄関から物音が聞こえそれまで静かだった家内が「帰ってきた!」と小さい叫び声をあげた。「今迄連絡がないので警察のお世話になり大変だった。」と言うと、息子は「友人と飲んでいた、今日は遅くなると言ったじゃないか!」と顔をしかめて家内に向かって言った。だが、彼女は全く覚えていないと頭を振った。

すぐに110番に電話し、息子の帰宅と関係者への感謝を伝えた。その後、息子の勤務先の同僚に連絡し迷惑をかけたことを詫び、明日はいつもの通り出勤するだろうと伝えた。更に長男に状況を説明し終わると、風呂に入ってないのを思い出して一風呂浴びて床に就いた。妊娠中の娘には家内がメールを打った。

今朝目が覚めると家内も息子もいつもと変わらず既に仕事に出かけた後だった。何事もなかったように普通の日が始まった。だが、私はスイッチが入ったままだった。昨夜の5時間で私の現役時代のスイッチが入った。電話をかけ、情報をとり、次の行動を決め、実行する繰り返しを猛スピードで繰り返した。

息子に何か事故が起こったかもしれないという恐怖感より、感情抜きでテキパキ(私的には)手を打つ自分の姿に気付いた。息子を心配する気持ちより、情け知らずに目的に向かって機械的に対応する自分に驚いた。会社勤め時代に身に付けたルーチンワークだ。問題が起こると関係者から情報をとり分析判断、次の行動を決めて実行、そこから得た情報を基に全体像を描き、優先度をつけて出来るだけ早くこの繰り返しを続ける。

自宅建て替えで建設会社と交渉、仮住いを探して契約、引っ越し業者の選択契約と交渉を同時進行で実行していくうちに昔の会社勤めモードに戻ってきたせいかもしれない。人間関係を大事にしながら、感情的にならないよう物事を進めていく(時に意図的に感情を利用するが)、よく考えれば私の得意技だった気がする。その時は家は会社じゃないんだからねと家内に嫌な顔をされたが、今回はそれどころではなかった。

実のところ昨夜息子が帰り安心してから、寧ろ家内のことが心配になった。彼女は警察や勤務先とやり取りする間ずっと静かだった。息子に「今日は遅くなると言ったじゃないか!」と詰問口調で言われて小さくなった様に見えた。息子の部屋に行って「お母さんを責めるな、最近忙しかったし、耳が遠くなったり、物忘れしたり、認知の兆候とか万が一のことも考えろ。」みたいなことを言った。

私自身も恐れている認知症の始まりが彼女に起こってもおかしくないと思った。ホンの小さな症状が出てから、本格的な認知症まで5年位かけて徐々に進行するという。だとすればそう早い訳でもない。素人知恵の考え過ぎだと祈りたい。私?私自身は今回自宅建て替えの一連の活動で肉体的には疲れ風呂場で気が遠くなり一瞬危険な状態になり心配をかけたが、精神的には刺激を受けて若さを取り戻した気がする。■
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「溶融」が「損傷」になって得られたもの

2016-02-25 18:47:07 | ニュース
福島第1原発事故はその直後から「炉心溶融(メルトダウン)」と言わず「損傷」で押し通したが、東電の社内マニュアルに従えば3日目には原発の代表的な過酷事故である「炉心溶融」と判断出来たはずだと東京電力が発表したと、今朝の新聞は一斉に伝えた。事故後5年を経過しての発表は皮肉にも東電の信頼を傷つけたという。

新潟県知事の言うように「隠蔽」とは思わないが、私は意図された「言い換え」だったと推測する。このような大事件があった時、私が責任者なら他の人達にどう伝えるべきか、どう伝えれば被害を最小限に抑えられるかまず考えるだろう。東京電力は責任逃れの為に隠蔽したという見方も出来るが、その後の展開を考えれば嘘をつく程バカじゃなかったと私は思う。それにしても、正直に言うと却って責任追及されると辛いと同情する。

日本経済新聞によれば事故発生の翌12日、炉心溶融の可能性を言及した原子力保安院の広報担当を官邸の指摘で即交代させたと報じている。破局的な印象を与える「炉心溶融」と言えない雰囲気が官邸・霞が関にあったという。多分これが全てだが当事者は明らかにしないだろう。溶融と言えば対策が進むのなら話は別だが、さもなければ国民の安全を守る責任者としてパニックを引き起こさない広報を一概に非難できないと私は思う。

しかし、損傷と言い換えたのは当時の官邸・霞が関がマスコミや国民を信用してなかったということだろう。溶融というとマスコミは必要以上に危機を煽り、国民はパニックを引き起こし事態を悪化させる恐れがある、政府はそう考えて東電や保安院に損傷と言い続けさせたのではないかと思う。一方、影響力のあるメジャーなマスコミは分かっていても必要以上に追及しなかったかもしれないと思う。後述するようにそれで何も得られないのだ。

この当時、政府のスポークスマンであった枝野官房長官は、何かあるごとに「直ちに健康に危険な状況ではない」と言い続けた印象がある。だからと言って枝野氏が正しい情報を伝えなかった、隠蔽したと非難するのは筋違いだ。彼に技術的知識があったか非常に疑問だが、国民への被害を最小にすべく最善を尽くして政治責任を果たしていると思った記憶がある。

溶融を損傷と言換えて何が得られたのか、何を失ったのか、最後に考えてみる。表面的な言い方だが、パニックが抑えられた一方、政府や東電の言葉の信頼が失われた。政府は事故の深刻さに圧倒されていた。東電は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」、袋叩き状態にあり信用されない状況だった。マスコミは事故直後から炉心溶融の可能性について専門家の声を報じていた。だが、どちらに転んでも肝心な事故収束に影響したとは思えない。■
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我町の南北格差

2016-02-24 18:14:16 | まち歩き
仮住いに転居して散歩の範囲が徐々に広がり、視野が広がった様な気がする。最も印象的な発見は私が長らく住んだ町には南北格差があるということだ。格差の境界は甲州街道だ。今迄は甲州街道の南側に住んでいた。南側には京王線やJR南武線が走り、駅の横の百貨店からけやき通りを通り大國魂神社、東京競馬場、ビール工場、多摩川と続く。交通や買い物の便がとても良かった。

一方、北側には都立農業高校、芸術劇場、私達が住む団地の先に府中刑務所、東に東京農工大、西に東芝工場などがある。南側に住んでいた私達が転居して初めて分かったことだが、交通や買い物の便利さでは境界線を挟み北側はとても不便だ。日常生活ではただ通り過ぎるだけの大きな施設が続いている。特に夜間は通勤の人達が急ぎ足で通り過ぎていくだけだ。洒落た美味しいレストランとか居酒屋の賑わいが全くない。

話しは脱線するが、2000年頃まで仕事で何度も行ったサンフランシスコが、大通り(マーケットストリート)を挟んで北側と南側とで同じ町とは思えない程全く違った印象だった。有名なホテルは全て北側にあり夜間でも安全とされたのに、危険だから南側には行くなと言われた。米国にはそういう町が沢山ある。何故か町の南側が危ない所が多い。米国での格差を実感するのはまず治安だった。

我らが町は治安上の南北問題はないと思う、聞いたこともない。だが、夜間人通りが少なく頼りが街灯だけという状況に慣れるのは時間がかかりそうだ。先に投稿したように仮住いの集合住宅に隣接する商店街はシャッター街だ。団地内で見かける住人は高齢者が多い。隣の棟をざっとチェックすると物干し竿が無く人が住んでないと思われる部屋が3割前後あった。

悲観的な目で見ているから悪いニュースばかりが目についているのかもしれない。最近知り合ったバドミントン・クラブのメンバーで偶然にも北側の住人だという家庭の主婦によれば、上記の商店街で野菜を良く買うという。新鮮で美味しく高くないのだという。近くの小学校から纏まって帰宅する子供達の列が団地に向かわないのを怪訝に思い聞くと学区が違うらしい。2週間余りで私達は先入観が出来上がってしまったのかもしれない。■
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キレやすい老人

2016-02-22 19:19:32 | 日記
「きれてる?」 「きれてない!」 というやり取りが笑いを取っているをTVで見たことがある。だが、私のは笑えないかも。

今日、市役所の窓口で長々と待たされてキレタ。マイナンバーの通知を受けネットでカードを申請したが、まだカードが出来たと通知が来てない。この通知は転送不可で郵送されてくるという。私は2週間前に仮住いに転居したが、短期間の仮住いなので考えた末に住所変更せず郵便の転送を依頼した。問題が起こるのは分かっていたので市役所に電話し、手続きをしてマイナンバーカード通知を仮住所に送って貰うことにした。

今日その手続きに市役所に行った。11時半ば過ぎだったが総合受付のロビーは種々の手続きに来た人達で溢れていた。10分かそこらで私の待ち番号が呼ばれ、窓口の中年女性に上記の説明をするとそんなこと出来ないというそっけない返事。XXさんに電話で事前に相談して手続きして頂くことになっていると、別の番号札をくれ彼を呼ぶから待てと言う。

それからが長かった。40分程度たって待ちきれずロビーの入口の相談係りに行き、何時まで待たせるのかと聞いた。最初に受け付けてくれた女性が呼び出され、同じ質問をした。「一体どの位待てばいいのか、待ち時間が分かればその間やれることはある、このままでは無駄に時間を使うことになる、迷惑だ!」言ってるうちに激してきて、ついつい大声を出した。周りの人がぎょっとした顔で見ていた、気がする。

彼女は急に態度を変えて謝り、XX氏の都合を聞いて戻ってきて「後30分待ってくれ」と言った。私は直ぐに分かったと答え市役所を出て、昼食の材料と家内に頼まれていた買い物を済ませ市役所に戻った。ロビーに入ると長身の青年が私を見て確認し、「XXです、申し訳ありませんでした」と平謝りに謝った。

事情を聞くと役所内のネットワークに異常があって対応していたという。「それじゃしょうがない、この件は終わりにして、直ぐ手続きをしよう。」と応えた。彼は「それでも言い訳にならない、申し訳ありませんでした」と改めて謝った。私こそ大きい声を出して興奮した反省があった。手続きは予めXX氏が準備しておいてくれ直ぐに終わった。双方頭を下げて終わった。大急ぎで帰宅し昼食中に来客があった。約束の2時前になっていた。

実は二日連続でキレタ。昨日の午後家族揃って立川の台所や風呂等のメーカーのショールームに行き、備え付け品の仕様を決めた後、建設会社の担当営業と建築技師と打合せをした。最後に解体作業の進捗確認をした時、フェンスの処理が残っている旨伝えた。どうも初期の打合せで対応してくれた営業との引き継ぎがうまく行ってないと感じて確認を依頼した。実はこの時にも思わず大声を出してしまった。

というのはやり取りの最中に家内が割って入って、私の主張と矛盾するような発言を何度かした。彼女は話題が自分の知っていることになると、私が交渉中だということを忘れてついつい口を挟む習性がある。しかも昨日は間違った情報だった。仮に正しい情報でも手持ちの手札を切る順番を考えて交渉しているのにだ。お金に関わる微妙な問題の交渉をしている時だったので、思わず家内に「黙ってろ!」と怒鳴った。

周りの人の驚いた顔が一瞬目に入った。何でこう簡単に頭に来るのだろうと思った。キレやすい老人が問題になっているが、私もその一人かも知れない。しかし、分かりのいい老人のままで市役所の対応がそのままでは困るし、家内の無責任な発言も困るしなー。■
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