かぶれの世界(新)

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憧れの農業JK

2016-03-18 22:07:50 | 受験・学校
先月仮住まいの団地に引っ越した時からずっと気になっていたことがある。それは「団地妻」ではなく、「農業女子高生(JK)」だ。団地から駅周辺の商店街に買い物に行く時、必ず都立農業高校のキャンパスを通り抜ける。キャンパスの西側の府中街道、東側の国分寺街道、或いはキャンパスを横断する路地道、そのどこを通ってもやたら女子高校生が目立つのだ。実家のある田舎の農業高校は男性が多かった記憶があるのだが。

春休みの時期なのでこのところ最近生徒をあまり見かけなくなったが気になっていた。買い物の帰りにキャンパスの西側から東側に向かうセーラー服姿を見つけ、以前から疑問に思っていたことを解決するチャンスとばかり声をかけた(オジサン、ホント好きだねー!)。

馴れ馴れしいジーサンに警戒する様子もなく「卒業したばかりです!」と言って、彼女は気安く私の質問に答えてくれた。彼女はテキパキと応えてくれ、あっという間に私の疑問を解いてくれた。やはり私の印象通りで女子生徒が全校の6-7割いるのだという。理由は簡単で、農業以外に女性が行きたい学科がある為だ。

彼女は食品科で6割方は女子だし、他にも服飾科(ファッション)はほぼ女子ばかりという。農業高校なのに沢山の女生徒を見かける理由が分かった。農業JK、感じ良いー! 戻ってネットで調べると他にも食物科(食品科と別)とか緑地計画科(多分園芸関係)とか女性が選べそうな学科が沢山あった。(最初からネットで調べればすぐ分かるのに、わざわざJKに聞くあたりが私らしい。)

1週間くらい前に母宛の同窓会名簿の確認の手紙を受け取った。それによると、彼女は昭和19年に農学校を卒業した。戦争が終わり復員して来た父とお見合い結婚、昭和22年に私が生まれた。農学校時代の母の話を聞いたことがないし写真もないので、一体どういう感じの女生徒だったのか想像もつかない。相手してくれた農業JKの顔を思い出し、その頃の母を想像しようとしたが車椅子姿しか浮かんでこなかった。■
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学力テスト考

2009-08-28 17:39:25 | 受験・学校

国一斉の学力テストの結果が発表された。昨日夕方のTBS系のニュース番組は、都道府県単位の成績と結果を公表するかどうか大阪府の状況などを伝えていた。あわせて、親の年収と子供の成績が比例する傾向にあると問題指摘をしていた。肝心のテストの内容が示す問題が見えてこなかったので気になった。

今朝の日本経済新聞に目を通し詳細な結果を見ると、何が重要かテレビで見たニュースの視点と私の視点に差があることに気付き少々驚いた。TBSは毎日新聞系なのでネットで社説をチェックすると、ルールを守り規律正しい生活をしている子供の成績が良かったとある。

続けて、それは自明のこと、その先の有効で具体的な処方箋こそ必要で、そのためにわざわざ全国調査が必要かと疑問を呈している。あわせて親の年収と子供の成績の相関関係が示す教育格差を緊急課題として取り上げ、総選挙後に抜本的な見直しを期待するとあった。

力テストは定点観測として教育制度や内容を見直していく為に必須の手段であり、その結果を個人・学校・地域・国レベルで評価分析して教育を充実させていくべきだと思う。思うに学力テストの結果は貴重なフィードバックである。親や教育者は自分が正しいことをやっているか常に謙虚であるべきで、透明性も求められる。子供からのシグナルを組織的に見る絶好の機会だ。

テレビは系列新聞の社説を更に要約したと思われ、学力テストを親の年収との相関で格差問題に矮小化して報じていたように感じた。テレビ報道が毎日新聞の本音の優先順位なのかもしれない。いずれにしても我が国の教育レベルをいかにして高めていくかという気持ちが感じられなかった。

学力テストの分析結果の中で、子供の学力のうち「長い問題文を読み、内容を整理した上で記述式の回答を求めるB問題」の無回答率の高さが注目された。無回答率は学習に対する積極性を判断する材料という。調査では一斉読書や作文指導をやっている学校の無回答率が低くなる傾向が出たという。(日本経済新聞)

書の重要性を示す調査結果に共感が沸いた。私事だが、20年前子供が小学校高学年の頃、近所の方に頂いた世界小説全集を読み、感想文を書いたノートと引き換えにお小遣い3万円を上げると子供に提案した。彼らは凄い集中力で予想を遥かに越える速度で読み切り驚いたものだ。

意欲を示せば希望通りに学費を賄うだけの収入が私にはあった。しかし、家内も私も勉強を無理強いすることはなく、塾に行くかどうかも子供の判断に任せた(と聞いている)。彼らは小学校時代普通より上程度の成績だったが、学年が上がるごとに成績が上がって行った。

その頃米国に単身赴任していたので定かでは無いが、読む力が備わったことで自から勉強して学力を高める術を身につけていたのではないかと推測する。証拠は無いが幾分か貢献したはずだ。(家内も子供に色々な機会を経験させようとし、その効果があったのかも知れないが)。

その頃に会社の上司に子供の教育の為に最高の本と強く勧められた本を最後にお薦めしたい。

それは見える学力、見えない学力(岸本裕史1981大月書店)だ。親との会話、遊び、しつけなどに加え読書習慣の重要性を説いたもので、その内容に感激し同社の教育シリーズの本を全て購入し読んだ。20年経った今でも印象に残る一冊で、親御さんに一読を薦めたい。■

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教育格差論と親の身勝手

2006-06-20 22:55:34 | 受験・学校

大学受験に有利な私立学校や予備校など教育費が高く、収入が少ない家庭の子供は教育の段階で格差がつくという所謂教育較差の議論がある。大学をランク付けし高い格付けの大学に入学するか逆算して教育を語っている。教育のあるべき姿を議論しているようには思えない。私はこの義論を聞くと複雑な気持ちになる。一方的に非難できないその辺の微妙な心境を紹介したい。

ずいぶん昔のことだが父親参観で長男の通う中学校に行ったとき、「愛されていますか、お父さん」のテーマで受け持ちの先生と懇談会に参加した。ところがテーマはそっちのけで受験勉強のことばかり質問する父兄にいささか辟易した。父兄の子供を思う気持ちは分かるが、教育の関心が受験のみに集中しているのが私には驚きだった。思わず暴言を吐きその後家内は学校に行けと言わなくなった。

現在の教育格差議論も底に流れる考えは当時と全く変わっておらず、子供が一流大学から一流会社というレールに乗れるかどうかが前提になっている。しかし、一流大学出身が出世の道になるような一流会社などもう日本には存在しない、それでは世界との競争に生き残れない。とっくの昔にレッテルより何が出来るかが問われる世の中になったはずなのだが。

そうは言ったものの、子供の中学・高校時代私は海外にいた。節目の時は相談されたが、所謂受験勉強は家内が全てケアした。実は、日本にいる時も子供の教育は家内にまかせっきりだった。私にはこの議論に参加する資格はないかもしれない。しかし、こんな私にも若干の言い訳がある。

子供が小学生の頃は多少なりとも教育に貢献したつもりだ。子供に身に付けて欲しいと私が思ったことは、1)出来るだけ長く集中心を保てる、2)抽象的な思考ができる、3)読書が好きになることであった。対象は学問じゃなくても、スポーツでも趣味でも良かった。その手段として大金のお小遣いをだしにして子供に3040冊の世界文学全集を読ませ感想文を書かせた。

今から考えるとあざとい手段だったかもしれないが、その後の学問や仕事で少しは役に立ったのではないかと思う。中学に進学すると家内も彼らに何も押し付けず助言するだけだったと聞いている。殆どの同級生が塾に通う中、家内は子供が必要性を感じた時のみ塾に行かせたようだ。高校は私立受験校、塾には行かなかったが、結果的には志望する大学に入学できた。

しかし、ことの是非はさておき私は未だに後悔していることがある。それは子供が大学に進む時、私のちょっとした一言が進路に影響を与えたかもしれないことだ。長男は京都で物理を勉強したいと家内に言ったらしい。米国で伝え聞いた私は深く考えず彼と話もしないで東京だって勉強出来るだろうと家内に答え、結局彼は東京で学んだものの今はコンサルタントに転進した。

末の息子は社会学を選んだ。私が文系を勧めたのは理系だらけの我が家に文系がいたらいいという気持ちがあった。当然息子の素質を認めてのことだったが、彼の将来に大きく影響する選択に口出しすべきだったのか未だに自問することがある。実は、娘は私の勧めに乗らなかったのが今では救いとなっている。昔あこがれた女子大を勧めたが、娘はさっさと共学校に行った。

子供の教育を殆ど家内に任せきりだったのに、彼らの進路に口出しをしたのが果たして良かったものか。結局は自分の好みを押し付けた「親の身勝手」だったかもしれない。その後息子達が何をするか迷う姿を見たとき心が痛んだ。正直なところ私の助言は、現在の教育格差議論と大して変わらない功利的な発想だった。

私は元々子供に受験勉強を押し付ける積もりはなかった。私の両親も好きにさせてくれた。父は仕事一筋の地方公務員で互いに大人の話をする前に死んだ。母は祖母と野良仕事に忙しかったが、学校の成績だけは酷く気にしてくれた。私が何かを学びたいといえば出来るだけその機会を与えてくれた。時代は違うが結局同じことを繰り返しただけかもしれない。

全くしまらない話になった。現在の教育格差論には違和感があるものの、これ以上私に教育論を語る資格はなさそうだ。■

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漂着ゴミ、偏見を恥じる

2005-11-18 10:25:37 | 受験・学校
昨日NHKの「クロ-ズアップ現代」で日本沿岸に漂着するゴミ問題を報じていた。
特に九州や日本海沿岸の被害が酷いらしい。

プラスチック容器、医療品から冷蔵庫まで海岸に押し寄せ環境破壊がひどい。その清掃だけで小さな地方自治体の予算では負担しきれなくなっている。

見た瞬間、これはきっと経済が急成長している中国や韓国からだなと思った。
確かに、調べてみると中国製や韓国製のゴミばかりだ。

ところが番組が進行するにつれ、逆に日本からのゴミが韓国やロシアから遠くはミッドウェイまで押し寄せている事実が明らかになった。被害は各国沿岸全体に広がっていた。

日本も被害者であると同時に加害者なのだ。

更に番組は進んで、韓国では海岸から引き上げたゴミを買い取るという最も先進的な制度が既に導入され官民での対応が開始された。又、150人の韓国人若者がボランティアで対馬に来て汚したことを謝り海岸清掃して帰ったそうだ。

見ていて私は恥かしさで一杯になった。最初根拠も無く疑った韓国が官も民も我国より余程進んでいる。素晴らしいではないか。

私はいつも情に流されず理を求めていくことを誇りにしていたつもりだったが、気がつかないうちに酷い偏見で予断していた。恥じ入るばかりである。

決して煽ることなく公平な視点で地道に問題を追及していくNHKの番組制作姿勢に敬意を表したい。そして、私の偏見を短い時間で気づかせてくれたことに。■


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