かぶれの世界(新)

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縮小する日本

2007-10-30 22:59:44 | 社会・経済

ブプライム問題で米国では大銀行が次々と損失を計上し、それが欧州に飛び火し世界連鎖信用不安が広がった。しかし、昨日のNY市場はダウ平均が$13,870で年初来11.29%上昇、ナスダックは同16.65%上昇してひけた。欧州やその他の新興国市場も活況が続いている。

日経BP10/25)によると先週末までにドイツのフランクフルト指数(DAX)は年初来19.5%、ユーロ・円換算すると24.6%上昇した。新興国はサブプライム問題を乗り越え、同じ時期で上海117%、香港48%、台湾23%、韓国37%、インド27%、ブラジル37%、トルコ44%、と上昇した。新興各国の実体経済も高い成長を続けている。

2010年に中国が日本のGDPを越えるという報道が最近あったばかりだが、株価にしろ、経済成長率にしろ、世界で日本だけ収縮しているというのが正解だろう。サブプライム問題は野村證券が大きな損失を報告したが、欧米に比べれば軽症なのに何故一人負けなのだろうか。

深刻な日本の一人負け

本日東証は前日比47円下げて16,651円でひけた。主要国で日本市場だけが唯一年初来マイナスで、絶不調が続いている。周知のように日本の株式市場の3割が外人株主だが、彼等が1日の売買の7割を占める。外人投資家が株価を決めているといっても差し支えない。

大雑把に言うと半年先の業績予想が株価に反映される。グローバル化された世界では、余剰資金は国境を越え割のいい投資先を求めおり、リアルタイムの人気投票といわれている。各国の株価は投票結果の現れである。日本の株価が低いということは、儲からないので資金を引き上げ他国に再投資されているということだ。

日本の個人投資家もこの投票に参加している。彼らも外人投資家と同じ判断をして巨額の個人資産が海外に向かっている。今年だけで二度にわたる世界同時株安、世界連鎖信用不安があっても、個人資産の海外流失の傾向は変わらず、その残高は30兆円を越している。

日本の個人リスクマネーは海外に向っている。私も退職金の一部を使って株式を買ったが、2月の世界同時株安時に殆ど売り払い、信託投資を購入し海外比率の高いポートフォリオに変更した。日本株式は世界市場と同時に沈み、世界の浮上には追いつけず、低迷が続き予想は当たった。

結果として、今日現在で年初来のキャピタルゲインと配当金を合わせたトータル・パフォーマンスは6%前後になり、僅かであるにしても好調な世界経済の恩恵を得られた。日本の株式にしがみついていたら私の場合二桁、インデックスでも数%の損失を出し失望していたと思われる。

世界から予想外に評判の悪い福田政権

株価低迷の原因を求めて欧米の投資アナリストのレポートを読むと、福田政権の評判が非常に悪い。市場原理主義だろうと何であろうと、彼らは投資が儲かるかどうか最大限の情報網と知恵を絞って予想をするという点で、私にとっては信頼できる情報源である。その彼等が厳しい評価をするのはショックである。 

日本のメディアが徹底的に叩いた安倍政権のほうが投資の世界では高い評価を得ている。福田政権の低評価の訳は前政権が断行した官僚制度の見直しと財政改革が停滞し、公明党までが次の選挙に怯えバラマキ政治の後押しをする構図が明確になってきた為である。

道路公団・社保庁・厚労省・防衛省と噴出が止まらない官僚がらみの不祥事は我国が縮小する速度を加速させている。どう考えても官僚制度の改革は待ったなしだが、皮肉にもその官僚の不祥事で時々の政権が窮地に追い込まれ、その都度官僚を救う。

参院選で大敗した後を引き継ぎ調整型の福田政権がとりうる選択は発足時から限られていた。構造改革派も既得権益派も支えてくれる曖昧な全方位の政権運営をし、徐々に国民の支持を得ていく小渕前首相的なアプローチをとるのは理解できる。

しかし、そのコストは史上最大のバラマキ政策と巨額の財政赤字であったことを投資家は忘れていない。日本メディアのポピュリズムに反応する世論と、それに押し流され悪乗りする政治は、結果として日本を縮小させ世界から取り残されることになる。そういう国に投資すべきだろうか。

市場に追い詰められた米連銀

米国の状況も容易ではない。先のG7はサブプライム問題を取り上げ、傷を舐めあうが何ら根本的な対策を打ち出せず、失望のうちに終った。G7は世界経済を代表するメンバーから構成されず、今後その有効性が徐々に失われていく可能性が高い。世界の資金が米国に還流するシステムが揺らぐ兆候を感じる。

報道を見る限り11月のFOMCで連銀の選択は限られてきた。FFレートを0.25%下げの公算が極めて大きい。9月の思い切った0.5%下げはサプライズ効果もあって市場を沈静化させたが、副産物で原油価格が高騰、インフレが高じドル安となり、連銀の選択肢が急に狭まった。今回のドル安は今までとはちょっと違う。

ドル安の最悪ケースはドル離れによる国債暴落であり、米国としては最優先で何としても避けなければならない。となれば今回の0.5%下げは選択に無い。一方、何もしないとサブプライム問題の悪化が食い止められない。となると0.25%下げしか選択が無いという見方だ。

米国の大銀行が軒並み損失報告、消費のスローダウンの兆し、好調な企業業績、原油高騰とインフレ兆候という複雑な事象の中で、連銀のFFレート変更が事前にこれほど断定的に予測されるというのは珍しいのではないのだろうか。当たり前の措置では連銀の存在価値が問われる、打つべき手を打たなかったという非難が出ても当然かもしれない。■

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私的「堀川の奇跡」

2007-10-26 13:28:21 | 社会・経済

都の公立高校が先進的な学校改革をして全国有数の進学校になり「堀川の奇跡」として注目され、それを紹介する記事やテレビ番組を何度か目にし心に打たれるものを感じた。

荒瀬校長の下1999年に専門学科「人間探求科」「自然探求科」を設け、生徒がテーマを決め継続的に研究し、最後に論文発表と生徒相互で評価する科目を導入した。その結果、短期間に学力が飛躍的に向上し進学率が2桁増え、国内外の教育関係者の見学が相次いでいるという。

所謂予備校や進学校に見られる詰め込み型の受験教育でなく、「探求することの面白さ」と「探求の為に必要な基礎学力の重要さ」を生徒に実体験させ、学問の目的を明確にすることで生徒の学習意欲を高め、大学で学ぶ動機付けが出来たのが成功の原因である。

いささか我田引水ではあるが、私も似たような経験をしたことがある。1990年前後に、私がハイテック企業の要素技術部門をあずかった時のことである。要素技術とは商品に使われる半導体等の電子部品から電源、実装まで開発評価・認定し、製品開発部門がこれを使って商品を作る。

地味な分担だけれども商品の性能や品質を決める縁の下の重要な役割だった。当時は事業拡大に合わせ新規採用を増やし、非常に高いレベルの技術者がいる一方で残り半数は有名大出身でも入社数年内の経験の少ない技術者が混在しており、若手の戦力化は緊急の課題であった。社内外の教育の機会を利用させたが物足りなかった。

そこで思いついたのは、部内の若手技術者全員を対象に業務に関する課題を調査研究させ、発表会でプレゼンさせ上司や同僚に質問・コメントをさせることにした。主任・課長は業務の時間がとられ、未熟な技術者の研究に否定的ではないにしても当初積極的な姿勢を見せない者もいた。

しかし、時間の経過とともに自分の部下に下手な発表をさせられないと指導してくれ、発表内容の質は期待以上で質疑も活発、私自身も担当部門の活動と最新技術を改めて勉強出来た。ベテラン技術者は学会発表レベルに無いと冷ややかな見方もあったが、教育効果を認め手本を示してくれ空回りせずに無事終えた。

発表会は厳しい意見があっても笑いも出る和気藹々の雰囲気で進み、部内の一体感が醸成されるという予想以上の成果だった。発表会は半年に一度やり、二回やったところで私は他の部門に移動そのまま忘れていた。「堀川の奇跡」を聞いて突然思い出した。思い起こすと、私のサラリ-マン生活で管理者として失敗ばかりの中、自らうまく行ったと思う数少ない経験だった。■

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ニュースの裏側: 紙の憂鬱

2007-10-23 22:20:00 | ニュース

NYタイムズ、有料サイトの突然の中止

1週間前に書き込んだ「今時の若者-Q世代」でNYタイムズのTフリードマン氏の署名入り記事を引用した。その時は気がつかなかったのだが、同氏の記事は2年前「タイムズセレクト」という名前で一部有料化されたはずなのに、今回何の制約も無く読めたことに後から気がついた。

怪訝に思って調べてみると先月19日にタイムズセレクトを中止し、全記事購読無料となったことがわかった。決定は経済的な理由で、有料ネット読者数が伸び悩みこのところ若干減少に向かい始めたところで直ちに中止を決断したという。この決断の早さがいかにも米国の会社らしい。

米国の新聞社は発行部数減とそれに伴う広告の長期減収傾向に悩み、最大の経営課題はいかにしてオンライン収入を増やし新聞購読者数を維持するかであった。NYタイムズの結論は、有料化して限られた高所得者層に対する広告収入を増やすより、全て無料化して全体の広告収入を増やすほうがより儲かるというものであったと論評されている。

知る為に読むか、儲ける為に読むか

NYタイムズのウェブサイトは1日当たり1300万人のアクセスがあり、平均24分滞在する世界最大の新聞系無料サイトである。一方タイムズセレクトの有料購読者数は8月現在22.7万人で昨年比16%も減少、有料化による広告戦略が失敗したと判断したようだ。

最大の有料購読者数を誇っているのはWSJ(ウォールストリートジャーナル)で98.3万人、FT(ファイナンシャルタイムズ)は9.7万人といわれている。この2社は一般紙と異なり経営や投資判断の情報提供の役割を果たすものであり、主要な顧客は購読料を問題にしない。

中止のもう一つの理由は、最近WSJが無料サイトの見出しに2行程度の情報を付加したことにより、インターネット広告の値打ちを決める検索エンジンの露出量を高めたことへの危機感で緊急対応したという見方もある。

これを見てもメディアの主戦場はインターネットであることが明らかだ。端的に言えば両社が発信する情報の性格の差が有料サイトの成否を決めた。知る為に読むNYタイムズと、儲ける為に読むWSJといえる。しかし、WSJの新しいオウナーは無料化した時の総合的なメリットを見直すと噂されている。

理由はともあれ、私にとってタイムズセレクトの$7.95/月、$49.95/年の購読料を惜しんで、この2年間クルーグマン氏やフリードマン氏等著名な言論人の記事を読めなかったので、この変更は嬉しかった。

三大国内新聞提携の背景

一方、今月初めに発表された読売朝日日経3誌の提携は、気持ちは分からないではないが本来のあるべき姿なのか私には疑問に思うところがある。提携の背景に新聞購読者数の長期減少に対する危機感があることは間違いない。このままでは朝日新聞は2010年に本業で赤字転落するという。(週刊ダイヤモンド9/22

調査によると日本も新聞の購読率は少子化の影響以上に低下している。有料購読者の高齢化がすすんでいる。購読者は40代で8割を切り、20代では4割近くが新聞を読まなくなったという。新聞社の収入は購読料と広告が64というが、購読者数は先細り、広告収入は減少傾向というダブルパンチを受けている。(CEN

発行部数の長期低落は米国と同じ傾向だが、日本の場合は支出の面で特殊な事情がある。日本では戸別配達にトータルコストの45-50%を費やし、再販価格制度がこれを支えている。秋山朝日新聞社長は、「配達網あっての日本の新聞」の維持の重要性を改めて強調している。しかし、全国に張り巡らされた販売店網の維持はどう考えても成り立たない状況になってきた。

肝心の提携内容だが、3社は組合を作り共同サイトで主要記事の読み比べが出来るようにし、販売事業分野での業務提携、災害時などの新聞発行の相互援助体制を発表した。過疎地域などの配達の共同化、災害やシステム障害時に紙面制作や印刷を代行・輸送支援を行うという。20083月末までに正式な協定を結ぶ計画だという。

読者のメリットは何?

この提携には購読者にとってメリットを感じない。共同サイトで記事の読み比べが出来るのは悪くないが、発表によれば組合は夫々出身元の新聞拡販以上の優先順位を持たない、同床異夢の組織になる可能性が高い。要となる商品(記事)の目的と手段が一致してないのである。

読み比べを売りにするならBBCのように、自社の特徴・主張を前面に出した上で極力多くの関連記事をアクセスする手段を与えるべきだ。もしくは米国にあるような各社の論説の比較評価を徹底的にやるのもいいが、それは独立した編集組織でしか実行出来ず、今回そのような構想はない。 

仮に将来編集にまで提携が進むとすれば、朝日と日経、もしくは読売と日経なら相互補完関係になる可能性もある。しかし、朝日と読売が共同経営するサイトの出現は荒唐無稽で現実的ではない。仮に実現しても併せて日本の3割近い発行部数の巨大ポピュリズム集団になる恐れがある。

提携は突き詰めると収入が頭打ちで将来に展望を持てなくなった大手新聞社の販売店対策による経費削減が最大の眼目であり、共同サイトその他は販売店の反発を緩和する隠れ蓑と実験を兼ねた後付の意味合いが強いように感じる。

いつかきた道?

今回も誤解を恐れず大胆に決め付けると、販売店の整理統合という構造改革を断行する為の大連合をカムフラージュするのが今回の提携話の肝である。私はメディアといえどもビジネスであり存続の為には経済原則には逆らえないから、提携を非難すべきとは思わない。

だが、新聞社と販売店との前近代的な悪しき慣行は以前から指摘されてきたことであり、そう簡単に一掃されるかどうか疑問だ。機能的な面から見れば新聞配達を民営化した郵便とか宅配会社と一括契約するのが最も効率が良いはずだ。しかし、顧客リストを抑えている販売店が反発すると事態は複雑になる。

かつて松下電器は町の電気店を整理する流通・販売改革が中々決断出来ず、苦労して血を流しながら改革に追い込まれた。デル・コンピューター社が通販で当時最強のビジネスモデルといわれたパソコン販売で急成長している時、他社が販売店との関係の見直しに手間取っている間に勝負が付いた。

いずれも販売店との関係がかつて強みだったが、それが弱点となって足を引っ張った。特に日本ではそれが長い間の濃密な人間関係にまで発展し、組織の権力維持機構と結びついて内部から変革の足を引っ張る。新聞の場合も直接顧客と相対する販売店が顧客を人質に取られる事態を考えると二の足を踏むことになるだろう。

日米新聞社のアプローチの差は、米国が本腰をすえてインターネットで儲かる仕組みを構築しようとしてるいのに対し、日本はあくまで新聞の戸別配達維持の手段としてインターネットの活用を考えていることにある。つまり従来ビジネスモデルの補強としか考えていない。どちらの筋がいいかは自明だ。試行錯誤はあっても、結果は見えていると私は思う。 

余談だが、来春を前後に販売店に関連してトラブルが起こったとしても新聞報道には出てこない、その成り行きは非新聞系の週刊誌を情報源と見たほうが全体像が掴めることになるだろう。電車に乗った時は中吊り広告に注目しよう。■

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今時の若者-匿名の世代

2007-10-19 23:12:03 | 社会・経済

田事件でメディアが手の平を返したように亀田親子バッシングを始めた要因の一つは、放送局などのメディアに抗議の電話やメールが殺到したからだという。「今時の若者」の中で、従順で与えられた役割を果たし、酒やタバコをやらず、堅実で慎ましい生活をしている若者像を描いたが、抗議の多くは彼等からのものだったようだ。

先に紹介した「Q世代」を書いたNYタイムズのTフリードマン氏によると米国でも似た事情があるようだ。氏は黙々と理想を追い求めるが自己主張しない大学生像を描き、メール交換等のバーチァル・コミュニケーションよりも、街に出てもっと人と人の直接コミュニケーションをして影響力を行使すべきと勧めている。

国内でも最近メディアが取り上げた事件を振り返ると、スポーツに限らず恥知らずで分り易い不祥事の当事者に対して抗議の電話やメールが集中し、これが関係者のアクションを後押しする結果を生んだものがある。複雑で多様な角度からの洞察が求められる問題は素通りされるが、それでも何も起こらなかった従来と比べれば決して悪い事とは思えない。

ここで、例によって大胆な仮説というか私の直感を紹介してこの議論を一旦終わりにしたい。「日米の若者は逆方向から来て今同じところに向っている」というのが今回の仮説だ。多分、それはグローバリゼーションとIT技術革新がもたらした。

国では個人が立ち上がり不正を糾弾することをスタンドアップといって長らく尊敬されてきた。最近では経理担当がエンロンの粉飾決算を内部告発し、同じく9.11関連で内部告発したFBI捜査官とともにタイムの年の人に選ばれたのが記憶に新しい。彼らは若者ではない。若者は粛々と自らの理想の為に汗を流している。

一方、日本では組織の中に個人が埋没し、不正が温存される固い構造が長い間続いた。しかし、今世紀に入り談合や偽装が次々と告発されるようになった。その殆どは内部告発が発端になっていると理解しているが、所謂スタンドアップというより匿名の告発の形をとっているようだ。

結論を急ぐと、米国では個人がバーチャルな世界に後退し、日本ではバーチャルな世界になって個人が傷つくことなく意思表示をするようになった。言い換えると、米国ではインターネットの匿名性に逃げ込み、日本では匿名性が意思表示の手段となったように見える。

ただ、若者のメンタリティにおいては両国間に差もあるようだ。たまたま昨日米国から帰任した元同僚がスタンフォード大で講義した経験を聞いた。議論を通じてビジネスの世界では日本人学生に比べ彼らの独立志向が極めて強く印象に残ったという。それはそれで、間違いないだろう。

しかし、年金・保険からイラク戦争など政治的な反応を見ると、日米ともに若者が全体的に内向きになり、自らの将来を決める選択についてさえ必要以上に分かり易くなっているのを私は感じる。この若者像が的を射たものかどうか正直私にもわからない。

これを書いた後もどうにも掴みきれないもどかしさが残ったが、折角だから書き込みすることにした。近い将来に影響力を行使するだろう世代・グループとしてネチズンの動きを今迄ウォッチしてきた。同じように彼等が今後世界にどういう影響を与えるのか複合的な目で見て行きたい。■

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亀田事件の底流

2007-10-17 16:16:21 | ニュース

田親子の反則行為を指弾する連日の報道を見てボクシング界について随分詳しくなった。日本ボクシング協会(JBC)の下に東日本ボクシング協会があり、その傘下に沢山のジムがあり、プロの選手はジムに所属してプロのライセンスを与えられる。ジムの会長は元ボクシング選手が多く、大相撲に似ている。亀田親子はこの世界から制裁を受けた。

ボクシングファンとこれを伝えるメディア及びスポンサー企業等が日本のボクシングをビジネスとして成立させている。一方、スポーツというカテゴリーから文科省が物を言い指導する立場にあることが分かった。亀田親子については昨年「いと見苦しきこと」と書いて以来、私は全く興味を失っていた。しかし、圧倒的な報道量に接して門外漢の私も一言言いたくなった。

亀田事件の主役はメディア

今回の事件の報道を見て私はメディアの責任が極めて大きいと思う。亀田親子の非常識で礼を欠き品の無い振る舞いを無反省に全国に流し続けたテレビを始めとする報道は実に酷かった。こんな無礼な輩をヒーローとしてお茶の間に流すテレビ局に教育改革など語る資格は無かった。今回の世界戦の反則だけを語って、それ以前は良かったなどというのは全く反省が無い証拠だ。

TBSの姿勢は、父親の史郎氏の「何をやっても勝てばいい」と非難されている姿勢と何ら変わらない。言葉を勝負から金に換えて「何をやっても儲かればいい(視聴率が取れればいい)」と言い換えるだけで、その心根は同じではないか。

こういう親子は昔からいなかったということではない。多くは街の「跳ね返り」的な扱いを受け一生突っ張りながら片隅で生きていくか、中には法を犯し闇の世界に転落して行った。一方、苦労して貧困から抜け出し人間として成長していき子供のお手本になる人生を歩んだ人も数多くいる。

ところが人気低迷に悩むボクシング協会は亀田親子を指導せず、テレビは視聴率だけの為親子を利用した。素質はあるがまだ実力が備わっていない街の跳ね返り者に突然スポットライトが当たった。その成り行きからすれば親子はもっとワルになれと勧められたと理解してもおかしくない。

正直言うと亀田氏は大阪・西成の出身だと聞いて私には特殊な感情が生じた。これは偏見かもしれない。しかし、彼らは西成から抜け出そうと彼らなりの知恵を振り絞り必死にもがいていた絵が浮かんだ。品が無いのも無礼なのも育った環境から言えばある程度止むを得ないかもしれない、しかしメディアがこれを利用したのは酷いと。

TBSだけが問題ではない

亀田親子の悲劇は実質プロモーターだったTBSだけでなく、他のテレビ局を始めとするメディアの責任も免れないと私は思う。メディアは自らを厳しく律しなければならない。しかし、一部の限られた者を除いて亀田親子の無軌道とそれを報じ続けるメディアに対して口をつぐんできた。

見方によっては巨人と日本テレビ、高校野球とテレビ朝日と同じ延長線上に亀田親子とTBSがある。理屈ナシにひいきの引き倒しをする姿勢が垣間見える。海外にも地元スポーツ優先の報道は多い。例えばヤンキースが地区優勝した時、私のところにもそれを伝えるニュース速報がNYタイムスから届き驚いた。

しかし、それは利害関係や既得権益を感じさせるものではない。そうすれば報道機関としての信頼を傷つけるからだ。巨人べったりのスポーツコーナーや、亀田選手を持ち上げる筑紫氏のニュース番組などが、同時に年金問題や政治と金を論じると違和感を持つ視聴者も出て来る。

この事件については、メディアは事が起こる前に問題提起し状況を変えることが出来たはずだ。今回メディアは叩いても安全になって初めて手の平を返した様にバッシングを始めた。もし亀田選手が勝っていれば、バッシングは起こらずメディアは亀田親子におもねり、親子は更に暴走したと私は疑う。揺るがぬ姿勢で信頼を保つのは、事件発生前に問題提起していく報道の姿勢だ。

加えてボクシングに限らず、メディアはまだ実力が備わってないが若くて将来有望だと、極端に大騒ぎし過ぎる傾向がある(例えば「XX王子」)。スポーツ中継するとこの選手にばかり焦点を当て報じる。ここまでやると真のトップ選手とそのスポーツを貶める冒涜行為といっても良い。

メディアの反省すべきこと

一部のメディアにも自らを反省する声が聞かれるがまだ他人事のような捉え方が多いように感じる。昼間のテレビ朝日のニュースバラエティを見ていると、コメンテーターが報道に共通の問題があったと指摘をし始めた途端、女性アナウンサーがそれを遮って話題を変えた。

多くのコメンテーターはお金を頂いている立場にありテレビ局の意向に沿った発言をする傾向がある。にもかかわらず折角の問題提起を遮るような姿勢は問題の理解の浅さを垣間見た感じを受け、寂しい思いをした。良い比較とはいえないが、ここで参考にすべき事例を紹介したい。

イラク戦争が誤った情報に基づいて始められた時、NYタイムスの記者が根拠となる大量破壊兵器の存在が疑わしいという特ダネを掴んだ。しかし同誌の編集は1面には戦争を煽る記事、30面かそこらの目立たない紙面にこの特ダネを潜り込ませたという反省と再発防止策を数年後に発表し、信頼を繋ぎとめる努力を読者に見せた。

メディア(特にテレビ)は先ず亀田親子の悲劇を産んだ経緯、夫々の時点でメディアの果たすべき役割は何であったか検証し再発防止の為の措置をとり、それを視聴者に見せるべきだ。結局のところこれは報道全体の信頼性の問題に帰ってくると深刻に考えるべきだ。

自己反省し自浄能力を発揮せず組織の防衛に走るのは何も日本の官僚だけではない、メディアも例外ではない。プライドの高いメディアに妥協するとしたら、私は上記のNYタイムスのようなアプローチを勧めたい。トップが決断しさえすれば直ぐにでも開始できるはずだ。

例えば昨日の夕方、テレビ朝日が対テロ特措法について色々な角度から見方を紹介し視聴者に考える材料を提供していた。私は正直これを見て同局の従来の姿勢とは随分違うと驚いた。この番組は上記の30面に当たる。同じ日の夜、看板番組のニュースステーションは相変わらず社民党的発想の正義感を振り回していた。逆だろうと思う。しかし、一応30面にアリバイは作ってある。私はこれでもいい、ここから始めても良いと思う。

救いもある。今回報道する側よりボクシングファンが寧ろ健全であることを示し、歴代の世界チャンピオンがインタビューを受け、夫々に的確な意見を述べるのを聞いてホッとした。特にお茶の間でボケキャラ人気のガッツ石松氏が、周り(バラエティショーに代表される)に流されないで自己の主張を繰り返すプロの目の確かさには流石と感心した。■

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