かぶれの世界(新)

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仮説:自民圧勝とドイツ

2005-09-30 13:49:29 | 国際・政治
衆院選に続いて18日に行われたドイツの総選挙は対照的な結果となった。事前に圧倒的優勢が伝えられたメルケル党首率いるキリスト教民主同盟(CDU)が過半数の議席を獲得できず、その後も依然として首班指名できない混乱状態が続いている。

日本とドイツは第二次世界対戦後奇跡の復興をとげ、10年前までは米国とともに世界経済を引っ張る機関車といわれていた。最近は中国・インドの急成長に隠れ世界の中でプレゼンスを失いつつある。日独の保守的な企業風土と痛みを伴う構造改革を先送りして来たのが凋落の原因と指摘され続けてきた。

世界は今回の両国の選挙を経済のあり方を根本的に改めることが出来るかどうかの戦後最も重要な選挙と見て注目した。選挙結果は、日本国民は構造改革を圧倒的に支持し、ドイツ国民は急激な改革による痛みを恐れ戸惑い、明確な意思表示をしないという全く異なったものになった。私は選挙戦略の巧拙と両国民の意識の差が結果を分けたのではないかと思う。

小泉首相は郵政民営化を一本絞り争点を単純化して選挙を戦ったが、メルケル党首は大胆にも国民負担を明確に打ち出して税金・医療・年金改革を訴えたのが裏目に出たと思われる。メルケル党首は直前の党首討論の出来が良くなかったといわれているが、それでも過半数は取れると予想されていた。詳細に政策を訴えるドイツ選挙といえども余りに痛みを前面に出すのは適切な選挙戦術ではなかった。

もう一つが国民の意識の差である。日本国民は特定団体の既得権益をベースにした現行の政策決定プロセスをシャッフルしたいという強い意識があった。一方、ドイツ国民は政治不信は無く、政策を理屈では分かっているが自らの既得権益を失うことへの恐怖感が最終的に投票結果を左右したと信じる。

ドイツは週35時間労働を最初に勝ち取った国で、労働者はこの権利を守るため如何なる変更に徹底的に反対してきた。しかし、冷戦終結後東西ドイツの統合・グローバリゼーションの進行を経てドイツの労働者は徐々に競争力を失い、企業は安価な労働力を求めて海外に仕事を流失させ二桁の失業率が続くに至った。日本と同様、臨時雇用が増え正社員の比率が低下している。遂にこの夏多くの組合員を抱える建設組合は給与を上げず40時間労働を認めるなどの動きが出、他の組合にも波及している。

日本の民間企業はバブル崩壊後の失われた10年を経てこの数年構造改革が進み、小泉政権後の政治改革で国民の痛みに対する覚悟が醸成された。しかし、ドイツは懸命にもプラザ合意後のバブル発生を避けたが故に、皮肉にもその後のグローバリゼーションに対応した構造改革の痛みに対する準備が出来てなかったのではないだろうか。更に厳しいことを言うなら、失業してもセーフティ・ネットがしっかりして困らない仕組みが確立されており、それが故に労働意欲の減退が進み、これが既得権益化していることである。

構造改革の先送りはドイツだけで無く欧州全体の経済回復を遅らせることになる。中国・インドに追い上げられ競争力をなくした製造業の足を引っ張り、更に新産業の育成による経済の活性化を遅らせ、ドイツを語る時「失われたX年」とか「日本病」とか言われる羽目になってしまう恐れがある。■


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白壁塗り直し

2005-09-27 21:12:26 | 日記・エッセイ・コラム
昨夏の台風で雨が吹き付けられ剥がれてしまった郷里の蔵の壁を塗り直すことにし、8月まだ田舎にいた時前から付き合いのある建設会社の棟梁に来てもらって見積もりをしてもらった。棟梁の他に大工・左官と営業の人達が来てくれ見てもらった。剥がれた壁はほんの一部だと思っていたが、残っているところを一寸見て叩くと全て剥がして塗り替えが必要といわれた。2階の山側の壁の一部は25年位前の土砂崩れの跡がまだ残っている。隣の母屋の台所は吹き飛んでしまったが蔵はびくともしなかった。土砂崩れが起きたのは母や祖母はまだ起きる前の早朝だったので事なきを得た。

屋根の瓦がずれて雨漏り寸前になっており瓦の葺き替えも必要だという。二階に上がって天井を調べたが雨漏りの跡は無かった。腰壁といって土台から背丈くらいの外壁の部分は「焼杉」か「洗い出し」仕上げのどちらか見積もりをもらって決めることとした。壁は元から塗り上げていくのはコストが高すぎるので、「ラス張り」といって板張りの上に黒いメタルラスを張りモルタル、漆喰を塗っていく方式をとることとした。瓦は母屋よりやや小さいものを使いバランスを取ることとした。

1週間後見積もりが出来、営業から説明を聞いた。母が考えていた予算内に入っていたので相談して時間がたっても見掛けの良い「洗い出し」仕上げにした。棟梁よると最近白壁の蔵のある家は少なくなり田舎では結構自慢になるらしい。とはいっても蔵に入れるものはそんなにない。穀物、果物などは1階の半分も場所をとらず、ダンボール箱や石油、季節物の電気製品などがあるだけ、2階には昔からある良くわからない陶器などが古臭い箱に置いてある。期待して母に聞くと値打ちのあるものなど無いとの事。酷くコストパフォーマンスが悪いが蔵を壊すのもかなりの費用がかかるらしい。

工期は10月から1ヶ月程度ということであったが、先週から工事が始まった。母からの電話では壁をはがしたら内側は思ったより酷く屋根の袖の下がぼろぼろ崩れ落ちたそうだ。シロアリが湧き出るように出てきたそうだ。柱に補助の柱を貼り付け補強したが、これ以上遅れると補強すら出来なかったらしい。改修を思いついてよかった。

母は昼食時にお茶を出し、朝と昼の中休みにおやつを出す習慣を辛がっていたので、ポータブルの冷蔵庫を買ってきて予め東屋に置いておき職人さんに自由にとって貰えるようにしておいた。心細いだろうが何とか一人で頑張って欲しい。田舎は前の台風以来好天が続いているらしい。暫らく台風は遠慮してコースをはずしてくれないものか。■ 


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寅さんとマドンナ

2005-09-25 23:10:56 | 映画
何度も見て筋が分かっているのに再放送されると思わず見てしまう。私も多くの熱心な寅さんファンの一人だ。先週NHKで放送された「男はつらいよ~私の寅さん」も見てしまった。その時の解説によると寅さんが惚れるマドンナには「憧れのインテリ」と「日々の生活を健気に生きる」女性の二つのパターンがあるそうである。どちらも堅気の女性である。

寅さんはインテリ女性が大好きである。インテリ女性に対して寅さんは筋書き通りというか役柄通りというか、馬鹿だけど憎めない、最後に住む世界が違うことを思い知らされるちょっと淋しいピエロになる。インテリではないけど一生懸命生きている可憐な女性にも簡単に惚れるが、同じ世界に住むいい男が来てかっさらっていく。寅さんシリーズで繰り返されたお決まりのパターンだ。それはそれで見て楽しめる。

私はその中で浅丘ルリ子の演じる売れない三流歌手「リリー」を相手にしているときの寅さんが特に好きだ。解説を見て何故私がリリーといる時の寅さんが好きなのか判ったような気がする。リリーといる時の寅さんは別の人格になる。まるでシリアスな映画で演じているような存在感のある横顔が出て来るのである。リリーはどちらのタイプのマドンナにも当てはまらない。

二人は同じ「堅気じゃない世界」に住む分かり合った者同志の会話を交わす。すると寅さんが酸いも甘いも心得た頼りになる訳知りの大人になり、ハンフリー・ボガードとローレン・バコールの渋い会話になる時がある。その時二人の間にはこの先どうなるかわからないという緊張感が出てくる。映画が全く違ったテーストになる。自分とは全く違う架空の世界への私の憧れかもしれない。■


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メディアの堕落

2005-09-21 23:53:39 | ニュース
昨年から日米の選挙の報道を追っかけて報道の仕方がかなり違うことを実感した。日本の政治や経済が特殊だというけど、メディアも負けず劣らず特殊だと思わずにはいられない。一方的に悪いとはいわないが、少なくともこれでは世界から尊敬され引用される報道にはならないと思わずにはいられない。全体にその傾向が強いのだが特にテレビが情けない。私の見た報道人は世界のメディアから評価され引き抜かれることはまずなさそうだ。

テレビ報道がニュースショウ化したのは米国が先行している。米国滞在時に起こったモニカ・ルインスキーの報道は異常だった。彼らもスキャンダルは大好きだ。しかし、米国には夫々テレビ局の(時には米国の)良心を代表するといわれるアンカーマンがおり本質を鋭く追求して行き報道の質を高め、又それが当然のように期待されそれが故に尊敬され、ジャーナリズムに関わる人の目標になっている。新聞も著名な記者がいて同じような仕組みがある。ところが、日本のテレビでまともに見えるアンカーは、私と意見は異なるが筑紫氏くらいしか思いつかない。

今回の衆院選でも争点を深く理解しているとはとても思えない芸能人やアナウンサーが薄っぺらい知識や正義感を振りかざし、コメンテータの受け売りを朝から晩まで繰り返していた。素人はちょっと複雑になると「評論家」といわれている人達の意見に頼らざるを得ないが、彼らがまた酷い。本筋に切り込まずマージナル・イシューの揚げ足取りばかりで、まるで仲間外れにされ拗ねている様な評論をする者が殆どだった。1面のヘッドラインで論じなければならないことを省略して、16面の所謂「穿った見方」だけを尤もらしく喋る。選挙結果が示したメッセージをデータに基づき真面目に分析し報じたテレビ番組は、私が見た範囲では視聴率1%以下の時間帯のNHK BS1放送だけだった。民意が何だったのかの認識が報道にとっても最も重要だと思うのだが。

わかりやすい例を挙げると、数日まえから自民党の新人が派閥に入らないよう党が教育・情報交換の場を作るという報道があった。それは「小泉党」を作り首相の立場を強めると2,3のコメンテータが言うのを見た。普段口を揃えて派閥に批判的な人達が一体どうしたのか。実は派閥の情報源を持っていてその既得権益が侵されることを心配したのかと勘繰りたくなる。彼等はもしかしたら隠れ抵抗勢力なのか。これが将来の派閥の動きにどういう影響を与えるか、効果があるのかをまず論評するのが本筋でないのか。その上で得意の裏の狙いのウンチクを論じるべきではないのか。

しかし一方的に非難できない同情すべき点もある。ジャーナリストの多くは長い間政治家や官僚の作文に聞き飽きて文字通りに取ることを諦め、裏の意味ばかり必死で追いかける性格が遺伝子に組み込まれてしまったと思う。多分、諦めたところで堕落が始まったのだと思う。テレビのニュースショウ化はジャーナリズムの規律に欠け結果的に堕落を加速させた。私は青っ白いと言われるかも知れないが、ジャーナリストの役割は政治家の言葉を重く取り事実として伝え、それを文字通りに実行するよう追跡報道し圧力をかけていくのが守るべき一線だと考える。

嘗てベトナム戦争時代、米国政府の発表の言葉と現実の乖離をクレディビリティ・ギャップと呼び、銃弾に倒れる記者が続いたがメディアは真正面から切り込んで事実を報道し追及して行った。イラク戦争ではブッシュ政権支持のFOXテレビが優先され戦場から生の映像が米国民に伝わりにくかったが、カトリーナでは全チャネルが被災状況を刻々と伝えブッシュ非難が一気に高まった。映像のもつ影響をどう生かすか今一度良く考え報道の姿勢を見直してもらいたい。■


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Summer Reading 05(2)

2005-09-20 22:26:02 | ブログ
夏休み中もっと沢山本を読もうと意気込んだけれども結局竜頭蛇尾に終わってしまった。理由の一つは言い訳めいているが、衆院選が解散され総選挙に突入、同時に株式市場が上昇しインターネットに張り付いたせいである。NZのあるビジネス・スクールに留学して学位を取れないか今調べており、その一環で久しぶりに原書を読み和書より酷く効率が悪くなったせいでもある。能書きはこれまでとして夏休み後半以降に読んだ本は以下の通り。

1)ザ・コンサルティング・ファーム Jオーシア、Cマディガン 1999日経BP
エンロン、ワールドコムの粉飾決算以前に書かれたが、既にその危険性が指摘されている。

2)The Learning of Business English by N.Brieger & S.Sweeney Prentice Hall
3)The 10-Day MBA by S. Silbiger 1993 PIATKUS
10-Day MBAは上記のビジネス・スクールが入学前に読むよう勧めていた。参考になったところもあるが、この程度ならあまり教育内容は期待できない、という印象もある。

4)ITパワー 中谷巌・竹中平蔵 2000 PHP
5)村上龍料理小説集 1988集英社

6)市場と国家 田中直毅 1994 東洋経済
かなり前に書かれたにも拘らず今でも新鮮さを失わない問題の本質を突いた指摘が多い。今回の衆院選でも改革ターゲットになった官僚の問題を、当時「訓練された無能力」と指摘しているのは言いえて妙である。今日、何故言わなくなったのだろうか。市場メカニズムは相互牽制によって初めて均衡を維持するのだという指摘は改めて自分に言い聞かせたい。

7)Saving The Sun by Gillian Tett 2004 Harper Business
長銀崩壊、国有化、リップルウッド買収、新生銀行として再生を一連のドラマとして追っかけたノンフィクションもの。日本の新聞社や当事者が書いた本を何冊か読んだが、英語であってもこの本が最も判りやすい。その理由はメディアを含め村(業界)の中にいる人が常識や暗黙のルールとして当たり前と見逃していることを本質に戻り平明に解き明かしているからではないだろうか。和訳が出ているはずで、今回のお勧めである。

8)平成武士道 山川清海 1995 近代文藝社
題名に惹かれて読んだが失望。米国はキリスト教をベースにした文化であり政治プロセスである。とすれば大正・昭和時代以降、戦後の日本は何だろうというのは前々からの疑問である。私の読後感ではこの本は疑問に答えていない。

依然として沸々とした読書欲が湧いてこない。追求するテーマが最近ボヤけて来たせいかもしれない。 やっと涼しくなってきたので、旅行や外食などで気分転換して見よう。■


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