かぶれの世界(新)

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青年よ、政治を目指せ(Part 2)

2012-11-28 22:19:36 | 国際・政治

来月4日に公示、16日に投開票が行われる衆院選には、民主党政権と自公野党の二大政党政治が機能しない政治の受け皿として、第三極と称する新党が乱立しいまだに合従連衡が続いている。解散直後は既存の与野党対決で「経済成長」が最大の争点と見られたが、石原・橋下新党が個人の魅力で「決められる政治」を主張し政策が曖昧になった感があった。そして昨日からの嘉田新党の出現で「原発ゼロ」が新たな争点になった。少なくとも、マスコミ報道では。

だが、私は隠された最大の争点があると信じる。それは我国が長らく悩ませ一向に治る気配の無い深刻な慢性病で、少子高齢化を背景とした拡大し続ける「世代間格差」である。失われた20年間に渡って高齢者のための政治が行われてきた。自公も民主もともに高齢者に配慮して社会保障改革は先送りを続け巨額の財政赤字を増やした一方で、25‐34歳の失業者は20年前の7倍に増えた。こんなことは絶対に許されない。

政治が高齢者に向いているのは単純な算数の問題だ。その方が選挙に勝てるからだ。60歳以上の世代が有権者に占める割合は、80年に20%弱にすぎなかったが、10年には38%に増えた。投票率は高齢になるほど高く、10年の参院選では60歳以上が投票者の44%を占めた(日本経済新聞11/26)。これが高齢者重視の政治を単純に非難できないからくりだ。

私はこのような状況を憂慮して、2009年に記事「青年よ、政治を目指せ」と題して若者に警鐘を鳴らした。せめて投票すべきだと。http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20090415 大接戦だった先の米大統領選でオバマの再選を後押ししたのは若者の票だった。米国では若者の比率が高いから影響力もまた大きい。しかし我国では、2009年以来、具体的なデータは手元に無いが若者の票が重要な役割を果したのは大阪市長選くらいだったと感じる。

日本の場合、少子高齢化という構造的な要因がある。更に、違憲とされた1表の格差があり、大雑把に言うと高齢者の比率の高い地方の票が都市部の2倍の重みを持っている。その上投票率が低いのでは自業自得かもしれない。誤解を恐れずに大胆に推測すると、投票率を加味して地方の高齢者の票の重みを換算すると都市部の若者の3‐4倍の重みを持っていると推測される。これでは、政治家は老人の方に向わざるを得ない。しかし、それでは何と言い訳をしようとも長期的に国が活力を失い縮小していく道を選ぶに他ならない。

そこで再び私は「青年よ、政治を目指せ」と言いたい。「誰を選んでも同じ、何も変らない」とテレビはインタビューに答える選挙民の声を事あるごとに流す。それは大間違いだ。テレビも老人の味方だと思った方がよい。視聴率に貢献するのもまた老人なのだ。無投票は政治不信の意思表示などというのは民主主義を破壊する行為だ。マスメディアの無責任を糾弾されるべきだ。

新党も含め若者に対する政策を最大の争点にしないのは何故か、それは口先ではどう言おうと若者は票にならないからだ。騙されてはいけない。若者は連帯して投票所に行こう。ベストでなければ、ベターでもいい、逆説的に老人の社会保障に熱心でない候補者でもいい。落としたい候補者の対抗馬でもいい。何しろ投票しよう。それが、政治の流れを変える第一歩だ。■

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金融ポピュリズム: 安倍は第二の鳩山になるか

2012-11-26 16:51:49 | 国際・政治

結論から言えば第二の鳩山にはならないが不安もあるというのが私の大胆占いだ。

銀法を改正し無制限の金融緩和をやる、憲法第9条を改正し国防軍を創設する、と次期首相の最有力候補である安倍自民党総裁の発言を聞いたときは驚いた。そんな上品な言い回しより「たまげた」という表現のほうが正しい。何故こんな過激な発言をするのか私には理解できなかった。

だが、市場の反応は前向きに捉えた。安倍氏の発言以来円安が進行、東京株式市場は急騰を続け今日の日経平均は52日以来となる9400円台を一気に回復した。「財政の崖」を恐れ値下げが続いた米国NY証券市場を尻目に日本の株高が続いている。

総選挙を控え余りに過激な発言の為、エコノミストなどの専門家だけではなく野田首相からも危険な考えと厳しい批判を受け、安倍氏は先週末に経済・外交政策上の見解を和らげたと新聞各紙は報じた。だが、安倍氏は円安・株価上昇に気を良くしているという。めげる気配はない。

この10日間の安倍氏の過激な発言を見聞きして、山田厚史氏(元朝日新聞)は「金融ポピュリズム」でこの選挙を戦おうという危険な発想を指摘した。同感である。専門家の見方は市場の反応は一時的なもので、海外メディアの見方も概して冷淡なように私には感じる。

最初私は、安倍氏は第二の鳩山氏になる可能性があるかもしれないと感じた。民主党が政権をとった当時鳩山首相があてもなく最低でも県外と普天間基地の移転に言及したが、具体的な方策が無いことが徐々に判明し沖縄県民の希望が崩壊して不信感を募らせた。これをきっかけに、鳩山政権は国民の支持を失い退陣に追い込まれた。

倍氏の唱える金融政策は無制限にお金をばら撒こうという無謀なものであり、安全保障政策は外国と揉め事を起すことを前提とした国防軍の創設という危険なもののように私にはみえる。目的はデフレの解消と領土問題で傷ついた中韓外交の建直しなのだろうが、こんな無謀なやり方では頓挫する。目的が正しいからと県外基地移設に突き進んだ鳩山氏と同じ臭いがする。

実は、安倍氏は鳩山氏と同じ間違いは起さないかもしれないと私は推測する。というのは、鳩山氏より取り巻きがはるかにすぐれていると思うからだ。鳩山氏の側近は小者ばかりで確固たる信念も経験も無かった。鳩山氏の政権運営に最も影響力を行使したのは小沢氏だが、彼は政局の人であり政策は政局の小道具でしかなく何の助けにもならなかった。

上記のように安倍氏の過激な発言を先週和らげた。自民党の選挙公約は当初の日銀法改正や国債の直接調達などの過激な表現からトーンダウンしたと報じられた。彼の取り巻きやブレーンの助言を受けた結果のようだ。この後政権をとっても大きな間違いをせず軌道修正できそうな気がする。どうやら鳩山氏に比べてまともな人達が参加していると感じさせるものがある。

参院の情勢は変わらないので総選挙後も3党合意が続く見込みだ。それなら現実的な方向に進むだろう。不安なのは安全保障面領域かもしれない。選挙後の国会情勢によっては、石原・橋下両氏が率いる維新の会の意見が妥協を許さず、元々右よりの安倍氏を更に右側に押しやり前回の中国訪問のような現実的な対応をとれなくなる可能性がある。

この点でも視野が広く現実的な考えの出来る人材が自民党には多いと思う。選挙後も彼らが影響力を維持していればの話だが。最悪ケースは新指導者が率いる中韓の出方によって、安全保障領域で威勢のいい強硬論比べの流れをマスコミや世論が作ることだ。こうなると俄然元気になって暴走する連中が支持を受けることもありえる。経済通を期待されたブッシュが大統領になった直後、9.11が起こり政権の性格が決まった。これはもう相手次第で運次第だ。■

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前立腺肥大症が招いた奇妙な習慣

2012-11-23 11:42:49 | 健康・病気

最近、老人の健康ネタばかりになって申し訳ないが、今日もその延長線上で繰言を一つ。昨年の今頃に前立腺肥大症と診断され、以来頻尿が続いている。当初は2時間おき位でトイレに立ち、同じ頃痛風が出て地獄の思いをした。車を1時間余り運転した時トイレを探して四苦八苦し、道路脇のコンビニを見つけて駆け込み一息ついたこともあった。

それからガン騒動や椎間板関節嚢腫等を経験し前立腺肥大症など吹っ飛んだ時期もあった。1年経過し気がつくと劇的に症状が改善したわけではないが、日常生活で困るようなことは無くなった。いまも夜中に1‐2回トイレに立つ。外出時や就寝前にはトイレに行く。ジョギングやハイキングの途中に尿意を催した時は困るが、何とか処理している。頻尿とうまく付き合えるようになった。

だが、我ながら変な習慣が身に付いた。実は習慣というより身体が自然に反応する。外出する為玄関で靴に片足を突っ込んだところで、突然尿意を感じてトイレにいく。その前に尿意を感じなかったのだが、外出イコール排尿とパブロフ反応みたいに身体が反応するのだ。

もう一つ、かなり高い確度で食器洗いの途中で尿意を催す。これも同じで直前まで何も感じていない。ところが蛇口からお湯の流れる音を聞き、手を濡らして暫らくたつとおしっこしたくなるのだ。一旦尿意を催すと前立腺肥大症のお陰で我慢が出来ない。

以前よりは我慢できるようになったが、無理をせず一旦中断して直ぐにトイレに立つ。靴の履きかけと皿洗いが何で膀胱を刺激するのか良く分らない。身体のどこかでスイッチが入って膀胱が収縮するのだろう。自分の身体が老化していく過程を見るのは寂しいがちょっと面白くもある。■

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沖縄の心は地域エゴか

2012-11-21 22:37:21 | 国際・政治

田首相の意表をついた衆院解散以来、マスコミ各社の報道は総選挙に取り組む与野党と新党の動向に集中し、ある種の躁状態に入ったといっても良い。それまで大騒ぎした沖縄の米兵暴行事件とその後の反対運動は消えてなくなり、併せて争点になったオスプレイ配備や普天間基地移設問題も棚上げになったかのようだ。

気になるのは沖縄の基地問題は選挙の大きな争点になってないことだ。沖縄の人達が怒り基地反対デモが盛り上がりを見せ、自治体の議会や仲井真知事が再発防止、日米地位協定の改定、オスプレイの沖縄以外への再配備などを要求し、その熱気がテレビ画面から伝わってきた。

なのにあの日を境に全く見られなくなった。無論、解決した訳ではない。マスコミ各社の優先順位が変わったということだ。しかし、何故選挙の争点にすらならないのか。各党はどう考えているのか、国民はどう考えているのか気になるが、有力政治家の誰一人として声を上げない。

少なくとも次の政権に近いと予想される民自公と維新は、安全保障と沖縄基地の役割について方針を打ち出すべきだと考える。何も無いということは、色々問題はあるが沖縄基地問題は小異であり議論されるべき大事ではないということなのだろうか。本音は何を言ってもマイナスにしかならないテーマだと見ているからだろう。一部(地域)と全体(日本)の利害が相反する問題だ。

沖縄基地を巡る問題であれほど大騒ぎしたマスコミが国民の判断を問う総選挙でダンマリを貫くのは、政界及びマスコミ間で暗黙の合意があるということか、私は理解に苦しむ。或いは国民の間にも沖縄基地問題は同情するが基本として維持すべきというコンセンサスが意識下にあり、それを反映した結果と私は疑う。

染されたガレキの中間貯蔵施設を提案され感情的に反発した双葉町を、私は沖縄の基地問題と同じような悩ましい性格の問題を抱えているように感じる。異論もあるが、沖縄の基地は我国の安全保障のために必要だが沖縄の人達は出て行けという。ガレキ処理も福島県が震災復興するため絶対必要だが、政府の提案に双葉町長は強く反発し福島県知事も同調した。

放射能に汚染されたガレキは県外には持ち出せない、県内のどこかが引き受ける以外に手段はないのは明確だ。強い反発を受け、政府は無理押しをせず一旦説得を諦め沈静化を待つ積りのようだ。結果は先送り、ガレキ処理の目処がたたず早期復興の足枷になると憂慮される。ほおって置けばそのうち地元は折れるとの読みがあるのかも知れない。

本来、福島県知事は復興推進の為に説得する側に立つべきだが、昨今の何でも国の責任にして住民と同じ立場に立つ道を選んだと私は感じる。100点の取れない難題は、その方が保身の役に立つ。だが、汚染されてないガレキの受入でさえ冷酷に拒否する全国の自治体が続出する中で、福島県の汚染ガレキ処理は同情されるけど絶対に誰も助けてくれない。国民は非情だ。

んだわけではないが結果的に地域とか一部の反対が全体の足を引っ張ることになる問題は、放射能汚染ガレキ処理や沖縄の基地問題ほど全国的ではなくとも、規模の大小はあっても沢山ある。昨今、一部の意思が全体の意思決定を捻じ曲げたり先送りする傾向が強い。話は違うが、この問題先送り時代に信ずるところを断行する橋下氏や石原氏が時に新鮮に感じる。

沖縄の米兵暴行問題に対する自治体や県知事の反発に、我国の安全保障を考えろというのは無理な話だ。だが、私には二重基準があるように感じる。まず地域のためという発想は理解できるし、米軍に対して改善の要求も理解できる。自県のことしか考えないのはしょうがない。だが、出て行けとなれば話は違う。

県民の安全保障すら守れない事態が目の前に起こっている。尖閣列島の領有を巡り中国が漁民を威嚇する事態について、誰も何も言わないのは何故か理解に苦しむ。彼等も県民で生活が脅かされているのだ。(沖縄の誰かが言ってるけど、メディアが無視しているのかもしれない。)

もう一つ私には気になることがある。先日沖縄県の人口比犯罪件数が国内でも突出して高く、基地にいる米兵の犯罪率よりかなり多いと聞いた。念のため沖縄県警の統計を調べると今年1‐9月の刑事犯は8413件で、子供や高齢者を除く有意数に換算すると米兵の4-5倍犯罪が多い。

基地の米兵には特別高い倫理基準が求めてもおかしくないと思う。だが、被害にあった沖縄県民は犯人が米兵か県民かは関係ない。被害者や家族はそう思うはずだ。犯人が県民だから我慢しろとはならない。自治体や県知事は県内の犯罪率が高いことを詫びて改善を約束する、せめて米兵の犯罪率並に改善すると言うべきだ。それとこれでは話は別だ、しかし言葉の信頼に関る。■

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肉体老化は筋肉の鈍感化か?

2012-11-19 12:42:39 | 健康・病気

いつもの朝刊のチェックが終わり、散歩を兼ねて競馬場まで遠回りをして買物に出かけた。駅から競馬場に繋がる陸橋の前で小雨が降り始めた。洗濯物を干したばかりなので小走りにかけながら急いで自宅に後戻りした。自宅に着くと額に汗が滲んだが足が痛くないことに気が付いた。オカシイ。

というのは昨日バドミントンのお楽しみの地域大会に参加し、3ゲームやったからだ。足や腕とか肩に痛みや張りが出て来てもおかしくないはずなのに、いつもの違和感がない。実は、先日高尾山から陣馬まで往復し30km歩いた翌日、身体全体に若干の張りを感じただけで痛みは無かった。その後身体の張りもなくなり痛みを感じないまま終った。

昨日の3試合目はパートナーがトップレベルの大学のバドミントン部で活躍し卒業して3年という最高の選手だった。30歳過ぎてレクリエーションで始めたバドミントン競技でこのクラスの選手と組んだ経験はない。相手チームは当然私を狙って攻めてきた。私も必至で目一杯の力でプレーし、フルセットに持ち込んだが惜しくも敗れた。当然後から筋肉痛が出て来ると覚悟していた。

運動した後の筋肉痛が少し遅れて出るのは、年をとったと感じる典型的な症状だと思っていた。随分前からそういう経験をしてきた。この数年は2日後どころか3日後に筋肉痛を感じたこともある。なのに、このところの身体の急な変化(異変?)は理屈が分らない。若返ったなんてことはありえない。そんなこと言えるのは真逆の政策が一致したと強弁する維新と太陽くらいのもんだ!

何故筋肉痛にならないか理由が全く分らない。あえてスギちゃん風にいうと、私のワイルド・ゲスは筋肉が痛みに鈍感になったのが原因と推測する。以前投稿した腰痛(椎間板嚢腫)が下肢の痺れがまだ残っているが痛みが殆ど無くなった。痛みを和らげる化学変化が体内で起こり、痛み止め成分の分泌が運動後の筋肉痛にも効いているのではないのだろうか。

こうなると妄想としか言様が無い、かもしれない。私自身そう思う。しかし何かがあると、その理由を説明する理屈がないと落ち着かない、それが屁理屈であっても。何だかもっともらしいと思いませんか。■

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