来月4日に公示、16日に投開票が行われる衆院選には、民主党政権と自公野党の二大政党政治が機能しない政治の受け皿として、第三極と称する新党が乱立しいまだに合従連衡が続いている。解散直後は既存の与野党対決で「経済成長」が最大の争点と見られたが、石原・橋下新党が個人の魅力で「決められる政治」を主張し政策が曖昧になった感があった。そして昨日からの嘉田新党の出現で「原発ゼロ」が新たな争点になった。少なくとも、マスコミ報道では。
だが、私は隠された最大の争点があると信じる。それは我国が長らく悩ませ一向に治る気配の無い深刻な慢性病で、少子高齢化を背景とした拡大し続ける「世代間格差」である。失われた20年間に渡って高齢者のための政治が行われてきた。自公も民主もともに高齢者に配慮して社会保障改革は先送りを続け巨額の財政赤字を増やした一方で、25‐34歳の失業者は20年前の7倍に増えた。こんなことは絶対に許されない。
政治が高齢者に向いているのは単純な算数の問題だ。その方が選挙に勝てるからだ。60歳以上の世代が有権者に占める割合は、80年に20%弱にすぎなかったが、10年には38%に増えた。投票率は高齢になるほど高く、10年の参院選では60歳以上が投票者の44%を占めた(日本経済新聞11/26)。これが高齢者重視の政治を単純に非難できないからくりだ。
私はこのような状況を憂慮して、2009年に記事「青年よ、政治を目指せ」と題して若者に警鐘を鳴らした。せめて投票すべきだと。http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20090415 大接戦だった先の米大統領選でオバマの再選を後押ししたのは若者の票だった。米国では若者の比率が高いから影響力もまた大きい。しかし我国では、2009年以来、具体的なデータは手元に無いが若者の票が重要な役割を果したのは大阪市長選くらいだったと感じる。
日本の場合、少子高齢化という構造的な要因がある。更に、違憲とされた1表の格差があり、大雑把に言うと高齢者の比率の高い地方の票が都市部の2倍の重みを持っている。その上投票率が低いのでは自業自得かもしれない。誤解を恐れずに大胆に推測すると、投票率を加味して地方の高齢者の票の重みを換算すると都市部の若者の3‐4倍の重みを持っていると推測される。これでは、政治家は老人の方に向わざるを得ない。しかし、それでは何と言い訳をしようとも長期的に国が活力を失い縮小していく道を選ぶに他ならない。
そこで再び私は「青年よ、政治を目指せ」と言いたい。「誰を選んでも同じ、何も変らない」とテレビはインタビューに答える選挙民の声を事あるごとに流す。それは大間違いだ。テレビも老人の味方だと思った方がよい。視聴率に貢献するのもまた老人なのだ。無投票は政治不信の意思表示などというのは民主主義を破壊する行為だ。マスメディアの無責任を糾弾されるべきだ。
新党も含め若者に対する政策を最大の争点にしないのは何故か、それは口先ではどう言おうと若者は票にならないからだ。騙されてはいけない。若者は連帯して投票所に行こう。ベストでなければ、ベターでもいい、逆説的に老人の社会保障に熱心でない候補者でもいい。落としたい候補者の対抗馬でもいい。何しろ投票しよう。それが、政治の流れを変える第一歩だ。■