朝から雨で何もやることがなく、遅めの朝食を取った。頭の中にあったのは息子の家族が無事に小豆島に向かっているか天候が気になった。姫路からのフェリーが無事に出ているのを確認して安心した。海が荒れていれば最悪は予定変更し、迎えに行く積りだった。このままだと台風27号は旅の後半になりそうだ。それはそれで心配だが。
落ち着いたところで、気になっていたMLB中継を見始めた。レッドソックスとタイガースのリーグ優勝決定シリーズ(ALCS)だ。大活躍している日本人投手の出番は遅く、昼食をとりながら中継を見た。試合はビットリーノが逆転満塁本塁打を打ちレッドソックスがリードして終盤を迎えていた。この試合でもタイガースのブルペンの弱さが致命的だった。
田澤が中継ぎで出て役目を果たし、上原が見事に締めくくりシリーズのMVPを取った。シーズン中も活躍したが、王手をかけた大一番での勝利への貢献は見事でMVPに値する活躍と監督もインタビューに答えていた。話はそれるが上原の息子が隣にいてインタビューアーの質問に慣れた様子で答えるのは驚いた。
上原は感想を聞かれ「吐きそうだった(almost threw up)」と応えて観衆を笑わせていた。話はそれるが、彼の息子は現地の子みたいにI don’t knowとかExcited!とか間髪をいれずに簡単な言葉で受答えしていた。短期間で順応する子供の能力は凄いなと思った。それにしてもボストンの野球ファンは熱い、熱狂的だ。狭いフェンウェイ球場が満員の観客で溢れかえり、喜びがほとばしった。
ボストンにしょっちゅう出張していた90年代のレッドソックスはゴミみたいに弱かった。当時はポストシーズンに近づくにつれてペナントレースから脱落して行くのが通例だった。それが何十年と続いていた。戦前ベーブルースをヤンキースにトレードしたのを「バンビーノの呪い」と言い、負ける理由にして自分を納得させていた。戦争をまたいだ言訳だ。
2000年代になって殿堂入り確実のピッチャーを補強してワールド・チャンピオンをとり、常に優勝争いをする常勝軍団になった。松坂もその頃入団した。誰も呪などという人はいなくなった。しかし、昨年日本でお馴染みのバレンタイン監督が就任、そりの合わない主力選手を放出しチームは空中分解し酷い結果になった。今年のシーズン前は常勝軍団の再建は容易でないと低く評価されていた。
ところが、スポーツ・イラストレイテッド(SI)によれば今年は代わりに安価に獲得した選手(満塁本塁打を打ったビットリーノとか上原のこと、安価といっても日本とは給料の桁が違う)が活躍して勝ったのだから勝負事は分からない。投手コーチ出身の新監督はピッチャーのことを良く分かって使ってくれる、と上原は少し前に言っていた。出番じゃない状況でもコンディションを維持する為に考えて使ってくれると。なるほどねーと思った。
ポストシーズンでは監督の采配に加えて、プラス要因として上原のいう草魂(ど根性!?)が発揮されていたと思う。彼は巨人時代から意気に感じるタイプだった。だが、何故かここまでMLBのHPの記事では上原の貢献に余り触れなかったように感じる。
必ずしも人種差別ではない(ボストンは極めて巧妙にやる)。と言うのは、田澤が点を取られてもMLB最高の打者カブレラを三振に取ったり、併殺に打ち取った時などは再三高く評価していた。だが、地元のファンは分かっておりコージ・コール連呼して上原にエネルギーを与えた。彼のシリーズを通じた活躍は誰が見てもMVPに値するものだった。
私のフェンウェイの印象は冴えない。仕事が終って郊外のオフィスからダウンタウンに向かう時、チャールズ川に沿って高速道路i90(地元ではマサチューセッツ・ターンパイクと言っていた)を通りケンブリッジに入ると右手にフェンウェイ球場があった。試合がない時の球場の周りは街灯が少なく物騒な感じだった。ところが試合がある時は何時でも満員で湧きに湧くと言うから信じ難い。仕事で付き合った連中もそうは感じなかった。
この熱狂は何処から来るのか。多分歴史的なものがあるのだろうが、私はそこまでは知らない。それが何であれ、全米一、二を争う熱狂的な野球ファンのいるボストンで上原が大活躍し受け入れられていたのだから凄い。テレビを見ていて20年前のすすけた印象のフェンウェイを思い出した。グリーンモンスターの裏側の駐車場は場外ホームランが飛んで来るので危ないと、野球好きの日本人駐在員に聞いたのを思い出した。
海外向けの担当に部署換えして悪戦苦闘したサラリーマン時代を思い出す。あの頃は海外ビジネスの経験もなく、米国人との仕事や交渉事が上手くいかなくて苦労した。その経験から海外で活躍する野球選手を見ると素直に凄いなと思い応援したくなる。■