不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

田舎暮らし雑感05冬(3)

2006-01-27 23:00:08 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ今回の田舎暮らし報告もこれが最後です。今回母の病気のおかげで近所の方に気にかけてもらい、徐々に知って頂けるようになったと実感した。

七草

年末に裏山で採ってきた山草と買ってきたお飾りを三日遅れで片して焼き、母がお鏡餅と七草で雑煮を作って食べた。七草といっても水草だけ、1種類でも入っていると良いのだそうだ。今年は堤防にヨモギが殆ど育っていない。母によると今年の異常な寒さのせいだという。

グローバリゼーション・イン・大洲

昨年母の血糖値測定器を買いにドラッグ・ストアに行った時、隣の中古ショップから聞き慣れない言葉が流れてきた。日本のお店では余り見かけない陳列の仕方で雑多な商品があり、体格のいい女性二人がギターなどの楽器を眺めていた。店内の表示は漢字と英語で、観光客向けのお店のようだった。聞くと中国人で、言葉が全く通じなかった。

年が明けて肱川沿いにジョギングを再開したときすれ違った2人が英語を喋ってるのを聞いて声をかけた。昨年8月から1年間川辺と肱川(山間部に在る小さな学校)で英語を教えると言う。一人はシカゴから来たアマンダ、もう一人はバンクーバーからのニコール。

英語を話すのは久し振りだったので馬鹿な冗談を言ってつい長話したが、ここでは彼女達も話相手が多いはずがなく気分転換になったと思う。今まで故郷の田舎町で海外の人を見かけた記憶がない。短期間に2度も海外の人に会うということはこの町にも海外からの人がかなり多くいるのでは。

体力回復

正月があけて暖かい日を選んで距離を延ばし15km程度のジョギングをしたが怪我をする前とほぼ同じ感じで走れた。運動後の筋肉疲労も余り感じなくほぼ体力回復したと実感した。その後45回走ったが問題なく走れた。肉体的な回復が精神的な自信にまでなってきた。

妹夫婦帰省

道後温泉から帰った翌日妹夫妻が大阪から帰省した。夫君がCESの為ずっとラスベガスに行っていたので正月に帰れなかった。朝大阪を発つと車で3時間余りなので午前中に着く。便利になったものだ。妹は食事や運動など健康的な生活をしており、理想的な体形に近く元気そうだった。

夫君の車で宇和島に行く途中の小さな町に行き、「あけまや」という鰻やでご馳走になった。蒸さないで焼く関西風の蒲焼が抜群だった。彼の説明によると鰻は浜松の養殖だが、池で体重が半分になるまでおいて身を引き締めてから出すのでこうなるという。帰る途中、地元のスーパーで新鮮な魚と野菜を買い、彼がプロ級の自慢の腕を振るって夜は最高の肴で痛飲した。翌日目が覚めると夫婦はもう大阪に向かって家を出た後だった。

山岳行

昨日は一段と暖かく感じたので昼食後思いついてマウンテンバイクで出石寺を登った。これをやり切れば完全復活宣言だ。高速ギアの調子が悪かったが、中速・低速の14ギアを駆使して登りきった。最後の1ギアが命綱だった。心配した雪は500mから路肩に残っていたが何とか頂上に到達した。標高800m以上の真冬の出石寺の参拝客は数人だけだった。

上半身の汗を拭き取り全て着替え手袋は2重にしたが、降りの寒さには参った。手の指が切れそうで途中休んで手を温めた。標高300mあたりから寒さが和らいだ気がしたが、里に下りスーパーで暖かいものを欲しいと言おうとした時頬が硬直して上手く喋れなかった。取りあえず体力回復の最終テストは無事終了した。

今日、母の馴染みのマッサージ師に家に来てもらって母と一緒に揉んでもらった。やはりふくらはぎと大腿筋上部が張っていて痛い。多分これで明日の筋肉の張りは軽くなるはずだ。いつも気にしている後頭部や肩は普通だといわれ道後温泉のときと同じでほっとした。

バドミントン

昔実業団のソフトボールをし、今は北海道から屋久島まで全国の山を登っているというスーパー奥さんが近所にいる。彼女に教えて貰って市の連絡所に聞くと、近くの小学校でやってるバドミントン・サークルがある。早速世話役に電話して聞くと日曜日に来いという。体力回復が競技力回復に繋がってるかテストできる機会が来た。楽しみだ。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私的・高齢化社会

2006-01-26 11:41:04 | 社会・経済

この冬の田舎暮らしも残り少なくなった。母は78歳で年末に退院後何とか元気に過ごしていたが、正月明け寒さが和らいだ時家事や畑作業をやり過ぎたのか疲れが出たようで、一時的だがふらふらして歩けなくなった。

その後かかりつけの病院で点滴を受け何とか元気を取り戻した。そういう経緯があったものだから、帰京後インターネットカメラで朝晩母の様子を見るだけではいざという時の対応が出来ないのではと心配になった。

市役所の高齢福祉課に連絡し介護を委託している在宅介護支援の医療法人の紹介を受けた。その日の午後、早速地区担当の方に来てもらい相談に乗ってもらった。サービス内容は買い物ヘルパー派遣・通院の乗車補助する福祉タクシー・閉じこもり老人の為のデーサービス・在宅介護の4種類あって、母はそのどれにも該当しないと言われた。

確かに現在母の状況は比較的安定しており日常生活は何とかやって行けるが、いつ母が動けなくなり買い物や通院できなくなるか分からず、いざという時タイムリーに状況を把握してペーパーワーク等でぐずぐずしないで支援してくれるか非常に心配だ、と言って症状が悪化した時の配慮を強く求めた。(事前に親戚の老寄りから書類提出が面倒で頼めないと聞いていた。)

医療法人の地区担当はまだ若い女性で、私がついつい会社勤めしていた頃の厳しい交渉スタイルで迫ったので、田舎ののんびりした会話に慣れた方にはチョットやり過ぎだったかも知れないと後で反省した。その効果があったのか後から母に連絡があり、再度検討して連絡頂けることになった。

その後やはり帰省中の妹のお義母さんから近くのスーパーが足のない老齢顧客の為の送迎バスを週一のペースで運行しており、要望に応じてコースを変えたと言う話を聞いた。しかし、現在は母が利用できるコースを走っていない。母に聞くとこの付近だけでも該当する独居老人が45人いると言う。

早速当該スーパーに連絡し事情を話してコース変更を依頼し、会議にかけると言う返事を貰った。しかし私は経験から時間軸のない返事では満足できず、今月帰京するので出来るだけ早く決めて頂きたいと強くプッシュした。もっと強い動機付けをしたほうが早くアクションを取ってくれると思った。

と言うことで、まず医療法人の担当にその旨伝えたが、よく考えれば自分の仕事を減らす提案をしたことに気が付いた。彼女のやる気のない返事は尤もである。最初の取っ掛かりになった市役所の担当に状況を説明、市のほうからも是非スーパーに口添えしてくれと依頼した。

最初反応がイマイチだったので、こうした民間の力をうまく利用して官民連携で今後益々増える独居老人の支援をするのは、市の財政負担を減らす効果もあり全市にわたって考えてみたらどうかと電話口で演説してしまった。先に報告したように市の財政は民間基準で言えば既に破産している。

この市の担当と話して地区毎にどれだけ独居老人がいるか等、どうやら老齢化社会行政を考える基礎となるデータベースが活用できる形になってないことに気が付いた。老齢化と共に狭まる行動範囲をどう克服し出来るだけ長く自宅で自立して生活していくかは、厳しい市の財政にとっても必須なはずであると説き少なくとも担当レベルでは賛成してくれた。上司に話すと言う。(これからどう展開するかどう転んでも別の意味で興味がある。)

送迎バスのコース変更の為には沿道のの潜在顧客を調べ、トータルニーズを把握する必要がある。もう直ぐ帰京することを考えると地域コミュニティのリーダーに取りまとめをお願いしなければいけない。担当の方に聞き今までの経緯を組長(自治会長のこと)に説明し支援をお願いした。

ここまで話をさせてもらった方は組長を除き全て女性だったのは非常に印象に残る。男の直感としていうなら、向き不向きだけではなく女性に押し付けている気がしないでもない。多分全国的な傾向だと思われる。だからと言うわけではないが総合的な視点での地域の高齢化社会対応の施策作りがまだなされてないという問題を垣間見た印象がある。

たまに田舎に来て好き勝手なことを言ってかき回し、最後まで面倒見ないで直ぐ都会に戻るといわれそうな気がしないでもないが、母を心配する気持ちから出たことで無礼はお許し頂きたい。堺屋太一氏は団塊の世代は老人が超老人の最後を看取る最初の世代であると定義した。高度成長時代を支えバブルを経験した団塊世代には、又新たなる挑戦が待ち受けている。最後の最後まで貢献できることは幾らでもある。■

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライブドア・ショックがもたらした物

2006-01-25 14:24:07 | 社会・経済

堀江社長のユニークなキャラクターと相俟ってライブドア事件はショッキングな展開をし、お茶の間の目を釘付けにしてきた。この事件の主役はライブドアだが、日本資本主義システムの抱える問題を表面化させた。今までの報道と論評を整理してライブドア・ショックがもたらした物を整理した。再発防止だけでなく何を改革して行くかこの機会に根本原因を追究していくべきである。

1) 金融庁の無能力:門番であるべき金融庁の証券取引等監視委員会の無能力が、閣僚にライブドアの日本放送の買収を合法であると発言させ、それ以降のライブドア暴走の流れを許すことになった。誰も警告を与えブレーキを踏まなかった。独立性の高い日本版SECを作ることが求められる。

2) 法の不備:証券取引法強化は必須で、やり得を防ぐため監視機能体制強化と罰側の見直しが急がれる。エンロンやワールドコムの不正会計発生時、米国は短時間で徹底した法整備を行い、信頼を繋ぎとめた例を見習って欲しい。幸い市場は落ち着きを取り戻してきたが、それで「喉もと過ぎれば」にならないようにしたい。

3) 東京地検特捜部の力:強制捜査が始まってからたった1週間でライブドアのトップ4人全員逮捕となった。この特捜部の電撃的な速さは特捜部の実力の凄さと、余程事前に証拠を握っていたことを物語っている。特捜部の「巨悪は許さない」と言う揺るぎ無き信念を感じると同時に、何らかの政治的な動きが背景にあった疑いが残る。

4) 東証の犯罪的無能:昨年から東証の無能力さは世界の日本市場への信頼を著しく失墜させ犯罪的でさえある。東証の処理能力強化は当然として、東証以外に代替市場が必須であることが明確になった。

5) 株式市場の調整は適切:昨年末からの株式市場加熱はやや異常であり、日経平均が15,000円以上を超えてからバブルの臭いがし始めた。今回の株価下落は市場全体にとってはバブル部分を剥落させる良い調整の機会となった。

6) 企業評価基準:米国は2000ITバブル破裂後、市場は配当を重視する評価に変え収束していった経緯がある。証券会社等は評価基準を見直し個人投資家に適切な投資情報公開をしていく責務がある。

7) 企業ガバナンス:ライブドアには企業統治が機能するかけらもなかったようだ。ライブドアを特異な例外と見ないで、環境問題からセキュリティまで全企業に対する警告と受け取り、企業統治のあり方を見直す必要がある。自動車メーカが全地球に及ぼしている環境破壊からヤマハの兵器転用可能な商品の中国輸出まで見直すべきことは山ほどある。

8) 堀江ファン:逮捕後も堀江社長を励ますメールが多数来ているらしい。既存勢力に対するアンチテーゼのメッセージのように見える。今後底流に何があるか意味するところを考えても無駄ではない気がする。

9) ライブドア報道部門の姿勢:ライブドアのニュース・サイトは「あらゆる情報を分け隔てなく集約し、オープンにしていきたい」「社会の公器として認められるべく、邁進する」とし、中立性と独立性を保ち、社内への家宅捜査でも、独自のニュースソースとして現在進行形で報道を続ける姿勢は、・・・ 経営上の嫌疑とは別にスタッフ一同にエールを送りたい(Nikkei BPから抜粋)。大新聞や放送局のなまくらな身内の不祥事の扱いに比べその姿勢は賞賛され報道の手本を示した。高く評価したい。

10)政治的影響:小泉政権の最大の関心は混乱が続き日本市場の信頼が失われる恐れだったはずだ。野党は堀江社長が先の総選挙で自民党の支援を受けたことを攻撃するのは当然だろう。買収に動いた時の金額の大きさと急激な成長を考えると、今後意外な所から「隠し球」が出て来て事態が急展開しないとも限らない。しかし、それで今までの構造改革が誤っていた訳では決してない、これを政治的に利用して逆行させてはならない。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンポの宿体験記(2)

2006-01-21 08:39:39 | 旅行記

フトンが小さくて寝不足

前夜は気持ちよく床につけたが、かけフトンが軽く寝返りをうつ度に手足が飛び出し冷たい空気に触れて目が覚め、フトンをかき寄せる繰り返しで熟睡できなかった。初体験は全て合格だったのに残念、このフトンでは2度と寝たくない。やっとうとうとし始めるともう朝で、朝風呂を浴びて気分一新した。やはり露天風呂がいい。

続・道後寄席

朝食は夕食と同じ場所でバッフェ形式、好みの果物やトーストをトレイに取っていると、昨夜の馬の助師匠と目があった。平服だと普通の気のいいオヤジで、普通に挨拶して昨夜の無礼(あったとすれば)を詫びた。気持ちのいい挨拶が返ってきた。先に詫びるに限る。

チェックアウトの為1階のロビーに下りると、昨夜の寄席での私の顔を覚えている従業員がいて声をかけられ気恥ずかしい。1泊一人8000円程度だから温泉ホテルとしては安い。落語プログラム付の特別価格は1万円と聞いていたが、キャッシャーは間違いではないと言う、安いのに文句言うことはない。

ロビーでホテルの幹部らしき人達といる師匠に又会ってしまった。もう直ぐに東京に帰るとのこと。私の顔を覚えられたので母の車を待つ間にマッサージや実家のこと、もう仕事しないのか等色々聞かれ居心地が悪くてしょうがなかった。出かける時はやたらと丁寧に見送られて困った。

石手寺参拝

ホテルから坂道を下っていき石手川の橋を渡ると正面に石手寺が見えた。参道が短くあばら家風のお土産売り屋数軒を通り過ぎるともう境内に入った。平日の朝10時過ぎの割には参拝の人は多い。

三重塔の周りに88ヵ所のお寺の砂を袋詰めで並べてありそれを順に触って「簡易88ヶ所巡り」を済ませた。イラク戦争を反対する幟が目に付く。足を延して奥の院まで行くとインド伝来の宗教ということが良く分かる独特の建物や偶像に出会いはっとした。ここまで来る人は見当たらなかった。

子規記念会館

石手寺を出て道後温泉に向かうとやがて左手に窓のない白い建物が見える。それが子規記念館だ。お土産物を一通り見た後2階に上がり400円の入館料を払い荷物を預ってもらい見学。古代松山から子規の背景・周辺までじっくりと紹介していく展示で、子規の研究家には面白いかも知れない。

維新後版籍奉還後の松山藩武士階級の屈辱と貧窮、子規の幅広い交友関係など興味があった。平日の午前中で入館者は少ない。お土産コーナーと受付の女性は清楚な感じで親切、柔らかい土地のアクセントで喋る言葉が耳に心地良かった。

御免、疲れてた

博物館を1時間余り見学、道後温泉に出て、その後は軌道に沿って松山の中心に向かって戻っていった。途中で松山城の方に向い東雲学園近くの古本屋に入った。ギデンズ物が1500円、高過ぎるというと「学生が買うからいい」と木で鼻をくくった返事で会話にならない。

気分を害して店を出て、例のスタバに行った。前日の愛想が良く可愛い子がレジにいなかった。隣に座った米国人らしい女性が亭主がどうのこうのと大声で世間話してるのが耳につき(彼らは概して大声)、静かにしろといってしまった。どうも寝不足や歩き疲れ、古本屋のオヤジの悪態でイラついていたらしい。

寒空の向こう

さっさと帰ることに決め松山市駅まで歩くと、丁度宇和島行きの高速バスが出発するところだったので乗り込み、40分弱で実家の近くの88ヶ所番外「十夜ヶ橋」の高速出口で下車、3時には自宅に戻った。

でも鍵を持たない私は寒空の中母の帰りを待つ羽目になった。蔵の中は落ち着いて座れず、東屋で本を読み始めたが吹きさらしで寒く5分と続かず、風呂と脱衣所がある別棟の小屋に入り待って待つこと1時間タクシーのエンジンの音が聞こえ、救われた。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンポの宿体験記(1)

2006-01-20 11:28:35 | 旅行記

18日ライブドア・ショックで株式市場暴落2日目のニュースを気にしながら、昼食後大洲市の実家を出た。出かける時は雨が降っていたが、松山駅に着くと雨は止んでいた。母と別れいつもの駅前の古本屋に行き何冊か買い、松山市駅から湊町を歩くと年末に訪問時無くなったと思った古本屋が一軒残っていた。

健在、古本屋

鰻の長屋のような店の中で床から背丈以上に平積みになっている本の中に、思いがけずフランシス・フクヤマの「歴史の終り」を見つけた。聞けば上下巻合わせて1000円、即買った。店番のお爺ちゃんに「アルバイトでも雇って本を整理しないと売れるものも売れないよ」と言うと「やっても狭くて置き場所がない」との返事。ストーブの両横、上、後にも本が積まれてた。火事になるよと言うと「本は意外と燃え難い」と言う返事、やる気ゼロの古本屋だ。来年も生き残ってるか心配。

ロスト・イン・ハイク

大街道まで出て田舎では珍しいスタバでコーヒーを飲み一休み、路面電車の軌道に沿って道後温泉に向かう。途中県民会館の前で中年の婦人(オバチャンというには品があった)に聞いて横に続く「俳句の道」という脇道を歩いた。これが間違いだった。方向感を失った。

中々温泉街に着かない。その内、イカガワシそうな建物の前に客引きらしい男が並んでいる通りに出た。(川崎駅南口より余程人相がいい。)優しそうな年配の男を選んで道を聞くと、方向違いの変なところに迷い込んでいた。何度か道を聞きながら温泉街を抜け石手寺から石手川を渡り山に向かい、最近何かと話題になるカンポの宿・道後温泉に着いた。道草食いながら約3時間の道のりだった。

郵貯はメルパルク

ところが母はまだ着いていない。待ってる間に風呂に入り、物知り風のおじさんから近郊の温泉の効能を一通り聞き部屋に戻ると母がいた。温泉でも何でも大きい風呂は暖まって気持ちがいい。タクシーの運転手が「メルパルク」という郵便貯金関係の宿が別にあってそこに連れて行かれ遅れたそうだ。貯金と保険は、別々にあるんだ。

お茶を飲んで落ち着いたところで大食堂に出かけ夕食をした。糖尿を病んでいる母の為予めお願いして少し低カロリーで油分を減らしてもらったが、母は美味しいと言ったのでほっとした。若い人向きの食事の量より少なめで美味しくするという感じで好ましい。 

道後寄席

実はこの日を選んだのは、この日に限り東京から真打が来て落語をやる特別プログラムがあったからである。寄席に行ったのは30年以上前に母が上京した時鈴本か末広に行った時だと思う。前座の短い紹介の後真打登場、金原亭馬の助の生真面目な味のある季節感の出た噺と、三升家小勝の源平合戦をネタにした軽妙な語り口で盛り上がった。

もう終る頃になり、突然小勝師匠が私のほうを指差して演壇に出て来いという。私は自分を指差し、俺か、と言う顔をするとそうだという。どうも目立つほど馬鹿笑いしていたらしい。名前は近所の「府中刑務所...」といって受け、ホテルの社長と同じ名前で又受けた。私の答えをうまく笑いにつなげていく。講談のサワリをやるからパンパンと合いの手を入れろという。

何度やってもうまく行かずそれだけで笑いを誘った。酔ってたし、座興でオモチャになるのも悪くはない。「マッサージの予約が迫ってる」と言うと大受け、小勝師匠の趣味の絵のレプリカと、両師匠のタオル等をお土産に貰って開放された。楽しかった。

マッサージ

慌てて部屋に戻るとマッサージのオバサンがドアの前で電話をかけながら待ってた。ホテル専属の人は定休日で外から呼んでもらった。オーソドックスな普通のアンマで強さも丁度良かった。いつも気にしている首筋や肩はそれほど凝ってない、脂肪もついてないと言われ、技よりその思いがけない言葉で単純に大喜び、カンポの宿体験初日はまずまずだった。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする